浸透
(う、ぐがあああぁぁぁぁぁ、やめろヤメロ……ヤメロ)
声が聞こえ、仏子津は悶え苦しむ。
いや、聞こえるというよりは内部で響き渡る、反響するといった方が正しい表現かも知れない。
仏子津の中で何かが塗り替えられていく。
様々な色で塗られた何かが真っ黒なペンキで上からベッタリ塗り潰していくような感覚。
そうして一つ、また一つと何かの色は黒く、濁り、意味を変えていく。
そうして浮かびがるのは、つい先刻の出来事。
奥宮で反魂の法を行い、望みを叶えんとーーした際の出来事。
誰かにそれを妨害された。
その顔も何もかもが霧でも発生したかのようで、何一つとてボヤけて分からない。
突然霧が晴れていく。
その顔は少年であった。髪は黒くてツンツンとした短髪。
好戦的な雰囲気を醸し出す目付きに、不敵かつ獰猛な印象を与える笑顔は何処か野生の獣を思わせる。
(こいつは、誰だ?)
その少年には見覚えがある。
誰だったか…………、
≪そいつこそが君の願いを邪魔する君の敵だ。
名は武藤零二、君の大事な人を殺した張本人でもある≫
(あいつが、彼女を?)
≪そうだよ、あいつが君からこの世で一番大切なモノを奪った憎き相手だ。さぁ、殺せ、あの小僧を殺せ≫
殺せ、殺せ、…………。
延々とその言葉が脳内を巡る。
最初こそ曖昧だった記憶が次第にクリアになっていく。
(そう、そうだ。あいつが、彼女をおれの目前で殺した仇。
あいつが、あいつさえいなければ――許さん)
沸き上がる憎悪。溢れ出す殺意。
その全てが一人の少年へ向けられていく。
誰かは優しく、まるで子供を慈しむ親の様な声音でこう言った。
≪そうだよ、君があいつを殺せば――君の願いは、望みは達成出来るだろうさ≫
「ン?」
零二が違和感を覚える。何かが迫って来る。
だが、何も見えないし、視えない。
ただ感じるのは強い意思、そう何かの執念の様なモノ。
ぞわり、とした悪寒が背筋を走る。
(何かやべェ、ここはマズイ――!)
本能的にそう感じた零二は即座に動く。
全身から蒸気を発して一気に駆け出さんとする。
そして左右の足を交互に一度だけ動かした時である。
ごごご、という揺れが起きて、地面が隆起する。
地割れが発生して、ポッコリと開かれたその口が周囲の木々を飲み込み、底深い胃袋へと飲み込んでいく。
「う、わっっとと」
予期せぬ展開に驚きつつも、零二は地割れに飲まれる前に跳躍。難を逃れていた。
一方で消滅しつつあった三条左京は飲み込まれ、地の底へと落ちていく。
だが事態はそれに留まらない。
「な、なンだこらぁ」
地割れからウゾウゾとした液体が滲み出してくる。
それは水、というのはあまりにもどす黒く、まるでヘドロの様にも、タールの様でもある。
そして何よりもその液体は単なる液体ではなく、その流れは上から下へと流れていくのではなく、逆に上へと登り、あっという間に山全体を包み込んでいく。その動きはこの液体には明確な、
「コイツ……なンだよ? 生き物なのか?」
そう、まさに”意思”がある証左であった。
そして何よりもその液体からは明らかな敵意が発せられている。
「と、とっっ」
木の上から上へと飛び移りつつも下っていく。
≪逃がさんぞ≫
声が発せられて、それは零二を追いかけてくる。
そして零二の視先は、貴船神社の奥宮へ向けられる。
すると、そこにいたはずの無数の敵の群れの姿がない。
かなりの数を蹴散らしたとは言え、それでもまだまだ多かったはずだ。
その群れが一体すら残さずに消え失せている。
「そういうコトかよ。コイツがオオグチか」
零二は一気に加速をかけるとそのまま飛び降りる。
地面を削りつつ着地するとそのままの勢いで走る。
そうして今度は参道の石階段の最下部まで一気に飛び降りる。
どん、とその着地で地面にヒビが入り、全身に電流の如く痺れが走る。
「しゃあねェか、来な」
そう言うと拳に熱を集約。白い蒸気を発して”輝きの拳”を発現、身構える。
すると、オオグチは石階段を降りるのを止める。
そしてその液体が盛り上がり、人の姿となる。それは間違いなく仏子津であった。
高低差の為にその表情を読み取る事は出来なかったが、彼は身をふるふると震わせており、その様を目にした零二は挑発の言葉を投げかける。
「……なンだよ、今になって怖いってか?」
「……返せ。何処だ?」
「あン? 何言ってやがる」
「おれから奪ったモノをかえせええええ」
仏子津が激昂しているのは明白だった。だが、何に対してなのかが分からない。
ボコボコ、ッッという音と共に地面から何かが零二の足元を狙う。
「う、おっ」
後ろに飛び退いた零二が目にしたのは奇妙極まるモノであった。
それは端的に云うならゼリーか、アメーバ状の塊に思えた。
半透明な身体の内部からは内臓のようなモノが透けて見えるのだが、目に該当するような器官は備わってはおらず、そのかわりなのか触角のようなモノが無数に伸びており、しきりに周囲を見回す様な仕草を繰り返す。
