壁と焔
「な、んで……」
ここに来たの、それが歌音の偽らざる本音であった。
思えば確かに電話してしまったのは事実だ。でも、だからって何故数時間後の今、しかもここに相棒たる零二がいるのかが分からない。
「オイオイ相棒。お前がオレを呼ンだンじゃねェかよ」
こんな状況にも関わらず零二は軽い調子で歌音へ話しかける。
だが、その目は目の前の相手を真っ直ぐに見据えている。
軽薄そうな口振りとは打って変わった、まるで突き刺すような視線をはなつ相手を前にして自分が刺されるようなイメージを受けとった椚剛は無意識の内に動けなかった。
「生意気そうなガキめ」
我に戻った椚剛はいきなりの乱入者に苛立ちを覚える。
目の前にいる少年は何もかもが嫌いなタイプだった。
その小生意気そうな面構えに、態度、そして何より気に食わないのは自分に自信を持っているのが丸わかりなその雰囲気である。
「あ、そりゃコッチのセリフだぜ。誰だよアンタ?」
バカにされた、そう感じたら椚剛は即座に仕掛けた。壁を前に向けて放つ。不可視の壁は相手を難なく直撃、吹き飛ばすだろう。
(小生意気そうなそのツラをビビらせてやるよっっっ)
零二は全く動かない。そして壁は直撃。
ガツンという音。
「なにっ」
「あーあ、いってェなぁ。何だコリャ?」
だが零二は吹き飛ばされていなかった。
両腕を交差させるように構えてその場で踏みとどまっている。
「見えない、何かか。大したコトはないな」
「ふざけんな吹っ飛べガキっっっっ」
小馬鹿にしたような零二の口調に椚剛の低い沸点は即座に頂点へと達し、一旦引いた壁がさっきよりも早く、勢いよく飛び出す。
それは時速に換算しておよそ五百キロはあろうか。不可視のそれは真っ直ぐに目の前の敵へと向け放たれた。
何も見えない零二にそれを躱す言葉はおろか、対応すら取れない、そのはずであった。
だが、椚剛は見た。
反応出来ないはずの零二がその壁の突進を横へ飛び退いたのを。それはまるで不可視のはずの″壁″が見えているかのように思える。
「うお、すっげェな。でもさ──」
零二は着地と同時に即座に全身から蒸気を発し、敵へと突進。一気に間合いを潰しつつ、右拳を白く輝かせる。
「ずあっっっ」
気合いに満ちた声と共に拳を一撃。
それは真っ直ぐに相手を直撃するはずだったのだが、
ガッチン。
その音は相手に壁が直撃した音。
だが、零二の表情はかすかに歪む。
何故なら、椚剛は全く微動だにしていない。
「つつ、カッテー。何だコレ?」
ここで零二も相手のイレギュラーの性質に気付いたのか、試しに軽く拳を前に出す。
ガツン。
「てェ、やっぱ壁みたいなモンか。それでお前こンなのとやり合ってたのか相棒?」
「てめぇ──俺を」
「ったくムチャしやがるぜ。それにどうやら──」
「テメエエエエエエ」
「あン?」
張り上げられた怒声に零二が振り向くと、そこには顔を真っ赤に染め上げた椚剛の姿。
「てめぇ、俺を無視するとはいい度胸だ。名乗れよガキ」
「イヤだね」
「なに、──」
「人に名乗れってならまずはテメェからってのがスジだぜ、何処の誰かさン」
ピクピク、とこめかみ横の血管がヒクつくのが分かる。
小馬鹿にされてる、というより眼中にない、とでも言わんばかりの相手の態度を前にして、椚剛の怒りはまさしく怒髪天を突く。
「上等だぜくそガキ、なら死ね」
椚剛は拳を突き出す。それは単純距離にしておよそ五メートルは離れていようか。何にせよそんな位置から拳が届くはずがない。
だが零二はそれに対して自身の輝く拳、シャインナックルを突き出して迎え撃った。
「うお、っっ。やっぱ固いな」
「なにっっ」
苦笑いしつつ、拳を引く零二に対して、椚剛の表情に浮かぶのはさっきまで歌音や田島がそうだったような驚愕の色。
「何故だ!」
「何故っつたってなぁ。勘だぜカ・ン」
「くそガキっっっっ」
椚剛は今度は接近しながらの足払いをかける。零二は後ろへ飛び退くなど回避を試みるに違いない。
だがそれが椚剛の狙い。相手に足下を狙うと思わせた上で、壁は相手にの顔面へ向け叩き込む。不可視だからこそのトリックプレイであり、それを見切れやしないだろう。そう確信しながらの攻撃。
「う、おっ、とと」
実際零二は後ろへ軽く飛び退く。まさしく狙い通りの流れに椚剛は内心ほくそ笑みつつ、壁を放つ。
だが、
「な、」
「ぐ、いってて」
零二はまたしてもその壁を腕を交差させ受け止めて見せる。
ならば、とばかりに椚剛は壁を押し出す。そのまま押し出さんとする。
「潰してやる」
「く、う。おおおおおお」
