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悪意

 

 気付けばあの赤一色の男はいなくなっていた。

 何者なのか何も告げる事なく。

 だが、そんな事は私にはどうでもよかった。


 私は己が異能者であった事を遅まきながら知った。

 では何故、私の事を父は一般人だと言ったのか?

 確かめる方法は一つだ。



 ◆◆◆



 三条の屋敷。

 ここに足を踏み込めるのは藤原一族に縁のある者のみ。右京の父は週の半分をこの屋敷で、残り半分を藤原の屋敷で過ごす。

 三条の屋敷に右京は、今夜初めて足を踏み入れた。

 屋敷の敷地の警備状況は思いの外緩かった。

 人数もそうであるし、態勢も同様。

 父は私の来訪をあっさりと認めた。


「それで、右京。一体何用か?」

「いえ……これは」

 初めて入ったその書斎は、調度品も必要最低限で実に質素なものだった。

 日頃から無駄な事を嫌っていたが、まさかそれをこうも徹底しているとは右京は思いもしなかった。

「別に問題はあるまい。私は所詮は無能者だ。

 それに今の私の仕事は単なる事務仕事の様な物。

 して何用だ? 用がないのであれば屋敷に戻れ」

 その目は威厳に満ちている、右京の背筋が凍り付く。

「父上、正直にお答え下さいませ」

 精一杯の虚勢を張りながらも右京は声を張る。

 その様相にただ事ではない事を察したのか、屋敷の主人はその眼光を一層鋭くしながら「よかろう」と言葉を返す。

 ゴクリと息を飲みながら、右京は話の本題へと入る。


「父上、私は異能者であったのですか?」

 駆け引きなどは無用の直球勝負。

 話をあるのであれば細かい些事は捨て置き、本題へ。

 それが目前にいる男が常日頃から口にしている事だ。

 その結果は、

「……………………」

 予期せぬ沈黙であった。

 表情そのものは平静さを保ってはいたが、眼光は一層厳しくなるのを見るにつけ、その内心は穏やかではなさそうである。

「父上、」

「何故知れた?」

「やはり知っておられたのですか」

「如何にも、知っておったわ」

「何故ですか? 何故に私に異能がある事を教えてはくださらなかったのですか?」

 右京の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 これまで自分はずっと無能者だと言われた。

 だからその事実を受け入れて兄の補佐に徹しようと思ったというのに。

 そんな自分が馬鹿みたいに思え、感情の抑えが効かない。

「いいか、右京よ」

 だが、屋敷の主人はあくまでも厳格であった。

 いやむしろさっきよりも厳しさをましている。

「一度だけ言う。お前は異能力を使ってはならぬ。

 何があっても絶対にだ」

 その言葉はハッキリとした拒絶の言葉。


 その後はまさにけんもほろろ、屋敷の主人にして父親である男は、一切の話を受けつけなかった。

 右京はつまみ出される様に部屋から出ていかされ、藤原の屋敷へ戻る羽目となった。

 悶々とした、鬱屈とした気分であった。


(何故父上はあそこまで話を聞いて下さらないのだろうか?)

 右京は釈然としなかった。

 彼の父は厳格な性格でこそあれ、決して話を聞かない人物等ではなかった。

 だからこそ、自分が異能者であった事を秘したのにも何かワケがある事だろうとばかり思っていた。

(それがどうだ? 結果はああだ)

 聞く耳を持たない、とはまさしくああいった様子だろう。

 何を言っても無駄だった。


 それから幾度か右京は父と話をしようと試みたが、結果は同じであった。

 彼は自分の父親と話をする事が叶わないまま、日数だけが経過していった。


 そんなある日である、その訃報があったのは。


 原因は事故、居眠り運転の重機による圧死。

 あまりにも呆気なく三条の当主はその命を失った。



 そうして三条の家名を継いだのは兄である左京であり、それを支える京都に於ける藤原のまとめ役としては右京がその役割を担う事と相成った。


 周囲の人々は先代とは方針の異なる三条の当主に期待と不安を抱いた。

 そしてその反動としてそれを諫める役割を担う右京に期待し、接近していくのである。



 だが、当事者達は知る由もない。

 自分達を何処ともつかない場所から見ている何者かには。


「ウン、実にいい流れだ。理想的だよ。

 中でも君は実に優秀だよ、己でも無自覚な内に物事を動かせるのだからね藤原右京クン」


 まとう衣類全てが赤一色の男はその全てを満足げに眺めているのだった。



 ◆◆◆



「ぐ、がかっっっ」

 右京の口からは多量の吐血。

 赤黒いその血の色に藤原慎二は手応えを感じ取る。

「ふん、くだらぬ。かほどに手応えのない相手とはな」

 その言葉は偽らざる彼の本心からのものだった。


 彼が防人の元締めたる妙から受けた依頼は二つ。

 まずはつい先刻、あの三条左京との戦いに彼は手助けに入った。

 それからこの八坂神社での現在。

 いずれも荒事になるであろう、との考えからの依頼でありそれは事実であった、のだが。


「く、あ……っっっ」

 藤原右京は実に手応えのない相手であった。

 兄である三条左京は確かになかなかの強敵であった。

 結果がああなったのは単に互いのイレギュラーの相性によるものであり、実力差という意味ではそれ程の開きは存在しなかった。

 敢えて欲を言えば、一対一による決着を付けてみたかった位である。


 だが、それも今に比すればどれだけましであっただろうか?

