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歌声

 

「いやっほーーーい」「かんぱーーい」

 カチーン、という小気味いいグラス同士の甲高い音。

 そして陽気で、威勢のいい声が小さな店内に響き渡る。

 他に聞こえてくるのはジャズの歌声。多分、レコード盤だろうか。懐かしくも心地のいい音だ。

 今は午後の九時過ぎ。

 店のあちらこちらで、グラスにジョッキを片手の男達が陽気に笑っている。

 これだけなら普通のバーの光景なのだろう。

 だが、この店の場合は少し事情が異なっている。

 その要因は店内にいる客層の為だろう。

 彼らをよく見ると、ダーツに興じているのは顔に無数の傷のある小男と、中東系の老人。

 それから今時殆ど見かけない様な蓄音機の前でグラスを重ねるのはラテン系の青年に東欧系の女性。

 この決して大きいとは言えない店内に様々な国や人種を越えた客がひしめいている。それも一目見ただけで只者には見えない雰囲気を持った者ばかりが。


 神宮寺巫女はそうした無国籍な雰囲気を醸すこの店のカウンター席にチョコン、と座っていた。

 彼女の目の前にいるこのバーのマスターにしてバーテンの進藤明海もまた多種多様な客達に勝るとも劣らない、いや彼ら以上に強烈な雰囲気を醸し出している。

 その顔にはどう見てもナイフの様な刃物で刻まれたらしき傷が無数に刻まれているし、頬にはそれとはまた別の抉られた様な傷(銃創だとさっき本人が笑いながら答えた)もある。

 身長は恐らくは二メートル近くはあるだろう、その巨躯と鍛えられているのがシャツ越しからでも一目で分かる隆起した肩や胸部に、袖から覗く腕にも大きな傷が数え切れない程に刻まれており、一体どういう人生を送ればこんな凄まじい事になるのかが、彼女には皆目見当も付かなかった。

 さっきまで着ていたライブ用の衣装の上にあのピンクのパーカーを羽織っているが、そのパーカーには遠目からは目立たないが、赤い染みがいくつか付いているが、それは零二の血だ。

 彼女がここに来たのはおよそ一時間前の事。

 フラフラの零二に肩を貸してここまで来た際に彼の血が付着したのだろう。

 裏口から入ってきた二人に進藤は驚きながらも、特に何も言わずにこうして店内に入れてくれた。



 二時間前。

 零二は素人目に見ても酷い傷だった。

 全身から夥しい出血、切り傷というか抉られた様な傷に、挙げ句には腹部を貫かれている。こんな有り様では到底助からない、そう巫女は思った。

「早く救急車呼ばなきゃ!」

「大丈夫だっての」

 当の零二本人は顔色こそ悪かったが、特に焦る様子もない。

 そして。

 それはまるで何かのトリックでも見ている様だった。

 あれだけの重傷がみるみる回復していく。

 切り傷も、腹の貫かれた傷も塞がっていく。

「……な? 大丈夫だったろ?」

 零二はそう言うとゆらりと立ち上がった。

 だが、その足取りはフラフラで転んでしまいそうで、思わず巫女は肩を貸して…………今こうしてここにいる。


「ほらよ、食いな」

 進藤が差し出したのはビーフシチューだった。

 何でもさっき出そうと思っていたらしいが、そうなる前に巫女が藤沢慎二と一緒に行ってしまったので出せずじまいだったらしい。

 スプーンですくって一口。

「……美味しい」

「だろ? 俺の自慢の一品だ」

 強面のマスターは穏やかに(本人的に精一杯)微笑む。

 それはとても上品でコクのある味わいだった。

 ワインのいい香りが仄かに漂い、中に入っていた牛肉はかなりじっくり煮込んでいたのか、ホロリと溶ける様な口当たり。

 添えつけられた小皿に乗ったライ麦パンとの相性も抜群だった。

「はは、おかわりならまだあるからな、もっと……」

「おかわりッッッッ」

 マスターのこめかみがピクリ、と動く。

「お前なぁ、一体どんだけ食うんだよ!! それでぞれは一体何杯目かわかってるかこのバカ食い魔神ッッッッ!!!」

 思わず怒声を張り上げ、握った拳でテーブルをドン、と叩いた。

 するとその叩いた衝撃の強さを物語るかの様に、分厚いカウンターテーブルが揺れ、端っこの席にいた客のグラスが落ちて割れる。

 巫女だけがビックリしており、周囲の客は一瞬だけ視線を向けたが、すぐに何事もなかったかの様に陽気に飲み交わす。そして零二もまた、全く動じる気配も見せずにおかわりを要求していた。


 巫女がバーに辿り着いた時、このツンツン頭の不良少年は爆睡していた。

 とにかく何をしても全く起きないので巫女がここまで来るのにどれだけ苦労したかは想像に難くない。

 巫女がここまで来る途中で”聞いた”話によると、零二の爆睡はイレギュラーの使用過多と精神的な消耗から脱する為の”代替行動”だそうだった。こうなるしばらくは起きないので、好き放題しても大丈夫、と言われた。勿論、巫女は何もしてはいない。

