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 あれはいつの事だっただろうか?

 何故か分からないけど思い出せない。

 でも分かっている。

 その日、君とおれは君に告げた。

 それは思い出すのも憚れるような恥ずかしく、稚拙な言葉の羅列だったろう。

 でもそれは当時のおれにとっては精一杯の、心からの言葉だった。

 突然の言葉は君を随分と困惑させたに違いない。

 ぽかん、とした表情で君は固まっていたね。

 でも、君は。

 いつもの様に優しい慈愛に満ちた笑顔を浮かべて返事を返してくれた。


 思えば、あの日こそが人生で最高に幸せな一日だったのだろう。


 おれは思った。君と一緒にこれから同じ道を歩もう、と。

 その為にも君に相応しい男になってみせよう、と誓った。


 そう、誓ったんだ。





 それは仏子津の奥底にある記憶。

 彼が自分を見失う前の、本当に幸せでかけがえのない愛しき人との日々の断片。


(ああ、何だろう。何だかとても遠い昔みたいだよ)


 それはとても遠い、もう戻れない過去。

 仏子津は、ある日彼女を失った。

 それは強力な妖との戦い。

 大勢の防人なかまが大怪我をした、退魔師まで呼び寄せて共闘。それでようやっとの事で倒す事に成功した。

 だがその戦いで、犠牲者も出た。

 その中の一人が……彼女だった。

 彼女はとても強い異能者マイノリティで、一癖も二癖もある曲者揃いの防人の仲間内でもその実力から一目置かれる程であった。

 そんな彼女も死んだ、死んでしまったのだ。

 だけども、本来彼女はそこで死ぬはずはなかった。

 彼女は誰よりも勇猛果敢に立ち向かい、仲間達を鼓舞。

 一度は綻びかけた防衛線を纏めあげて、持ちこたえて、勝利に大きく貢献した。

 皆の力で妖を撃退寸前にまで追い詰めた時の事だった。

 あの妖は激しく抵抗した。

 だが如何に強力な妖であろうが深手を負い、更には大勢の異能者達から断続的に攻撃を受け続けた事で遂にその時を迎えた。

 妖は死んだ。

 皆の一斉攻撃により、心臓を破壊。それが決定打となる。

 しかしその絶命の際にあれは悪あがきとして自爆。

 仏子津はその際に爆発に巻き込まれ、死するはずであった。


 ――良かった、生きてるな。


 それが彼女の最期の言葉。

 彼女は自分よりもずっと弱くて未熟だった一人の防人を、幼馴染みであり、婚約者を庇ってその命を散らした。


 ソシテ、

 仏子津の中で何かがガラガラ、と音を立てて崩れ落ちた。

 大切なナニカがコワレタ。



 元来からあまり多弁ではなかったが、その時を境に仏子津は変わった。以前にも増して口数は少なくなり、一人でいる時間が増えた。

 それまでは少ないながらも友人として接していた者達とも距離を置き始め、やがて孤立した。


 何をする気力も失われ、ただ生きているだけの日々。

 彼は生きながらに死んでいた。


(死んでしまえば、彼女にまた会えるのだろうか?)


 ふとした時にそんな考えが脳裏をよぎる。

 だが、死後の世界など仏子津は信じていなかった。

 だから……ただ何もせず生きながらに死んでいた。


 そうして時が流れた。

 久方ぶりに仏子津は街を歩いた。

 しばらくぶりであったが、街は以前と変わらずに人でごった返す。

 やがて人酔いしたのか、逃げるように街中から、山中へ。


 そして足は自然と貴船神社へ向いていた。

 ここは彼、そして彼女にとってとても大事な場所。

 この神社には縁結びとして有名であり、彼女が一度行ってみたいと言っていたから足を運んだのだ。

 一日中彼はその境内で過ごす。

 幾日もの日があっという間に経過していく。

 そうしたある日。

 彼はふと、ある会話を聞いた。

 その話だと、一度失った大切なモノを、取り戻せるかも知れない。

 そんな話を誰かが話していた。


 その方法とは、”反魂の法”と呼ばれる禁呪の儀式。

 その言葉は、何もしたくなかった彼に生気を取り戻させた。


(彼女に会えるならもうどうなっても構わない)


 もうどんなに堕ちても構わない、その一心で様々な情報を集めた。

 そして得た結論は、大勢の血と肉が必要である事だった。

 それも単なる一般人のそれよりも、異能者達のそれの方が効果は高いらしい。

 だが、問題はそこで生じた。

 仏子津のイレギュラーは、一度黙視した相手を半径一キロ以内ではあるが位置を把握出来る、という追跡に特化した能力であり、殺傷力はない。

 そんな彼が自分よりも強い異能者達をどうやって殺せばいいのだろうか?


