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神宮寺巫女

 

(あたし、どうしちゃったんだろ? ……何やってんだよ)

 それは少女の夢の始まりだった。少なくても今日、この九頭龍に来るまで彼女はそう聞かされていたし、そう信じていた。

 だがそれはまやかしだった。彼女は偶然にだが聞いてしまった。感じてしまったのだ、その会話が発する音を。

 事務所の社長である三枝木宏臣が目論むのは、あくまでも”歌姫ディーヴァ”というシステムの完成だけだった。

 そのディーヴァは大勢の人に影響すると、言っていた。

 何の事はない、つまり神宮寺巫女という少女は云わば”部品パーツ”だ。

 神宮寺巫女、という少女はたまさかそのシステムに適合したから、こうして何ヵ月もの時間を訓練に費やしただけだったのだと、そう知ってしまった。

 思い返せば、怪しい出来事はいくつもあったのだ。

 事務所が運営する養成所から、定期的に研修生がいなくなる事にもっと注意を払うべきだったのだろうか。

 養成所でのレッスンは厳しかった。だからてっきりそうした日々に耐えきれなかったから逃げ出したのだと、そう思っていた。

 でも考えればそれもおかしい。いなくなったのはいずれも養成所でもデビュー間近の先輩達だったのだから。

 でも想像出来るというのか?

 先輩達がいなくなった原因は得体の知れないプログラムのテストだっただなんて、どうして予測出来るというのか?


 でもハッキリと自覚出来た。

 このヘッドフォン越しに聴こえてくる不快なノイズ音。

 それは自然界に存在しない音だった。妙に間延びした重低音が鼓膜を振動させ、脳にまで届く。

(──心が死んでいく)

 それはまるで悪い夢の様な感覚。

 心と身体が別物にでもなったかの様だった。

 嫌な音が脳内に届く度に心が身体からプツン、プツリ、と切り離される様な気分。

 自分で無くなった自分を型どった人形が口を開き、音を出す。

 聞いた事もない音。それは声にならない声。

 初めて耳にするのに、ずっと以前から知っていたかの様にすら感じる。


≪オマエノカラダヲヨコセ≫


 ノイズ音の中にその声は混じっていた。

 感情のない、その不快な声色は声の主が人ではない何かだと感じさせるのには充分だった。

 声が聴こえてくるその都度、身体と心の距離は離れていく。


(あれ、……誰かいるの?)

 ふと、気が付くと自分の目の前にあの武藤零二がいた。

 何でここに来たんだろう?

 一人でここに来たのは余分な犠牲者を出さない為だった。

(帰って、帰ってよ)

 そう告げたい、でも言葉は出ない。ただ口を開いて目の前にいる少年に言うだけだというのに。


 その代わりに紡がれたのは別の言葉、別の音。

 それが何かはよく分からない。

 ただ理解出来る。初めて耳にする、聞いた事もない音なのに。それが何をもたらすのかをハッキリと理解出来た。

 その音が放たれる都度、零二は傷を負っていく。


 藤原慎二の攻撃はことごとく命中していく。

 突き出した拳が鳩尾へと深々とめり込む。

 自分が口にした音が、まるで砲弾のような威力で零二を吹き飛ばす。

(もう立たないで、立つな……!!)

 傷付いていく少年の姿に、巫女の心は今にも壊れてしまいそうだった。そんな中、彼は聞いた。


「──そうか、わーーったよ。巫女ッッッッ!!」

 零二は突然声を張り上げた。獰猛に、野卑に。

「お前はそんな訳分からねェ機械に好き放題されて悔しくねェのか? 答えろッッッッ」

 まるで怒鳴る様に、彼はそうハッキリとした口調で言葉を投げつけた。優しさの欠片もない言い方だと思った。でもそれでも優しさを感じるのは何故だろう?


 反応したのは白スーツの男、藤原慎二だ。彼は巫女を一瞥する。

「くはははっっ、バカか? 最早あれはディーヴァの管理下だ……」

 そう言いかけて、藤原慎二は、あ、と言葉を漏らした。

 有り得ない事が起きたからだ。

 少女の瞳には一筋の光が輝くのが見え、藤原慎二の表情が俄に強張る。明らかに動揺の色が見える。

(バカな……! ディーヴァの支配から逃れただと?)

 少女の心は、少なくともあのヘッドフォンを付けている限りは、ディーヴァに完全に支配され、自我等は出てこれないはずだ。これ迄の被験者でこんな事は起こらなかった。

 ディーヴァとは一種の”マイノリティコントロールプログラム”だ。対象である被験者マイノリティにあるマイノリティの精神操作マインドコントロールの際に発する特殊な周波数の音を直接聞かせる事により、被験者の精神を乗っ取る。そうする事で被験者たるマイノリティが持つ潜在力を極限にまで引き出すのが目的だ。