 零二が目を覚ましたのはほんの二十分前の事。

 そして目覚めるなりグウウウウウ、という腹の音を大きく響かせ、最初に言った言葉が「何か喰わせろぉ!!!」だった。


 そうして今、この状況に及ぶ。

 とにかく食べる、ひたすらに食べる。

 何かのたがが外れてしまったかの様にその勢いは留まることを知らず、スプーンが、口が、手が物凄い速度でめまぐるしく動いている。

「おかわりッッッッ」

「あ、あのさー、まだ食べるのかよ?」

 留まることを知らない、無尽蔵の食欲に巫女は顔をひくつかせながら訊ねる。

「たりめーだ、オレは血が足りねェンだぞ? だから早く万全に戻す為によ、とにかく一杯食わねェとさぁ……」

 そう言いながらパンにかじりつく零二だが、ある一品にだけは手を付けようとしていない事に巫女が気付く。

「……じゃあそこの牛乳も飲めよ」

「……断る!!」

 即座に、零二はキッパリと何処か爽やかですらある笑顔で即答した。

「何で、牛乳美味いだろ?」

「やだ、苦手だし」

「おい、子供かよ」

 呆れる巫女を尻目に零二はスプーンでテーブルを叩く。完全に子供にしか見えない。それも駄々っ子。


「な、そいつガキだろ? ったく、お前一人で店の食材食い尽くされちまうんじゃないか、はぁ」

 進藤は溜め息混じりに皿に焼おにぎりを乗せて差し出す。

「ビーフシチューは?」

「お前なあ、七杯だぞ、一人で七杯食っといてまだ食い足りんのかよ?」

「美味いもンは何杯食っても美味いもンだ」

「お世辞いってももうないからダメだ、そのおにぎり食って終わりだ」

 進藤はそうキッパリと言い切るとシチュー皿を没収。

 奥へと引っ込んでいく。零二は、横柄だー、とボヤきながらも焼おにぎりを手に取り食べ始める。

「あのさ、変わった人だね。あの進藤さんて」

「そーか、別に普通だぜ。……ちぃとばっかしおっかねェけどな」

 零二は口の中をモゴモゴさせながら答える。

「そうなんだ。……羨ましいかも」

「何がだよ?」

「あたし、いやおれは……」

「気にすンなって、お前は一人じゃねェさ」

「え?」


 カラカラン。

 そこに甲高い鈴の音を鳴らしながら、十人前後の団体が入店してきた。

「あ、巫女だ。いたよー」

 先頭にいた女性がそう喜びの声をあげると彼らは一斉に巫女へと向かってきた。彼らは巫女にとって家族みたいな存在。あの皆で暮らした楽しい日々の象徴。今日はわざわざ、ライブを見に集ってくれたのだ。思わず巫女は涙を浮かべる。

「な? 一人じゃねェだろ」

 零二はそう言うと席を立ち、離れる。彼女と家族の再会に水を差さない様に。

 巫女はあっという間に周りを囲まれる。満面の笑顔で包まれ、彼女もまた、優しく微笑んだ。


「お前さんにしちゃ、いいことするじゃないか」

「アイツは”裏側こっち”に来ちゃダメだからさ。あれでいいンだよ」

 零二はへっ、とだけ言うと裏口から外に出た。


 ──全く、こきつかってくれちゃって。ホント面倒くさかった、もう嫌だ。

 そう外に出てすぐに愚痴るのは桜音次歌音。零二は目を覚ますなり、歌音にメールで巫女の家族をここに連れて来るように依頼していたのだ。ちなみに彼女と巫女が会話をしていた事を零二は知らない。

「あンがとよ、今度好きなもン奢ってやっから機嫌直せ」

 ──しょうがないなぁ、考えとく。

「じゃ、またな」


 相棒との会話を終えると、店内から歓声が上がる。

 何かが始まったらしい。

 カラカラン。

 今度は表から店に入ってみると、そこに溢れていたのは歌声。

 神宮寺巫女がカウンターに座ったまま、歌い出していた。

 それはよく通る声だった。

 零二はあまり音楽には詳しくないが、その曲はこの店でも何度も耳にした事がある。

 その歌声には不思議と心を揺さぶられる何かがあった。

 誰もが沈黙した。さっきまではあれだけの騒がしかった陽気な声に、ケンカしそうな怒鳴り声も、何もかもが静まる。

 そこにいた、一癖も二癖もある連中も魅入られていた。

 小さな店内が、今は、今だけは静まり返り、小さな”歌姫ディーヴァ”の紡ぐ歌に酔いしれたのだった。

「へェ、……いいじゃンか」

 そう小さく呟き、零二もまた彼女の歌声を堪能したのだった。



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