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悪意の主──牛頭天皇

 

「……………………」


 ゴクリ、と真名は息を呑む。


 そこにいたのはそびえるような巨躯をした存在であった。

 高さは優に五メートルは越えているであろうか。

 肌の色は土気色でとても生きているとは思えない。

 だが何よりもソレが異形であるのを明確にするのはその顔である。


 目に付くのはその牛頭。

 文字通りに牛の顔。そして左右に大きく伸びだす角。

 顔だけを例えるならばまるで古代ギリシャ神話のミノタウルスのようである。

 身にまとう服装はと言えば、白を基調とした簡素な衣にブーツのような履き物。



 だがミノタウルス、との明確な違いもある。


 その牛頭の目には怪物ならではの凶暴さがない。

 そこにあるのは明白な理性の光。


「あなた、が牛頭天皇で……すか?」


 真名は息も絶え絶えになりながらも訊ねる。

 時間を少しでも稼ぎだいのと同時に相手に興味が湧いたからだ。


『そうだな。そうとも言えるし、違うとも言えよう。今や名称など些細な事でしかない』

「そ、れでは藤原右京さん、とでも……お呼びしますか?」

『あなたは興味深いな』

「何が、で、すか?」


 気が付けば牛頭の男は地面に横たわる真名を見下ろしていた。

 その目は真っ直ぐに真名の目を見据え、


『異能を担う旧家に生まれ出でたにも関わらずその宿命に疑念を抱き、ふむ。

 自らの生き方、在り方を憂いて出奔。

 そして逃げるように今は京都に至ったのだな。

 それで──きっかけと成りしあの少女に対しては……』

「──やめてもらいましょう……ぐっっ」


 思わず声を荒げる。

 それは真名の出自。

 牛頭の怪物は、誰にも明かしてはいないはずの一族との確執を端的に指摘した。


「心を読むのはやめ、ろ」

『殺す、か。その状態で恫喝とは』


 牛頭の怪物はくく、とした笑い声を洩らす。


『まぁいい。私としてもあまり遊んでいるつもりはない』


 さて、と言いながらソレは右手を掲げる。

 まるで雲を掴み取るかのように高く掲げ、


『寄越せ』


 と言葉を吐く。

 ただそれだけ、で場の状態は一変する。


「があああああああ」「うああああ」「おぐええ」


 気絶、或いは立ち上がる気力を喪失した防人や退魔師達が呻き苦しみながら、悶える。

「うぐうう、ああああ」

 それは真名も同様。

 彼は己が身体で何が起きつつあるのかを実感した。


 急速に体内から生命力が奪われていく。

 身体から光、ホタルの光のようなか細い光の玉が飛び出していく。

 周囲全員が同様の状態にあるらしく、薄暗いはずの空間はにわかに明るく照らし出される。


『さぁ、────来い』


 牛頭天皇、或いは藤原右京の言葉に呼応するかのように無数の光の玉がソレへと集っていく。


『うむ、いいぞ。そうだ、もっとだ』


 牛頭の怪物は満足そうな声音を上げつつ全身を身震いさせる。

 無数の光の玉が怪物の身体へと吸い寄せられ、その全身へ入り込んでいく。

 徐々にその土気色であった肌の色が変化、衣の袖から覗く腕や足の色が浅黒く変色していく。


『ウウウウウ、オオオオオオオオオ』


 まさしくそれは″食事″であった。

 真名の目の前で牛頭の怪物は見る見るその肉体を活性化していく。ミシミシ、と音を立てながら五メートルを超える巨躯の、筋肉がさらに隆起していく。



「う、くくく」

 真名は辛うじて気絶しない程度の気力を保ちつつ、実感した。

 オオグチ、なる不定形の怪物が自身の身体そのもので食事を行うのに対して、呪詛を司りしソレは人の精気そのものを喰らうのだ、と。


『ようやく気分が良くなった。だが流石、だ。

 起源遣いたる君は心得があるだけあって、私の食事でも意識を失わないのだからな』

「ええ、ですがむしろ、意識が無くなった方が良かった、のかも知れませんねぇ」


 今のは真名の本心からの言葉であった。

 異能探偵たる青年は、今の食事に対して、糸の起源である魂繋ぎにより、辛うじて意識を喪失しなかった訳だがそれが精一杯であった。

 呪詛の主の発する言葉はその一つ一つが呪言であり、その強制力は、真名の想像を凌駕するモノだった。


『ふむ、それは確かにそうかも知れない。

 なまじ半端な抵抗力があった所で刃向かう術を持たないのであれば、全くの無意味。

 だが、安心するといい。何故なら私に君を今すぐどうこうしようというつもりはないのだからな。

 むしろ一人位は見届け人がいた方がいい』


