実験体02の記憶part1
「う、あっ…………」
零二が目を覚ます。明るくて天井があったことから恐らくは室内。
(ありゃ夢だったのか?)
そんな事を思いつつ、ゆっくりと上半身を起こして周囲を見回してみる。
どうやらここは彼と士華が世話になっている宿坊らしい。
シャツはボロボロになっており、大まかに泥ははらった模様だが汚れている。
間違いなくさっきのボロ負けは現実だったらしい。
零二は悔しさが募るのを実感する。
明らかに手抜きされた上の敗北、言い訳の仕様もない。
怪我、と言ってもあちらから殴打はほぼなく、転がされ、ぶつけられた際に負った擦り傷などは既に完治したらしい。つまりは、見た目だけボロボロなだけで五体満足であった。
そんな自分の様子に零二は、と言えば。
「へっ、なっさけねェよな。だけど、しゃあねェ。負けちまったモンは今更もうどうしようもないよなぁ」
実にあっけらかんとしたものであった。
ここで暴れても仕方がない。そうあっさりと割り切れるのは彼の過酷な人生経験の賜物なのか、それともそもそも元来そういう性質なのか。
短期で激高しやすい不良少年は存外怒りを引きずらない。というより単にいちいち敗北の度に激しく落ち込んでいてはキリがないからでもある。
何せ、散々っぱら自分の後見人を自称する老人に負け続けているのだ。それに比べたら、あの春日歩とかいういけ好かない男から喫した一度の敗北の事など些事でしかない。
「う、ねみぃ……」
どうにも
それに、
『いいか、勝負ってのは最後に生きてたもんの勝ちなんだ』
その言葉が彼の根底には根付いていたのだから。
生きてさえいれば、そうすればいつかは勝てるかも知れないのだ。
「何で今更思い出したンだろ? ま、いいや。とにかく眠い……ぜ」
零二は猛烈な睡魔に抗えずそのまま眠りに就く。
懐かしい言葉を思い出したからであろうか、少しだけ嬉しい気分で静かに寝入った。
◆◆◆
「やぁ今日もよろしくな」
爽やかな笑顔と声音。
いつもと同じ、この最低な場所には不釣り合いな明るさだ。
それはあの白い箱庭で当時は″02″と呼ばれていた焔を手繰りし少年がもっとも心を開いていたあの人の口癖。
自分よりも三つ年上の彼は呼称ナンバー″09″と呼ばれた。
彼は線の細い優しげで、物憂げな表情をよくしていた。
ただ02とは大きく違うのは彼には元々、外の世界で生きてきた事であろう。
産まれた直後からあの研究施設へ送られ、そしてそのままそこで生きてきた少年とは違い、彼には″名前″があったのだ。
「なぁなぁ兄ちゃん、今日も頼むよ」
無邪気に笑いながら、声をかけるのは02という幼さを残した少年。
彼はこの自分よりも年上の少年を慕っていた。
彼は自分よりも強かった。
これまで幾度かイレギュラーを用いた実験でそれは認識した。
物心ついた時から誰よりも強かった少年にとって自分よりも強い相手は好奇心の対象となった。
09は穏やかで優しい性格で、何よりも物知りだった。
本でしか知らない、外の世界について色んな事を09は教えてくれた。
普段から暇な時には図書室の本を読んでいた少年にとって本の中でしか知らなかった世界の話は実に魅力的。
閉じられた箱庭しか知らない少年はその話を聞くのがとても楽しみであった。
一方で09にとってこの施設は本当に酷い場所だった。
非人道的な実験の日々によって、子ども達はまるでモノ扱い。何処からか続々と集められて、そうして使い潰されていく。
研究施設の研究者達にとって、子ども達は消耗品。
世界中からあらゆるツテやコネクションを経て集められた少年少女達。
かき集められた彼等にはある共通点がある。
それは全員がいずれも例外なく、イレギュラーを扱える、という点である。
「ヒドい」
思わず口をつく言葉。
本来の名前を奪われ、今や09となった彼がこの研究施設で初めて口にした言葉。
彼の眼前で繰り広げられたのは、残酷過ぎる光景であった。
透明のガラス越しに見えるのは戦いの光景。
これは恐らくは一対一の、云わば決闘であろうか。
いや、違う。
よく見れば一対一ではない。
確かに現状でこそそうした状況になってはいる。
しかし彼から見て奥にいるその少年。
不敵な笑みを浮かべているのが分かる。
その全身からはゆらゆら、としたもやのような物が漂っており、恐らくは炎熱系のイレギュラーを扱うのだろうと判断した。
半包囲したような形跡があった。
だが、今。
場にいるのはたったの二人のみ。
なら何故半包囲した、と判断出来たのか?
