幕間--とある暗躍者達
京都の街が染まっていく。
闇に包まれ、いや、正確には漆黒とは違う。
それは灰色。
白でも黒でもない。
光を遮り、さりとて闇に包むでもない。
その中間、中庸、半端、色々な言い方はあろう。
そうした空の色を満足そうに眺める男がいた。
とある山頂。
ここはかつて神社があった場所。
だが、信仰は時代の変遷を受けて廃れ、やがて人々の記憶から抹消された場所。
男はそうした場所を根城としていた。
何故ならば都合がいいから。
己が存在を隠匿するのにこれほどに都合よく利用出来る場所もそうそうない。
そもそも神社仏閣という建物が建立されるのには理由がある。
それは、その地が周辺の人々から何らかの信仰を受けていたからである。
それは例えば神が住まう場所、と目されていたり、はたまた鬼の住処であったり等、その由来は様々だ。
そしてこうした場所には共通項がある。
その場所自体に何らかの力がある、という事。つまりは″地脈″の通り道であったり、またはそうした力に近い異界との出入り口であったり、そしてこの場に於いて何らかの悲劇が起きた、等だ。
中でも男が好むのは三つ目、つまりは何らかの悲劇に起因しているの場所である。
そうした場所は本来であれば大した力を持たない地脈、または霊脈としては痩せた場所である。
そこに後天的に土地に力が宿るのはつまりは、そこには人の情念が宿っている事の証である。
愛憎、肉欲、言い方は様々であろうがそういう云われのある場所を男は好んで住処とする。
ここはかつては、周辺を支配した豪族の館があった場所。そして自身の治世に抗ったものを始末した場所、つまりは古来の処刑場である。
そういう云われの場所でありながら、こうして廃れたのは単純に豪族の権威が失墜していったからである。
周辺住人はよそへと移り住み、ここには無数の怨念だけが残されている。
そうした情念を調べるのが男の云わば、ライフワークである。
懐中時計に目を落とすと、時刻は間もなく午前の八時。
だが、まるで夜の様な暗さの為、今が朝方とは到底思えない。
「まさしく黄昏時だな」
そう満足そうに頷くと、半ば朽ち果てた小屋の扉を開く。
ギイイイイ、というその音は扉自体がもうじき壊れる時が来る事を住人に警告しているのだが、男には特段興味はない。壊れたらそれでいい。
「そろそろここも引き払い時かも知れないな」
薄暗い室内をランプの光が照らす。
現代人からすれば実に心許ないか細い光。
だが彼にとってはこの明度が丁度よく心地が良い。
室内の様子が明らかになる。
まず、机がある。
その上にはいくつかの書物が置いてある。
そのどれもが分厚く、そして古めかしい。
かすかな風でページがめくれる。
はら、とそこに書かれている文字はと言えば、おおよそ見た事もない文字。敢えて例えるならば、それは象形文字にも似たもの。
ペンは今時珍しい羽根ペン。
そばにはインク壷が置いてあり、どうやらこの象形は男がここで書いた物らしい。
椅子は恐らくはそこらの竹材でこしらえた物らしい。
寝具の類と言えば、奥に置いてあるござと使い古した毛布位の物だ。
特に飲み物らしき物も、はたまた食品も置いてはおらず、おおよそ人が暮らすにはあまりに不便過ぎる室内。
それがこの小屋の印象であった。
だが男にはこれで充分。
もとより睡眠も特に必要ではなく、食事は必要ではあるものの、それも真っ当な人間とは頻度が違う。
鏡に男の姿が写り込む。
異様な風体の男だった。
その肌の色合いは白い、を通り越して蒼白。
まるで重病人にも見える。
瞳の色は灰色、まるで光を感じさせない。
髪の色は黒く、長さは肩口まで。
髭などは蓄えておらず、手入れはしている様に見える。
年頃だが、恐らくは四〇から五〇、若くはないが、決して年老いてもいない。
表情には深い翳りがさしており、さながら哲学者のようにも見える。
その身長は一九〇はあるだろう。均整の取れた体躯をしており、纏っているのは祭服の様である。
