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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 9
308/613

異常回復

 

 パキパキ、ビシッ。


 それは他者には聞こえない音ならざる感覚ものだった。

 そして男にとってそれは有り得ざる事。

 彼にとって今、ひび割れ、砕けんとしているのは単なる壁ではない。それは云わば彼の自我。

 どんな事でも自身を守り、万難を防ぐ為のモノ。


 力に目覚めたきっかけが一体何であったのかは覚えていないし今となってはもうどうだっていい。大事なのはこの壁は無敵である、という自負だけ。


 ″この壁さえあれば自分は無敵だ。誰にも決して俺は傷つけられない″


 その思い込みとも思える確信こそが彼の″絶対防御″を無敵たらしめていた根拠だった。

 だと言うのに、である。


 今、その絶対の壁が砕けていく。


 それは椚剛、という存在を全否定するかのように当人には思えた。


(認めねぇぞ)


 壁が砕け、目の前に敵の持つククリナイフが迫ってくる。


(認めねぇ、こんな事で俺が負けるはずない)


 ギラリとした銀色の刃先が今にも腹部へと直撃せんとする。

 だが絶対防御の異名を持つ男は迫る脅威をすら避けようともしない。

 何故なら避ける、という行為は彼にとって決定的な何か崩れ去るかである。例え、これにより深手を負わされるのだとしても尚、椚剛は自身へと向かってくる刃を真っ正面から受け止めんとする。


「くあ、ああああああ」


 田島の担うククリナイフは相手の肉を切り裂く手応えを確かに感じていた。


「う。おらああ」


 気合いに満ちた声をあげながらその刃を振り抜き──そのまま駆け抜ける。


「は、はぁっ」

 息遣いも荒々しいまま田島は振りかえって、相手の様子を確認する。血を噴き出す様が見える。間違いなくこの刃は敵に届いた、そう確信するに至って田島は「ふぅ」と安堵の吐息を漏らす。


 その脳裏に浮かんだのは昨日の出来事。

 そう、初めて新たな力に目覚めた時の事であった。




 思えば最初から妙な感覚だったとは思う。

 ナイフを用いた訓練は幾度も積んできたが、今手にしているククリナイフはナイフ、というよりは鉈に近い代物。これまで目にした事はあったが、手にするのは間違いなくこれが初めてのはず。

 なのに、


(何でこんなにも手に馴染むんだ?)


 理由は分からない。だがこの手にしている武器はまるで昔から当たり前のように使い続けてきた長年の相棒みたいに馴染む。その刃の重さも柄の握りも全てがしっくりくる。

 そしてどうすればいいのかも分かる。

 この新たな相棒をどのように振るえば敵の肉を切り避けるかが、どう振るえば骨すらも断てるか、その担い方の全てが当然のように田島には分かっていた。

 そうして田島は抗った。目の前に迫ってくる殺し屋に対して。決着へ至る決定打を打ったのは怪我を推して援護に来た怒羅美影ではあったが、間違いなくトドメを刺したのは自分自身。

 それは間違いなく自分自身イレギュラーで他者を殺した瞬間であった。





「…………」

 バアッ、とした鮮血が噴き上がった。

 その有り様を椚剛は何故だかまるで他人事のように見ている。

 視線を傷口へ向ける。バッサリと斬られたらしい。どうやら内臓もかなり損傷しているらしい。

「…………」

 椚剛は何もしない。今すぐにリカバーを使用しなければ間違いなくすぐに死に至る事は分かっている。それでも彼はただその場に立ちつくしているのみ。


 茫然自失、それが今の彼の偽らざる本心。


 彼が思っていたのはただ一つのみ。


 ″何故俺の絶対防御が破られたんだ?″


 それしか、それのみが彼の脳裏でずっと反響し続けていた。

 かつて戦いの中で幾度か大怪我を負った事は確かにある。

 シャドウとの五年前の対決では瀕死の状態にまで陥りもした。


 だがシャドウの場合はともかくも、他の相手、戦いでの怪我の全ては絶対防御が破れたのではない。ふとした気の緩み、またはイレギュラーの使用限界で使えなくなった所、などいずれも彼が無防備になったその間隙を突かれた結果だ。


「…………」


 シャドウの場合は彼のイレギュラー自体は不明なれど同系統だと思えばある程度は理解も出来るが、今の状態は違う。


(俺は何をされたんだ?)


