歌姫――ディーヴァ
ガチャリ。
零二は屋上へと出るドアを開くとその先に見えるのは、悠然と待つ白スーツの男、藤原慎二。その更に奥、手摺の側には黒服が一人に巫女がうずくまっているのが分かる。
「ああああ」
途端、上から声が轟く。
だが零二は動じない。何の躊躇もなく無造作に左拳を突き上げ、迎撃する。
ガコン、という小気味いい音と感触が拳に伝わる。相手の顎は間違いなく粉砕だろう。
ナイフを手にした黒服が一人、声すらマトモに出せずに地面に転がり悶絶している。それを目にし零二は「ジャマだぜ」と、迷わず腹部を蹴りあげる。哀れな黒服の身体は軽々と飛ばされ、転がっていく。
それを見計らったかのように今度は背後からもう一人の黒服が襲いかかってくる。
零二は今度は右の裏拳を背後に放つ。
「ぴぎゃ」という小動物の様な声を上げて、哀れな黒服は階段を転げ落ちていく。
「くっだンね、ザコはいいからよ、ボスが来いよ」
やれやれ、とばかりに肩を回し、ゴキゴキ、と首を鳴らす。
「くはは、まあそう言うな。もう少し遊ぶといい」
藤原慎二は余裕の表情を崩さなかった。
指をパチン、と鳴らす。
すると”声”が聞こえた。
それは不思議な声だった。心の中がざわつくとでも言うべきか。
「ン、今のがどうかしたのかよ? ……何ともないぞ?」
「くはは、すぐに分かる、すぐに」
直後だった。
異常が起きた。だがそれは零二にではない。
零二がさっき蹴散らした黒服二人がそれぞれに呻き苦しんでいる。彼らはいずれもが恍惚とした表情で口から、目から、鼻から汗や涙や鼻水を垂れ流している。
「おいおいおい、何だこりゃ」
零二はその有り様に呆れた声をあげる。
構っている暇はない、巫女のライブの時間はもうすぐだった。
だがそこで邪魔が入った。
後ろから手が伸びてくる。
「おいおいおい、マジか?」
その相手は階段を転げ落ちたはずの黒服。顔は血塗れであり、普通であれば動けるはずもない。どう見ても病院送りは必定にしか見えない。
更に蹴りあげたはずの黒服もムクリ、と起き上がる。
ゆらゆらと身体をぎこちなく揺らしながら詰め寄って来る。
「何だお前ら? チッ、うぜェ」
肩を掴む黒服へ後頭部を叩き込む。掴まれた両肩を振り上げ払いのけつつ、向かって来る黒服に備える。
だが。
「なっ、ざけンな」
背後の黒服はなおも掴みかかって来た。両腕を羽交い締めにしてくる。もう一人の黒服も同様だ。零二の腕を掴むとそのまま崩れ落ちた。
「何だこりゃ? バカか?」
困惑の声をあげる零二を尻目に、くはは、と笑いながら藤原慎二がゆっくりと近付いて来る。
「どうかな? ザコにまとわりつかれた気分は?」
その両の手を黒く変異させつつにじり寄ってくる。
ゆっくりと迫る相手に苛立ちながらも、全身に意識を集中。瞬間的に全身の熱を急上昇させる。
一瞬とはいえ、百度を越える高熱を受ければ皮膚は焼け爛れる。
だが、黒服は掴んだ手を離さない。それは異常だった。
高熱で手がジュウウ、と焼ける音が聞こえた。何とも言えない焼ける臭いが鼻をつく。にも関わらず、黒服達はその表情を一切変えない。ただ焦点の合わない目を零二に向けるのみ。
「くはははっっ」
そこに藤原慎二の拳が襲いかかる。無意識で”熱の壁”が発動するが黒い拳はそれを容易く突破する。動きを制限された零二は躱す事も出来ずにまともに一撃を受ける。
「ぐっっ」
思わず呻き、口から血を吐き出す。
シュウウウウ、という音が聞こえる。熱の壁が黒服達の全身を焼き尽くしていたのだ。弾丸をも瞬時に溶解する熱は完全に相手を煮殺している。だがそれでも離れない。
「くははははは」
更に藤原慎二は蹴りを放つ。零二の鳩尾を直撃。息を吐き出しながらドアを突き破り、更に壁をも突き破る。
「ざけるなッッ」
自由になった零二は即座に動き出す。
全身の熱を解放。身体能力を急上昇させ、飛び出す。
その目に写るのは余裕の笑みを浮かべるあのいけ好かない白スーツの男。そしてその傍らで熱の余波でスーツの男達が発火、そうして燃え尽きていく哀れな肉の塊が二つ転がっていく。
「しゃあっっ」
ギリリ、と歯を噛み締めつつ、零二は勢いよく飛び込む。
考えも何もあったもんじゃない単なる突撃。だがその速度と威力は家屋の壁を軽々と突き破る。相手がどうだろうとぶっ飛ばせる、そのはずだった。
バチン、という衝突音。それは小さな音だった。理由は、零二の突進が勢いを大きく削がれたからだった。原因は分からない、インパクトの寸前で何かに弾かれた、ぶつかったような感覚。だが特に傷みはない。
