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正気

 

 死屍累々、そう表現するのがこの場を何よりも正しく形容していた。

 その無造作に転がっている骸数々は、遠目から見ればまるで落ち葉の様にも見える。

 苔むした石段を赤い血潮が流れ、ポタポタ、としたその鮮やかな色彩の雫には奇妙な美しささえ漂い、残酷さよりも現実離れしている為なのか、むしろ幻想的ですらある。

 そうした惨状の中を一人の禿頭の大男は悠然とした足取りで歩いていく。


「くだらん…………この程度か?」


 吐き捨てながら、無人となった石段を登り終え、境内へと入る。

 先程、結界を破壊したので、さらなる異界へと繋がる順路も露出している。

 間違いなく標的はこの異界の先へいるはずである。


「この調子であれば目的を達するのもそう困難ではなさそうだな」


 そんな感想を漏らしつつ藤原新敷が境内を進み、更に山頂へと繋がる参道へ足を向けた時である。


「ほう、」

 禿頭の大男は目の前に立ちふさがる人影を認めると、足を止める。

 距離にしておよそ一〇メートル先、そこに見えるのは二人。

 一人はジャージにスニーカー。それからリーゼントが特徴的な少年。

 もう一人は白のタンクトップにホットパンツ。ピンク色の髪の小柄な少女。

 さっきまで屠ってきた防人やら退魔師、この山の守護者達と比すれば如何にもこの地には似つかわしくない若者二人。

「君達は誰だ? 名乗ってもらおう」

 敢えて尋ねたのは二人からひしひしと感じた為。この小僧に小娘がさっきまでの有象無象とまるで違うからである。


「あんたこそ誰だ。他人に名前を聞くならその前に自分から名乗るのが筋ってものだろ?」

 見浦堅の返答は至極当然。もっとも相手のここに至るまでの所業を目の当たりにし、自分から名乗る気には到底なれない。

「なぁ、あんたに聞きたい事があるんだけど」

「……何だ?」

「あんたにとってここに来るまでに戦った連中ってのはどういった存在なんだ?」

 見浦堅の目が細められる。彼は事の一部始終を目にした訳ではない。あくまでも現状の光景しか知らない。

 だがそれでも分かる事はある。

 ここに至るまでの死屍累々とした光景を見れば事実は明らかであろう。

 一方的な殺戮がこの場で引き起こされた。

 あまりにも互いの実力差が開いた結果、まともな戦闘など一切なかったに違いない。

 五体満足な骸は一体とて見受けられない。どれもが無残に四肢を損壊され、臓腑がばらまかれている。

 おぞまし過ぎて逆に現実とは思えない光景。それが見浦堅と士華の眼下に広がっていた。


「はは、何を聞くのかと思えば。ここに転がっているのは単なるゴミ。邪魔をしようなど思わなければもう少しまともな死に様だったろうにな」

 ははは、と男は笑う。

「なん、だと?」

 見浦堅はその言葉に怒りを抱く。

 相手の言葉には一切の嘘はなく、その笑いは本物だ、と理解したからである。


「僕はあんたの名前なんてどうだっていいよ」


 士華はようやく口を開く。

 そして心底からの蔑視を込めた視線を向ける。

 ピンク色の髪をした少女は隠し切れない怒りをその表情から滲ませていた。

 眼下に見えるその惨状は彼女にとって自身の過去のそれを強く想起させる。

 自分達が暮らしていたあの故郷。

 火に包まれ、全ての住民が死に絶えたあの風景。

 まだ幼くて、何も知らなかった彼女。

 家族が、その命を賭してたった一人の末娘であった士華を集落に伝わる″虎徹″をはじめとして託して逃がした。


 彼女は自分の無力さを噛み締めた。

 結果として直後に虎徹の担い手に至った彼女ではあったが、まだその精神はあまりにも幼く、身体もまだ未熟だった。

 仇を彼女は打てなかった。


 全てを失った、あの殺戮の日。

 目の前に映るそれは何処かその光景に似ている、だから。

 彼女は思い出していた。

 未熟だった自分の、いや、自分が為すべき目的を。


「僕はただ──あんたを叩き斬る。それだけだよ」


 ズブリ、と音を立てながら。

 己が胸部へ手をめり込ませ──手にしたその力の源を取り出す。

 ビッ、と指を歯で噛み締め、血を刀身へ。

 途端、銀色の刃物には無数の紋様、いや血管のようなモノが浮き出る。

 それはドクン、ドクンと脈動。生きている証左を示す。

 その様を、

「ほおおお、それが【収集家コレクター】が執着している古刀かね……面白い。そして実に美しい」

 男は口元を大きく歪め、心底嬉しそうに眺める。

 その目に写るのはただその刀、そしてそれを手にする少女の姿のみ。

 そしてそれを彼は見逃さない。

「おっさん、隙だらけだぜっっっっっ」

 気合いに満ちた声音を上げ──見浦堅は段上から跳躍。

 その勢いはまるで弾丸の如く、素早く、鋭い。そのまま右飛び蹴りを見舞う。

「むっっ」

 禿頭の大男はとっさにその蹴りを腕で受けたものの、メキメキ、とした自身の腕の骨が砕ける感覚を理解、「ぐぬう」と呻きながら後ろへと飛び退く。


「ち、浅かったか」

 見浦堅は手応えの無さを感じ取っていた。

 零二との対決から彼は歩の元で本格的に訓練を重ねた。その結果として、最初は上手く手繰れなかった自身のイレギュラーを、今や完全に使いこなしている。

 結果として、彼は自身の手足限定ではあるが瞬間的に重量変換出来る様になった。

 具体的にいえば、さっきの跳躍の際は左足を軽量化。蹴り足である右足は衝突の瞬間重量化させた。

 大まかには重力操作の一種らしいのだが、本人はそんな大層なモノとは思わない。単にケンカする時に便利な能力でしかない。だからこそ名付けた。

「どうだよ俺の【インパクトブロー】はさ、骨身に染みるだろ?