 マイノリティにはイレギュラーという強力無比な武器がある。

 個人差こそあるが、この武器は時に一国の軍隊をも凌駕しうる程の武力を一個人に与える事がある。

 更に共通のイレギュラーとして”リカバー”という名の超回復能力を持っている為に、耐久性にも優れているとされる。

 だから、ある軍事関係者がこう言った。

 ”マイノリティこそ最強の破壊兵器、戦士なのだ”と。

 それらの解釈はあながち間違った物ではない。

 だが、前提条件がある。

 それはマイノリティ本人の負担を無視すれば、という条件だ。

 イレギュラーとは一言で言い表すなら”諸刃の刃”だ。それが強力であればある程に、使用者であるマイノリティ本人に与える”肉体的及び精神的負担”は増大するのだ。

 その為だろう、マイノリティはイレギュラーの過度の使用を無意識に制限する傾向にある。

 何故なら、肉体的負担ならともかく、精神的負担が増大する事はマイノリティにとって危険なのだ。

 イレギュラーの過度の使用がもたらす結末、それは”怪物フリーク”と成り果てる事である。

 イレギュラーの多用により、疲労が蓄積される事で、使用者の精神はすり減っていく。それを無視し続けていると、人格にも影響を及ばす。心の均衡が崩れ、更に無理を続け、最後には”理性”をも喪失する。それがフリークになるという事だ。

 マイノリティに覚醒するという事は、常に理性を失う危険性を孕むという事と隣り合わせ。

 現にマイノリティに覚醒した者の過半数は即座・・にフリークと化する事実がある。生物としての急激な変化に精神等がついていけないのが原因という意見や、覚醒した本人の本質、生まれ持った素地が要因だとか色々言われているが、一つ確実に言える事実がある。

 それは、フリークと化したマイノリティのイレギュラーの力はそうなる前よりも強大である、という事だ。

 恐らくは精神的負荷を感じなくなった事により、それまでは本質的に恐れていた自分への恐怖や罪の呵責を覚えなくなった為だろうと言われるが、ともかく、フリークになる事でマイノリティはより強大な存在に成り得る。そういう考えがある事は事実だった。

 WDの中にもそういう考えを持つ者はいて、このディーヴァプログラムの元になったマイノリティはそうした考えを持つ者の一人である、そう藤原慎二は三枝木宏臣から聞いていた。


(有り得ん、そんな事は有り得んぞ)

 つまりディーヴァとは、被験者の精神を奪う事で最終的には、強制的にフリークへと変貌させる為のプログラムであり、実験なのだ。

 現に、この神宮寺巫女はディーヴァにより制御され、プログラム通り動作をしている。現に自分を援護し、目の前にいる生意気な小僧を攻撃しているのだ。それは問題なくディーヴァが巫女を操作している事の証左のはずだ。

 ……なのに。


「──やだよ」

 少女はそう小さな声で答えた。

 その虚ろな目からは涙を流しながら。

 凍り付いた様な表情とは裏腹の感情がその涙から溢れていた。

 感情が溢れ出す。


「そっか……ンじゃどうりゃいい? ──言えよ」

 零二は言葉をかける、淡々と。

「たす、けて。助けてッッッッ」

 少女は消え入りそうな声でそうハッキリと答えた。

 零二は獰猛な目を向けると、

「いいぜ……それがお前の自由せんたくっつうならオレは──」

 そう言いながら全身から蒸気を吹き出す。さっきまでとは桁違いの熱量が周囲の空気を一変させる。

「──お前の全てをブッ飛ばす」


 彼女は有り得ない言葉を発したのだ。藤原慎二は明らかに動揺する。

「な、バカな」

「あンまソイツを舐めてるンじゃないぜ。ソイツは気合いのあるヤツなンだからよ。……アンタやオレなンかよりずっとよぉ」

 零二は不敵に笑う。

 さっきまでと雰囲気が違っている、そう藤原慎二は感じていた。

 さっきまでよりも相手が発する、そう全ての重みが違う。

 その言葉、歩み、雰囲気の全てがまるで別人の様だった。

 たった一歩足を前に進めるだけ、それだけなのに空気が震える。

 否、それは違う。


「バ、バカな!」

 それは藤原慎二が震えていたのだ。自分でも気付かぬ内に相手の前進に身体が震えていたのだ。一歩、下がってしまったのだ。

(冷静になれっっっ、よく考えろ?)

 藤原慎二は努めて冷静に状況分析を始める。

 現状、零二は確かに大した傷を負ってはいない。だが、さっきまでの戦闘で確実に消耗させている。

 更に言うなら、相手の戦闘能力は脅威だが、あれだけの戦闘能力を長時間維持できる筈がない。

 深紅の零という名のマイノリティは炎熱使いだと聞いていた。

 だが、それは操作された情報だと彼は確信していた。

(こいつは熱操作に特化したマイノリティだ)

