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「あ、誰だよ? オレに声をかけるヤツは──」
『──ここにいるぜ武藤零二』
「うおっっっ」
情けないケド、オレは思わず声をあげちまった。
ソレは突然、あまりにも突然にそこにいた。
今の今までココにはオレしかいなかった、それは間違いないハズだ。
だってのに、ソレはオレの目前にいた。
姿形はとりあえずは人のソレ。ただし全身が真っ赤な炎で燃えていて、顔とかは判然としない。
足は微妙に地面と隙間を作っていて、宙に浮いているらしく。それはまるでアメコミに出てるようなキャラクターのみたいな姿だった。
『そんなに驚くなよ兄弟』
「兄弟だと? 生憎兄弟なら一人いるぜ。ついぞ昨日顔合わせしたばっかのクソ兄貴がよ。兄弟ならソイツ一人で間に合ってるよ」
『ああ、確かに血の繋がりってのは大事だな。でもよ、俺が今口にしてる兄弟ってのはそういうのとはちょいとばっかし違うンだよ。
俺とお前は【同じモノ】を持ってる。それはとてつもなく強力で凶暴で、最高にして最悪なモノだ。勿論お前にゃ分かるよな?』
くっく、と笑うその声を聞く限りじゃ、年頃はオレとそう大差はなさそうに思える。
顔は全く分からねェってのに、オレにはコイツが心から笑っていると確信出来た。
何故だか分からねェケド、コイツは敵じゃないと思えた。いや、確信出来た。
初めての、まして顔もサッパリな相手だってェのに、コイツはオレに危害を加えるコトは有り得ない、と確信していた。
だから、オレは──、「焔のコトか?」とそう訊ね、
相手は、
『ああそうさ。その為にこンなに難儀なコトになってンだろ?』
なぁ兄弟、と言いつつ、ソレはまた笑う。少なくともオレにはそう観えた。
「ココは何なンだよ──」
『おおっと、違うぜ兄弟。お前が知るべきコトは一つだけだぜ。ソイツはお前自身が【焔】をどうしたいのか、ってコトだけだ。
あれやこれやと理屈をゴネてもしょうがねェ。
他人がどうだとか、でもねェ。お前自身がソイツをどうしたいのか? 要諦はただそれだけさ』
「オレがどうしたいのかだと?」
『そ、だってそうじゃねェか。ソイツを手繰るのは誰だって話さ。他の誰でもないお前だ。なら、ソイツを手繰るコトで生じる責任っつうのは誰に起因するのかは俺が言うまでもなく分かるだろ?』
「オレだ。オレが全ての責任を負う、そうじゃなきゃいけない」
『そうそう、だからよぉこの場で決めろ。で、断言しな。全ての責任を自分が背負うってな。ただそンだけで終わりだ。さ、言えよ』
ソレはそンなコトをオレへ投げかける。
それこそ何を今更、ってヤツだ。
もうとっくにオレは決めてる。
なら、言うべきコトは単に一つだけ。
だってのに、何故。
「……………………ああ、」
オレはそンな簡単なコトをすら言えなかった。
脳裏に浮かンじまった。あの光景が。
オレは二年前、白い箱庭を灼き尽くした。
あの時目の当たりにしたあの地獄さながらの光景。
我を忘れたオレはソレを引き起こした。
そこには大勢の外道共と、それ以上の数のオレと似たような境遇のクソ野郎共がいた、はずだった。
それを全て余さずにオレは灼いた。
暴走した焔はオレの手を離れ──手当たり次第に獲物を喰らい、猛り狂った。
正直、オレは罪の呵責なンぞ感じちゃいない。
そうさ、オレはそンな上等なヤツじゃねェさ。
大勢を灼き尽くした。
実験で、任務で、命を狙われた結果で。
細かい理由なンざどうだっていい。
オレの手はとっくの昔に血塗れだ。
そうさ、オレは悪党だ。
自分が可愛いから、死にたくねェから他人を躊躇うコトなく灼き尽くす外道さ。
だってェのに、だ。
そンなオレが、オレが、今更何を躊躇うってンだ?