 悪意の主たる牛頭の怪物は、幾度もかぶりを振る。

 仕草だけをみる分には異形でこそあれど、ソレには明確なる理性があるように真名には見える。


 さっきまでとは異なり、感情表現がハッキリしてきたのは、かの存在がこの世界に明確に馴染んできた、という風に思える。


『私にはやりたい事がある。だがその為にはまだ力が足りない。食事が必要だ。もっともっと大量の贄が私には大至急必要なのだよ』

 とは言え、と言いながら牛頭の怪物は周囲を見回して見せる。それもわざとらしく大仰な仕草で、悠然と。


『見ての通り、この周辺に贄になりそうなモノがいない。君を含めて、絞りカスの異能者しか転がっていないんだ。かといって、だ。

 わざわざ出歩いて人通りの多い場所へ出向くのも億劫だし、そもそも大して腹が膨れるようなモノはおらないだろうなぁ。そこで、だよ』


 牛頭の怪物はくく、と口を開いて笑う。


『来たれ』


 たった三文字。

 その言葉で場の雰囲気は一変する。


 神社周辺に突如として無数の″穴″が開き出す。

 それは地面は勿論の事、樹木や倒れた異能者達の身体から、虚空からも続々と開く。


「これ、は」


 真名は目を見開いた。


 穿かれた無数の″穴″からはそれこそ無数のモノが溢れ出していく。

 その形状は様々であり、数え切れない足を持つ犬がいる。球体のような顔と一つのか細い目に、顔の大半を占める巨大な口を持ったナニカ。翼を持った猫のような動物に、足の生えた魚もいる。

 様々な異形のソレらは周囲を見回し、互いの姿を認めると…………咆哮をあげ、ぶつかり合う。


「何、てことだ。このすべ、てが妖な……のか?」

『そうだ。これらはいずれも【異界】に住まいし存在だ。いずれも人の身からはかけ離れた、強い力を持ちしモノたちだよ。もしもあれらを解き放てば、この京都は一体どうなる事であろうかな?』

「、くっ。そんな事は」

『冗談だ。心配はいらない、あれらはすぐに消えるのだからね』


 ズシ、と大きな足音を立てた牛頭の怪物は『迂愚多多多多多オオオオオオオオオオ』というこの世の生き物ならざる凄まじい声をあげた。


 無数の、異界から来たりし妖なる怪物達はその叫び声に、まるで自分達を見下すような感覚を覚える。


 互いに殺し合っていたはずの怪物達が殺し合いを中座し、自分達を見下したであろう牛頭の存在へと敵意を向けや否や、一斉に襲いかかっていく。


 異界からの来訪者達は本能的に認識した。

 この場に於いて一番危険な存在がソコにいるのだと。


 ならば、己が何を優先すべきなのかも。

 一番強大にして危険な牛頭の存在を殺す。

 彼らはまた、こうも理解していた。

 あの牛頭の獲物を喰らわば、自身の力は強大なモノへと変わるに相違ない、と。


 数百、いや数千にも届こうかという異形のモノ達がたった一人、一体の異形へと殺到していく。


 こんな数のモノ達に襲いかかられてはひとたまりもないと、……きっと誰もがそう思うに違いない。


「あ、」

 そんな中で、

 真名は目にした。牛頭の怪物がその口を開くのを。

 その様子から窺えるのは、己が勝利を一分たりとも疑っていない、という強い自負。


『大人しくしろ』


 たった一言。

 それだけで牛頭の怪物には充分に事足りた。


『………………………』


 無数の異形が叫び声一つ上げずにその場にて静止する。この呪詛を司りし怪物の言葉はあまねく全ての存在にも有効であるらしい。


『捧げろ』


 それがトドメとなる。

 無数の異形達が我先へと牛頭の怪物へと殺到するように向かっていく。

 彼らはその身を互いに押し合い、そして。


 グチャメキャ、……グキリぴちゃ。


「う、っぐう」


 酸鼻を極めしその光景を目の当たりにし、真名ですら吐き気を覚える。異形達はあろうとこか圧死していく。互いに互いの五体を無理矢理に押しつけ合う。

 骨が砕け粉砕し、臓腑が潰れてもなお、互いを潰し合う。

 異様な光景が繰り返され、そうしてその場に残ったのは数個の団子状にまで潰し合った肉の塊。


 それを、牛頭の怪物は、いや藤原右京は口へと運んでいく。

 怪物は満足そうに幾度となく咀嚼し、堪能する。

 そうして、


『くく、クハハ。いいぞいい。力が漲る』


 かの存在は満足げに笑うと、その力を肥大化させていく。溢れ出す不浄なる悪意に真名の身体が震えた。


『これで私の力は京都を滅ぼすに足りるであろう』


 満足げに、実に満足げに声高に。

 牛頭天皇、または悪意の主はその溢れ出す強大な力を手にした。



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