はじめての一歩
「ち、何だよこりゃあさ」
思わず零二はその表情を曇らせる。
数々の賞金狙いのマイノリティ犯罪達を蹴散らし続け、ようやく故郷に辿り着いた少年の目に入ったのは、厳戒態勢の九頭龍だった。
車を幾度となく乗り換え、警察や自衛隊の検問を避けながらの帰郷である。
「だってさ……たったの数日ちょいだぜ」
一週間程前に九頭龍を出て京都に滞在した。
十日にも満たない僅かな期間だというのに。
遠目から見ても九頭龍の有り様は酷いモノであった。
九頭龍のあちこちから煙が巻き上がる。
耳を澄ませば各地で戦闘状態なのか、銃撃戦らしき音に、爆発する音もまた、いくつか聞こえる。
零二が今いるのは、九頭龍中心街に程近い足羽山の山頂。秀じいこと加藤秀二は今はこの場にはいない。近くに住む知人に接触する、とだけ言い残して姿を消したのだ。
「若、いいですか。この場から動かないように。私が戻るまで大人しく待っていて下さいませ」
そう言い含められたので、零二はこの場に留まっていた。
「くっそ、……やっぱダメかぁ」
スマホは圏外になっている。分かり切った事ではあったのだが、通信障害になっている。
その理由は恐らくは、この異常事態に際しての情報流出の防止だろう。
(問題はその通信障害を仕掛けたのが、WGかも知れねェってコトか)
零二はこの状況についての情報を持っていない。
京都近郊にいた秀じいもそれは同様らしく、知人との接触とやらもそういった諸々の情報を知る為でもあるのだろう。
WD九頭龍支部の変事は知っている。
支部長であり、絶対的な支柱であった九条羽鳥が死亡したらしい、という情報は既に知っている。
だがそれだけだ。
今、何が九頭龍で起きているのか、については殆ど何も知らないのだ。
「くっそ、調子狂うぜ。何もしないままで、ただ待ってるだけってのはさ」
思わずボヤく。
思えばただ待つのは好きではない。
普段は特に深く考える事なく、漠然と嫌だとしか思わなかったのだが、今こうして一人待つ段になって改めて考えてみる。
(やっぱ、……どうにも受け身な姿勢がイヤなンだろうな多分さ)
それは二年前までの自分自身だった。
実験、または性能テストという名目を借りた殺し合いをただ繰り返した日々の自分を想起させる。
ただ誰かの言葉に応じて焔を手繰った。
どんなに他者と戦っても、何の気分の高揚もなく、ただ淡々と食事でもするかのように目の前の相手を何の躊躇もなく屠る毎日。
そこには自身の感情など一切挟まれない。あるのはただ被験者No.02として、日々こなすノルマのようなモノのみ。
決して全く感情がなかったわけではない。
人をその手にかけるその都度に、嫌な気分になったのを覚えている。だがいつしかそういった感情を抱かなくなっていったのだ。感覚が麻痺したと言ってもいい。
思えばそれは一種の″安全装置″だったのかも知れない。あまりにも多くの命を奪った事で心にかかるであろう負荷を軽減させる為に本能的に行った自己防衛。
(そういや……いつからだったかな?)
″感情″を知ったのはいつの事だっただろう?
零二は物心ついた時にはもう白い箱庭にいた。
いつか聞いたが、両親に忌み嫌われて捨てられるような感覚でここに引き渡された、と誰かが言っていた。
(怒ったり、泣いちまったり、オレはいつからしてたっけか?)
零二は、自身の子供の頃の事を正直よく覚えていない。思い出そうにも漠然とした記憶しかないのだ。
その記憶が具体的なモノに変わるのは、五年位前だろう。
それは彼にとって大事な人である彼との出会いだ。
◆◆◆
──やぁ、今日から世話になるよ。宜しくな。
今から思えば随分と馴れ馴れしい挨拶だった、と思う。
長い銀色の髪を結い、中性的な印象の顔立ちをしていた事から、……おまけに声変わりもしていない為に、相手が一瞬男か女なのかが02には分からなかった。
──おれは士藤要。ああ、今日からは【No.09】っていうのになる男だ。
自分で男だと名乗った事でようやく性別が判明した。
初対面の相手、それも仮にも白い箱庭で一番強い被験者である02に対して真っ正面からその少年は実に気安い感じで挨拶をしてきたのだ。
「お前誰だよ? もしかして、オレのコトを舐めてンのかよ?」
気分を害した02は肩を怒らせつつ、自分よりも背丈の高い年長者の少年に突っかかる。
相手の足を踏みつけながら、グリグリと体重をかけて相手が痛みで悶えてうずくまった瞬間に、飛び上がりながらの頭突きで顎をかち上げようと目論んでいた。
「いったいなぁ、それに随分な挨拶だ」
だが、その目論見は一瞬で破綻した。
何故なら、
「アッッ」
02の視界がいきなり反転した。
「ブフッッ」
そしてそのままの勢いで床に顔面から着地していた。
「あ~、悪い悪いつい」
そんな02に上から声がかけられる。
「く、うっっ」
02が顔を上げると、そこには手が差し出されていた。
誰かに見下ろされるなんてそんな経験、これまで彼にはなかった。
「ふざけンな!」
