惑いし狂犬
「くけっ、つまらねぇな全く手応えってものがないぜ」
そう言いながら男はペッ、と唾を吐く。
その目の前には、戦車がある。
本来であれば他者を威圧するようなその威容だが、奇妙な事にその装甲は大きく凹んでいる。
その大きさは例えるのならば丁度、その男が自分の身をかがめた位であろうか。
さらに奇妙のはその砲塔からは煙がくすぶっている事。ついぞ今し方そこから砲弾を放ったように見えるのだが、おかしな事に周囲にその砲弾によってもたらされたと思われるような破壊の痕跡は全く見受けられない。
理由は簡単で、砲弾は確かに発射されたのだが、目的を達成出来なかったのだ。
確かに砲弾は相手へ向かい炸裂し、爆発した。
だがその爆発を受けても尚、信じられない事に相手は全くの無傷であった。それも三発もの戦車砲の直撃を受けたにも関わらず、に。
そして反撃は一度。相手の何の気なしの体当たりのみ。一見して生身にしか見えない相手の体当たりと戦車の装甲とでは比較にすらならない、そう戦車内にいた自衛隊員達は思った。
だがその体当たりで戦車は大きなダメージを負った。相手の身体と激突した装甲は大きく凹み、装甲を通して衝撃は砲撃手に直撃、その際、傍にいた車長を巻き込んで反対側の壁へ激突、二人はそれぞれ頸椎骨折、全身の臓器損傷で即死していた。
ガチャン。
「う、ひいっ」
すると戦車の乗降ハッチから自衛隊員が一人飛び出す。それは戦車内で唯一無事であった操縦士。
その真っ青に青ざめた表情に浮かぶのはただただ例えようのない恐怖のみ。
操縦士は今すぐ逃げ出したい、という焦りからか戦車から滑り、肩から受け身も取れずに落ちた。
「くけっ、……なんだなんだ逃げんのかよ?」
その様子を獣のように獰猛な笑みを浮かべ、…………愉しそうに逃げゆく獲物の背中を眺める。
「くけっ、いいぜいいぜッッッ。足掻け足掻けよ、その方が少しは楽しめるってもんだぜ」
ペタ、と便所サンダルで一歩を踏み出し、追いかけようとする。
「来るな化け物ッッッ」
パラララララッッッ。
銃声と共に弾丸がばらまかれる。
操縦士が戦車から持ち出した護身用の短機関銃の引き金を引いたのだ。
だが、急いで逃げながら、しかも焦りながらの、振り向き様での銃撃である為にその銃撃には狙いもへったくれもなく文字通りに弾丸をばらまいている、というのが正しい表現である。
だが、それでも日頃の訓練の賜物なのかもしくは偶然の産物なのかは定かでないが弾丸の大半は丁度一歩を踏み出した、椚剛へと向かっていく。
フルオートによる銃撃は、ほんの数秒足らずで全弾を撃ち尽くす。
だが、その一種とは言え弾丸の雨をまともに受ければ普通ならば即死しかねない。マイノリティと言えども、死なないにしても何らかの対抗手段がなければ無傷では済まない。
だが、
「くけっ、むだむだっっ」
椚剛は全くその場から動かずにその弾丸の通り雨を受けた。
その光景を目の当たりにした操縦士は一瞬、安堵の表情と吐息を漏らすも、
「く、ひいぃっっっ」
すぐさまその表情を恐怖で歪ませる。
「くけっ、くけけけ。そうそうその表情が見たかったんだよな」
椚剛は口を開き、舌なめずりしてみせる。
その顔に浮かぶ喜色は凶悪そのものであり、怖気を誘うモノだった。
「う、ひいっっっ」
全弾撃ち尽くした短機関銃を苦し紛れに投げつけ、その隙に逃げようと試みる。
「くけけけ────」
歯を剥き、愉悦に満ちた笑い声を出す。
同時にぱららら、という金属が落ちる音が鳴り響く。
椚剛のサンダルの傍を転がっていくそれは弾丸だったモノ。それは不自然な程にひしゃげ、モノによっては元の形を全く留めていない。
「あ、ああああ」
操縦士は逃げようとしたが、動けなかった。
目の前にいる怪物を見てしまい、その恐怖のあまりに手足がピクリとも動かなかったのだ。
まさしく蛇に睨まれた蛙、であった。
ペタペタ、としたゆっくりと歩み寄る椚剛の姿は操縦士にはどう見えた事だろうか。
「……い、やだ来るな。くるなくるなくるなくるなくっっっっ─────!」
その目は大きく見開かれ、そして──。
グチャ。
何かが潰れたような音がした。
「くけっ、くけけ、ちっ。つまらねぇな本当によ。
せっかくのシャバだってのにこれじゃあ全然だぜ」
周囲をまるでペンキでぶちまけたかのように赤く染め上げ、椚剛は不機嫌そうにボヤく。
彼は酷く渇えていた。
五年もの間を狭く、不自由な密室にて隔離され続けたのだ。
