実験──覚悟
「く、あ、──ハアッッッ」
美影が目を覚ますとそこは闇の中だった。
辺りを見回すが全く何も見えない。そこは完全なる暗闇の世界。
熱探知眼を使おうと試みたものの、どうやらイレギュラーを使えないようにされたらしく、状況が分からない。
「──」
美影はそこで足掻くのを止める。
抵抗するにも体力は必要、それに何よりもあの道園獲耐という老人は間違いなく自分に何らかの実験をさせるつもりなのであろう。
(じゃなきゃあのくそジジィがわざわざご丁寧にアタシの傷を治すハズがない)
美影は先日、とある戦闘で重傷を負っていた。簡単に言えば自爆攻撃に巻き込まれ、あわや死ぬ寸前にまで追い込まれたのだ。
一時は生死の境をすら彷徨っていた彼女だが、目を覚ませばベルウェザーによる攻撃、そしてそれに協力していたアサーミアなるマイノリティの殺し屋との対決。アサーミアにはイレギュラーが発展した田島との共闘で、そしてベルウェザーに対しては田島に進士、それから井藤に星城凛こと桜音次歌音の参戦と、それからベルウェザーの本体とも云えるエリザベスの協力で辛くも勝利を収めた。
しかしその代償は確実に美影の身体を苛んだ。
それがいい証拠として翌日の騒動に於いて彼女はろくに動く事も叶わずに捕らえられて、気付けばこうして今の状況に至る。
(何はともあれ、傷は癒えたのなら、機会は必ず訪れるハズだ)
普通であれば拘束された上に自分の能力すらも封じられたこの状況に大いに戸惑い、或いは絶望していまいたくなる場面なのかも知れない。
だが怒羅美影という少女はこれまで幾度となく死の境目を潜り抜け、生きて抜いてきた経験からか、そうそう容易くは絶望しない。
(生きてる限りは最善を尽くす、それで何としてでも生きて生きて絶対に生き抜いてやる)
その生きる事への執着こそがファニーフェイスこと怒羅美影、という少女の根幹を支えるモノだった。
「………………」
そうして美影はこの場は眠る事に務めた。
道園獲耐が何を目論むにせよ、絶対に実験をさせるのは分かり切っていた。そしてその時こそがこの状況を変えられるかも知れない千載一遇の機会となるかも知れないから。
──さぁさぁ起きたまえNo.13。いつまでも休んでいては身体に悪いよ。
「……ち、」
最悪な目覚ましね、と呟きながら美影は目を覚ます。
相変わらず暗闇の中ではあったが、さっきと違うのはボウ、と向こうに非常灯の光らしきモノが見える事だろう。
そしてそれを肯定するかのように、
──さ、道案内は任せたまえ。
道園獲耐からの声は美影にそちらへ向かえと誘導を促すモノだった。
「う、っしょ」
簡素な、ベッドというのもはばかれるような寝台から降りて美影は歩き出す。
ペタペタ、とした素足の音しか聞こえない。非常灯の光以外には一切の光もなく、人の気配はおろか、機械の音や小動物のいる痕跡すら見受けられない。
(徹底的に余分なモノは省いたってトコね。ホントあのくそジジィらしいわ)
ギリ、と下唇を噛み締める。
美影が知る限り、道園獲耐、という老人はかなり優秀な部類に位置する科学者だったと思う。
無論、あの老人が何に関わっていたか、その全てなど当時研究用の被験者に過ぎなかった彼女には知る由もない。だがあの老人の指示で多くの研究者が動き回り、様々な実験が行われていた事は知っている。時折、明らかに研究者ではない連中も訪れていたし、そういった相手にもあの枯れ木のような老人は何の遠慮もなくズケズケと何かを言っていた様も目にしていた。
(だけどアタシは知ってる、あのくそジジィは何をしようとしていたかを……薄々は)
ある時を境にして道園獲耐の研究は一つに絞られた。
それが美影、当時はNo.13と呼ばれていた少女を用いて繰り返された実験。
それは”ペルソナ”と呼ばれる戦闘補助人格プログラムの開発。
文字通りに仮面を装着したNo.13は実験に際して、戦闘をペルソナへ一任。自分の手を汚す実感もないままに相手を屠った。
実験は日々繰り返され、相手は日に日に強力になっていったのか、戦闘終了後のNo.13は手傷を増やしていく。
(アタシは逃げ出した)
ペルソナ、はNo.13と呼ばれていた少女を常に気遣っていた。戦闘補助を行う仮想人格、プログラムのはずなのに常に美影を心配し、その”意思”を届け続けた。
(アタシは生きるコトしか考えなかった。それ以外を考えるのが面倒だった、だから──いいえ。違うアタシは自分の手を汚すのがイヤでそれを見たくなくてペルソナに、ペルソナのせいにしたんだ)
本当に子供で、甘ったれていた。まだ子供だったから、と研究所から救出された後に美影はカウンセラーからそう言われたが、それは違うと今は思う。
(アタシは生き抜いてやるって口では言って、そう思ってもいたつもりだった。けど一番大事なモノが……一番肝心な【覚悟】が全然足りなかったんだ)
それに気付かせてくれたのは、”先代”のファニーフェイスであった”レベッカ・ビールス”。WGニューヨーク支部に所属するエージェントで戦闘のプロ。ボブカットにしたスカイブルーの鮮やかな髪と切れ長の目。そして何より特徴的だったのはその雰囲気。
歴戦の兵にも関わらずまるでそんな事実など全く感じさせない朗らかさを持った女性だった。
──いいかい美影。あんたは強い、多分ワタシよりもずうっとね。
でも同時にあんたは弱い。何故って自分の強さに適応出来ていないからさ。何を躊躇うの?