「くははっ」
黒い左手刀が唐竹割りの要領で繰り出された。
咄嗟に両手を交差させてその手刀を受け止める。
衝撃からだろう、ミシ、と地面にヒビが入る。
そこに右の黒い拳が顎を打ち抜く。
「う、ぐっ」
ハンマーで殴られた様な衝撃と共に脳が揺れ、身体が仰け反る。更に左の拳が零二の右の脇腹へと突き刺さる。
めきめき、と骨が折れる嫌な感触。
「て、てめェ……ごほっっ」
何か言いかけた零二の口から赤黒い血が吐き出されたのは、折れた肋骨が肺にでも突き刺さったのだろう。そう理解した藤原慎二が満足そうに口元を歪める。
「くはは、どうしたかね? その程度かな……あの名高い【深紅の零】の力は」
そう言いつつ、ずれたサングラスを元に戻す。
「ンな訳ねェだろが」
零二が怒声と共に全身の熱代謝を高める。マイノリティ共通のイレギュラーである回復能力と活性化された細胞が瞬時に骨を結合させ、傷付いた内蔵を修復していく。
それは時間にして二秒足らずの短時間だった。
「くはは、流石だよ。……だがお前に勝ち目はない」
相手の驚異的な超回復を見ても、白スーツの男の表情には一切の動揺もない。
今度は藤原慎二が先に仕掛けてきた。
確かに早い、だが遅い。そう零二は感じる。
容易に迎え撃てると思い、迎撃の為に右拳に意識を集中──白く輝かせる。
(どんな仕掛けがあるかは知らねェが、問題ねェ)
そう判断し、拳を振り上げる。白く輝く拳は空気を燃やしながら迫る相手の顔面を捉えるべく向かう。
バチン、またさっきの感覚。届くはずの拳が急速にその勢いを失う。その右拳を相手は左手で易々と弾き、カウンターで右拳を繰り出す。今度は零二も躱せるはずだった。後ろに飛び退けばいいだけ、そう思った。だが予想し得ない事が起きる。
相手の拳が急加速したのだ。
まるで宇宙へと打ち上げられたロケットが切り離して加速をかける様に拳が一気に迫り、直撃。零二の身体が後ろによろめく。
(まただ? さっきといい今のといい、一体何だこりゃ?)
困惑の表情を浮かべる敵の姿に藤原慎二は勝利を確信する。
「どうしたね? 随分苦戦しているじゃないか?」
「るせェ、何をしやがった?」
「考えれば分かるだろ、ここにいるマイノリティは何人だね?」
その言葉に零二はハッ、とする。自分、白スーツの男。後は──そこに黒服の最後の一人が巫女の顔を強引に引き寄せるのが見せる。
あれだけガムシャラな光を讃えていたその目には、今は何の感情の振れ幅も感じない。まるで人形のようにがらんどう、そんな印象を受ける。
あれだけ感情を剥き出しの言葉を吐いていた口はただ開いているだけ。まるで別人、いや廃人の様な有り様だった。
零二は下唇を噛み締め、血を滴らせた。
「てめェら──ソイツに何しやがった?」
声に明らかな怒りが混じっている。
「くはは、簡単な事さ、【実験】だよ。対マイノリティのね」
藤原慎二は大した事などないように愉快そうに声をあげる。
「実験だと?」
「こういう事さっっっっ」
藤原慎二は零二に向かって来る。だがその動きは不自然な迄に遅い。身体能力を向上させた零二からは文字通りに止まって見える。だが。
音が聞こえた。かすかな音が。
その高音域の音を聞いた途端、零二の目の前に相手が迫っている。一瞬の事に姿すら捉えられなかった。
そこへ相手の後ろ回し蹴り。突き刺さるような軌道で突き出された槍の様な一撃が襲いかかった。
「ぐっうう」
咄嗟に後ろに飛び退く事で直撃を避ける事に成功した。
「くはははっっ、どうだね?」
「てめェ……巫女のヤツに何しやがった?」
正気を保っているとは思えない巫女を横目で見て、続いて白スーツの男に殺意を込めた視線を向ける。
藤原慎二は、おおこわい、と大仰な仕草でとぼけて見せる。
「流石に、勘付いたようだね。そうこれは、【ディーヴァ】のイレギュラーだ。もっとも、【本人の意思】ではないがな」
そう言うと指をパチン、と鳴らす。
直後。
巫女が「!!」何かを叫ぶ。声にならない声。
そして”何か”が向かって来る気配を零二は察知。咄嗟に両腕を交差させ身構えた。
ガガアアアン。
まるで鉄球でも喰らったかの様な衝撃が両腕に走り、ガリガリガリ、と地面を抉りながら後退りさせられる。
「く、ぐっっ」
思わぬ攻撃に苦悶の表情を浮かべる零二。
それを愉快そうに眺める藤原慎二。
「どうだね? なかなかだろうディーヴァの性能は」