「なるほどね、コイツがオオグチってバケモノの本当の姿ってワケだ」
零二はへぇ、と顎を親指で擦りながら感心するような仕草を見せる。
ビシビシ、と地中から更に無数の巨大アメーバがその姿を続々と見せる。
≪ウグェェェ≫≪ミギャアアア≫≪テケリ・リ≫
それらはそれぞれに奇妙な音を出しており、それでコミュニケーションをとっているのかも知れない。
それに、もう一つ気になる事があった。それは、
「うえ、気持ちわりぃぜ」
思わず零二は鼻を摘まむ。
それは凄まじいまでの悪臭。それはもう腐敗臭、死臭、考えられる限りの不快な臭いを全てぶち込んで混ぜ合わせたような感じ、だろうか。
鼻から吸わないように意識していても、目が痛くなり、思わず涙が浮かぶ程である。
≪ド、コダ。ど、こだ…………何処だ?≫
一体、どこに発生器官があるのかは分からない。
だがその音は徐々に人の声に、仏子津の声に酷似していく。
零二にはその行為は、まるで楽器のチューニングでもしているかの様に思えた。
無数に姿を見せたアメーバ状の塊――オオグチは一斉に零二へと殺到してくる。
ずるる、とその全身を引きずりながら覆い被さらんとす。
「へっ、そうはいかねェっての!」
全身から蒸気を発し、零二は上へと飛び上がる。
前回の先頭で理解している、この怪物はその全身そのものが一種の消化器官を兼ねているのだと。
そして、特性もここまでの状況でおおよそではあったが理解もしていた。一つは単純なパワーアップ。一種のドーピングの様なモノだとも思える。
もう一つは推測でしかなかったが、恐らくは喰らったモノの姿と、その異能力をも取り込む。
その結果が、さっきの大勢の群れの正体であろう。
ちらり、と零二は石階段の最上段に鎮座する仏子津へ視線を向ける。
さっきまでとは明らかに違うのは、さっきまでの無表情、無気力な様子から一変、激昂している事であろう。
そこにあるのは明白な自我である。
「返せ、……カエセ」
うわ言のように同じ言葉を発するのみ。
ただ、その視線は真っ直ぐに零二へと注がれており、敵意を剥き出しにしていた。
それを受けて不良少年はへっ、と一言呟くと、
「ったく、サッパリ分かンねェけどよぉ、要するに、だ。
オレから何かを取り返したいってワケだな。ならよぉ、」
かかってこいよ、と手招き。
それが開戦の号令となった。
その始まりはさっきまで比較すればと実に静かなものであった。
オオグチ、いや仏子津が喰らい、取り込みし様々な異能者の手繰る異能力が飛び交うような派手な戦いではない。
ただ、不良少年が石階段を一気に猛然と登り上がるのに対し、上で待ち受ける恰好となりし男が迎え撃つ格好の戦い。
「る、っあああああああ」
咆哮しながら敵へ向かう零二へ、仏子津が仕掛ける攻撃は周囲を取り囲んだオオグチによる襲撃。
下手な小細工など無用。
ほんの少し、そう少しでも獲物の血肉を喰らえば勝負あり。
オオグチ、もとい仏子津の狙いは武藤零二という強力な異能者の持つ能力であった。
あの熱を基調にした焔を手繰る能力には本当に手を焼かされた。
仏子津は今に至り理解していた。
(最初からアイツを喰えば良かったんだ、アイツだけでおれが喰らった雑魚に比類、いやそれ以上の力を得るのも可能であったのだ)
どういうわけかは分からないが、
さっきまで怒りに支配されていた思考は、ここに来て自分でも驚く程に平静さを取り戻していた。
無論、彼女との邂逅の為の儀式を妨害、あまつさえ無数の犠牲者を出してまで蓄えた魂蔵と化したオオグチの分体を奪い去った事は絶対に許せはしない。
しかし怒りに身を任せて攻め立てても通用しないのは痛感もしていた。
(落ち着け、ここはもうおれ達の【庭】だ。オオグチは既にこの場所を侵食し、体内も同然にしている。今、ここで戦う分にはおれ達の方が圧倒的に優位だ)
それは彼自身のみならず、運命共同体であり、一蓮托生となった己の一部にして全てにして、相棒となった怪物へ投げ掛けた言葉でもあった。
「うん上出来だな、これで少しは面白くなる」
オオグチ、いや、仏子津の精神から己の意識を切り離す。
”潜航”。
それがそのイレギュラーに対して自身で付けた名称であった。
予めマーキングした相手の記憶に介入する能力。
消耗が激しい為に長時間の潜航は滅多にしない。
戦闘向きとはとても言い難い能力ではあったのだが、
”記憶”という出来事を、生きてきた証しに介入。後に編集出来る力でもある。
「ふむふむ、これが【魂蔵】か………なかなかに興味深い」
その膝の上には透明な箱に納められた何かの肉片の様なもの。
更にそれが異様であったのは、その肉片が日本に思える事であっる。
うようよとした何かが蠢く。
それは厳密には生きており、自身へと近寄らんとする者を威嚇するかの様に、うねうねとその姿を変え続ける。
「困ったモノだ。 これじゃあ……まるで狂犬じゃないか」
と言いつつも、その人物に浮かぶのは困惑ではなく、愉悦。
心底愉しそうな歪んだ笑顔であった。




