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二日目part3 春日歩という男

 

「はぁ、やれやれだな」

 そう愚痴をこぼしながら男は寝入ろうと試みる。

 数時間前、彼はその全身を血塗れにしていた。

 常人ならば確実に失血死、マイノリティであってもかなり危険だと言える基準の血を流出させた。

 それでもこうして生きていられるのは、彼のイレギュラーが血液操作能力ブラッドコントロールを基調にしているからであろう。流れ落ちた自身の命の欠片を、即座に再吸収したのだから。

「う、ん」

 だがいくら失血死は免れたとは言えど、彼の精神的な疲労感まではどうにも出来ない。月並みな話、常人同様に少しでも休息するのが一番である。

 目を閉じ、何も考えないように心掛けながら、少しでも休息しようと試みる。

 そうしてどの位の時間が経過した事だろうか。

「……ダメか、」

 ハァ、という溜め息をつく。

 締め切った室内には光は一切なく、ここは日常の喧噪とは無縁。霊山、聖地にして結界の要たる比叡山のさらに奥、隔絶された場所。ここであれば或いは、という考えはどうやら相当に見積もりが甘かったらしい。

 バサリ、と薄い掛布団を外して起き上がる。

 のそり、と静かに、ゆっくりとした足取りなのは真っ暗で足元が不確かだからではない。

 彼は夜目が利く、だからこの室内も大体は把握している。



 理由は至極単純で、今の彼には余裕がないから、である。

 ズキズキ、とした鈍痛が頭に走る。これも単なる頭痛ではなく、他人の精神に、記憶に入った事に対する副作用。それも相手の精神なかに何者かの介在の痕跡がハッキリとある中での侵入なのだから。

 彼には他者の精神への直接的な介入は不可能だ。

 あくまでも、血を媒介として対象の記憶、精神状態を知るのが精一杯。

 では何故、ただでさえ自分へのリスクが高い侵入を、しかも確実に何らかの″防壁″が張られている事が予測される少年へ侵入を試みたのか?





 理由は二つある。


 一つは妙と同様、歩もまた零二の後見人である加藤秀二とは以前からの知己である。ただし、妙よりも彼とあの初老の後見人との関係は深い。

 歩は加藤秀二には多大なる恩義を感じていた。

 だからこそ、その恩人からの頼みを断る事など最初から選択肢に入っていなかった。


 二つ目は、妙からの現状報告から相手である藤原右京、今や牛頭天皇の化身であり、自身を悪意の主と呼称する存在を打破するには零二のイレギュラーが必要であったから、である。

 彼は零二のイレギュラーを知っていた。

 彼が手繰る、その焔を知っていた。

 だから、零二が如何に危険な力を秘めているのかを彼は知っていたし、それを遅かれ早かれそうなったには違いなかったとは言え、今であるべきかを考える事にした。


 そこで後見人からの連絡後、彼はすぐにWGに事態の把握を依頼した。

 京都に拠点はなくとも流石に組織力は伊達ではなく結果、あの存在はきわめて危険である、という結論が出たらしい。だが、WGは京都には介入出来ない。

 理由は防人と退魔師達がそれを頑なに拒絶したから、らしい。

「そんなんアホくさいと思われますやろ?

