訓練と実戦
「くはははは、はっは」
嬉々とした笑い声。
それに伴うのは銀色の輝きと、キイン、という剣戟の音。
士華が虎徹を振るうのに対し、禿頭の大男が振るうは白い刀である。
ただし、それは鉄で作られたものではなく、彼自身の骨そのもの。自身の腕そのものが一本の骨剣となり打ち返しているのだ。
どうやら相手は自身の骨を自在に操れるらしい。
士華の素早い動きや刀捌きに対してもきっちりと対応していく姿を見る限り、ついぞさっきくっついた身体は支障ないらしいし、相手がかなりの手練れであるのも間違いない。
「いいぞ、実にいい。収集家が気にかけるのも無理なからぬ事だ。お前は【熟し】かけている。ほんの少し、あと少しだけ後押しすれば【出来上がる】じゃないか」
「五月蝿いよ変態。黙って僕に斬られて死になよ」
両者は互いに切り結ぶ。幾度となく甲高い剣戟が鳴り響く中で、
「………………」
見浦堅はただ一人、呆然と立ち尽くす。
目の前にて繰り広げられる──その光景を前にして足が竦む。
対決の趨勢は士華の方が剣の腕は良いらしく、徐々に相手を押し始めている。
その刀の一刀一刀の都度、相手の肩が、脇腹が、脛へ刃先がかすめていき、血が飛び散っていく。
だが禿頭の大男の面ばせに焦りの色は伺えない。
自身の身体が刻まれていっているというのにも関わらず、むしろ喜色満面ですらある。
「ち、イかれてやがるぜ」
見浦堅は男の笑いを見て、心が泡立つのを実感していた。
実は彼はこの戦いが初めての実戦であった。
散々っぱら、言い含められたし、理解していたつもりであったのに。
(なんだよ、これ。これが実戦だってのかよ?)
数ヶ月、歩の指導の元で様々な訓練と共に戦いに際しての【心構え】を繰り返し教えられた。
──いいか、大事な事はどんな事態にあっても平静さを保つ事だ。出来るだけ精神的に動揺するな。動揺は付け入る隙に繋がる。場合によっちゃ、いざという時に足がすくんじまうからな。
ま、そんな事態なんざ滅多にあるもんじゃない。それにお前なら大丈夫。何せ俺の弟子一号だからな。
歩はそう幾度も教えてくれた。
その時はそんなモノか、程度にしか思っていなかった。
「うっっ」
これまで自分がいた場所が如何にマトモな場所であったのかを痛感していた。
横目に映る士華は、と言えば一切の心の波すら立っていないのか、鋭い目つき以外何も変わらない。
(何が俺とあんた、こんなに違いを生むっていうんだよ?)
今まさしく、彼は自分がこの場には相応しくないのだと痛感していた。
「くそ、……っっっ」
「あれあれ、どうしましたかえ? そないに景気の悪い顔しはって」
場に似つかわしくない何とも緊張感のない声音。
思わず振り向くと、そこにいるのは妙である。
相変わらずの着物姿は、どう見ても戦いには不向きとしか思えない。
「あんた早くここから逃げろ、あいつは異常だ」
「あれま、何をおっしゃりますかと思えば、……さてはあんさんこれが初めてどすなぁ。それは可哀想な事ですなぁ、でもな──」
「え?」
パシィン、とした音に軽い衝撃が空手少年の頬に走る。
思わず頬に手をやる。
ヒリヒリ、とした痛みよりも熱さを感じる。
「痛いですかえ?」
問いかけに思わず素直に頷く。
「あんさんはもう引き返せません。そういう世界に足を突っ込んだんどす。初めての戦いと相手があないなお方だったのは同情しますけども、気ぃはりなされ。でないとあんさんここで死にますよ?」
それだけ言うと防人の元締めは、すす、と前に出る。何の躊躇もない歩みだった。
「あんた、ムチャするなよ」
思わず前に出て遮る。
「邪魔しはりますのか?」
「う、っっ」
そういう防人の元締めの目からはぞっとする程の鋭利さが滲み、少年を射抜くかのようである。
彼女は明らかに自分よりも弱いであろう事は一目見た瞬間から分かっている。であれば今、あの二人の対決に割り込むのは自殺行為としか思えない。
なのに、彼女のその歩みには一切の躊躇もなく、堂々たるものである。
「あんさん、ウチが行っても邪魔にしかならへん、そう思うてはりますな?」
妙の言葉に見浦堅は思わず「うっ」と図星であった事を自ら肯定する反応を示す。
「ま、あんさんの推測はもっともどす。実際ウチがあの場にのこのこ割り込んでしもうたら、それこそあっちゅう間にこの命失ってしまいますわなぁ」
「なら何を、いや、何が出来るっていうんだあんたは。自分が足手まといだって分かってるなら、こんな所に来るなよ!!」
我を忘れて声を荒げる。
彼には理解出来ない、これ以上なく自分の事を理解、把握していると言うのに。何故死地へ赴く、赴けるというのか?