「ああ、堪能出来たぜ。……どういう仕組みだ?」
「くはははっっ、いいだろう。そもそも、【歌姫】とは歌い手の事を示した物ではない」
「……は?」
「歌姫、と言うのは【プログラム】の名称だよ。今、あの小生意気なガキが着けているヘッドフォン、あれが媒介となっている。
三枝木宏臣は考えた。歌には人の心を動かせる力がある、それをイレギュラーを介して伝達する事で効率のいい愚民を作れるのでは、とね」
「…………」
「だから、WDの研究部に実験的に依頼したプログラムを用いて実証実験をすることにしたのだ。
様々な可能性がある、【洗脳】に【同類への覚醒】、それから【扇動】と無数に。だが、一つ問題があった。あのプログラムを再現出来るのは、ある種の系統、具体的には【音】を媒介にイレギュラーを発動出来る者だけだという、ね。だからこそ、無名のガキ共を用いることにしたのだ。有名歌手をうっかり【壊した】ら騒ぎになるからね。
君も聞いた事位はあるだろう? マイノリティが発動するイレギュラーにはその人物の精神性や欲求が関係すると」
「……ああ」
確かに聞いた事があった。
あくまでも一説でしかないが、イレギュラーとは覚醒したマイノリティ自身の潜在的な欲求、または願望の形だという説を唱える学者がいるらしい。
例えば、殺人願望を持つ者であるなら、その淀んだ精神性がイレギュラーに反映され、醜悪な姿になる事もあるのだという。
確かに、あの木島秀助はそう考えると合点が合う。あの”狂った蜘蛛”の醜悪な姿はあの猟奇殺人者にこそ相応しいと思えた。
だが、当てはまらない者もいる。それは生まれながらのマイノリティ。彼らにはまだ確たる自我は存在しない。であるなら何か?
その会場にいたマイノリティは自身の例を例えに出して尋ねた。
その学者はこう答えた。
”その子供の【起源】ではないかと、私は思います。つまり、その子の血縁者のいずれか、父母や祖父母もしくはもっと以前の存在、その中の誰かの持っていた潜在的な能力を隔世遺伝で受け継ぐ様に。つまり、未だ自我を持たずに覚醒していたからこそ、先人の持っていた【可能性】、この場合はイレギュラーを受け継いだのではないかと私は推論します”
つまりは零二の場合は、あの忌々しい炎を先祖やら何やらが持っていたのを引き継いだのではないかと? という話だ。
「聞いた事はあンぜ。で、それが何だってンだよ?」
「ディーヴァはあくまでも補助プログラムだ。イレギュラーを用いるのはあくまでも本人だよ。例えば、一般人の【痛覚】を無くしたり、敵対者の【意識】を一瞬奪ったり、または【音波】で支援攻撃をさせたり、等々ね。……勿論、ディーヴァの指示の元にだが」
「チッ、うぜェな」
今の話で理解出来た、さっきからあの白スーツの男の動きが良くなった様に感じたのは、間違いだった。零二自身の意識が一瞬奪われたからこそそう誤認させられていたのだ。
「で、結局今日のライブで巫女に何をさせるつもりだったんだ?」
零二は努めて怒りを抑制する。
息を吐き、全身を纏う蒸気を弱める。
最低限に抑える事で、戦闘可能な残り時間を伸ばす為だ。
藤原慎二は、自身の勝利を確信している為か語る。
「詳しくは知らんが、洗脳実験だろうな。無意識下での刷り込みをする事で、一般人の中に神宮寺巫女、とかいう少女の熱狂的なファンを作る為のな。幸い、これ迄の失敗作共とは違い、このガキはディーヴァを接続させても【自我】を喪失しない。こちらとしても大事な大事な商品だよ」
饒舌な語りだった。神経質そうなその表情には零二を見下す様な高慢な嘲りの笑みを浮かべながら、愉快そうにそう言った。
「そうか、わーーったよ。巫女ッッッッ!!」
零二は突然声を張り上げた。
「お前はそんな訳分からねェ機械に好き放題されて悔しくねェのか? 答えろッッッッ」
そうありったけの叫びを、少女へと投げかける。
「くはははっっ、バカか? あれはディーヴァの管理下だ……」
そう言いかけて、藤原慎二は、あ、と言葉を漏らす。
「──やだよ」
少女はそう小さな声で答えた。
その虚ろな目からは涙を流しながら。
「そっか……ンじゃどうりゃいい? 言えよ」
零二は言葉をかける。
「たす、けて。助けてッッッッ」
少女は消え入りそうな声でそうハッキリと答えた。
零二は獰猛な目を向けると、
「いいぜ……それがお前の自由っつうならオレは──」
そう言いながら目蓋を閉じ、全身から蒸気を吹き出して目蓋を開く。
「──お前の全てをブッ飛ばす」