逆転
零二と士華が仏子津と激しい戦いを繰り広げる中。
真名と三条左京の戦いもまた始まろうとしていた。
「ふ、先だっては随分と世話になったな、異能探偵殿」
その声は近くから発せられたが、当人は山頂にいる。声は真名のすぐ側にぞぶり、と浮き出したオオグチから発せられたものである。
当の本人、三条左京の姿をした者は依然として山頂にいたまま動かずに、悠然と真名を見下ろしている。
「これは、私のような者を覚えていただけるとは光栄ですね」
「ああ、光栄に思うがいい、本来であれば貴様のような下賤の奴原を私が覚える事など有り得ぬ事だ」
「はは、それはどうも…………それで、お尋ねしたい事があるのですが――」
言葉を言い終える前に真名は扇を一薙ぎ。
風が巻き上がり、彼を狙いし礫を吹き飛ばす。
同時に三条左京からの言葉が届く。
「調子に乗るな下賤の者。お前らのような者が気安く私に物を申せると思うなよ」
その言葉には吐き捨てるような罵倒がこめられており、真名は彼が如何に己が出自に強く自負を抱き、それ故にこそ現実を受け入れられずにこうして暴挙に出たのだろう、という確信を抱いた。
「事ここに至ってはもはや貴様やあの野猿の如き女、そして【穢れた血】を受け継いだ小僧をこの手で八つ裂きにしてくれるわ」
その言葉は彼の本心なのだろう。
真名は、何も問わずに山頂にいる相手を見上げると、ゆっくりとした足取りで登り始める。
左京もまた、無言で新たな道具をオオグチから造り出させる。
出て来たのは一本の手槍。
それは投擲用のいわゆるジャベリンであろうか。
その武器の手触りを確認するかのように左手でそっとなでる。
今までの武器とは違い、投擲しやすいように右手で掴んだまま後ろへと溜めるように構えを取る。
すぅ、と一呼吸してより足を踏み出してから右手のソレを一気に相手めがけて投げ放つ。
それはまさしく三条左京の本気での投擲。
先程までとはまるで加速速度が違う一投。
さっきまでが風を切るような勢いであるのならば、今度は風を突っ切るような勢いでグングン速度を増して迫っていく。
「くっっ」
真名もその危険さに気付き、扇を左右二つ取り出すと同時に仰ぐ。
左右から突風が吹きあがり、向かってくる投げ槍の勢いを削がんとする。
単純にさっきまでの二倍、或いはそれ以上の風。
だがそれでも槍の勢いは殺せない。
シュン、という音を立て加速。風の壁を瞬時に突き破り、なおも速度を上げていく。
真名は見誤った、三条左京の本気を。
物質超加速、というイレギュラーの脅威を。
避けようにももう、槍は目前にまで迫ってくる。
(躱せない、――当たる)
どしゅ、肉が抉られる嫌な音がその場に響いた。
「ぐう、うう」
真名は苦痛で膝を付く。
ぼたぽた、と鮮血が地面へと落ちていく。
脇腹は灼熱でも発したかのように痛む。
ジャベリンはその狙いであった腹部へは達しなかった。
その代わりに、すんでの所で腰を捻った真名の脇腹を抉り取ったのだ。
(何とか致命打は避けましたが、これはまずいですね)
燃えるような痛みは、僅かにかすめたはずなのに、勢いと威力の凄まじさで脇腹の肉は根こそぎ持っていかれていたのだ。
「どうした? たった一投でこれでは先が思いやられるぞ」
自身の優位に満足したのか、左京の声からはハッキリと愉悦が聞いて取れる。
ずず、とオオグチを変化させ、その手にはまたもジャベリンが握られている。
先程の第一投と同様に構えを取ると、投げ放つ。
ぐぐん、何段階にも加速しながら唸りをあげ迫る脅威。
激しい痛みの為かさっきよりも集中力に欠けた真名の動き出しは鈍いものである。
ばしゅ、驚く程に呆気なく太ももを抉った槍は、地面に突き刺さると同時にばきゃん、と壊れる。
ジャベリン、もとい投げ槍とされるものは元来より敢えて粗雑に造られている。
その理由は簡単で他者による使用の防止の為、であるとされる。
自分が敵へと投げた得物が躱され、あろうことか投げ返された挙げ句自分に命中、等となっては目も当てられないからである。
だからこそ、敢えて壊れやすいように造られているのだ。
その上に、左京のイレギュラーである物質超加速だ。
