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退屈しのぎ

 

 九頭龍の繁華街の片隅。


 ガラガラン。

 派手な音を響かせながらゴミ箱が倒れ、男が転がる。

 ここはある倒産した不動産会社が所有していた倉庫。

 何年もの間、放置されたままの場所であり、地元の人間はこの場所には近寄らない。

 ここでは不定期ではあったが、夜になるとイベントがあった。

「おいおい負けんな」「ぶっ飛ばせ」「頼むぜ」

 ワイワイと周囲には観客が集い、声援をあげている。

 観客がサークル状に集って見ているのは”喧嘩試合ストリートファイト”だ。

 勿論違法であり、警察が来たら摘発されるのは確実。

 不定期での開催も、警察からの摘発対策で、ここに集う観客はSNSでの通知でイベント開催を知り、集まるのだ。

 これ迄に開催した回数は九回。今夜のイベントで十回目だ。


まつりさん、今日もいい感じですよ」

 そう声をかけられ、

「う、ん」

 彼女は目を覚ます。


 縁起えんぎまつり。胸元が大きく開いたボーダー柄のノースリーブブラウスに太もも付近に無数の加工が施されたダメージジーンズ。ブラウスの丈はヘソ迄で、そこから覗くのは蛇のタトゥー。露出した左右の肩にも同様のタトゥーが彫られている。

「うん、そうかい」

 小さく欠伸をすると、寝転がっていたカウチから起き上がる。

 今まで寝ていた為か、少し乱れた赤い髪が艶かしく、思わずモヒカン頭の手下は息を飲む。

「もう少ししたら顔出すから、滞りなく仕切って来な」

 祀の言葉は絶対だ。手下は慌てて部屋から出ていった。

 その様子を見てから、彼女はカウチの側に置いてあったペットボトルを手にし、水を飲む。まだ四月になったばかりだというのに妙に暑い、喉がカラカラで、こんな生ぬるい水すら美味く感じる。


 彼女は所謂”落伍者ドロップアウト”だ。

 ドロップアウトはこの街に数千から数万いるとされるが、その中にはいくつか大きな”チーム”がある。

 縁起祀はそういうチームの一つを女性ながらに仕切っている。

 女性のドロップアウト自体は珍しくはないが、自分以外に男しかいないチームの頭目という意味で、彼女は異色の存在と言える。


(どうもかったるいな)

 彼女は気怠かった。そう、とにかく何もかもが退屈だった。

 意味も分からずに不安に苛まれる。いつしか漠然と抱いていた、自分が周りとは違うのだと怯え続けていた日々から抜け出し、こうして自由気ままに生きているというのに心は晴れない。

 理由は分かっている、だが、彼女は理解している。世の中には自分ではどうしようもない事があるのだと。だからこそ今を出来うる限り楽しまないといけないのだ。


 そう考えると、自分も含めてドロップアウトとかいう連中は、結局の所、鬱屈した感情の捌け口が欲しいだけの連中なのだろう。

 その鬱屈した感情は人それぞれであって、そこをどうのこうの縁起祀は手下に言ったりはしないし、問いただしもしない。

 何故なら人にはそれぞれに隠したい出来事が一つや二つはあるのだから、落伍者にまで転落した連中であれば尚更の事だろう。


 部屋から出ると、喧嘩試合は残す所あと一試合だった。

 場の盛り上がりは最高潮で、観客は歓声をあげている。

「呑気だねぇ」

 一応、ここの壁は防音対策済みだから、音が外に洩れる心配はまずない。


 そもそも、この喧嘩試合というイベントの前身は、彼女のチーム内での内輪揉めをその場で解消すべく始めたタイマンの喧嘩だ。

 後腐れ無いように思いっきり喧嘩させ、チーム内の結束を乱さない様に始めた内輪向けの物だった。

 だが、いつからかその喧嘩にチームに関係ない連中が混じるようになった。

 最初こそその連中を追い出したが、また何度でも同様の輩が見に来る。

 そこでいっそ見たけりゃ見物料を出せ、という話になって、そこからあれよあれよという間に今じゃ観客は百人。

 彼らはどちらが勝つかを賭けるようになり、今では一回毎に二百万円近い収益を出す様になった。

 収益は喧嘩をした連中に半額。あとの半額をチームが受け取る形式だ。

 壁にかけられたチーム名の書かれた旗がヒラヒラ揺れている。

(全く悪い冗談みたいだよ)

 ”リングアウト”というチーム名がまるで眼下で行われている喧嘩試合に関連している様な気さえしてしまう。


 最近じゃ、ドロップアウト同士の対立も以前程激しくない事も手伝って、今では奇妙な平穏すら九頭龍では起きていた。

 とは言っても、あくまでも以前よりマシ、というレベルであり、依然として一般人にすればドロップアウトが危険な集団である事には何の違いもないのだが。


 気が付けば、このリングアウトは周辺でも名の知れたチームになっていた。

 何故ならこのチームは基本的に一般人に対する暴力沙汰をご法度にしていた事、それからこの縁起祀という赤髪の女リーダーが半端なく強かった事がその主な理由だった。

 今じゃ、よそのチームから一目も二目も置かれ、歯向かおうとするチームもいない。

 それどころか、周辺のチームから同盟やら、傘下になりたいやらと色んな話すら来ている位だ。

(全く、世の中に嫌気が指した連中がそこいらの政治家みたいな事をしてんじゃねーよ)

 縁起祀はこうした毎日に嫌気が差し始めていた。


(あれはいつだっけか……、一年前だっけ?)