「ウチは別に戦ったりはしまへんよ。ただ【観る】だけどす。式だけやとどうにも敵さんの事が分かりまへんのでなぁ」
「観る、だと?」
「そうどす。戦うのは不得手でも、やれる事は幾らでもあります。あんさんならウチよりもよっぽど士華はんのお役に立てると思いますけどなぁ」
「そ、それは……」
実際その通りで、見浦堅には返す言葉もない。
「ウチにはウチにしか出来へん事があって、士華ちゃんには士華ちゃんの、あんさんにはあんさんにしか出来へん事がある。ただそれだけどす。だから、」
あんさんはまずは見ときなはれ、そう言葉をかけると妙はぴいぃ、と口笛を鳴らす。
すると、すぐに周囲に変化が起きた。
空からは無数の烏やら雀、鳶が飛来する。同時に猫やら犬、狸も何処からともなく姿を見せると、防人の長の周囲を取り囲むように集まる。
「うん──」
妙は、そうした様々な動物達を愛おしそうに見回すと、手から何か、小さなモノを彼らへと投げる。
それは丁度、鳩やら鯉に餌を与えるみたいな仕草。
動物達はその何かへと群がり、そして不意にそれぞれが動きを止める。
「みんな悪いなぁ、いつもならもっとちゃんとお願いするんやけど、…………」
すぅ、と大きく息を吐く。
妙の手足が良く見ると微かに、だが間違いなく震えている。
「遠巻きでええよ、あの戦いに……巻き込まれん距離から様子を見て…………欲しいんやわぁ」
その言葉の端々からは、苦しげな響きが聞き取れる。
一斉に動物達は妙から離れ、それぞれ動き出す。
「任せますなぁ」
そう言うと、妙の身体がふらつく。
思わず空手少年は相手の身体を支える。その身体は思っていた以上に軽く、そしてその顔色は青白く、病人だと言われれば誰もが納得した事であろう。
「オイあんた。相当無理してるんだろ?」
「そうかもしれまへんなぁ、何せ一度にあんだけ多くの動物達と【会話】した事なんかこれまでありやしまへんからなぁ」
「なら何で──」
そう言いかける少年の言葉を妙は手で遮る。
そしてふぅ、と一呼吸すると身体を起こし、目を閉じる。
「これがウチなりの戦い方。黙って見ておくれやす」
意識を自分から、そっちへと向けていく。
途端に、
妙の視野が一気に変化する。
その視点は上空およそ五〇メートルの高さ。すうう、とした視線移動はソレが空を羽ばたくのではなく、滑空しているからであろうか。
その視点は地面からほんの数センチ。普段であれば気にも留めない様な小石がソレからの視点からはまるで巨岩に思える。
まっ平らだと思っていた地面はかなりデコボコとしており、小さな身体はかなり揺れている。
他にも木から木へと飛び移る視線や地中から音を感知して周囲の気配を察したり、と多くの動物達による多くの物の見方が一変に妙の脳内で同時に再生されていく。それは小さな部屋に無数のモニターがあり、同時中継それらをたった一人で全て残らず見ているような感覚、とでも例えればいいだろうか。
何にせよ普段の数十、数百倍もの負荷が、手繰り手である妙に重くのしかかっていた。
「お、おい無理するな」
今にも倒れそうな様相を見せる妙に声をかけるも、彼女からの返答は一切ない。
恐らくは自分の事で精一杯なのだろう、そう見浦堅は判断した。
そうした状態がどの位続いただろうか。
一〇秒か二〇秒、その間位、或いはもっとかも知れない。
不意に妙は膝を屈する。
「オイ!」
見浦堅が駆け寄ると、閉じられていた妙の目はパチリと見開かれ、同時にその顔には無数の出血。
「無理するからこうなるんだよ」
と言いながら介抱しようとする見浦堅に対して、防人の元締めたる女性は今にも倒れそうな息遣いと青白い顔色で、「ちょっと……肩を貸しておく、んなまし」と言うのだった。
キィン、ガキン。
「はあっ」
士華は気合いに満ちた声音を発する。
幾たびもの剣戟を繰り返し、相手の動きを見切った士華の虎徹は相手を肩口から断つはずであった。
その一刀は間違いなく今日一番の一振りであり相手へ深手を負わせるはずの一撃だった。
だが、
ガ──キャン、
「んっっっ────」
その音と手応えは士華の思うモノではなかった。
彼女のイメージでは今の一刀で肩口から心臓をも断ち切る勢いのはず。
それが──相手の隆起した鎖骨らしきモノで止まっている。しかも、信じられない程の強度なのかその骨にはヒビ一つ入っていない。
「くく、残念だったなぁ」
喜色満面で歯を剥きながら禿頭の大男は反撃に転じる。両の手を骨剣へと変化。二刀流にて襲いかかる。ビュン、と風を切りつつ、相手へと襲いかかる。
骨剣の間合いは虎徹よりもおよそ二〇センチ短い。
実際には剣というよりは短刀、小太刀のようなモノであろうか。だが、小回りが利く分、虎徹の攻撃にも対処し易いのだろう。
キッッッン、一刀で攻撃をいなす。
そしてそのまま刀身を滑らせながら間合いを詰め──残った一刀で腹部を刺し貫こうと放つ。虎徹を手繰る為に両手を使っていた士華は完全に無防備で、その攻撃を躱すのは困難。
ザシュ、という肉を斬る音。
「く、う」
パッ、と鮮血が飛び散りながら少女の表情が微かに歪む。
士華のシャツは鮮血で染まっていく。腹部への直撃こそ躱したものの、至近距離過ぎて脇腹を抉ったのだ。
「よくよけたな。大したモノだ」
禿頭の大男は、満足そうな笑みを浮かべつつ、骨剣にこびりついた相手の血をペロ、と舐めとる。
「だが、──────────」
ブチッッッ。
その音は外から聞こえたモノではなかった。
それは内部の音。彼女の内部で何かが弾けた音。
メキメキ、何かが伸びる感覚。
それは彼女の体内をかき回し、突き破らんとする何かによりもたらされる過程。
男は笑う、愉悦交じりに。
「────もう終わりだよ」
「あ、ぐあっっっっっ」
ブシャ、
士華の身体が鮮血に染まっていく。
それはまるで一輪の花のように。