凄まじい威力と速度を発揮したジャベリンはその一投に耐えられるはずもない。
あっさりと分解され、柄から刃先が外れ、さらにはそもそもはオオグチの一部、一個体であったからかぐずぐず、と崩れて地面に染み込んでいく。
「く、ふっっ」
真名は大きく息を吐いて痛みに耐えながら、倒れるのは拒否する。
まずはリカバーにより、傷を塞ぐ。
おかげで出血はすぐに止まる、だが抉られてこそげ落ちた肉はすぐには回復しない。
「ふはは、どうした? まだまだいくぞ!!」
左京は相手が苦悶するのを見て悦に入ったらしい。
上機嫌な様相で、ジャベリンを二本掴むと、今度はぞんざいに投げる。本気からは程遠い投擲である。
だがそれでも、超加速により二つの投げ槍は一気に迫ってくる。
「ふっ、っ」
真名はその凶器の軌道を確認して動く。
自分から倒れ込み、地面を転がるようにして回避する。
びゅおん、と唸りをあげつつ二本のジャベリンは真名の頭上を通過していき、やがて消え失せる。
と、轟音と共に地に伏せた真名の眼前に複数のジャベリンが突き立っていた。
「はは、随分と分相応になったではないか。そうだ、下賤の者にはそれこそが相応しい立ち位置というものだな」
しゅん、という音。
「ぐあっ、つう」
真名の両足に腕まで抉られた。
それぞれが致命に至らないのは、まず間違いなくそれを行った者にすぐに獲物を仕留める意図がない証左であろう。
「そうだ、苦しめ悶えろ。もっとも私が味わった屈辱にはそれでも手ぬるいがな」
左京の声が近い。己の勝ちを確信したからであろうか、山頂からこちらへ向かって来ているらしい。
その声の響きからはその気さえあればいつでも真名を殺せるという自信がうかがい知れる。
どす、更にジャベリンは無数に地面に突き立っていき、真名を完全に取り囲む。それはさながら動物を閉じ込める檻のようにも地に伏した真名には思えた。
「ふむ、仏子津とやらも存外にやるではないか。これならば、事を急く必要もない」
感心したのか頷く左京の足が止まった。
距離にしておよそ一〇メートル。
どうやらそれが彼の間合いのギリギリのラインらしい。
「最後に教えてはいただけませんか? どうしても知りたい事があるのです」
真名の声は深手を負った為か幾分か弱々しい。
その声音に左京は気を良くした。
「ふん、よかろう。少しばかり話に付き合ってやろうではないか。一体何だ?」
オオグチは腰掛けるには丁度いい高さの岩となり、左京はそこに腰掛ける。
とは言えど、その手にはいつでもトドメは刺せるのだぞ、という言外の圧力なのかジャベリンを握り締めている。
「あなたは一体オオグチという怪物で何をされるつもりだったのですか?」
真名は問いかけた。地に伏して全身に傷を負いボロボロになった現状ではあったが、その視線だけは決して相手から逸らさないのは彼の意地である。
「あれの特性はもう理解していよう。あれは自身が喰らいし生き物へ成り替わる事が可能だ。
これまでは生き物にしか成り得ないと聞き及んでいたが、先程から武具にもなっている事からそれもどうやら違ったらしいがな。
これは文字通りに万物へ成り代われる、そういう存在なのであろう。
これにも自我なるものはあるらしいが、それ以上に強い自我の前では服従するらしいのは、この身がこうなって初めて分かった。
この身体も実に忌々しいが動かすには不都合はなさそうだ」
そこまで話すと左京は何かを見つけたらしく、腰を落として手を伸ばす。そうして左手で何かを指で弾く。
真名の目に何か銀色に輝くモノが見えるや否や、
「くうっ」
その頬に激痛が走る。
何か小さなモノが顔面を強かに打ったのだ。
視線を下へ向ける。するとコロコロ、と転がるのはパチンコ玉らしい。落ちていたそれをぶつけてきたらしい。
「ふはは、この距離であれば貴様に躱す暇など有り得ぬ。
さて、そろそろ死ぬがいい」
「それはま、だです」
真名は頬に走る痛みに表情を歪めるものの、発した声にはいささかの怯みもない。
「あなたは私の質問に答えていません、改めて聞きます。
あなたはオオグチを用いて一体何を達しようとしたのですか?
