魔術師、二人
「あ、ぐあっっっっっ。くうううううう」
士華の呻き声。
その脇腹からは多量の出血。その勢いは蛇口の壊れた水道の様で、止まる様子もない。
ボトリ、と地面に落ちたのは彼女の脇腹。正確には肋骨及びに周囲の肉の一部である。
「う、くう。は…………っ」
呻き、悶えながら士華は膝を付く。
それも無理はない。何故なら彼女は自分の脇腹へ、抉られたとは言えその傷口へと【手】を突っ込んで骨ごと肉を引き千切ったのだから。
一見して自爆、自殺行為にしか見えない行動を、禿頭の大男は、と言えば。
「おのれ────」
と、何故か舌打ちと共に苦々しい表情を浮かべている。さっきまでの愉悦交じりの表情は欠片もない。
ブジャ、グジョ。
名状し難い薄気味の悪い、何かが爆ぜた音。
地面に落ちた肋骨と肉片に変化が起きていた。
その肉からは無数の棘状のモノが飛び出している。
もしも士華が自身の一部を削ぎ落とさなければどうなっていたのかは想像に難くない。
ゴホ、と咳払いと一緒に口から血が滲む。
ピンク色の髪をした少女はあくまでも弱気にはならず、相手を見据える。
「わ、悪いね。僕はアンタみたいな奴とは以前やり合ってるんだよ。だから、やり口は知ってるよ魔術師さん」
それは精一杯の強がりであった。士華は痛みに顔を歪めてはいたが、その口調は淡々としたもの。
もちろん、それは意識した上での口調。
とは言えど、今の話は事実である。
彼女は以前、とある魔術師と戦った事がある。
結果として勝敗は付かなかったものの、その時の事はよく覚えている。
士華はその戦いで深手を負わされた。
理由は簡単で、相手が魔術師だと知った真名が注意した色々な事を無視したからだ。
その忠告は異能探偵、いや彼がかつて裏側で様々な仕事を行った事で得た経験則に基づくものである。
──いいですか、魔術師というのは単なる異能者よりもずっと厄介な存在です。勿論全員がそうではありませんが、基本的に彼らは自分の意思でその力を得る事を選んだ存在である事を理解してください。
それは偶然異能を手に入れるのとは意味合いが全く違うのです。自分の欲望、目的を達する為。その為なら一切の手段を選ばないのが彼らです。
ですから、極力彼らとは関わらないで下さい。
士華さんの場合、特に注意が必要なのです。
そう、あなたの存在は彼らには魅力的なのだから。
そうした小言に士華は嫌気が差し、言うことを聞かなかった結果の深手。
しかし、真名は彼女を責める事はしなかった。
ただ黙って傷の手当てをしてくれた。
それが却ってつらかった。
怒られた方がずっと気が楽だった。
彼女は、自身を恥じた。
以来、士華は真名の注意をキチンと聞くようになった。それどころかそれまでは他の大人達の言うことなど一切顧みなかった彼女は、相手を選びこそすれど、真名以外の人物の話にも耳を貸すようになった。
それは、それまで集落以外の世界を知らなかった彼女が、本当の意味で世界へ足を踏み入れた出来事である。
「貴様、何故【見抜けた】?」
禿頭の大男にとって士華の行動はまさに想像だにしていない事である。
それは他者からすれば自傷行為でしかないのだが、禿頭の大男からすればその意味合いは全くの真逆。
必殺の一手が防がれたのだ。それも恐らくは意図的に。
対してピンク色の髪をした少女の返答は、
「一対一だったなら僕は多分負けていたよ。
でも悪いね、僕は一人じゃないんだよ」
というもの。
「バカな、この場にいるのは私とお前、それから向こうにいる小僧ともう一人の女だけ…………女だと?」
はた、と気付く。
その女、妙はいつの間にこの場にいたのだ、と。
◆
それはついぞさっき。
士華が自分の手で肉を引き千切る前。
彼女は、自身の身体に微かながら、だが何かしらの異常が起きている事を敏感に感じ取っていた。
(何か、おかしい? 僕の身体、なにかが)
だが何が、自分の何処に異常が起きているのかが分からない。
それは例えるのならば、時限爆弾を探すような物だろうか。もっともこの場合、それがいつ爆発するかも、仕掛けた場所も全く分からないのだが。
そこへ、である。
《士華さん、脇腹の傷どす。早ようそこを除きなはれ》
声がかけられる。
それは間違いなく妙の声。だが彼女は近くにはいない。式、が近くにいるのか、確認しようとして、
《急ぎなはれ、手遅れになりますえ》
その声音からは、切羽詰まった響きがある。
彼女は何が起きているのかを知っているのだ、その上で警告している。
ならば、と士華は迷わずに自分の傷口へ手を突き刺す。
「う、ぐう」
苦痛に表情を歪める。
グジュ、という気色の悪い音と感触。
泥をこねくり回すような、極めて不快な感触。
痛みもそうだが、それ以上に自分の中を抉り出す感覚に酷く違和感を感じる。
だが理解してした。それが正しい選択であるのだと。
そうして────。
ブシャ、鮮血が彼女のシャツを染め上げた。
それはまるで何かが爆ぜたかのように派手に吹き出した。
◆
藤原新敷はこの場にて士華と切り結ぶ間も、場の状況の推移を油断なく把握していたのだ。
自分一人に対して相手は二人。
負けるとも思えないが、手こずる可能性はある。
