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骨の悪鬼、血の悪魔

 

「ナ、っっっ」

 思わず絶句する。

 その光景を我楽多は、にわかに信じられなかった。

 それは本来有り得ない事であった。


 彼がいるのは京都市北部にある深泥池みどろがいけ。京都でも一部の写真家には人気のある撮影場所であり、地層などの調査からは場所の歴史はおよそ一〇〇〇〇年前、つまり氷河期にも及ぶ特異な場所。

 そして一方でその歴史の中で幾度も怪奇譚が囁かれた場所でもあり、京都でももっとも恐ろしい、とされる心霊スポットでもある。


 ここも八坂神社などと同様に古来から人々に畏敬の念で見られ続けた場所。つまりは感情が集まった場所。それゆえに過去には幾度も異界と繋がり、そして妖が呼び出され、防人や退魔師達が戦いを行った要地。


 池にはかつて入水自殺した者の亡骸が今もある、とされ、夜中に近寄る事は近隣住人ですら禁じられている、という話もある曰わくつきの場所。


 そしてそこに魔術師我楽多は目を付けた。


 曰わくつき、かつ歴史的な経緯を持った力ある場所。ここを彼はいつの頃からか根城としようと機を待った。


 そしてその時は来た。


 異界と深泥池が繋がった瞬間を魔術師は逃さない。


 迷わずにその異界へ入り込み、そこに己が陣地を構築。そうして内側から結界を張り巡らし、一種の防壁と化す事で堅固な要塞と為していたのだ。

 同類である魔術師であってもそう易々とは侵入は許さぬ、そう自負していたと言うのに。


 まるで、冗談みたいだと思う。


 敢えてそれに近い効果音を付けるならば、バリン、とガラスが割れた音が一番相応しいだろうか?


 空き巣が窓ガラスを割って家に押し入るが如く、歩は結界内、強いては異界へ入り込んできた。


「お、入れた」


 歩は平然とした面持ちを浮かべつつ、異界へ入り込む。押し破った空間は即座に塞がっていく。


「さて、もうここから出るには主を倒すしかないな」


 軽薄そのものの口調で相手へ聞こえるように話しつつ、場所の把握の為視線を素早く巡らせる。

 空間の広さはおよそ畳二〇畳、といった所か。

 狭くもなければ広過ぎるのではなく、ほど良く快適な広さである。


「にしても、想像してはいたが…………ゾッとしねぇ光景だな」


 そして周囲にあるのは無数の骸骨が雑然と置かれている。それら全てが完全に白骨化しており、それ相応の期間が経過したのか、或いはそれを促進する処置を施したのかまでは流石に歩にも分からない。