これを聞くまでは死ぬに死ねません」
真名は真っ直ぐに相手の目を見据える。
そこに宿る光はさしもの左京ですら一瞬目を見張る強さであった。
「ふはは、……よかろう。お前も死ぬに死ねぬと言うのであれば冥土の土産に教えてやろうではないか。
オオグチは喰らった生き物に成り変わる事が出来る。
それは単に姿を真似るだけではなく、その者が持っていた能力も真似るのだ。
つまりは、強い異能者を喰らったのであればその者と等しき異能を持った者を際限なく増殖出来るのだ。
これが何を可能にするか分かるか? 答えてみろ」
「……軍隊、ですね。それも最強の力を持った個体、者の姿を象った異形の軍隊」
「そうだ、その為の下準備を私はあの愚者に任せたのだ。
あれは実によく動いてくれた。
おかげでオオグチは力を蓄え、あとは程よく熟した身を私が奪うだけであったのだ。
それを、よくも邪魔をしてくれたではないかクズ共が!」
「その為になら、家族すら殺すのですか?」
「家族ああ、右京の事か? く、ふ、あはははははっっ。何を言うかと思えばかようにくだらぬ事が気になるのか。
あの病弱で根暗で陰気な弱者など死んで当然の弱者よ。
どうせならばこの手で仕留めてやりたかったわ、くはははは。
武藤零二、あの小僧も実にいい囮であったさ、愚者共が皆釣られたのだからなぁ――――!」
「…………だ、そうだそうですよ。聞きましたか?」
不意に真名は何を思ったのかあらぬ方向に向けて声を発する。
三条左京はぞくりとした悪寒を覚える、その声音は驚く程に淡々としていたからである。
「貴様、気でも違えたか、そんな所に誰がいるというのだ?」
「……それはどうでしょうかね?」
その言葉と真名の表情は平静そのものであった。
さっきまでの苦悶に満ちた表情は何処へやら、である。
三条左京はその視線を真名の声の方へ向ける。
そこには虚空があるだけ、そう思いながら。
だが、そこには何かがいた。
それは一匹の蝙蝠の姿。
単なる蝙蝠とは明確に違うのはそれは一ヶ所にて滞空していた事であろうか。それはまるで……周囲を飛び回ってしまう事で自身の存在を発覚されるのを嫌ったかの様に。
「な、何だそのケダモノは」
その声がうわずった。
≪ケダモノ、とは随分と失礼おますなぁ≫
その声音は明らかに人の、それも女性のそれ。しかも、彼の旧知であり、彼が一切の介入を禁じたはずの相手。
「貴様……防人の長、か」
わなわな、と全身を震わせる。怒りから、もしくは焦りからかなのか自分自身でも分からない。
≪あい、あんさん自身の口からから聞きたかった話はもう充分聞かせてまらいましたわ。これはほんに大変な事態どすなぁ。
さて、皆さん聞きましたわなぁ。
今回の一連の事態、その犯人が一体何処の誰なのかを。
それであんさんたちが誰を敵とすべき、かを≫
蝙蝠を介しての妙の声、言葉が京都中の防人、退魔師へと伝わっていく。彼らの周囲には鼠、猫、犬、烏といった様々な動物がおり、そのいずれもがたった一人の異能者による式である。
確かに彼女は戦闘能力には欠けている。
だが、だからどうしたというのか?
彼女はたった一人で一〇〇〇を越える式を手繰ったのだ。
多数の異能者に対して自分の異能力を明らかにするというリスクを冒して。
ぷちん、と左京の中で何かが切れた。
「お、のれ。おのれええええええええええ牝狐めがぁ――――」
それはまさに事態を打開する逆転の一手。
そしてその怒りは、差し当たってこの事態を招いた一人の探偵へと一身に向けられるのであった。