あんたは誰よりも強くなれる可能性を持ってるのに、その強さを求めるコトを同時に恐れてる。何か強い罪悪感に苛まれててね。
いい、あんたに足りないのは【覚悟】だけなのよ。
美影は何も反論出来なかった。
彼女は悔いていた。確かにイレギュラーを前よりも上手く使えるようにはなった。だけどそれは自分で訓練したわけではなく、ペルソナに任せっきりにしたから。簡単に云えばズルに近い行為。
ペルソナは幾度も言った。
『ミカゲ、もうあなたは自分の力でたたかうべきです』
戦闘補助プログラムの為の仮想人格は美影を諭すように話しかけた。彼女はこのままではどうなってしまうのかを理解していたのだ。その場しのぎのズルによって一時的には結果は出るかも知れない。だが、その後を考えれば力の使い方が分からないままではいられない。実際、美影が手に余ったその能力を曲がりなりにも扱えるようになるにはかなりの歳月が必要だった。
「は、はぁっっっ」
肩で息をしながら美影は顔をうつむかせる。汗が滴り落ち、ちょっとした池のようになっている。
炎熱系のイレギュラーの担い手である美影は本来であればこんなに大粒の汗を滝の様に流す事はまず有り得ない。
──ミカゲ。休んでるんじゃないわよ!
レベッカの叱咤が飛んで来る。美影の指導役に志願したのは彼女だけだった。
研究所から出た少女が直面したのは自分というモノがどれだけ世界からズレた存在であるか、だった。
来る日も来る日も実験を繰り返し、他者を屠る為だけに育てられた能力。
それはペルソナ、という存在によって器だけが大きくなった状態のようなモノ。
能力は有していても、その担い方を知らない美影は他のエージェント達から見れば、酷く歪な存在に見えた事だろう。
誰かが口にしていた、あれじゃまるっきり”不発弾”じゃないか、と。
いつ爆発しても不思議じゃない危険物扱い、それが周囲の大人たちの怒羅美影という少女に対する評価であった。
──さぁ、続きをするわよ。来なさい。
そんな中で手を挙げたのがレベッカだった。
──あんたに必要なのはまずは身体をどう使うのか、ってコト。だからイレギュラーの訓練をワタシはするつもりはないからね。怒羅美影、っていう器にはどんだけの水が注げるのかをワタシと何よりもあんた自身が見極められるまでこの調子でビシバシいくからね。
それは訓練というよりはリハビリのようなモノだった。来る日も来る日も美影は走って、飛んで、そして組手を繰り返す。これまで他人任せにしていた、自分の使い方を把握していく為の日々だった。
レベッカは容赦のない先生だった。美影が動けなくなるまでしごき上げる。いつも限界まで身体を酷使させられた。
後で聞いたのだが、レベッカはニューヨーク支部でも後輩の育成で一切手心を加えずに厳しい訓練をはじめとする課す事で有名だったらしい。
──さぁ、どうしたの? あんたはこんなものじゃないはずよ。
傍目からはまるで鬼のようにも見えたかも知れない。
だが美影は文句一つ言う事もなく黙々と訓練を積んでいく。そうして半年後。美影はイレギュラーを使っての訓練でレベッカから一本取る事に成功し、
──うん、いい笑顔だミカゲ。お前がこれからはアタシのコードネームを受け継げ。
青い髪の先生は満足そうに笑って初めて美影を褒めた。嬉しかった、誰かに認められるのがこんなに嬉しいだなんてずっと知らなかった。
──アタシが教えられる事はもう何もない。ミカゲ、強くなれ。誰よりも、自分よりもだ。
そう言って先生は美影の下から去った。何でもレベッカはイレギュラーの使用過多によってもう限界寸前だったらしいという事を知ったのはそれからしばらくしての事だった。
美影はそれから改めてエージェント登録をし、しばらくは各地を転々とする。それは良くも悪くも美影が何かに際して思い込んだら頑なであり、容易に他者を近付かせない性格であるのを自覚する日々。誰よりも強いが、独善的で協調性の欠片もない問題児。そう陰口を叩かれる日々だった。
(アタシは臆病だった。誰かを信用して裏切られるのがイヤで、だから自分から距離を取っていたんだ。レベッカがいたら怒られただろうな。覚悟が足りないってね)
九頭龍に来て自分が変わっていくのを美影は実感した。
友達、とでも云える存在はいないが、少しは心が許せる味方は出来たし、自分を妹分に扱う家門恵美にも出会った。家門とレベッカが顔見知りだと聞いた時、世の中は狭いんだと笑った事を思い出す。
(アタシはアタシだ。何があっても絶対に諦めるモノか)
そうして一人通路を歩く事どれだけの時間が経過しただろうか。
気付けば彼女は広場のような場所に出ていた。
「さぁ、来たわよ。実験するっていうんでしょ? ならさっさと始めなさいよ!」
両手を広げ、何処かから様子を伺っているであろう老人へ少女はあくまでも強気で接する。
確かに不利な状況下だが、相手へ自分の弱気な姿など見せるつもりなど毛頭ない。
──くわばはは、いいだろう。ではNo.13。早速君に戦ってもらうとしよう。
スピーカー越しに老研究者の声が聞こえ、ガチャン、という鍵が外れたような音がする。
──実験は単純明快。君には目の前の相手と戦ってもらうよ。
「ふん、やっぱり」
美影は目の前へ視線を向ける。暗闇の中、何者かが向かって来る音が聞こえ、そうして姿を見せたのは。
「なに、──コイツ?」
そこにいたのは異様な雰囲気を醸す誰かだった。
 