 ですけど、京都ここは古いしきたりがあまりにも幅を利かせてしまってましてなぁ、……ちょっとやそっとじゃ変わらないんですえ」

 血塗れの身体を手拭いで拭きながら、妙は問う。

「どうなんですかね、俺にはよく分かりません」


 それは本音だった。

 基本的に己のみを頼りとしてきた歩にとって、そうした組織のしがらみは正直分からない。

 一応彼もまたWGに所属はしているが、彼に特定の支部はない。上司もいるが、指示は大まかにしかない。

 基本的には自由に活動、ただし報告はこまめに。

 それが春日歩、という男のWGでの活動。

 WGにも最初は協力するつもりはなかったが、結果的にこうなった。


「でもあんさんがこんな無茶をしはるのは、あの子の為ですかえ?」

「さて、何の事でしょうかね」

 ちらりと、横目で妙を見る。

 彼女が敵ではないのは分かってはいた、だが、どうしても身構えてしまう。彼女の言葉の端々からは、こちらを探っているのが明白であったからだ。

 確かに敵対関係ではない。

 だが、油断禁物。

 この世界はいつ誰が敵味方になってもおかしくないのだから。


「もう充分です、少し休ませてもらいますので」

 そう言いつつ、立ち上がる。

 全身の血管がビチブチ、と千切れる様な違和感。

 思っていた以上にダメージは深かったらしい事を今更ながらに実感した。


 部屋を後にする前に零二を一目見ると、苦しげな表情と寝息が確認出来た。

 その様子からあの少年が恐らくは今も悪夢の中にいるであろう事が容易に想像が付く。

 そう、歩には相手の精神への介入は出来ない。

 あくまでも対象者の記憶を第三者として観る、ただそれだけだ。

 あの悪夢の元凶であろう、無数の記憶の断片はあくまでも零二本人が見ていた夢の欠片。

 本来ならば他人がおいそれと覗いてよいものではない。


「悪いな」


 去り際にそう呟くと、彼は部屋を後にした。



 歩は既に決意を固めていた。

 比叡山へ行く、と決めた時から零二の中にある焔を解放するのだと。

 危険性は高い。下手を打てばあの焔は暴走、周囲全てを飲み込み、灼き尽くすだろう。無論、その場にいるであろう歩も同様に。


「打てる手は全て打っとかなきゃな。後悔だけはしねぇようにさ」


 一人、歩きながら歩は呟く。

 分厚い雲の合間から月は朧気な姿を見せていた。

 その微かな光は希望なのか、それとも最後の輝きなのか。





 ガララ。襖は何の引っかかりもなく綺麗に開く。観光地でもあり、大勢の人が出入りする場所なら当然の事だと言える。

 だが、ここはそうした一般向けの場所ではない。

 比叡山の表向きには存在しないとある寺。

 それが今、零二や士華、それから歩が滞在している場所である。

 ここは比叡山という霊的な要地にあって更にその要たる場所、敢えて言うなら聖地の中に隠された異界といった場所であった。


「けっきょく、眠れなかったな…………うっ、」

 思わず手を引っ込める。

 桶に入っていた水は一緒に入っていた氷でよく冷えていた。

 よく見ると桶の側には手拭いが置かれている。きちんと綺麗に畳まれている事から、細やかな気遣い、恐らくは女性、であれば防人の長たるあの妙が用意したのであろうか。

 ぱしゃ、と音を立てて手拭いを冷水に浸す。そしてそれで顔を拭う。

「う、ああ」

 直接触れるには正直辛かった水もこうして浸した上でなら、かなり心地いい。

 肌に程よく刺激があり、そのおかげで今ひとつだった目覚めから気分を一新させてくれるのが分かる。


「さて、一応感謝しておくよ……有り難う」

 ようやく一心地付けた歩は、そこでようやく声をかける。相手は庭先に置かれていた岩の頂点にいた一羽の雀。一見すると何の変哲もない普通のソレであったが、「あら、よう分かりましたな」その小鳥からは出た音は囀りではなく、ハッキリとした人の声。それも間違いなく妙、の声音である。


「確かに見た目は完璧だったさ、そこいらにいる他の雀とね。だけど明らかに一羽だけ微動だにせずこちらを見ていた。これ見よがしにね」

「恐れ入りましたなぁ、念の為に式を放っていたんどすがこうもあっさり見破られたんは久し振りですえ」

「心配はいらないですよ、俺も覚悟があるからここまで来た。今更アイツをほっぽり出しはしない。

 丁度いい、お願いしても?」

「どうぞ、ウチに出来る事なら何なりと」

「俺は今から少し準備をします、それが終わり次第、武藤零二をここに呼んで下さい。……今日中に何とかしますから」

「……………………」

 その言伝に妙はしばしの間を置いた。

 そして、「いい目をしてはりますなぁ、……もう決めたんどすな?」

 歩は「ええ」と答える。短いながらも、迷いや躊躇など微塵も感じさせない返答を受け、妙は「分かりました、軽食は隣の部屋に置いてますのでそれを口にしてくれなはれ」とだけ言う。

 途端に場から防人の元締めの気配が消え、その場にはぱたぱた、と飛び上がる雀と歩だけが残される。


「さって、やるか」


 そう口にした青年の翠色の目には穏やかながらも、決意の色が滲んでいた。

 彼には自分がどうすべきなのか、その絵図が明確に浮かんでいた。



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