虎徹と担い手
「おおおおおおおお」
少女は唸り声をあげ、その変化はすぐに表に出る。
まず、変化するのは少女ではなく、刀の方であった。
ドクン、
それは鼓動。
きぃぃぃぃぃぃぃん、
とした奇妙な甲高い叫びのような音。
そしてその刀身に浮かび上がるは無数の紋様。
ドクン、ドクン。
赤い無数の紋様は奇妙な事に細かく、だが、間違いなく脈動している。それはまるで血管にも思える。
実際、この紋様は血液である。
士華、という少女の、今の自身の担い手の命の一部を糧にしてこの妖刀は目覚めていく。
その刀身がパキパキ、と音を立て始める。
「すううううう」
少女は大きく息を吐く。
士華の雰囲気もまた一変、細められたその目は赤く染まり、狼の様な獰猛さを放ち始める。
その雰囲気はまさしく獣、強烈な殺意を放ち、彼女を取り囲みし無数の敵の群れを怯ませる。
しゅん、とした風を切る音。
少女は一体いつの間にか右手にあった刀を一閃していた。
次の瞬間、周囲にいたオオグチ達は一斉に崩れ落ちる。
別段、深手を負わされた形跡はない。
だが、一刀で一〇を超える敵がその姿をグズグズ、と崩していき……液状となり、消えた。
それは間違いなくオオグチ、という生き物の死の表現。
「行くよ」
周囲の敵を一瞥し、少女は宣言する。
その意味は勿論、今からお前たちを残らず斬る、というものだ。
士華もまた速い獣じみたその速度はまるで豹の様ですらある。
だが、彼女の動きは零二とは違う。
零二の熱操作による機動力は例えるならば、F1のマシーン。
急加速、急減速を強引に行うのであれば、
士華のそれはあくまでも自然である。
柳のようなしなやかさで柔らかい体捌きで敵の攻撃を避けつつ、一刀にて敵を斬り捨てていく。
零二の攻撃が力任せで加減という点が著しく曖昧であるのに対し、
彼女のは最低限の動きと力加減でありながら、確実に敵を屠っていく。
どちらがどちらに勝る、というのではない。
どちらにせよ、オオグチには脅威であったのだから。
そうしてどの位の時間が経過した事であろうか。
「武藤零二!!」
士華が叫び、
「おうよ!」
零二は応じる。
二人は互いへと一直線に駆けていく。
少年はその両の手を振るって殴打し、切り裂きながら。
少女は刀を両手で握り締め、左右に切り返しながら斬り進む。
二人の進んだ後には跡形もなくなっていくオオグチだったものだけが残されていく。
そうして両者は互いを背にしつつ周囲の敵を蹴散らしていく。
そのペースはさっきまでより明らかにペースアップしており、続々とオオグチは死していく。
死屍累々とした惨状にならないのは死ぬのがオオグチ、という異界の怪物であるから。
彼らは死ぬに際し、その肉体を残さない。
ただ、僅かに地面を湿気させ、死臭を放つのみである。
「う、気持ちわりぃ」
「こんなの納豆とかと思えば平気だよ、多分」
「納豆? やだムリ」
「え、もしかして納豆ダメなの、武藤零二?」
士華はニヤニヤとしながら尋ねる。
すると背中合わせの少年は即座に、
「当ったり前だろ! ……ってか何であンな腐った食いもン食べなきゃいけねェンだ」
ワケ分かンねェ、といいつつ顔をぶんぶんと大きく振り回し、露骨な拒絶反応を見せる。
そう言いながらも向かって来るオオグチの攻撃を輝く左手刀で斧毎叩き切る。
更にその後ろに隠れるようにして潜んでいた敵を今度は右手を突き出して斧を持っていた敵毎一気に貫いてみせる。
「うおらああっ」
その怒声からは明らかにある食べ物を連想した事による怒りの感情が滲み出ており、士華からすれば単なる八つ当たり。敵であるオオグチからすればいい迷惑であろう。もっとも彼らにそういった人間らしい感情の揺れがあれば、ではあったが。
「ははっ、思った以上にお子様だよね。君はさ」
士華は笑いながら虎徹を袈裟懸けに振る。その一刀は槍を構えた敵をその獲物毎バッサリと切り裂いてみせる。
「言っとくけどなシカ。…………オレは思うンだよ。最初に納豆なンてモノを食べたヤツはさ、きっと飢えに苦しンだ挙句だった、。そう、苦渋の選択ってヤツで仕方なく口にしたに違いないってさ。
だからさ、考えたンだけどよ……もしもタイムマシンってのがあるンだったら、オレは絶対最初にソレを食っちまったヤツの所に駆けつけて『おい、おにぎりを持って来たぞ。だからそンな腐っちまったモノは捨てちまえ』って助けに入るね。よっと、邪魔すンなっての!
