翌日──捜索
九頭龍で起きたWG及びにWDそれぞれの支部に於ける変事が終わった翌日。
街はようやく平穏を取り戻そうとしている。
とは言えど、街の被った被害は甚大。あちらこちらで崩れた建物の瓦礫を撤去し、または亀裂などが入った建物の増強をし、大勢の人々が建築作業に勤しんでいる。
天気は曇り。まだ真夏前の時期特有のジメジメと湿気た空気により、多くの人が背中に汗を滲ませる。
そんな街の片隅で一人の男を追いかけている少年がいる。
「はっ、はっ、はっっっ」
荒くなる一方の呼吸をこらえながら男は走る。
年齢は四十代前半、身長は高くもなければ低くもない、いわゆる中肉中背。地味な色のスーツ姿からは一見するとそこいらのサラリーマンにしか見えない。
「────」
一方の少年は呼吸一つ乱す様子もなく、涼しげな表情で追跡している。このじめついた天気の、高温多湿の中で汗の一滴すらもかかずに淡々とした足取りで追いかける。見る見る内にその距離は五メートルにまで縮まっており、追いつかれるのも時間の問題だろう。
「くそ、小僧っっっ」
男は振り向きざま、少年へに手のひらを向ける。そして意識を集中。
すると手のひらからバチバチ、とした火花が上がるや否や、一筋の電光が槍のように伸びていく。ほぼ至近距離からの電光を少年は躱す事も出来ずに、
「────!」
電光に身体を貫かれ、ビクビク、と激しく脈動しながら倒れる。
「か、かっは。ぐ、」
男は吐き気をこらえながら、ようやく一息付く。
彼はここら一帯を根城とする闇金の取り立て屋。一見すると裏社会の人間とは思えない容貌から甘く見られがちだが、客から容赦のない取り立てをする事で同業者からも恐れられている存在である。
だが、男はそれ以外にももう一つの顔を持つ。
「ったく、……何なんだこの小僧は」
彼がこうして今まで逃げていたのは、自身の事務所にそこに倒れている少年がいきなり白昼堂々と殴り込みをかけてきたのがキッカケだった。
入り口は指紋認証式のドアだったのだが、突如として蹴破られる。
事務所には男の手下が三人いたのだが、強面の三人はたった一人のそれも小柄な少年にあっさりと蹴散らされた。三人共にそれなりの腕を持っていたからこそ雇ったのだが少年には全く歯が立たない。
その速度、そして攻撃力は間違いなく常人のそれではなかった。
″同類″だと即座に理解した男は一切の躊躇なくその場から逃走。裏通りを駆け回って、ギリギリまで引き付けて──今の状況に至る。
「しかし感電死したわりには焦げ付いた臭いがしないようだがな。
それともあれで死なない程度には頑丈だという訳か? なら都合がいいかもな」
男が自分の力を自覚したのは半年前のある日。誤って感電事故に遭遇した際である。本来であれば感電死しても不思議ではない状況にも関わらず何事もなかった事で自身が常人とは異なる存在である、と認識した。
それまではいつも誰かに怯えながら生きていた男は、事故をキッカケに自分の肉体が一種の″蓄電池″であるのに気付き、この力を使う事で平凡な銀行員から闇金の取り立て屋になり、今ではちょっとした一財産持ちにまでなった。
「まぁいい。臓器が無事なら売ればいい、いやこいつは同類だ。
ならその筋の連中に売り飛ばした方が金になるに違いない」
思わぬ臨時収入の目処を立てた事で今さっきまでの不愉快さは何処へやら、下品な笑みを浮かべて一本の電話を入れる。
そう、男は人身売買のブローカー。それもマイノリティ専門の。むしろ闇金での利益よりもこっちの方がずっといい収入源である。
「ああ、あんたか。売りたいモノがあるんだが、今から来れるか?
ああ、そうだ。同類だ。それもかなり戦闘力の高い個体だ。そうだ、金額はいつもの倍は欲しい。ああ、分かった。まずは調べればいい」
そうして電話を終えると男の表情に浮かぶは満面の笑み。
少なく見積もっても取り立て人数に換算して二十人分以上の稼ぎ。
事務所の破損などはした金に違いない。
「よぉ儲かってますか?」
「ああこれが笑わずにいられ……なっっ」
声は背後から。そして背後は路地裏であり、誰もいないはず。倒れているはずの相手以外は。
「ぶぐっっ」
その顔面を拳が直撃。そして男は相手に胸元を掴まれるとクルクルと回され態勢を崩された上で豪快に放り投げられる。
ガララン、という豪快な音を立ててゴミ箱が転がっていく。
「かっは。ば、……かな」
さっきの電光は男にとって最大の威力を込めたモノ。それを直撃したのであれば本来なら死んでいる、運が良くても身体の自由が利かないはず。
信じられない、といった面持ちを浮かべながら男は地面に這いつくばっており、それから苦々しげに表情を歪ませる。
「寝てンじゃねェよ。さっさと立ちな」
そんな男へ冷ややかな声を浴びせるのはツンツン頭の少年、つまりは武藤零二である。その目は男へと真っ直ぐに向けられ、獰猛さを隠すつもりもないのか露わにしている。
ここは繁華街の一角。それも普段ならば野良猫やカラスがゴミを漁りに群がるような場所であり、マトモな神経の持ち主ならば決して足を踏み入れたりはしない。近隣住人さえ近付かない場所だともっぱらの噂であり、実際その通りだった。
だからこそここなら万が一殺し、をしたとしても発覚までの時間を稼げるから隠蔽出来るという目算で男はおびき寄せたのが、その噂話が広がった元凶こそ目の前で佇む零二であるのだがまだこの繁華街に来て間もない男にそんな事情など知る由もない。