 熱操作能力は強力である反面、その負担が大きい事を彼も知っていた。焦る必要は、必要などないのだ。

 そんな事は分かっているに関わらずに、だ。

 藤原慎二の震えは止まらなかった。


 相手はもう、そう長くは戦えないだろうに。

 彼の本能が恐れているのだ。

「うぐあああああああ」

 藤原慎二が飛び出す。自分の中の怯えを払拭するかの如く。

 それは彼の全力だった。さっきまでの様な余裕等ない。ディーヴァの援護があるのかどうか分からない以上、頼れるのは己の腕のみだった。

 相手の一歩前、そこで足を止めた彼は急停止の反動と共に黒き両の手を一斉に突き出した。それは空手でいう所の”山突き”の様な技だろうか。高速で繰り出す黒く染まった拳は、寸分違わずに相手の急所を打ち抜くかと思えた。しかし、


「な、バカな!」

「くだらねェな……こンなものかよ?」

 その渾身の一撃はアッサリと食い止められた。

 零二は何て事ないとでも言いたげな様子で、両手で相手の拳を弾いてみせた。

 藤原慎二は驚愕する他ない。自身の本気の一撃を相手が軽々と防いだ事に。そのまま零二は踏み込み、間合いが詰まると同時に肩をぶつける。その一撃で「ががっ」と、藤原慎二の肺から空気が抜ける。

「らあっっ」

 そこに零二からの下から振り上げる様な頭突きが命中した。

 かち上げる様に上へ放たれた一撃は、顎先をハンマーで殴られた様な衝撃と共に藤原慎二の脳を揺らし、「かがっっ」と呻きながらよろめいていく。

「せーのっっ」

 そしてがら空きになった白スーツの男に対して零二は意趣返しの山突きを見舞う。零二に空手等の心得等はない。

 そもそも武藤零二にちゃんとした格闘技等の心得等はないのだ。

 彼の戦闘スタイルは無手勝流、つまりはその場の思い付きに過ぎない。一応、彼の後見人であり、師匠でもあり、執事でもある老人、加藤秀二は様々な武術の心得があり、零二も幾度となくその指南を受けた事がある。

 だが、結果としてそうした武術は身には付かなかった。

 ──かはは、若はそれでいいのですよ!

 秀じぃは豪快に笑っていた。

 物覚えの悪い年少の弟子の頭をガシガシと撫でながら。

 ──若の戦さに小手先の技など無用。獅子に狩りの仕方をいちいち手取り足取り教える者などおりませぬ、彼らは自らの意思で必要な技を身に付けていくのです。ですから好きにしなさい、自分の思うままに豪快に。それこそが【天衣無縫】。……まさしく若に相応しい。


(要は勝手気ままってワケだ。……ま、いいけどよ)


 零二の見よう見まねの山突き擬きは、決して完成度の高い代物ではなかった。それでも今の零二には充分だ。全身から放たれる熱代謝によりその身体能力は高められ、手の指先から足の爪先まで高熱が込められたその全身は、常人のみならずマイノリティにとっても凶器と化している。

 ガツン、と胸部と顎先を直撃した手応え。

「がくおうっっっ」

 呻きながら藤原慎二は倒れ込む。

 そこから素早く体勢を整えてみせるのは流石だと言えたが、表情に余裕は全く無い。

(バ、バカな、この私がこうも……手玉に取られるなど)

 深手こそ負ってはいないが、実力差は歴然だった。

 さっきまでとはまるで別人の様な零二の姿。

 獰猛な獣の様な双眸は敵を油断なく睨んでいる。


「く、くそっっ。ディーヴァ、私を支援しろっっっっ!」

 最早、恥も外聞もなかった。

 このままでは間違いなく死ぬ、それだけ避けなければ。その一心での叫び、懇願。

 だが、ディーヴァ、つまり巫女は何もしない。無反応だった。

「おいおいおいおい、さっきも言っただろ? ……ンなヘッドフォンで何とか出来る様なタマじゃないンだよ、ソイツ」

 零二は呆れる様な声と哀れむような視線を向ける。

「くそ、くそ、くそっっ。上げろっっっ」

「え、ですが……」

「いいからやれっっっ」

 藤原慎二の叫びで巫女の側に控えていた黒服が片手に持っていた端末らしき機械を取り出す。そして……。

「武藤零二っっっっ。そこまでだ!」

「あン? 何で……」

 ガオオオン。

「……がぁ……ッッッ」

 零二の身体を見えない攻撃が襲う。不意を突かれ、全身から血を吹き出しつつ後ろへと転がっていく。見えたのは自分へ向けて大きく口を開いた巫女の姿。

「く、くはははっっ、ざ、ざまーみろ。これで……ヒィッッッ」

 藤原慎二は怯えに満ちた声をあげた。

 それは赤く染まっていた。自分自身の血で。

 零二は全身から血を流しながらも立ち上がっていた。

「てめェ、アイツに……何しやがった?」

 だが、零二の目は藤原慎二には向いてはいない。

 ただあの少女へ、目から涙を、赤く染まった血の涙を流す巫女へと注がれている。

「くく、くははは。何って、決まってるだろうに、【躾】だよ……」

 いいか、と言いながらようやく余裕を取り戻した白スーツの男は、サングラスの位置を調節し、そして告げた。

「……お前が何かすれば、あの小娘は死ぬぞ」

 その言葉に零二の表情は険しくなった。


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