 その無数の、骸骨がまるで壁のように、一種の神殿のように固められている。


 それはまさにカタコンべ。

 欧州はフランス、華やかなりし芸術の都、と称せられるパリの裏の側面。地下にありし墓所を彷彿とさせる、怖気を誘う光景だった。


 そのカタコンベの如き骸骨で作られた建物の奥に魔術師は座っていた。

 その椅子も無論、骨で形どられており、不気味極まりない代物である。

 いやそもそもこの異界にある造形物全てが骸骨で作られている。机も、棚も、敢えてそれ以外のモノを探すのであれば、それは書物の類位であろう。


 ガチャ、という床の音。そこにも陶器のような、白いモノが敷き詰められている。


 そこはまさしく、骸骨の神殿。

 我楽多、という魔術師が何に興味を抱くのか、誰の目にも明らかな彼の心象を具現化した場所である。


 歩は正直な所、この場所に対して吐き気を覚えていた。様々な場所に彼は入った経験がある。


「よお、約束通り来てやったぜ」

「キさま、どうやってこの場に気付けた?」


 魔術師、と呼ばれる存在とも幾度も遭遇し、その内の幾度かは殺し合いに発展した。

 そしてその経験上から確信した事がある。


「イいから答えろっ」

「あ~いいぜ。俺は鼻が利くのさ、特に【血】の臭いにはな。アンタ、比叡山で血を流したろ? ソイツの臭いを辿ってきたんだよ」

「フん、見え透いた嘘だな。臭いではなく、血の反応そのもの、をではないのか? よもやただで済むとはゆめゆめ思うまいな」

「なぁ、ここは何だ?」


 魔術師にも色々な奴がいる。誰もが邪悪な存在ではなく、中には一般社会とも上手く折り合いを付けている者や、社会から距離を取り、隠遁する者もいる。


「一体何のつもりでこんなモノを作った?」

「ウうん? 何のつもりだと。全く笑わせるな」


 だが何割かの相手は違う。彼らは己が欲望の為ならば如何なるモノをも平然と犠牲に差し出す。

 それは欲望に、本能にのみ従うフリーク、に近い存在だとも言えるが違う。そういった外道の魔術師は理性を持っている。その上で自身の人間性を躊躇なく捨てている。

 そういった輩には共通の臭いがその結界内、縄張りに充満している。


「コこは私の求める全てだよ」

「…………そか、成る程な」


 それは死臭、そして相手の魂そのものが醸す腐臭。

 彼ら、目の前にいる我楽多、という魔術師は魂そのものが腐り、異臭を放っている。


「あんたを殺させてもらうよ」

「キさま、本気かね?」


 だが、我楽多の口調からは自身が追い詰められている、という実感、焦燥は聞き取れない。

 しかしそれも当然である。

 何故ならば、


「シね小僧っっっ」


 その声が合図であったのか、一瞬で事態は動いた。


 ド、ドドド。


 驚く程にアッサリと歩の全身は貫かれていた。


 四方八方、上下左右、それこそありとあらゆる箇所から飛び出した無数の骨槍によって。


「く、っはっ」


 ごぷ、とその口からは赤黒い血を吐き出す。

 そして、全身を余すことなく串刺しにされ、その身体はみるみる内に夥しいまでの鮮血を噴き出し、飛び散った血は即座に白い床を赤く染め上げる。


「クはは、かかかか。馬鹿め、この異界は、この神殿は私の陣地だよ? なのに、この場所の支配者である私に正面から向かってきたら駄目だろう?」


 そう、我楽多自身には余力は無くとも、この場所、自身が構築せしめた骸骨の神殿内であれば話は別。


「く、あぐう、っっ」


 歩から出る声音には隠し切れない苦痛が滲んでいる。

 白い槍が、滴り落ちる血で赤くなるのを魔術師は満足そうに口角を釣り上げ、歪んだ笑みを浮かべる。


「フふふ、まだまだ。傷が癒えるなどとは思うな」

「──く、う゛う゛う゛あアアアアアア」


 絶叫が神殿内で反響する。


 その訳は、突き刺さった無数の白い骨槍が一斉に回転を始めたから。

 ギリギリ、グチブチ、ミチミジュ。

 何とも嫌悪感を誘うその音の正体は、槍が肉を抉るそれである。骨槍の穂先は歪な凹凸により、筋肉を引き裂き、骨を削り、神経を圧迫していく。



「う゛ぎゅああああああああ」


 その苦痛はにわかには表現出来るようなモノではなく、仮に強靭な精神の持ち主であってもよくて発狂、そのままショック死しても何の不思議もない程である。

 しかもその槍の回転は時折、逆回転に変わり、延々と続く。傷をリカバーで塞ごうにも槍により、傷口がどんどん広がり、深くなっていく。


「ウうむ、実にいい」


 そしてそのまるで地獄のような責め苦を、魔術師は隠し切れない愉悦の表情で眺めていた。


 彼にとって獲物の叫び声はまさにバイオリンの音色ようなモノであり、責め苦に伴う不快な、血や肉、骨を抉り、傷付ける音はさながらフルートであろうか。


 他者を踏みにじり、蹂躙して殺す。そしてその魂を失った入れ物たる肉体から骨を抜き出し、こうして自身の陣地、神殿をより強固にするのが外法の魔術師にとっての最高の娯楽である。


「くクク、アハハハハハ。最高だ、この肉をこそげ取る感触、骨を滴る血の沸騰するような温度。そして何よりも、絶望のまま死に絶える瞬間。

 ……分かるかい? 

 死ねば魂そのものは失せて無くなる。でもね、器、つまりは骨にはその魂の残滓が残るんだよ。

 私はねぇ、ソレを清め、抜き出す事なく、その怨恨をそのままにこの神殿を造り上げた。この場には無数の、私が手にかけた、或いは何処ぞかの戦地やら災害現場で非業の死を遂げた奴原の骸骨しか扱っていない。