ギシギシ、と軋む床を歩く。
机の上には小さな壷のような物があり、中央にはロウソクが刺し込まれている。
そこに何処からともなく用意した火を灯すと、みるみる白煙に小屋は覆われていく。
「ふう」
小さく声を出すと、深く深く呼吸をする。
目を閉じて瞑想に耽る。
俗世から離れて久しい男にとって、この時こそが真なる意味での休息である。
「フフン。相も変わらずだな【求道者】。またこんなしみったれたボロ小屋に住み着くなんてさぁ」
声が聞こえた。
嘲るような、しかし憎悪は抱かせない独特の言い回しは知人で間違いないだろう。
求道者と呼ばれた男は目は閉じたままに言葉を返す。
「貴様もな、こちらの休息を狙うかの如きその登場。
何の用だ?」
「ハン、何の用だって、決まっているじゃないかね。
君も見ただろうし、気付いているはずだ。京都に起きた異変にね。
件の件は依頼された通りに、お膳立てしたよ。
そして上手くいった、八坂神社に封じられていた情念を藤原右京がまとい、不完全ながら顕現した。
【牛頭天皇】の化身がね」
「不満そうな物言いだ。何か含む所があるのか?」
求道者はようやく目を開き、来客へ視線を向ける。
古い知り合いは彼の知る限り、常に帽子から靴まで全身を赤一色で統一している。
年の頃は自分とほぼ同年代であるのだが、どうやら先頃″手入れ″をしたらしい。二〇代の中頃にしか見えない。
もっとも、如何に年の頃合いを偽ろうとも、決して変わらない部分がある。
それは、彼がまとうその服装、色合い。
赤一色、とは言っても、その赤は決して鮮やかな色合いではない。
それはまるで、酸化した血液を思わせる様なドス黒さを印象付けさせる不気味な物だった。
「ハハ、求道者。私個人としては、君に対して何ら含む所なしさ。
それどころか私は君を高く評価している。買っている位さ----」
「【教団】に誘いたい位に、だろう。次の言葉は」
求道者は、相手の話の腰を折るように嘆息しながら言葉を帰す。
「フムン、そう身構えなくともいいじゃないか。
我らは互いに【魔術師】なのだから。その手段や目的こそ違えど、道を究めようと日々邁進する者同士なのだからねぇ」
魔術師を名乗る赤い男の言葉には文字通り魔力のようなモノがこもっていたのか、室内の雰囲気がにわかに変わる。
しかし求道者は「貴様と私とでは目指す場所も道も交わらんさ」とあくまでも淡々と言葉を返していく。
そう、彼らは共に魔術師の類に属する者でこそあったが、その行動原理は全く異質なものである。
赤い男はやれやれ、と呟く。
かぶりを振りつつ、まるで気にしていない風を装う。
だが、その眼光からは隠し切れない敵意が滲んでいる。
少し間が空いた。
ボロ小屋の小さな室内には、先に焚いた香の匂い以上にハッキリと剣呑な空気に包まれている。
両者共にきっかけがあれば殺し合いになる可能性を感じている。
魔術師同士の殺し合い、とは異能者のそれとは少し違う。
互いの存在を消し尽くす。それは肉体的のみならずその記した書物や文献に至るまで。存在していた、証明毎消すのが彼らにとっての戦いである。
そうして勝者は敗者の文献や書物を独占。
さらに己が目的へ邁進する。
そもそも己が目指す目的の為に人を辞める、それが魔術師が魔術師たる所以であるのだ。
だからこそ魔術師は異能者を忌み嫌う。
自分の意志で力を得た魔術師と違い、彼らの大半は偶然に力を得た者。
強い意志も何も持ち合わせず、力を″貰った″奴腹と同列になど屈辱でしかない。それが魔術師となった者の共通認識。
″我々と異能者とではその存在の重さが違う″
そう自己定義する彼らにとって異能者とは格下の存在である。
格下なのだからそれらは″使役″されて然るべき。
だからこそ、魔術師には異能者を操る手法に長けている者も多く、彼もまたそうだった。
「イイかね、私は今回の件で数年来の手駒を失ったのだよ。それも自分の為ではなく、他ならぬ君からの頼みだったからだ。私は必要以上に君に見返りを求めたか?
