熱と炎
「武藤零二?」
少女はその名前に聞き覚えがあった。しばらく思考を巡らせて、そして思い出す。WD九頭龍で一番有名なエージェントの名前だと。もっともそれは悪名であったのだが。
(相当な暴れん坊だと書いてたわね)
そう思い返しつつ、零二を一瞥する。見た目はツンツンとした短髪で、凶悪そうな、如何にも野蛮そうな面構え。その服装はというと、赤のスポーツメーカーのロゴ入りトレーナーを袖捲りにし、少しゆったりめのジーンズ。何故かその左足だけ膝下を露出させている。靴は赤と黒のカラーリングのスニーカーの様だった。
(ふーん、思ってたよりマトモそう。フリークってワケじゃなさそうね)
だが正直いって単純そうにも見える。どう見ても正面突破で来るタイプだろう、初めて見た相手だったが、それだけは確信が持てた。
「フーン」
ジャリ、足を踏み鳴らしながら深紅の零の異名を持つ少年は歩み出す。ゆっくりと、一歩、また一歩と。
「でさ、オレは名乗ったンだぜ。そっちはどうなのよ?」
零二はすぐ側で燃え尽きた哀れな同僚を一瞥。特に抱く感情もないのか、表情を変えたりはしない。
少女はそうね、と返す。
「どうせすぐに灰になるんだし、教えてあげる。……美影よ、怒羅美影」
名字だけはボソリと呟く。聞こえないように。
だが、
「ドラミカゲ…………ね」
無駄だった。小さく呟く様に言ったのに、零二の耳はまるで犬か猫のように美影のフルネームを一言一句逃さず聞いていた。
そして何故か歩みを止めると左手の親指で顎を触り出す。何かを考えているらしい。美影には嫌な予感がした。
「あっ、そか。【ドラミ】ちゃん、ドラミちゃんかよ、おい」
「──!」
その予感は的中した。その呼び名こそは黒髪の少女にとってまさに禁句だった。
「しっかし、変な名字だよなぁ、ぷ、ははははっっっっ」
零二はケラケラ笑っている。だが彼はまだ気付いていない。目の前に立つ少女、美影の様子がおかしい事に。
「……って言うな」
美影は震える様な声を出す。
「ン? 何だって、聞こえねェぞ」
零二は耳を傾け、彼女に何を言ったのかを促す。
美影は全身をフルフル、と震わせている。
そしてその震えが収まったかと思った瞬間だった。
「ドラミって言うなあああああああ!!!!」
鼓膜を突き破るのでは? と思う程の大絶叫。
そして両の掌から炎を吹き出し……突っ込んでくる。
「おいおい、プッツンかよ」
零二はやや呆れた様な表情を浮かべるが、腰を落とし、油断なく構える。相手のイレギュラーを目にはしていなかったから確信はないが、傍で炭になった一応同僚の様子を見る限りでは炎熱系で間違いない、そう思った。
(ま、ちょっとやそっとの炎じゃオレに傷は負わせられねェぞ)
そう思い、心の中で安心していた。
美影は指をパチン、と高らかに鳴らし、火花を飛ばす。
その小さな火は零二にとっては児戯の様な物だ。躱すまでもない、そう思った。
パアン。
「う、う゛ぉっ」
火花が突然、目の前で弾けた。小さな爆発とはいえ、生じた光の眩しさに思わず零二の目は眩む。
視界を奪われ、思わずちっ、と舌打ちしつつも零二は、耳を澄まし周囲に気を配る。務めて冷静に状況判断を試みる。
恐らくは炎を放つつもりだろう。それも強烈な炎の塊を。
(上等だ、来いや)
だがその予想は外れた。
ガチイン。
衝撃が走った。
強烈な一撃だった。
「くあっ」
呻きながら零二が目を開くと、黒髪の少女はジェット噴射の様な勢いのままで肩を突き出し、ぶつかっていた。
まるで軽自動車にでもぶつかった様な一撃に、零二は思わず後ろへよろめく。そこに美影が左右の手を相手にかざす。
「燃えちまえ──」
即座に火球を発現。そのまま相手へと放った。
火球は至近距離にいた零二の身体を包み込み、勢いよく一気に燃え盛る。
「はあああああ……っっっ」
さらに美影は火球を二発、三発と作り出し、次々と命中させていく。火の勢いが燃料でも加えられたかのようにグングンと増していき──巨大な一本の火柱へと変貌した。
美影はここで間合いを取った。