 分かるかい? 楽しいんだ、愚かなカスに等しきモノ達の取るに足りん無念の声が。それを嘲笑うノガネェェェェ」


 そう語った魔術師我楽多は、恍惚とした表情を浮かべ、完全に己が欲望に酔いしれていた。

 そのネトリ、とした視線はもはや殆ど動かない獲物へと向けられる。


「マぁ、もう既に死んだであろう君に言っても聞こえていないか。ククク、クハハハハハハ」


「よくもまぁ、そんだけギャーギャー、と吠えるもんだな」


「──ナに?」


 悪寒を覚えた我楽多は、思わず椅子から飛び退く。

 その直後、骨の椅子はグシャリ、と飴細工が溶けたように崩れ落ちる。


「ち、外したか」


 歩にその口調は、平然としたものであり、とても全身を串刺しにされたままだとは思えない。


「バかなッッッ」


 我楽多は骨槍を更に天井、床下から伸び出させ、追い討ちをかけんと試みる。


「もう飽きたよ」


 だが、歩にはもう通じない。

 襲いかからんとした槍のみならず、串刺しにしていたハズの槍までもが一斉に砕け、折れ曲がっていき、全身を血に染め上げたまま、半死半生のはずの歩は何事もなかったかのように着地する。


「ナ、何故だ私の骨細工が──!!」

「アンタ案外馬鹿なんだな、理由なんて簡単じゃないか。俺を派手にオモチャにしただろう?」

「それが、……はっ──」

「見てたんだろ? 俺の血はそのまま武器だ。

 細かい原理は知らないけど、俺のイレギュラーは自分の血を意図的に【振動】させるモノだ。

 さっきみたく派手に串刺しにされたら、そりゃ俺の血は天井やら床下やらにも飛び散るよなぁ。

 ま、……つまりはそういうこった。アンタはウダウダ楽しまずにさっさと殺すべきだったって訳──」


 じゃ、死ね。それが歩が相手へと、魔術師我楽多へと送った葬送の言葉。

 同時に、神殿内のあらゆる場所から鮮血が噴き出し、赤一色の魔術師を濡らしていく。


「グ、ニャアアアアアアア」


 我楽多の肉体が軋みをあげていく。

 血液の一滴一滴が細かく振動しながら、体内を抉り、蹂躙していく。

 その痛みは例えるならば、体内を虫に食い破られる感覚に近いのかも知れない。


「ウ、グがが我が」

 我楽多は全身を破壊され、悶えながらも、崩れていく神殿から脱しようと試みる。

 だが、ガラガラ、と音を立てて崩れたそこに出口などはなかった。


 丁度神殿の大きさで、赤い檻が形成。完全に閉じこめられていた。


「ナっっっ」

「逃がさねえよ。ここがあんたの【終着点ラストストップ】だ」


 パチンと指を鳴らすや否や、赤い檻はあっという間に収縮。しかも縮みながら、余分になった赤い水滴を降り注がせる。

 逃げなくては、と本能的に感じた魔術師。だが、その足元もすでに赤い水で満たされている。

 ズルリ、とその左足が崩れ落ちた。文字通りに、崩れ、辛うじて残った右足で倒れるのだけは拒絶。

 しかし、そこへ血で作られた雨が降り注がれる。

 それはどうしようもなく駄目押しとなった。

 我楽多は理解せざるを得ない。最早逃げ場など皆無である事を、──つまりは己の敗北と死を理解せざるを得ない。

 だがどうしても分からない。


「バカナッッ、いかに……血液操作であろうが、あれだけの流血、何故平然としていら、──れる」


 そう、これだけの効力、威力を己が血液だけで賄えるなどあり得るのであろうか、と。少なくともそんな事が可能な魔術師を彼は知らない。

「グご、ugaaaaaaa………………」

 最早まともな声すら出せない。出そうにも口を動かす為の神経と筋肉は破壊されつつあった。

 仮初めの身体は崩れ──中枢である脳髄に、死を招くその血液は到達する。


(でたらめ、だ、一体何者だキさま、)


 だが、その言葉を口にする事はついぞ叶わない。

 魔術師はその脳髄までが破壊され、自我を喪失。


 ビシャ、という液体が床にこぼれたような音。


 それは全身から無数の血液が飛び散った音。

 ただしそれは、魔術師本人のそれではなく、一滴一滴その全てが歩のモノである。

 それはさながら……有り得ない事だが、散弾を体内から発射したかのような凄惨な光景だった。


「なぁに、俺はちょいとだけ【ズル】をしちまっただけさ」


 完全に死に絶えた相手に対して彼はそう告げる。

 魔術師の身体は完全に破壊され、その命脈は尽きた。

 かくして京都で起きた一連の事件は一応の終局を迎えるのであった。


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