 一年前のある夜。暇を持て余した縁起祀は、退屈がてら街をぶらついていた。

 例のブラウスの上に長袖のボレロを羽織った姿は彼女の豊かなスタイルを一層引き立て、嫌が応にも周囲の目を引く。

 案の定、幾人もの男が寄り付いてきた。

 如何にも遊び人な雰囲気の優男に飲み物を奢らせ、丁重にその後の事は断っておいた。少しばかりしつこかったので、壁に蹴りを入れてヒビを入れたら大人しく引き下がった。

 他にも中年サラリーマン、風俗のスカウト、ドロップアウトの連中と引く手あまただったが、彼女の眼鏡に叶う相手はいなかった。


(ま、いるわけないか、ワタシの相手になりそうな奴なんてさ)

 そう思っていた時だった。


 ガアアアアアン。


 路地裏から何かが壊れた様な音が聞こえ、彼女は気になって足を向けてみた。

 すると、

 そこで目にしたのは、一人の少年だった。

 彼はそこいらにいた有象無象な連中とは明らかに違った。

 まるで野生の獣、肉食獣の様な獰猛さを称えた背中。

 ゆらゆらと気だるく動く手足。

 何よりも魅入られたのは、その圧倒的な破壊の跡。

 ビルには壁にぶち抜かれた様な穴がある。

 金網のフェンスは引きちぎられ、さらに車が一台横倒しになり、煙を吹き出している。

 それは突如目の当たりにした”非日常”。

 その時彼女は理解した。

 非日常とは日常のすぐ側にあるものなのだと。


「あン?」

 少年が振り向いた。

 誰かが来たのが意外だった様で、

「おっかしいな。オレ【フィールド】張ったよな……」

 訝しげな視線を向けて少年はこちらへと近寄る。

 彼女の足が震えた。

(逃げなきゃ)

 そう頭では理解していた。

 陸上部にいた彼女は足には自信がある。走ればいい、一歩を踏み出し、走ればいい、たったそれだけの事だというのに、動けなかった。

 ただその場で棒立ちで立ち尽くすだけ。

(殺される……ダメだ)

 思わず目を閉じた。

 少年が目の前にまで来た。

 これで終わり、そう思った。

 しかし、

「ま、いっか。アンタも【同類マイノリティ】だよな? 悪い事は言わねェから、今見た事は忘れな。面倒はお互い嫌だろ?」

 少年はそれだけ言うとその場から立ち去った。

 縁起祀は何も出来なかった。


 だが確かに彼は言った。……同類だと。

 その言葉が耳から離れなかった。

 あの破壊の跡、あんな事を出来るとでもいうのか?

 だが彼女は理性ではなく、本能で理解していた。

 自分の中にある物に。

 そうしてやがて理解した。自分の持つ異能力について。

 一度理解さえしてしまえば実に簡単な事だった。

 身に付けてさえしまえば、便利な力だった。


 やがて彼女はその力を活用する様になった。

 幸いにも”支援者”にも出会えた彼女は、自分の様な者が”少数派マイノリティ”と呼ばれ、世界中で増えつつある事を、その扱う力を”イレギュラー”と呼ぶ事を知った。

 今では、リングアウトは一種の何でも屋になっていた。

 支援者からの連絡は、縁起祀というマイノリティにとって最高の暇潰しになっていた。


 喧嘩試合が終わり、観客は帰っていった。


 そして支援者からの連絡で、彼女達はある倉庫を見張っていた。

 そこに何者かが襲撃をかける。

 そこから盗まれた品を奪い返し、届けるのが依頼だった。


 連絡の通り、倉庫を軍隊の様な連中が襲撃。

 そいつらを同類マイノリティの少女が撃退。

 さらにそこにもう一人の少年が姿を見せた。


「アイツは…………!」

 その姿を見た時、彼女は震えた。

 それは恐怖ではない、それとは寧ろ真逆の、歓喜の震えだった。

(今夜は最高だ)

 そう、その少年こそ、武藤零二こそ縁起祀があの時見たマイノリティ。

 彼女には非日常の世界を教えてくれた恩人。

 彼女は震える。今から、彼に自分の力を試せるかも知れないのだから。


「さぁ、行くよ!」

 その掛け声と共にリングアウトの一団は動き出した。


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