五年間彼は薬物投与により、イレギュラーを使えなくされた。それは例えるならば酩酊状態になったようなモノで、その上で死なない程度に血液をギリギリ抜かれ続けていた。質が悪い事にその上で精神を高揚させる薬物をも投与され、無力感を味あわされた。
彼以外にも同様の処置を受けた者はその生かさず殺さずの緩やかにして過酷な責め苦を前に肉体よりも前にその精神が死んだ。
そうして一人、また一人と死んでいき、気付けば生き残ったのは椚剛ただ一人となっていた。
日に日に何かがおかしくなっていくのを彼は自覚していた。ただ、彼が他者と異なったのは自身が徐々に狂っていく事そのものを楽しんでいた点である。
″絶対に外に出てやる。で、外に出たら何もかもぶち壊してやる。派手に爽快に、そしてあのしれっとした九条羽鳥をじっくり痛ぶって殺してやる″
結果、九条羽鳥は目の前で死んだ。
そしてバランスを崩した九頭龍は、大混乱を起こし、今に至る。
大多数の一般人は既に緊急避難し終わっており、駅を起点とした九頭龍中心部はまるでゴーストタウンの様相を呈している。
「ち、おれの望んだものはこんなもんじゃねえぞ。もっと、こう──」
確かに今、九頭龍は最悪な状態に陥った、その目論見通りに。
九条羽鳥という要石を喪失したWD九頭龍支部に所属する有象無象の連中は好き勝手に暴れ回り、多くの事件と共に街を破壊した。間違いなくこれは自身が五年間望んだ光景だったはずである。
「だってのに、何だこの苛立ちはよー」
呟きながら空を見上げる。
モヤモヤした椚剛の心中とは真逆の、青々とした空が広がり、一層の怒りをかき立てる。
彼は我慢出来ずに今にも暴発してしまいそうだった。いや、暴発してやりたかった。
(フリークだの何だのソレが一体どうしたってんだよ? マイノリティだから何だってんだ。何故誰よりも強いおれが街の損害とか何だとかに気を使わなくちゃならない? 違うだろが!! おれは誰よりもつええ。だからこそおれと戦えるに値するヤツが必要だ)
思えばそうだった。
椚剛にとって必要であったのは、自分と戦えるだけの強者。本人は無自覚であるが、この五年間心が挫けそうになる都度、思い浮かぶのは自分を倒した″シャドウ″とかつての椚剛の上司であった九条羽鳥。
あの二人の事を思い浮かべ、こみ上げる復讐心で生き抜いた。
だがその両者を、彼は失った。
シャドウは跡形もなく潰れ死んだ。
九条羽鳥もまた、窓を突き破り、地面へ叩き付けられペーストみたいになった。
彼は己が支えをなくし、今にも暴発寸前だった。
そして今、まさに怪物と化さんというその時。
ピピピピピ。
「ん、なんだ」
それは数時間前に、以前からの友人であるリチャード・銛童から手渡された衛星電話である。
──ふう、でてくれたね。ぼかぁ感謝感激雨あられだよぉ。
金髪のイギリス人は相も変わらず妙な言葉遣いで話しかけてくるので、まるで緊張感の欠片も感じない。
「リチャード、一体何の用だ? おれはムシャクシャしてんだ。つまんねぇ用件ならこの電話をぶっ壊すぜ」
──そいつぁゴメンよ。
その謝罪は、椚剛の偽らざる本心からの言葉である。
それは電話越しながらもリチャードにも伝わったらしい。僅かに間を置いて、
──でもさぁ、コレはまさに今の君にピッタリだとぼかぁ思うのだけどなぁ。
焦らすような勿体ぶった言葉で興味を惹こうと試みる。
普段であれば、いや、他者が相手ならば椚剛は間違いなく激怒して殺意を剥き出しにした事であろう。
「ち、分かった。……用件を言えよ」
だが相手はリチャードである。椚剛にとって数少ない心を許せる相手である。
幾分か落ち着かせ、話をするように促す。
──オーケー。君にピッタリな獲物が今近くにいるらしいんだよぉ。名前は【武藤零二】。コードネームはクリムゾンゼロ。
「聞いた事のねぇ名前だ。誰だソイツは?」
電話越しでもリチャードには分かる。
椚剛が間違いなくこの後、獲物に対して一気に食いつくに違いない事に。
──彼はね、あのピースメーカーのお気に入りだよ。丁度五年前の君と同様のね。
「……………………へぇ、ソイツぁつええのか?」
──勿論だとも。文字通りに君の【後釜】だからね。
「へぇ、そいつぁ興味深いじゃねえか」
リチャードはほくそ笑む。電話越しでも椚剛が口元を歪めているであろう事が予想出来たからである。
そして、「でよ、──どうしたらソイツをおびき寄せられるんだよ?」という椚剛からの言葉を受けて、
──ああ、それならうってつけの餌がいるんだなぁ。
金髪のイギリス人は話を続けるのであった。