今更、そうだよいまさら何を怖がるってンだ。
どうして身体が震えちまう。
怖くなンかねェ、ちっとも怖くなンかねェっての。
よせよ、オレはそンな───。
『やっぱな。お前怖いンだろ?』
癪に障る言い方だ。
ンなはずあるか、あるかよ。
『言っとくけどお前のその感覚は正しいモノだ。
お前の焔はそういう畏怖を与える類のモノだから当然だ』
何言ってやがンだ? 怖いワケあるかよ。
オレは武藤零二だぜ。最強で最悪にして最低の焔遣いだ。
『だからさ、お前はそれでいいンだ。
オレと同じ徹は踏まないように、な。自分の力を怖がれ、恐れろ、そしてその上で──使いこなせ。
心配すンな、お前は前よりずっと強くなれる。
何せ、お前にゃ助けてくれるお節介な連中が何人もいるンだろ? なら心配すんな。だからよ──────』
今度はキチンとまもれよな、そうソレはオレに言い放ち、消えていく。
言いたい放題言いやがってよ。
ったく、気に喰わねェ。ああ、言ってやるさ。
「ああ、全部オレが背負ってやるよ。他の誰でもねェ、自分自身の為に焔を使いこなしてやるよ」
途端に、世界の色合いが変化していく。
真っ白だった景色が、無数のスクリーンが広がる世界へ、ここに来る前にいたはずのモノへと変わっていく。
『それでいい。またその内会おうぜガキンチョ』
変わっていく世界の狭間で、誰かの笑い声が聞こえていた。
「え?」
ブシュ、という音がした。
それはまるでケチャップでも絞り出したみたいだ。
オレの目前にて、誰かが切り裂かれている。
クソ兄貴が血を吹き出しながら、まるで下手な踊りでも見せるように力無くその身体をよろめかせる。
「オイ──」
声をかけるが、クソ兄貴は何も反応はしない。
そのまま糸が切れた人形みたく、崩れ、倒れ伏す。
オレは、「冗談だろ?」としか言えなかった。
◆
《あ、────》
それを目の当たりにしたスペクターは目を剥く。
信じ難い光景を目の当たりにしたのだ。
彼女は一度死んだ。
正確には今も生きている、の訳ではない。
今の彼女は、かつての自分の残滓。辛うじて消えずに踏みとどまった欠片である。
一年位前であろうか、彼女はある依頼を受けた。
相手は一人。何て事のないマイノリティへの侵入だった。依頼主はWDの大物らしく、前金の桁も普段の依頼より二桁も多い。断る理由など皆無であった。
最初の苛立ちは、請求した資料に目を通した時だった。彼女のイレギュラーは相手の精神への侵入とその精神への干渉。
それを精密に行うには相手の事を出来るだけ詳細に知る必要がある。だからこそ彼女の仕事には相手の詳細が必須であった。にもかかわらず。
その履歴の大半は黒塗りされており、参照不可の扱いだった。
ただでさえ悪条件であるにも関わらず、彼女が結局その任務を受けたのは結局の所、相手である武藤零二がそのリスクを上回ってなお魅力的な獲物であったから、に他ならない。
小手調べとして獲物の精神に潜入した際の事だ。
「何だこれは」
スペクターは驚愕する他なかった。
そこにあったのはまさしく重要機密、宝の山とでも言うべき無数の記録。
武藤零二の脳内に刻み込まれた数々の実験に関する記録や光景は断片だけであっても途方もない儲けを生み出せる代物であった。
依頼主から要請があった記憶はすぐに見つかった。これで任務は終わった。後は、獲物から自分の痕跡を一切残さずいなくなるだけ、という段に及んで。
「こいつの全てを手に入れば、私はもっと強くなれる」
そう心から思ってしまう。
彼女は見つけてしまった。
それは零二という器に事前に何らかの″処置″を施された記憶。
これまで数多くの記憶へ、精神へ潜った彼女をして初めてお目にかかる特殊な封印。
気になった彼女はその記憶を探り、一部を目にした。
圧倒的な焔。
文字通り破壊そのものを司るかの如き破壊と殺戮に特化したイレギュラー。
「何が何でも手に入れてやる」
そう心に決めた彼女は、自分の精神を植え付け、完全に乗っ取る事にした。
スペクター、亡霊という異名の由来は彼女が獲物の精神に介入し、崩壊せしめる手口と、それからいつの間にか全くの別人に″姿″が変わっているからだ。
それは肉体を操作しての変異ではない。
文字通りの意味で彼女が自身の精神を他者の身体に移す事で成り立っていた。
器となる他者の身体については事前に入念に調べてきた。零二の場合は無論、そのような準備期間はあろうはずもない。
実際、他のマイノリティの肉体を乗っ取ってあの焔を得る事が叶うのかは、判然としない。
むしろ可能性は極めて低いに違いない。
イレギュラーとはその担い手の精神の発露、具現化であるらしい。
ならばあの焔は、武藤零二という少年の精神に由来するのだろう。
冷静に考えれば、自分が無謀で無意味な行為に走っていると気付けたかも知れない。
だがこの時彼女はそうした判断能力を失っていた。
焔に魅入られた、或いは他の要因かは分からない。
ただ事実としてスペクターは零二の肉体を乗っ取ろうと試みて、失敗する。
自我の大半を消され、それでも諦め切れずにかろうじて残った欠片で。時間をかけて蜘蛛のように糸を巡らせ、零二の精神へ少しずつ介入し、やがて訪れるであろう次の機会を待っていた。
◆
そして今、
彼女は遂に機会を得た、はずであった。