そうして呼吸を整えて待つ。この程度で倒せないのは分かっているからだ。
「ずあらァッッッ」
そう雄叫びの様な声をあげて零二が火柱を吹き飛ばした。
その身体は”熱の壁”で覆われているものの、全くの無傷……ではない。
「ったく、こンなンでオレをどうこう出来ると思うなって……」
そう吐き捨てる様な声を出しつつ笑う。美影の強さを前に破顔一笑した。
「……あっそ、じゃ喰らいな」
美影はそう言葉を返すと右手を突き出す。同時に手から放たれた炎が向かってくる。それはまるで一本の槍の様に鋭く、鋭利に形状を変えて襲い来る。
「おわっ、何だ?」
零二がその槍を見て咄嗟に構える。
(遅いわよ、焼けちまえ)
美影は勝利を確信し笑みを浮かべる。
相手の反撃を許さない為に接近したのだ、二人の距離は五メートル程。この距離から躱すのは無理だ。それに防御力があろうとも美影の炎の槍は相手の防御ごと貫通するからだ。そうしてこれ迄多くの敵を、フリークを、この槍は”激怒の槍”は焼き尽くして来た。
しかし彼女は目にした。
零二の全身がゆらり、とボヤけるのを。
彼は躱すつもりがないらしい。かといって受け止めるつもりもない、そう美影には見えた。
「しゃあッッッッッ」
叫び声を出し、左足を一歩踏み込み──そこから右ストレートを一閃する。美影から見ると、それは無駄な足掻きに思えた。
ドバアン、という激突音が響き炎の槍と右ストレートが激突。
「──あああらッッッッッ」
気合いを込めた叫びをあげ拳を振り切る。打ち勝ったのは零二の右拳。槍はその場で消え失せた。
「嘘ッ、はっ」
気が付くと美影の目前に零二が迫っていた。その瞬発力は驚異的。異常なまでに速い。
肉迫した零二が左フックを放つ。狙うは顔面、容赦はしない。
(このドラミって女はヤバイ、さっさとハッ倒す)
零二の右拳は痺れていた。全身から蒸気を吹き出し、全身の熱を開放。飛躍的に増大した身体能力から放った”激情の初撃”で炎の槍を殴り飛ばし、そのまま向かうはずだった。しかし、あの炎の槍は想像以上に痛烈。零二の拳の一撃とほぼ互角の威力だった。だからこそ手加減等は出来ない。確実に殴り飛ばして、ケリを着ける。その為の本気だった。
迫る拳の勢いは充分。ここまで距離を詰めればもう躱せない。そう確信していた。
だが零二は驚く。
美影の目に焦りの色は浮かんでいない。
ゾッとする程に冷徹な光を漂わせる。彼女は逃げはしない。ただ零二の動きに合わせる様に左右の手をかざしている。そこから無数の火球を浮かばせて。
次の瞬間。
その場で激しい炎が吹き上がった。
一瞬で二人の周辺が熱と炎により、燃える。
地面のコンクリートに亀裂が走り、吹き飛ぶ。
傍目から見ればそれはまるで爆撃の跡にすら見えた事だろう。
そしてその爆撃の中心地には二人の人影。
「ったく……なンつー女だお前は」
零二はゴホゴホ、と噎せながら服をパンパン、と叩く。
「こっちの台詞だってのよ……この鉄砲玉男」
美影も同様の有り様で手をパタパタと振り、顔の周囲の煤けた空気を払う。
二人の実力は拮抗していた。
それを二人共に感じたのか、激突は勝敗がうやむやの内に継続していく。
零二は驚いていた。かつての自分並みに焔、いや炎を扱える相手がいると思ってもいなかった。
美影も内心、驚愕せざるを得なかった。熱操作をあそこまで使いこなす変わり者がいると初めて知ったから。
零二は本来であれば”強者”と戦う事を楽しみにする性分だったが、何故か今はそう思わない。
美影は本来であれば”強者”、それも自身と互角以上の相手に遭遇したのであれば、どうやって出し抜こうか思考を巡らせているはずだが、何故か今はそう思わない。
二人は共に互いとの本気での激突を避けていた。
何故かは共に分かってはいない。ただ本能的に。
「リーダー、見つけた」
その激突を遠くから見詰める目があった。
不自然に甲高い声だった。
「よし、いくぞお前ら。……予定通りに行くぞ」
そう声をあげ、何者かが動き出す。
零二と美影はまだその第三者に気付く由もない。