 甘く見てると全身の骨が砕けちまうぜ」

 不敵な笑みを浮かべつつ、鼻を弾いてみせる。

 単純にして明快なその名称、だが本人は至極気に入っている。

 禿頭の大男もまた、笑いながら、「そのようだな。面白い」と言葉を返す。


「あっそ、じゃあ面白いとか何とか────」

 声自体がまるで刀剣の様な鋭さだと大男は思う。

 その声は藤原新敷のすぐ側から。

 いつの間にか少女が間合いを詰めていた。

「────言えなくしてあげるよ」

 その手にした虎徹の銀閃が──風を切りつつ向かって来る。その刃先は驚く程に美しく輝き、煌めいており、自身が狙われているにも関わらず見とれ、身に受けた。


 ざ、しゅ。


「え、あ?」


 何とも気の抜けた声をあげ、その胴はあっさりと断ち切られる。

 禿頭の大男、藤原新敷の上半身はボトリ、とまるで冗談みたいにあっさりと地面へと落ちる。


「…………」

 チン、とした音は刀を鞘へ収める音。

 士華は確かな手応えをその手に感じていた。


「本当にすげえな、その刀もあんたも」

 心底から感服した声音をあげつつ、見浦堅は士華へと駆け寄る。

 自分のイレギュラーの操作にも手応えはあったが、それ以上に士華の動き出し、それから一刀の鋭さを目の当たりとし、背筋がヒリヒリとしたのだ。

「昨日と今朝の手合わせを零二のヤツがお遊びみたいなもんだとか言ってたのもよく分かるぜ」

 すっげーな、と無邪気に笑うリーゼント頭の空手少年は確かに強くなった。

 だが彼には欠けているモノがある。

 それは、純粋な経験値。

 ただしその経験とは、路上でのケンカのではなく、殺し合いの経験値。

 路上でも死者が出る事は確かにあるだろう。ただし、それは結果論に過ぎない。

 路上でのガキ同士のケンカが過激化、過熱した結果として死んでしまう事は有り得る事だ。

 しかしそれは、殺し合いとは程遠い──児戯。

 最初から最後まで徹頭徹尾、互いを斃す、つまりは殺す事にのみ意識を傾ける。そういった経験が空手少年には欠けていたのだし、…………そもそも想像も付かなかった。



「え?」

 思わず口を付いたのは間抜けとも思える息の抜けた言葉。

 気付くと目の前には禿頭の大男がいた。

 それが拳を握りつつ、振りかぶるのが見える。

 それは、本来ならば見浦堅にとって容易く躱せるはずの攻撃。だが彼の身体は硬直したかの如くに動けない。何故なら、彼は全身に感じていた。己へと向けられる殺意を。

「うごっ」

 拳がその顔面を打ち抜き、よろめく。


「くそ。化け物かよ、アイツ」

 身体を仰け反らせながら、改めて相手の姿を確認してしまうのも致し方ない。何故ならその光景は異常であるから。


「痛かったよ、実に痛かったなぁ」


 そういう言葉とは裏腹に、声音からは苦痛を感じさせる響きは全く聞き取れない。

 身体を断たれた禿頭の大男は──上半身だけが宙に浮いたまま殴り付けてきたのだ。

 いや、正確には違う。


 その背骨が異様なまでに太く変質。まるで支柱の様にがっちりと地面に突き立っていて、それが身体を支えているらしい。

 その姿は明らかに異様で、そして怖気を誘う。


「う、気持ち悪っ」

 見浦堅は本当に気分を害したらしい。

 勿論、殴られた事以上にその光景の異常さに。


 だが当の本人と言えば、「しかしこのままじゃいちいち面倒だ」と、まるで他人事のようにそう言葉を発する。

 するとウゾウゾ、と断たれた上半身から何やら無数の管が伸び始める。それは地面を這いずり、だが明らかに意図を持った動きで向かう先にあるは、残されていた下半身。そして同様の管がそちらからも伸び出して────。


 グジュウジュ。


 耳にするのもおぞましい薄気味の悪い音。

 管同士が結び付く、いや癒着していき、断たれた身体同士が引き合うとまるで何事もなかったかの如く繋がっていく。

 見浦堅は胃液が逆流したような気分に陥り、思わず口元を押さえる。

「気持ち悪ぃ」

「そうだね、君はどうするんだい? 僕はこの場で戦うけども」

 見浦堅は思わずビクッ、と震えた。

 士華の声音には一切の動揺もない。

 日頃、誰よりも明るく、ポジティブな言動しか言わないし実行しないはずのピンク色の髪をした少女から漂う気配に。

 それはとてつもなく深く、そして剣呑な気配。

 単なる戦意だとか、殺意だとすら言えぬ様な深く、暗い気配。

 小動物がこの気配に当てられたら、それだけでショック死するのではなかろうか? という雰囲気を纏い、発散する士華の姿に。


「く、ははは」

 男は笑う。実に愉快に満足げに笑う。

 彼がこの場に来た理由ではないものの、今自身が対峙している少女は間違いなく本物である。

「いい殺意だ。まさしく君は真性の【殺人鬼】だよ」

 喜色満面に禿頭の男は大笑している。

「あっそ、じゃあそろそろ死んでくれるかい?」

 士華の眼光が鋭く細められる。

 虎徹をいつでも抜き放てるように構え──ジリジリ、と間合いを詰めていき……動き出す。

「ハアアアアアアアアア」

 そして、気合いに満ちた声音と共にその手にした刀を抜き放ち、────飛び込んでいった。



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