違うだろう」
口火を切った赤い男はにとって藤原右京とは有益な駒になるはずだった。自身が導く事で、ゆくゆくは京都を裏側から支配しようと目論んでいたのだ。
「見返りなら充分に得るではないか、【アレ】は徐々に力を増している。今でこそ閉じこめられているが結界を脱するのもそう遠くない。
一度外に出れば京都は終わりだ。教団にとって長年の宿敵であったかの地にいる異能者達はことごとく全滅、悪い話ではあるまい」
そもそも赤い男は教団に仕えている。
教団の神にとって京都から派遣される異能者達は過去幾度も苦渋を舐めさせられた不倶戴天の怨敵である。
求道者は赤い男の立ち位置を理解した上で舌鋒で攻撃する。
「それとも、貴様はただの私利私欲で教団に協力しているだけなのか? いや、我ら魔術師という存在は究極の利己主義者。己自身にしか興味を持たぬ事こそ当たり前であったか。それで、貴様はどうなのだ? 信奉するという神に背くのが怖いから詰問しようというのか?」
あくまで淡々と、或いは冷淡とでも言えばいいのか、求道者の舌鋒は赤い男を抉っていく。
そう、実際その通りである。
魔術師とは自分自身の目的の為に生きる存在。
他者の事より、自身の目的をこそ達成する事こそ本義。でなくては何の為に脆弱な人を辞めたのかが曖昧となろう。
「クク、我らが神は些末な事は気にはしない。重要なのはその復活がそう遠くない事に、その前に大勢の【供物】を必要としている事だ。
そういう意味では確かに今回の件、神の御心に叶うとも言える。業腹だがな。
いいだろう、京都がどうなった所で教団は揺るがない。貴様が何の為にこの事態を望んだかは知らぬが、いずれそれも分かろう」
赤の魔術師は言葉を発する内に興奮してきたらしく、その表情には赤みがさした。
「今回は旧知の仲だからこそ手を貸した。この借りはいずれまた。君とサシで話せる機会にな」
そこまで言い切ると、赤の魔術師はすう、とその姿を消した。
「油断ならぬ男だ、こちらの存在にも気付いているとはな」
そう言いながら姿を見せたのはサングラスをかけた禿頭の大男、つまりは藤原新敷である。実の所、彼はかなり前からこの小屋にいた。まるで気配を感じさせず、物音すら立てず。正確には息遣いすら。無論、それには理由がある。
「ああ見えても彼は魔術師として一流だ。気配はなくとも、微弱な魔力を感じたのだろう。君が契約した【鬼】の力を、ね」
「求道者、いや【収集家】。貴様に依頼された件は片付いた。俺はそろそろ帰らせてもらおう」
「ああ構わんさ、これで君への借りは無効だ」
求道者の言葉を受け、禿頭の大男は小屋から出て行こうとする。ギシギシ、という軋みは今にも床板が抜け落ちそうに心許ない。
外へ出ようかという時だ。藤原新敷は不意に足を止めると背中をはじめとする向けたまま問いかける。
「ところで、何故あの老女を殺させた」
それは先日、清水寺での一件。
彼が自ら手を下した退魔師達の長、瀬見老女の事である。
「あの老女はなかなかに厄介なのだ。とうに肉体は朽ちて結界内でしか活動出来ない。
精神だけの存在故に通常の手段では殺せぬ。殺すには特殊な人物が必要だ、例えばそう……【鬼】と同化した君のような存在がね」
求道者の言葉には決定的に感情というモノが欠けている。
藤原新敷は元来短気なのだが、その彼でもこの魔術師についてはそうした感情を抱くだけ無駄であるともう諦めている。
(そもそも魔術師等と称する段階で世捨て人と大差ないのだ)
そう達観する事でどうにか怒りを抱かないようにしている。
「そういう事にしておこう。もしも武藤零二が死んだとしても、俺の知った事ではない。何せ、神に殺されたのではな」
それは魔術師にではなく、自身への言葉であろうか。
ぎいい、と軋みを残して出ていった。
「心配せずともよい、私の目的はあくまで【理】なのだ。理不尽な厄災を理が果たして放置出来るのかをこの機会に確かめる。果たして誰がアレに抗するか見極めさせてもらうよ」
求道者もまた誰にでもなく虚空へ向けて呟いた。
その手にはすっかり薄ぼけた写真。そこに写っているのは壮年の男性。頑健そうな体躯を誇るその手には一振りの太刀が握られていた。