……そしたらさ、歴史上から納豆なンて食い物は無くなるンじゃねェかな? どう思うよ?」
敵の上段蹴りを身を低くして避けつつ、拳を突き上げる。
零二は至って真剣であった。
彼は冗談ではなく、もしもタイムマシンがあったのならば、今しがた口にした事を実行しようと本気で思っているのだろう。
「あのさ、それって多分無駄だと思うよ」
よいしょ、といいつつ刀で左右を斬りつける。士華はあくまでも冷静であった。
「だってさ、それでその人は納豆を食べないかも知れないけどさ、他の人が結局最初に食べてしまうんじゃないのかな?」
そう言うと、猫の様な俊敏さで敵の膝を踏み台にしつつ、痛烈な膝蹴りを側頭部へ叩き込む。
そうして大きくのけぞった相手へ虎徹を一振り、両断する。
互いに喋りながら戦う二人の様子は、どう見ても真面目とは到底言い難いものである。
だがそれでも彼らの個の力が圧倒的に上であり、零二も士華もその事を理解しているからこそ、である。
油断とか慢心とは違う、明確な事実である。
「何をしているのだ」
ここに至り、仏子津は苛立ちを覚え始めていた。
現在彼が指揮するオオグチの群れの総数は一二六二体。
地面に染み込み、出番を待つモノをも含めてであるので、表に姿を出しているモノに限定するならば総数は九七六体。
それだけの数を揃えているというのに。
たった二人の少年少女をすら制する事も能わない。
確かに両者共に保持する戦闘適性は最上位ランクだろう。
だがそれでも、持久戦に持ち込みさえすれば、勝ちの目もある。
そう確信していたからこそ、彼は二人の敵を相手に一斉攻撃を指示する事を躊躇う。
短期決着こそがこの二人の望む所なのだから。
(そうだ、時間をかけて弱った所を喰らえばいい。そうそれば、こいつらを駒にも出来る)
そんな事を考え、だがふと思う。
(いや待て、では三条左京の場合を思い出せ。あれを喰らった結果を思い出せ)
そう、三条左京。
あの男はその身をオオグチに喰われながらも、取り込まれなかった。
それどころか、僅かな数とは言えどオオグチを逆に支配して、自我を保ったではないか。
(あれはなぜ起きた? それが分からぬのでは、下手にあの二人を喰らうのは寧ろ、危険極まりないのではないのか?)