「手緩い、何という手応えの無さだ」

 口を付くは、吐き捨てる様な蔑視に満ちた言葉。

 あまりの手応えの無さに拍子抜けすらした。

 自分の黒い貫手は確かに必殺の一撃ではある。

 黒くなるのは一種の炭化した状態であり、その硬度は鋼にも比類するとの自負もある。

 なまじっかな防御などその一撃の前では紙切れも同然ですらあり、それはあの生意気な武藤零二もまた認識している事であろう。

 だからこういった結果は当然の帰結ではある、それは自分でも理解はしているのではあったが。

 そうなる経緯が悪い意味で想定外であったのだ。

(これであるならば、……あの防人の少年でも充分であったのではないのか?)

 その脳裏に浮かぶは三条左京にしてやられた。或いはオオグチ、とでも言い換えてもいいかも知れないが、ともかくもあの夜、死に瀕した自分を救出してくれた粕貝真一少年の姿である。

 正直未熟な少年ではあった。

 それは見ず知らずの、それも赤の他人である誰かを救い出したのだから。

 人道上は実に正しい選択。だがそれはあくまでも表の、日の当たる世界での倫理観。

 自分達の様な裏側の、日陰者の蠢く世界では命取りにもなりかねない危険極まる行為であった。

 だが彼がその結果として命を拾ったのもまた事実。


 だからこそ、である。

 あの防人の元締めの依頼を受けたのは。


 確かに三条左京には借りがあった、WDからの刺客に怯える日々はもう嫌である。

 しかし、それ以上に彼がこの話に乗った最大の理由は”借り”を返したかったから、である。

 そう、何だかんだと言い繕ってみても結局の所、自分自身も相当に甘かった、……ただそれだけの事であった。



「あぐ、ぁぁ」

 声、いや、呼吸が止まっていくのが分かる。これは間違いなく致命傷である。

 ズブリ。

 黒き手を引き抜くと、血を噴き出す右京の身体は力なく膝をつき、そのまま地面に伏す。

 倒れ込んだ先の地面は止まる事無く流れ出でる血であっという間に池の様な有り様である。

 それを無表情に見下ろす藤原慎二の真っ白なスーツは返り血や自身の血で赤く染まっている。

「さて、これで依頼は完遂した。そういう事でいいな? 防人の頭目よ」

 これで依頼は終わった、そう思った白いスーツの男は同じく血で染められた黒き手をハンカチで拭う。


 だが、彼の視界に映った防人の長たる女性の表情は、その目は大きく見開かれている。

 明らかに何かしらの異常事態だと察した藤原慎二は即座に振り向く。


 異常はそこにあった亡骸であった。


 藤原右京であったはずのソレはあっという間にグズグズに溶解していた。

 まるで冗談のように、昔の特撮技術の方がまだ自然にも思える異質さでそこにあったはずの肉体は地面へと染み込んでいった。


「まだどす。まだ終わってあらしゃりません」

 妙の表情が厳しくなり、藤原慎二も同様に表情を険しくする。

「バカな、確かに手応えはあったはずだ」

 それが藤原慎二と妙の共通認識である。

 妙がまず相手に接触、間違いなくこの場にいるのが本物である、という確信を抱いたからこそ妙は合図をし、藤原慎二が仕留めたのだから。


 だと言うのに、これは一体どうした事であろうか。


 二人の眼前で消え失せたソレはまさしくオオグチ、による変身、または擬態にしか思えない。

 そして妙は気付いて声をあげた。

「魂蔵はどこどすか?」

 それは一連の犠牲者を生贄にして造り出されたモノ。

 魂、精神を練り上げて造られしそれは云わば一つの新たな命の芽吹き。

 形状や大きさは様々であるらしいのだが、ソレをこの場で消え失せた何かは持ってはいなかった。


「防人の長よ、その魂蔵とは何を為す為に必要なのだ?」

 事情を知らぬ者からすれば今の質問は実に正しい。

 彼からすればソレが危険なモノである事は必要であるのは聞かずとも理解出来たが、それがどの様なモノなのかについては分からないからである。


「簡単に言えば新たな【命の素】どす」

「素、だと?」

「そうどす。それを基にすればどんな命をも作り出せる。そういう理不尽を無視出来るさらなる不条理を実現させるナニカ、どす」

「つまりはろくでもない存在モノという認識でよいのだな?」


 その言葉に妙は頷く。


 《それは随分な物言いですな》


 声がした。

 いや、それは声ならぬ声。

 一種のテレパシーであろうか、直接脳裏に響き渡る。

 ただ間違いないのはその声が今し方死したはずの藤原右京の声音である事実のみ。


「これはこれは、死人さんと話すとは……あんさんは一体何なんどすか?」

 《これは愉快》


 ククク、という笑い声。

 いや声ならぬ声は実に楽しそうで、


「で、もう一度聞きますが、あんさんは誰なんどすか」

 《私は藤原右京、いや正確にはそれの一部だよ。

 死人と言ったな。確かにその認識は概ね正しい。

 何故なら私、藤原右京というモノは今し方死んだのだからな。そう、君の思惑通りにね》


 そして、実に悪意に満ち満ちた声音であった。




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