 今、椚剛の脳裏に浮かぶのはそれだけ。無敵のはずの壁が砕かれた。それも相手はメインデッシュだと思っていた武藤零二ではなく、それを釣り上げる為の生き餌にその他でしかないはずの全く無関心だったガキに。


(許せるか、こんな目に合わされて俺は)


 そう自身に問いかけた瞬間、怒りは沸騰。一気に頂点へ到達する。

 同時に彼の身体にはある変化が生じる。だがそれは彼の無意識下での出来事。椚剛は自分の変化に気付く由もなかった。



「──ウソでしょ」


 目を見開き、驚愕の声をあげたのは歌音。

 戦闘行為に於いて、彼女は滅多な事では驚きはしない。

 それは彼女がまだ弱冠十三歳であるにも関わらず相当数の場数を踏んでいる事とあとは彼女自身の資質。それはどんな状況下でも冷静に他者、周囲の音が聴こえてしまう、という異常な日常に適応する上で自ずから身に付けたか、先天性なのかは分からない能力に起因する。


 だが今、彼女は驚愕している。


 目の前で起こった事はそれ位に異常な事だった。

 バックリと開かれた傷口からは多量の出血と共にズルリ、と″中身″まで露出、ずり落ちている。

 そんな状態で、数秒間相手はリカバーすら用いる事もなく全く微動だにしない。

 そんな状態から今更回復しようとしても、歌音の目から見ればそんなのはもう手遅れでしかない。


「なんで、────」


 だから、その光景は信じ難かった。



「オイオイ一体何だよこりゃ?」


 そしてそれを同じく目の当たりにした田島もまた、驚きを隠せない。直接相手を切り裂いた当人である為かその確かな手応えは歌音以上だった。深手を負わせた実感もあったし、実際相手の状態はその実感が確かなモノであった事をこれ以上なく雄弁に物語っていた。


「反則じゃないのかよ」


 唖然とした表情で呟く。



 椚剛の傷が見る見る内に回復していく。いや、それは回復、などという生易しい表現ではとても言い表せない。

 その半ば露出して、飛び出しかけた挙げ句に地面にまで届きそうだった臓物までもが瞬時にあるべき場所へと戻っていく。その様はまるで録画された映像を巻き戻しているかの様な異様な光景。

 あっという間に瀕死だったはずの椚剛はその傷を回復させ、まるで何もなかったかのようですらある。


 だがそれは椚剛の意思ではない。

 ただ彼は怒りと恥辱にまみれ、そしてその身を震わせるだけ。

 抑え切れない程のそれらの感情が渦を巻きながら膨れ上がり、そうして何もかもを飲み込むような感覚を彼は覚えた。


「お、れは────」


 言葉が上手く出て来ない。頭が上手く働かないようにも思える。自分の身体なのにまるで別のモノみたいにすら思える。それも無理はない。椚剛の意識は不明瞭でそして曖昧だったのだから。自分が自分ではないような感覚、浮遊感、いやそれよりも溺れるような感覚の方が的を得ていたかも知れない。


「────」


 そして気が付けば血は止まり、傷すらも完全に癒えている。明らかに異常な事だったが、そんな事は今の彼には些事である。

 そう、椚剛というモノにとって大事なのはただの一点のみ。


「──俺は無敵だ」


 絶対防御、と呼ばれ畏怖されるこのイレギュラーのみである。

 やがて朦朧とした意識は戻り、そこにいたのは″無敵で無傷″の自身であった。



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