二日目part1
「う、ン……ああ」
軽く呻くような声をあげつつ、少年は目を覚ます。
何故かは分からない。
その朝は心なしか、数年ぶりに気分にいい目覚めだった。もっとも、そうした気分とは裏腹に空模様の方は相変わらずのどんよりとしたモノなのであったが。
低血圧というのではないのだが、いつもであれば少年の目覚めはお世辞にも良いとは言えず、実家でも、仮住まいのマンションの一室やバーの仮眠室でも彼は実に不機嫌な様子を見せていたのである。
もっとも、そんな事は彼を知っている者であれば特段気にするような事でもない。
武藤の家の家人は皆しっていたし、バーのマスターである新藤も知っている。あとなし崩し的に同居人となった神宮寺巫女だって知っているし、士華や真名も知っている事なのだ。
「う、ン。あー、すっきりしたなぁ」
軽く伸びをしながら、身体の調子を確認する。
そして寝る前に何が起きたのかを思い返してみる。
すると思い出されるのは、昨晩の光景。
どうにも気分が優れずに森の中を散歩していた時。
そこであの男に出会ったのだ。
誰かは知らないが、軽薄そうな男だった。
だが、そんな奴に自分が負けた。
刺客の類ではなかったのだけはこうして朝を迎えた事からも明らかであったが、どうにも分からない。
(敵じゃねェのなら、アイツは一体誰だ?)
そんな事を思いつつ、気分転換を兼ねて軽く顔を洗って、歯を磨く。
そうしている内に、そう言えば自分が昨晩から身体を洗っていなかった事を思い出す。
「流石にちょい、と臭うよな」
そう思いながらクンクン、と自分の汗臭さに思わずウッ、となる。
一旦、寝室に戻って着替えの下着を手にする。
それから身体を洗うべく脱衣所に足を運ぶ。
(どうにも気になるぜアイツ。何だか知らねェケドよ)
そんな事を思いながら、無造作に来ていたシャツ等を脱いでいた時であった。
「あー、汗だくで気持ち悪い。シャワーだシャワー♪」
と鼻歌混じりでガラガラ、と脱衣所に入って来た少女が一人。
ばさり、と豪快にシャツを脱ぎながらその場へ入ると。
「あ、武藤零二だ。おはおは」
「ああシカ、おはようさン」
あまりにも普通に入ってきて、普通に挨拶してきたので零二も同様に言葉を返して…………何かに気付く。
あれ、今オレ何してたっけ? そうだよ、汗臭いからシャワーでも浴びようと思ってだな、それで脱衣所で、だ。
はた、と思う。
それで今、オレって何をしておられましたっけ?
「はうあっっっっ」
瞬間、彼は固まった。
そう、自分はシャツを脱ぎ、パンツを下ろしていた所である。
そこで自分がすっぽんぽんになっている事に考え至って、「うっっわあああああ」と大声で叫んだ。
「な、な、な、何してンだよシカッッッ」
「何って、そんなのシャワーに決まってんじゃん」
「う、う、それはわかった、分かったケドも……何でアンタはそンなに堂々としてるのさっっっ」
零士は今にも泣き出しそうな声を上げていた。
そう、零士だけではない。
ここには今、ピンク色の髪をした少女もまたいた。
しかも彼女もまた上半身が露わになってる。すぐに目を背けて背を翻したから見えたのは一瞬、そうほんの一瞬である。
だけどその一瞬でウブな少年の耐久力は完全崩壊。
「あ、あのさ。とりあえず服着てよね」
何だか言葉が弱々しい。今にも消え入りそう。
「あれあれー、もしかして武藤零二。僕に欲情かい?