零二の精神の所々に侵入し、一種の擬似的な防壁を作り上げ、焔を扱えなくすれば必ず零二自身が何らかの対策を講じるに違いない。
そうなれば十中八九、本人がこの場に来るに違いない。
たしかにここは零二の世界だ。
彼の人生で見た全てがここにはあるのだし、本来なれば主導権も彼にある。
しかし今は違う。
時間をかけてじっくりと防壁を作った、今やここは彼女にとっての巣穴。
武藤零二という身体に宿った精神に作り上げた彼女の世界。
主導権は彼女にあり、実際、零二を一時的に排除するのも容易であった。
邪魔な他人である歩の精神をここで殺してしまえば、残った零二のなかみをじっくりと浸食し、喰らい、取り込み咀嚼する。
さすがに相手の精神をも取り込めば、あの焔も手に入るに違いない。
その為に、隔離したのだ。余計な邪魔をされないように。そして全てを奪う為に。計画は順調で、達成も見えていた。
であったはずなのに。
パキパキ、というガラスが割れるような音と感覚。
思わず振り返ると、そこには閉じ込めたはずの零二の姿がある。
「何、してやがンだよ──」
その口から言葉が発せられる。
わなわな、とした震えは、「テメェ何してやがる!!」少年の怒りの発露であった。
《ナゼココニイル? ソンナアリエナイ》
スペクターの言葉自体は何の抑揚もないので、そこから感情を推し量るのは難しい。
しかしその仕草はと言えば別である。
泥、或いは影のような身体をフルフルと震わせつつも、足を一歩、無意識に後退させている。
「クソ兄貴、その……大丈夫か?」
「よぉ、遅かったじゃないか。俺なら平気だ。ちょっと彼女との間でお互いの意見の相違があった位さ」
「へっ、そンだけ減らず口が叩けるなら平気だよな」
「勿論。じゃあ分かってるよな? ブチかませ」
「ああ、後はオレに任せろよ兄貴」
歩はそれだけ言うと世界から消えていく。
零二には分かる、これは死んだとかではなく、単に眠りから目覚めただけなのだと。
「さて、そろそろアンタともお別れしなきゃな」
ゆっくりと相手へと振り返る。
相手にはおよそ表情がない。あくまでも人の形を象っただけだからなのだが、それでも零二には分かる。相手が自分に対して恐怖を抱いているのを。
《キサマミタイナガキ……ニ、アノホノオハモッタイナイ。ワタシ二ヨコセッッッ》
その不気味な程に抑揚がなく、無感情で得体の知れない存在の声音に怯えがあるのが分かる。
「オレはアンタにゃ恨みも何もない。悪いコトは言わない。オレに構うな、関わるな。だけどよ、」
それはツンツン頭の少年の偽らざる本音。
決して相手を侮ったからではない、互いの差を確信したからこその言葉。目の前にいる相手が自分に抗せない事が分かっているからこそ、である。
対してスペクターは、
《ウルサイウルサイウルサイゾッッッッッ》
抑揚がなかろうが感情が爆発しているのが明白な言葉を返す。
「だけどよ、──オレの前で邪魔するってなら容赦しねェ」
腕をぐるりと回しつつ、拳を握り締める。
敵の事など眼中にない、そう言わんばかりのあまりにも無防備な、悠然とした仕草。
《クソオオオオオオオオ! シネエエエエエエエ》
感情の起伏なき叫びが轟く。
その全身、影が伸び、零二を捉えんと試みる。
「いいぜ、ならお前の全てを見せてみろ。
ソイツをオレは──────」
影は眼前へと迫る。それが物理的な攻撃ではなく、相手の精神を咀嚼して取り込む為の捕食行為。
ドスドス、と全身へ食い込み、貫いていく。
だがそれがどうした、と言わんばかりに。
零二は歯を噛み締め……言い放つ。
「────全部まとめてブッ飛ばす」
瞬時にその右拳は輝く。
いや、違う。輝きながら、拳にまとわりつくのは黄色の焔。担い手はその燃える拳を一瞥。そして。
二年振りに、少年は己が焔を────叩き付けた。
《グルワアアアアアアアアア》
亡霊は叫び声をあげる。
精神、それも欠片程度の存在となったそれに、焔は久しく忘れていた感覚を思い起こさせる。
《バカナバカナばかなああああああああ》
それは彼女自身が他者に与えたモノ。
心を在り方を狂わせて、最期に味あわせたモノ。
《シニタク、死にたくないイイイイ》
とっくに失った、そう思っていたモノが奔流となり溢れ出でゆく。
「激情の初撃。消えな」
一瞬の出来事なのか、それともずっと長い時間なのかは分からない。
ただ、零二は相手が完全に燃え散るのを黙して見届ける。
その刹那、彼にある光景、いや会話が浮かんだ。
「それで、私の標的は誰なんだ? 奪うのか、それとも狂わせるのか?」
彼女は問うた。
いつもの事、いつも通りに誰かの精神を狂わせるのか、或いは記憶を奪うのか。いずれにせよそれは彼女にとっての日常。
──そうですね。標的は武藤零二という少年です。彼の中にある特別な記憶を探して、出来るのであれば奪って下さい。彼の精神が狂う前に早急に実行してください。
その声、いつも通りに落ち着き払った声を、零二が聞き違えるはずもない。
「そか、全部アンタの仕込みかよ。参ったぜ姐御」
瞬間、悟った。
九条羽鳥が、何の目的を持って亡霊を差し向けたのかを。亡霊が張り巡らした防壁が、何の為のモノであったのかを。
「感謝しとくぜ。おかげで二年間無事に生きてこれた」
世界が暗転していく。
かくて零二は焔を、己が半身を取り戻した。