仏子津は気付いていない、そういう意味では彼自身も同じであるのだと。
オオグチと一体化し、その大半を支配していられる自分の存在に三条左京、それれが決して例外ではない事を示しているのだと。
なまじ彼らと迎合したもが仇となり。仏子津はここに至っても未だ知らなかった。
このオオグチ、という名の怪物の特質を。
「せーーーーのっっ!!」
かけ声と共に士華は虎徹を大きく振り払う。
大振りな一刀ではあったが、それでも彼女の剣速は常軌を逸した速さ。
周囲にいたオオグチ達に躱せるはずもなく、一撃で一〇体が斃される。
だが、オオグチは怯む事なく襲いかかって来る。
「もう、何だよちょっとは怯むとかなんとかないの? 困った奴らだよね」
その口振りとは裏腹に、彼女にはまだ余裕がある。
攻撃にも自身のイレギュラーを用いる必要のある零二とは違い、士華の持つ虎徹はそれ自体が生きている事もあり彼女自身には然程の負担はない。
だから、であろうか。
士華には零二よりも現状を冷静に判断する余裕があった。
その視線をこの群れの中枢であろう仏子津へと向ける。
勿論、直視出来る時間は少ない、だが敵の群れを躱し、いなして反撃に転じながら、時折横目で観察してみる。
そして断定こそ出来ないものの、仏子津の様子が少しおかしい、と気付いた。
そこに、
「シカ、どうなンだよ? 準備は出来たのか?」
零二の声が届く。
その声の調子からは僅かながらも焦りらしきものが窺える。
戦いを開始してからかれこれ数分程。
確かに零二にとってはそろそろ自身の残量が気になる頃合いであろう。
(それに、僕だってそんなに余力がある訳でもないよな)
士華自身も、限界が近付いてくるのが実感出来ていた。
零二よりも消耗自体は少なくとも、彼女にもまた体力の限界は近付いていた。
虎徹にも幾つかの欠点が存在する。
それは消耗の早さ、である。
士華の攻撃自体は確かに零二とは違いあくまでも虎徹自身による斬撃であり、特段彼女自身は意識してイレギュラーを用いたりする事はあまりない。
だが、この虎徹を手にする事にはあるリスクがつきまとう。
この刀は生きている。
生きていく、には何らかのエネルギーを欲し、摂取しなければならない。
そしてこの虎徹にもそれは該当する。
この刀は他者、それも特に異能者を糧とする。
その特性が最初からこの妖刀に付けられていたのかは担い手たる士華も分からない。
だから先程から彼女がこの刀を振るう、という行為は虎徹にとっては云わば捕食行為であるのだが…………、
ド、……………………クン。
鼓動が静まりかけている。
それは間もなく制限時間が終了する、という事。
この刀の力を引き出す方法は極々簡単にして明快である、
担い手がその血肉を捧げる、それだけである。
担い手が己が血肉を銀色に輝く刀身に与える事で、この妖刀は目を覚ます。
ちなみに目覚めていなくとも、刃に付いた血肉は喰らってはいるのだが、それは例えるならば無意識下での行為であり、呼吸している様なもの、とでも例えるべきであろうか。
いずれにせよ虎徹は目を覚ますと、生存本能に従って捕食を始める。
そしてその行為を効率的に実施する為、その為に担い手に力を貸し与えるのだ。
その力とはすなわち、これまでに喰らった様々な異形のモノ、それらから摂取し、咀嚼して得たエネルギー一時的に担い手へと貸し与える事である。
血肉を喰らうというのは多少語弊がある言い方であるのだが、虎徹が喰らうのはあくまでもエネルギーであり、その為の経緯として獲物の血肉を引き裂いているに過ぎない。
つまりはこの刀の本質は”魂喰らい”つまりはソウルイーターである。
確かにこの刀の担い手は強力な力を得る事が可能だ。
幾多もの担い手が戦い、得た無数の怪物を喰のらい、咀嚼して、蓄積してきた膨大なエネルギーを借り受けるのだから当然の結果でもある。
だが、それだけの強大な力をたかが人の形をしたモノが果たして担い切れるのか?
応えは、否である。
そのエネルギーは脆弱な人の器にはあまりにも過分に強力だ。
だからこそ、分け与えるエネルギーには分量、配分が決まっている。
それは虎徹にとっては至極当然の選択であろう。
彼のモノにとっては、自身を振るうモノが壊れてしまったのでは本末転倒であるのだから。
それに、最も重要な事実として、
この刀にとって、最上の糧とは自身を手繰る担い手そのものなのだから。
だから、”鼓動”が止まりつつあるのは虎徹が眠りに就こうとしている予兆。
それは担い手の肉体に過度な負担を与えない様にしているのだとも云える。
(分かってる、でも今は駄目だ、だからまだ)
プツッ、
それは士華が自身の血を新たにこの魂喰らいに与える為に、己が手首を噛み切った音。
ドクドク、と流れる鮮やかなその血飛沫を虎徹は堪能していく。
士華はよろめきながら尋ねた。
「………もう少し僕に力を貸してくれるよね?」
ドク、ドクドクッドクン、
その言葉に応じたのか、
その鼓動は再度、さっきよりも早く刻まれていく。
「オイ、大丈夫かよシカ?」
思わず零二が近付く。
対して士華は左手でその動きを制すと「武藤零二、準備は出来たよ」と言葉を返すのだった。