でもさ問題ないよ。僕はちっとも気にしてないから」
なのに士華の方と言えば実に堂々たるモノ。
大きさこそそれ程ではないが、程よく引き締まって、それでいて丸みを帯びたその躰は一瞬であったとは言え彼女が異性である事を零二に意識させ…………。
「は、あはっは」
そして彼は頭が真っ白になった。
「あ、あれ? どうしたのさ武藤零二?」
訝しそうに歩み寄る異性の足音。
零二の中でナニカがみるみる湧き上がり--、
「きゃあああああ」
唐突に立ち上がるや否や、寄声を発しながらその場から逃げ去っていく。
「あ、あれ? あちゃーー、どうも悪い事しちゃったかなぁ」
逃げ出した年下の少年の姿を見つめながら、流石に士華も自分がどうもやり過ぎたらしい事を悟った。
士華は生来そうした事に無頓着だった。
彼女の育った故郷はそうした異性との付き合いにおおらかな場所で、しかも彼女の場合は同年代の他の子たちとは違って日頃から野山を駆け巡っていた事もあってかさながら野生児。
真名と出会い、こうして一般社会に出てから自分がかなり特殊らしいとは知ったのだが、長年の習慣からかどうにも行動パターンがなかなか治らない。
零二の反応からどうやら彼が戸惑っているらしい、とは何となく察してはいたものの、ここまでとはついぞ今まで思わなかった。
「まぁ考えても仕方ない。とりあえずシャワーを浴びるかな」
はは、と苦笑しつつも、だが、豪快に全部脱ぎ払うとずかずかとした足取りと共に浴室へ足を踏み込むのであった。
細かい事は気にしない。気にしても仕方無い事はイチイチ考え込まない。
そう、士華はそういう少女なのであった。
しばらくして、
「あ、ああーーー。結局シャワー行けなかったなぁ」
脱衣所から全力で、それはもう一目散に逃げ出した零二はここに来てようやく我に返った。
ここに来るまで自分が素っ裸であった事すら忘れて無我夢中で走ってここまで来た。
その事に気付き慌てて服を着た訳だが、誰にも会わなかったのは不幸中の幸い、であっただろうか。
「あー、みっともねェなぁオレ」
溜め息を付きながら髪をクシャ、と潰す。
我ながら過剰反応だったかも、とも思う。
「だとしても、絶対シカにも問題はあっけどな」
改めてハァ、とした溜め息を一度する。
零二は自覚していた。
あの場を離れなければいけなかった。
じゃなきゃ何かが壊れるような気がした。
自分がこうなったのはいつからだろうか?
思えば自分はいつからこんなに異性を意識するようになったのかが思い出せない。
だが、自分が思えている限りで少なくともあの″白い箱庭″にいた頃。あの頃はそこまで異性に対して構えるような事はなかったと思う。
あそこは最悪な場所であり、実験体としてそこにいた自分達は言うなれば実験の時以外は放置されていた。そういうことで好き勝手にやってた奴も大勢いた。
02であった少年とは違って、外の世界でこれまで生きて来た奴らは何かの拍子で簡単に狂っていく。
そうした中にはいわゆる肉欲に溺れる奴も結構いた。
02には正直何がしたいのか分からなかった。
図書室にあった色んな書物を読んでいく内に性的な衝動、という存在も彼は知ったのだが、別に何とも思わなかった。彼は誰よりも知っていたのだ。
(どうせここで子供が出来てもソレはまた新しい実験動物になるだけ)
そう、知っていた。誰よりも長くその場所にいたのだから。
そんな自身がいつの頃からか異性を意識し始めた。
心の中でバカにさえしていたのに。
どうしてだろう?
「あー、…………分っかンね」
考えても仕方ない、そう思った少年は廊下で大の字となって眠る事にした。
分からない事は、分かるまでそっとしておこう。そう思って。
それから零二は数分後には起こされた。
ついさっきまで士華と手合わせをして汗だくになった見浦堅が今度は零二と手合わせをしたい、とそう言ったからだ。さっきの事もあってモヤモヤした何かを発散するには丁度いい、そう判断した零二は快くその申し出を引き受ける事にした。
二日目の朝はこうして始まる。
零二にとって己との対峙はもうすぐそこまで迫っていた。