思わずカッとなり、バチン、と差し出されたその手を払いのけて立ち上がる。
「はは、元気だな」
士藤要、いやNo.09である銀髪の少年は自分の顔面へと向かい放たれる年下の少年からの拳をあろう事か避ける素振りすらなく受け止めようとした。
(燃えろ──燃えちまえ)
そう思ったNo.02は瞬時に拳に焔を纏わせた。
咄嗟であったが、普段ならば解き放ち、周囲を蹂躙させるように手繰る己が焔を殴打に用いてみせた。
仮に拳を受け止めればそれで相手は大火傷を負う。
殺すつもりはなかったが、大火傷を負わせ悶える様を上から見下ろしてやりたかったのだ。
だがこの時の02は知る由もない。
目の前にいた、自分よりも年上の銀髪の少年が自分以上の強さを持っている等とは。
「う、…………えっ?」
思わずキョトンとした目になっていた。
立ち上がり、殴りかかったはずだ。なのに、どうしてまた天井を見上げているのか分からなかった。
「いや、ビックリしたなぁ」
士藤要がふう、と息を付く姿が目に入った。
「……なンだよアンタは?」
「言ったろ? おれは神藤要。今日からここで世話になる……」
「違う!! そうじゃない。アンタ一体何なンだ」
「うん? ああ、そか。強い弱いって事なのか。ああ。そういう事なら、お前意外と弱いな」
「な────」
その時までツンツン頭の少年は夢にも思わなかった。これまで誰にも負ける事なく、文字通り全てを薙ぎ払い、焼き尽くし、消し去ってきた02は、この日生まれてから初めての″敗北″を知る事になるとは。
◆◆◆
「ああ、そういやそうだったな」
思わず零二は笑う。
あの頃は、自分という存在を過大評価していた。
「言葉じゃ知ってたつもりだったンだけどな【井の中の蛙】ってさ」
それが自分に当てはまる等とはあの頃は、思いも寄らなかった。
自分だけはそういう枠組みとは無縁の存在だ。
そう思いながら日々淡々と実験に参加していた。
″いいか? おれはおれ。お前はお前だ。だからさ、決めるのはお前だ。おれじゃあないんだぞ″
懐かしい言葉をふと思い出す。
No.09、つまり士藤要。
No.02に、まだ名を持たなかった少年にとって、初めて出来た友達にして、血の繋がらない兄。
今の武藤零二、という個が成立したのも元を正せばあの年上の銀髪の少年との出会いが大きい。
「……そーいや、色ンなコトを教えてもらったよな」
零二は彼に憧れた。
彼はあの白い箱庭に於いて誰よりも明るかった。
彼は白い箱庭に於いてただ一人、いつも前を向いていた。
それは02とは違い、ただ生きる為、とかそういうモノではなく、明確な目標を持っていたからだろう。
──レージ、覚えとけ。おれやお前は誰のモノでもない。おれ達はおれ達だけのモノなんだ。
でな、もしも行き先に迷ったらその時は自分の思うように行け。大概の事はそれで大体上手くいくもんだからな。
そんな言葉を士藤要はよく言っていた。
彼はいつも前向きで、明るく、そして誰よりも強かった。
「…………」
零二は考える。ここで待つだけ、でいいのだろうか? と考える。
そして、ふと思い出したのは″相棒の声″だ。
────別に何もないってば。じゃあ、切るよ。とりあえず当分帰ってくるなよ。
桜音次歌音、零二にとって初めての相棒である少女。
いつも不機嫌そうで、でも何処か憎めない相手が、初めて″電話″で話しかけてきた。
本当に何の用もないのなら彼女は決して電話などしない事は零二は知っている。
零二には分かった。
あの電話は、″不安″からかけてきたモノなのだと。
だからこそツンツン頭の不良少年はこうして戻ってきたのだ。
(そうだったな、何でオレは九頭龍に戻ったンだったかだよな。
じゃあやるべきコトなンざ、ハナから決まってンじゃねェか)
口調こそいつも通りだった。だけど、あの声からは隠し切れない不安が滲んでいた。
あの声を、電話越しで聞いたからこそ戻ろう、と思ったのだ。
「……へっ、結論なンざとっくに出てたよな。
だよな、やっぱ待つだけってのはどーにもオレの性にゃあ合わねェよ。
……迷ったら自分の思うように行けばいい、だったよなカナメ兄ちゃん」
零二は笑みを浮かべると、その場を歩き出す。
特に算段などがある訳ではない。ただ一歩を歩き出す。彼がもっとも信頼出来た人物からの言葉に従って。
「…………」
その様子を静かに眺めている人影がある。
それは零二が繁華街にて半ば居候している、バーのマスターこと進藤である。
「いいのか、あいつを一人で行かせて?」
その視線は背後に控える加藤秀二へと向けられる。
「いいのです。若は今、己が意志で動く事を選んだ。
その事が重要なのです」
後見人の左右の目尻からは熱いモノが流れ出るのが進藤には見て取れた。
(口振りとは違って今にも後を追いたそうに見えるぞ。全く、過保護な爺さんだよ。だけどな、零二。
喜べよな、お前さんは愛されてるんだぜ。俺も含めて、な)
そんな事を思いながらも、当のマスターもまた久々に目頭が熱くなるのを感じるのであった。