「ひいっっ」
振り上げられた拳を前に男は怯む。そしてブワッ、とした風圧を感じて恐る恐る目を開く。すんでの所で拳は止まっており、零二は獰猛さを剥き出しにしたまま訊ねる。
「さって、一つ聞きたいンだがよ……アンタコイツを知ってるか?」
そう言いながらシャツの胸ポケットから写真を取り出して突き付ける。
それは少女の写真。
黒髪の、腰まで届きそうな長髪をした少女。
メガネをしていてそして何処か遠くを見ている少女の写真だった。
「だ、誰だ? 知らない」
男は必死に思い出そうとするが、分からない。
「へェ、アンタのイカしたバイトを知らねェとでも思ってンだな」
ギロリ、と零二の目つきが変わる。それは狩りを楽しむ獰猛なケモノではなく、明確な殺意を持った肉食獣のそれ。間違いなく殺される、それも無残にという意思の表明。
「ひいいいいっっっっっ」
男は全身が総毛立つのを感じた。これまでこんな恐怖を味わった事は一度とてない。そして否が応でも理解する。
自分は裏社会に順応したと思っていたがそんなのは全くの勘違いだったのだ、と。
「オッサン。もう一度だけ聞くぜ──お前はコイツに見覚えはねェンだよなぁ。コイツの名前は怒羅美影。別名【ファニーフェイス】っうオンナさ」
その有無を云わさぬ迫力は、男が知る限りどんな裏社会の人物よりも遥かに上。
(一体どんな人生を送ればこんなガキがこんな迫力を持てるんだ)
まさしく蛇に呑まれた蛙とはこの事だろうと思いつつ、男は必死に思い出そうとしてはた、と気付く。
「そか、アンタもハズレか。じゃいいや、とりあえず半殺しに……」
「ま、待ってくれ。思い出した思い出したよ」
「…………言いな」
零二は拳を引き、顎をしゃくって話を促す。
男はゴクリと唾を飲み込んで、咳払いをすると話を始める。
「先に言っておくが、私はその少女に面識はない。これは誓って事実だ」
「で、」
「一週間前だ。同業者同士でちょっとした会合を開いた事があって、そこである奇妙な話があったんだ」
闇金の男はチラリと目の前の少年の様子を窺う。
どう見てもそこいらにいるガラの良くない不良少年、位にしか見えない。かといってドロップアウトと呼ばれる不良少年グループにいる様な連中とも雰囲気が違うように思える。
「オイ、余計なコトに考えを巡らせるのはよしな」
するとまるで考えを読んだかのような一言を零二は発し、男に一切の無駄な時間を与えるつもりがない事を理解させる。
「あ、ああ。一週間前、ある同業者に依頼があったそうだ。
それは数日以内に九頭龍で大事件が発生した際にのみ、という条件で受けた仕事の話だ」
「へェ──変わった話だな」
「ああ、それも前金が半端じゃない金額で、同業者が言うには実行自体は依頼主が用意した連中が行うから、やるのは車の運転だけ。
たったそれだけで一年以上遊べるだけの前金が振り込まれた、って話だ。その際に出た名前があんたの言う【ファニーフェイス】だった。間違いない」
男は幾度もかぶりを振ってこれが全てだと必死に訴えかける。
「そうか、成る程な」
零二は納得したのか、僅かに殺気を緩める。
男には時間が必要だった。そう、すぐに来るであろう回収人達がここに来るまでの時間。
彼らもマイノリティ専門の人身売買を請け負う。だから荒事には慣れており、そんじょそこらのヤクザよりも遥かに恐るべき存在である。
(クソガキが、連中が来たらそれで終わりだ。ざまぁみろ)
バタンという車のドアを閉める音が聞こえた。
間違いなく、回収人達が来た。
これで形勢逆転だと確信した男が声をあげる。
「クソガキ、お前も終わりだぞ。今から来る連中はなぁ……」
言い終わる前に零二は動いていた。
回収人達は四人。瞬きする間にその内三人を倒してみせたのだ。
「へェ、上等じゃねェかよ。オレの顔を忘れるとはなぁ」
「ひ、おま──あんたは武藤零二!」
「え、あの武藤の家の……」
「そこで大人しくしてろ。死にたくねェならな」
「は、はいっ」
闇金の男にとっては冗談みたいな光景だった。回収人達は全く相手にもされていない。そして少年は彼らを当然のように跪かせてみせた。
「う、うそだろ」
男は唖然とするしかなかった。
ゆっくりとした足取りでこちらへ向かって来る少年。気のせいだろうか、その拳には何か焔のようなモノが一瞬見えたように思える。
「さしたる因縁もねェこったし……アンタは殺さないでおいてやる。だけどよ、アンタがこれまでやらかしたコトは見逃せねェ。だからよ、ケジメは付けとくぜ──キッチリな」
「ひいいいっっっ」
思わず悲鳴を漏らす。
そこで初めて零二は笑う。何故ならそれはとても少年とは思えない凄惨極まる笑顔だった。
結果として、言葉通りに闇金の男は死なずには済んだ。
ただしその際の精神的なショックからだろうか、二度と男はイレギュラーを用いる事は叶わなかった。
「さて、……今度はアンタらに聞こうかな。教えてくれるよな?」
失禁し気絶した闇金の男を尻目に、零二は回収人達に笑顔で訊ねる。その表情にはさっき同様の凄惨極まる笑顔を浮かべたまま。
死んでこそいなくとも闇金の男がどういった目に合ったかを目の当たりにした回収人達は抵抗を諦め、自身が知っている情報を全て吐くのであった。