その上長引かせれば、更なる敵が増える可能性すらあるからである。
だからこそ、結界を展開し、第三者の介入に神経を尖らせていたはずなのに。
「女、貴様何者だ? ……ただの木っ端異能者ではないな──────まさか貴様っ」
その声音には先程までのような余裕は全くない。
今や禿頭の大男にとって最も警戒すべき相手は目の前にて対峙する少女から、得体の知れない第三者へと移り変わっていた。
「そうさね、多分にあんさんの思うてる通りですえ」
肯定するその声、その声音はさっきまでとは何処か違う。さっきまでの声には親しみやすさがあった。
だが今の声は違う。妖艶さ、それも何処か魔性を感じさせる音の響きがある。
「え、いつの間に?」
見浦堅はいつの間にか自分から離れていた防人の元締めの様子の変化に背筋がゾクリ、と凍り付くのを実感した。
その纏う雰囲気はまるで別人。
ぞく、とする色香とはこの事であろう。
ただゆっくりとした足取りで歩んでいく、それだけの事であるにも関わらず。
士華が、見浦堅が、そして禿頭の大男こと藤原新敷も。この場にいた誰もがその一挙手一投足を注目していた。
沈黙がほんの数秒間、場を支配する。
そして、
「貴様も【魔術師】だな」
その問いかけに。
「ええ、そういう類の者どす」
防人の元締めはあっさりと肯定するのであった。
「くく、これはこれは。こんな場所で魔術師に出会うとは思わなんだ」
「そうどすか? むしろこういう【霊的な聖地】なら居てもおかしくないとウチは思いますけど」
「確かに、この山は要地だ。だが、だからこそここに魔術師は来ぬさ。普通は、な」
「それは、確かにそうかも知れまへんなぁ。
こない力の強い土地やったらとっくの昔に、誰かかが陣地とか作ってもおかしゅうはありませんからな。
そう言えばウチとした事がそう言えばまだ名乗ってませんなぁ。
妙、と申します。京都防人の仕切りを任されているもの、と思うてくださいな。
──それであんさんは誰どす?」
その目は真っ直ぐ相手へ向けられる。
一切の嘘偽りをも見逃さない、とでも宣言するかの如くに。
「これはこれは失敬を。私の名は藤原新敷。
藤原一族の末席にいる者だ──」
「──は、どうも嘘が上手くありまへんなぁ。
そもさん、あんさんは藤原新敷とは違いますやろ?」
ぼそりとした声、だがその語気には確信めいたものがある。
「……ほう、何故そう思うのだ女?」
「そうですなぁ、まず簡単に言えばウチは藤原新敷とは面識がありますのや。
これは半分は表の商売柄の癖なんどすが、お客はんの顔、印象は一回来てもろうたら覚えるんどす。
その際のかの御仁と、そこにいるあんさんは姿は一緒でも【中身】は全くの別物ですなぁ。
あんお人も大概ろくでなしの外道だと思いましたが、あんさんからはそれとは比較にならへん程の悪臭がします。数多くの命を奪ってきた真性の【外法者】特有の臭い。こんなん漂わせはる畜生は一度見たら絶対間違えまへんわ。
だからもう一回聞きます、あんさんは誰どす?」
妙の語気からは静かなれど、明確な怒りが聞き取れる。
士華は妙のそんな様子を初めて目にした。
普段はまるで柳の如くにしなやかに、色んな物事を受け流し、客観的に決断するその姿からはおよそかけ離れた激情。
(そっか、僕はずっと勘違いしていたんだ)
ここに至り、士華は理解した。
妙は決して冷徹な人物等ではないのだ、と。
あの一見すると能面でも被っているかの如くな態度に淡々とした口調は彼女が意図してやっていたのだと今に至り理解した。
今まで彼女の事を冷めた相手だと思っていた事を恥じる。
実際、さっきの警告がなければ今頃は戦闘不能に陥っていたに違いないのだから。
とりあえずは傷は塞がった。血も止まった。なら、やる事は一つ。機会を待つ事だ。相手が決定的な隙を見せるのを。だから、
「ふぅ、────」
まずは呼吸を整えよう、と彼女は判断した。
「ふ、くく。くはははは。私が藤原新敷じゃない?
………………だったら何だと言うのだ?
お前たちが私を倒せるとでも思い込んでいるのならば実に愚かとしか言えないよ」
「あくまでもしらを切るんどすな。ほんなら──」
仕方ありまへんなぁ、と言った時である。
「む、」「えっ?」「何だよオイ」
突如として、地面が大きく揺れる。
禿頭の大男はもとより、士華も合わせて姿勢を大きく崩す。
妙はいち早く、自分から地面へと膝を付いていた為か、事態の急変にも冷静さを保ったまま。
「あんさんならこんな振動、問題あらしゃりまへん。今が出番どす」
その声に反応したのは、「うあおおおおお」と雄叫びにも似た声を上げる見浦堅である。
自分の手足の、それも先端のみ限定の重量変換。それはごく限定された範囲での重力操作でもある。
一歩、また一歩とバランスを崩さず、足を前へと進めていく。
彼以外の誰もが予期せぬ揺れに少なからず動揺を見せているその最中。
リーゼント頭の空手少年だけは平時の如く動いている。彼には発生中の地面の揺れも何の問題もない。
「さぁ、ど突いておくんなまし」
「うおおおおおおっっっっ」
ぎゅ、と拳を握りつつ、肉迫していく空手少年。
そして──跳躍からの渾身の力を込めた拳槌が相手の頭部へと放たれるのであった。