簡単な話だ、そこに残っていたから。
ダレかがいたその残りかす--燃えカスが。
間違いなくそこで誰かが燃やされたのだろう。
少し系統は違えども彼には分かる。
「よく見ておくといい09。アレがこれから君が関わる事になるこの施設最高機密の実験体……02だよ」
彼をここに呼び寄せた研究者が口元を歪ませた。
そして決着はすぐに着いた。
一撃で、相手は他の誰かと同様の末路を辿る。
圧倒的な炎、いやあれはもう単なる殺戮でしかなかった。
「目にしただろう? アレは実に有望な存在なのだが、肝心の実験が一向に進展しないのだよ。
理由は単純だ、アレに拮抗出来る力を持った実験体がいないからだ」
研究者は嬉しげに言う。
自分の作品を余程自慢したいのだろう。
「イレギュラーの進化、という観点からもっとも効率的なのは窮地を味わう事。強い刺激を与えるのが良いのだがね、見ての通り上手くいかないのだよ」
得意気ですらある。
あんな子供を殺し合わせて何がそんなに嬉しいのか?
心底軽蔑したくなるのを抑え込む。
そう、簡単な事だ。
彼がその気になりさえすれば、横でベラベラと休む事なく喋り続ける不快感を抱かせる男などまばたきする時間で命を断てる。
そう、彼なら可能だ。
あの焔を手繰る幼さを残した年下の子供。
確かに彼のイレギュラーは強力なモノだが、それでも彼には問題無い。強いのは確かだが、それは多分に能力頼みであって素の強さはまだ年相応。戦えば間違いなく勝てる。
その気なら出来る。
このような研究施設を壊滅させる事だってきっと可能なのだろう。
だが彼はそれをしなかった。
それは彼がここに来た理由でもあり、そして鎖でもある。
後に02は色々な事をこの年上の少年から聞くのだが、ついぞ何故彼がこんな場所に来たのかについては、知る事は叶わなかった。
「初めまして、今日からここで世話になる事になった○◇@&だ。よろしく」
場に似つかわない笑顔を浮かべた年上の少年。
名前と、その声音を聞かなければ、少年と思えないような優男。それが彼だった。
(何かめンどくさいニイチャンだなぁ)
02は彼と対面した際、素直にそう思った。
年上の少年はまだここに来て間もないのだろう。
服装は自分を含めたここの実験体の着ている水色の上下ではなく、外の世界での私服らしい。
育ちがいい、とでも言えばいいのかは外を知らないから断言は出来ない。ただ、自分や周りにいる実験体達とは明らかに何かが違って見える。
上品そうで、とても争いを好みそうに見えない。
だから、
正直この場所には不釣り合い。
それが子供ながらこの施設の最古参にして、最強の怪物であった焔遣いの第一印象。
09と命名された彼と02と縁はこうして始まった。
02は知らない。
この09なる少年が自分にとって多大な影響を及ぼす事になるとは考え及びもしない。
そして09も知らない。
この年下のあどけなささえ残す彼との出会いが自分の人生を決定的に関わる事になるだとは。
そう、二人は知らない。
互いにとって互いの存在がどれほどの影響をもたらすのかを。
お互いのイレギュラーがどれほどに強大で、そしてある点に置いて類似したものであったのかを知れば。
そう、この出会いは仕組まれたモノ。
そしてこの後待ち受ける悲劇的な出来事へと続くキッカケであった。