零二は叫びながら、全身から蒸気を噴出。さらにその体内の熱量を上げ────蒸気は焔へと変化する。
「え……?」
歌音はその光景に一瞬我を忘れた。
まず零二が焔を使った事に驚き、そして、
(きれい)
不覚にもその橙色の焔を美しい、と思ってしまった。
「な、にっっっ」
椚剛は驚愕する。壁が押されている。それも目の前のガキ一人相手にである。
他者を寄せ付けないはずの壁に真っ正面からぶつかり、あまつさえそれを押し出さんとするなど彼の中では有り得ないはずの事である。
だが、現実問題として今、絶対防御たるこの壁は押し込むどころか逆に押し出されつつある。
「へっ、何だよ。やっぱ大したコトねェな」
それに追い打ちをかけるような零二の言葉に椚剛は怒りが沸点を軽々と突破。さらに壁を押し出さんと試みる。
そんな状況で、歌音はハッキリと聴いた。
″お前はキッチリ守ってやるから。このアホはオレが何とかするからそこで休ンでな″
小声、でまず他者には聞こえない声量。でも、それで歌音には十二分に過ぎる。
「面倒くさいからま……かせる」
歌音は安心したのかそのまま意識を失う。
もしもこれで零二が敗れでもすれば間違いなく逃げられない。だけど歌音には相棒たる少年が負けるとは露程にも思えない。
(だって、あいつあんなに自信たっぷりなんだから)
その鼓動、呼吸、骨や筋肉の軋みなど全てに於いて、零二の音はこう語りかけてきたから。
″オレはぜってェ負けねェよ。だから寝てろよ相棒″
だから安心して眠れる、そう思ったかこそだった。
「て、めぇええええええええ」
「アンタ随分とまたカッカしやすいな。カルシウム足りてないンと違うかい?」
椚剛はここまで苛立った事を思い返す事が出来ない。
これまでどんなに腹立たしい相手がいたのだとしても、戦えば次の瞬間にはその表情は一変。格の違いを覚えた相手は途端に、ガタガタとその身を震わせ、怯え出す。まるで懇願するような相手の目を見下ろし、見下してから虫のように叩き潰す。そうやって来た。
それが今はどうだ?
何故か相手はこっちの攻撃に呼応している。そればかりか一向に怯む様子すらなくあろうことか拳を叩きつける等という暴挙に打って出る始末。
「テメェ、俺が【絶対防御】の異名を持つ椚剛だと分かってコケにしやがるのか?」
「へっ、椚剛さンか。名乗ったならコッチも名乗るのがスジだな。
オレは武藤零二。今からアンタをブッ飛ばす男だから覚えときな」
「な、っ。テメエがクリムゾンゼロか」
「ああそうだぜ。あ~、アンタもオレ狙いってヤツか。ったく人気者は困るぜ」
零二の脳裏には今朝方からの様々な連中からの幾度となく行われた執拗なまでの襲撃が浮かんでいる。
一方の椚剛は、目の前の小生意気を地で行くようなツンツン頭の少年を目の当たりにし、怒りと同時に僅かながら冷静さをも取り戻す。
──クリムゾンゼロは強いからね。君がどれだけ強くてもぼかぁ心配するさぁ。
何故なら、そうリチャードに言われたからだ。
他者を見下し、その意見を聞かない椚剛ではあるが、自身にとって唯一信じるに値する金髪のイギリス人の言葉だけには耳を貸す。
(確かに、このガキはなかなかやるぜ)
冷静さを取り戻す事で、それまで主観的にしか見えなかった状況も客観的に見る事も出来るようになる。
「小僧、お前をボロ雑巾みたく痛めつけてから、這いつくばらせてその顔を踏みつけてやるぜ」
そう宣告すると、椚剛はポケットから無数の弾丸を放り上げ、それを壁で弾く。一発一発加速した弾丸がまるで散弾の様に飛び散って零二へと襲いかかる。
「へっ、こけおどしなンざ効かねェよ──!」
零二はその場にて左右の足を広げ、姿勢を低く保つ。だが時すで遅し、であった。襲いかからんとする弾丸が唸りを上げて迫る中で、何を思ったか微動だにせずに弾丸をその身に受ける。
「くけけ、どうしたよああん」
煙が巻き上がる中で、椚剛は蜂の巣になったはずの獲物を想像し愉悦の笑みを浮かべる。
だがそれもすぐに驚きへと激変する。
「く、テメェ──」
ギリリ、とした歯軋りを立てながら絶対防御は相手を睨む。
「へっ、やっぱこけおどしだな」
零二には弾丸は一発たりとも届いてはいなかった。
そして椚剛はさっきの煙は弾丸が蒸発した事で生じたのだと気付き、それを成したのは零二の周囲に揺らめく仄かな橙色の焔なのだと理解した。
「ふン絶対防御ね。なぁオレを倒したきゃ本気の本気で来いよ。
じゃなきゃとっとと終わらせちまうケドいいのかい?」
「く、くけけ。この──」
零二の不敵な言葉を受け、椚剛の怒りはさらに沸騰していくのであった。