 その時には既に人を殺さない、という選択肢は彼に頭にはなかった。


 とは言えども壁にぶつかり、仏子津は悩んだ。

 そんな折に声をかけた者。

 何故自分の事を知っていたのかは分からない。

 だが、その人物は仏子津へプレゼントを送ってきた。

 そのプレゼントとは何かが入った古めかしい壺。

 そして書き置きがあった。


『これは君という人物に対する支援だ。

 これは異界の生き物で、生き物を喰らい、強くなっていく。

 そして、その肉を肥大化させていく。

 その力が高まった時、それはどんなモノにでも成り代われる。

 君が反魂の法を知っているのであれば、器が必要だろう。

 上手く使いたまえ』


 それは三条左京からの贈り物であったのだが、仏子津には誰が送ったのかなどはどうでもいい事であった。

 大事な事は、贈り物をどう活用するのかであり、書いてある事が事実であれば自分の願いが叶うという点のみであるのだから。


 そうして彼は他者を殺す為の手段を得たのだ。




 仏子津は己がイレギュラーを活用し、様々な相手を贄とした。


 最初はオオグチも然程力を持っていなかった。

 何でも、この異界の怪物はかつてとある高名な陰陽師によりあの壺へ封じられたのだが、あの壺には怪物の得た力を奪い去る呪法がかけられていたらしく、封印以前の力から比すれば二〇分の一程度しか保持していないらしい。


 そこで初めは慎重に贄となる者を探した。

 出来るだけ仲間が少ない者がいい。

 出来るだけ力が弱い者がいい。

 出来るだけよそ者がいい。


 そうして仏子津が着目したのが、京都を訪れたよそ者であった。


 その女は、何でもとある山村の防人の末裔らしかった。

 暮らしてる山村にはある妖が封じられており、その封印を守るのが古来からの使命だったそう。

 だが時代が流れ、防人の力を持った者は年々減っていき、今や彼女とその弟の二人しか担い手はおらず、その結果として封印が弱まっているとの話であった。

 そこで京都の防人、そして元締めに談判。

 どうやら要請は受け入れられたらしい。

 安心した顔をしていた。

 そう、この女は望みを叶えたのだ。


 ダカラコロシタ。


 罠にかけるのは容易かった。

 防人の一員であるのは事実であったし、手助けの為に同行するようにと指示があったと言ったら簡単に信じた。

 あとは必要な道具を取りにいかせて欲しい、と言って誘い込んでオオグチの餌とした。

 苦しまないように心臓を背後から一突き。

 相手は何が起きたのか分からないままにこの世から消えた。


 餌の効果は抜群だった。

 弱り切っていた怪物はその力を少しずつだが取り戻していく。

 それに応じて仏子津の手間も減っていく。

 彼がやるべき事は単純で、獲物となる者を見定めるだけでいいのだから。


 そうして喰わせていく。

 支援者からは時折手紙が届く。

 その内容は防人、退魔師双方の内情について詳細な記述で埋め尽くされ、そして事実であった。


 事態が動いたのは数日前。

 支援者からの手紙にはこう綴られていた。


『もうすぐ、君の願いは成就する。

 何故なら、君は今までのように隠れて少しずつ贄を捧げる必要がなくなるからだ。

 武藤零二という少年が数日内に京都を訪れる。

 それに合わせて君は一気に動けばいい。

 安心したまえ、身代わりとしてよそ者程都合のいい存在はいないのだからな』


 その通りに武藤零二という少年が京都に来た。

 そして合わせてオオグチへの餌を一気に増やした。

 一度に大勢の異能者を喰わせれば流石に事態は露見する。

 だが犯人として疑われたのは、件のよそ者。

 全ては順調であった。

 清水寺、いや地主神社に行くまでは。



 あの日、仏子津は最高の獲物を見つけた。

 それこそが武藤零二。

 よそ者にして、曰く付きの異能力イレギュラーを持った少年らしい。

 餌ももう充分であった。

 だから襲った。あの少年さえ喰らえば有象無象の異能者を食う手間が省ける。


 だけど失敗した。

 それでも少年は倒せず、それどころかオオグチそのものが死する寸前にまで追い込まれた。


 自分自身の身をも贄としようと思ったのは、思い付きからではない。最初からそのつもりで腹積もりだった、それだけの事だ。


 結果として、それは成功したといっても過言ではなかった。


 オオグチは仏子津、という贄にして協力者を得た事で結界ごと土地に宿りし力を喰らう、という解答を得て、ついにかつての力を取り戻したのだ。


 それこそがこのオオグチがあらゆる”願い”を叶えると言われる所以。

 生き物の姿を寸分違わずに変異出来る、それがこの怪物が古来よりも幾度となく呼び出された能力にして理由。

 器はこれで問題ない。

 あとは”中身”だが、それも反魂の法によって解決出来る。

 自分自身の魂を捧げればいい。

 それで願いは叶う。


 貴船神社に来たのは儀式の完遂の為。

 ここは二人にとって大事な場所であり、そしてまた強い力を秘めし場所でもある。

 そう、成功したはずだった。


 全て滞りなく進めた、そして後は用意した器に中身を移すだけ。

 つまりは儀式は九割九部九厘まで終わった。


 そして記憶はそこまでである。


 何が起きたのか、思い出せない。

 気付けば失くなっていた。

 中身にすべく抜き出したモノが、場から消えていた。

 モノは云うなれば魂そのもの、無数の贄となったモノの結晶。

 あれが無ければ、願いは叶わない。叶わない。


(もうどうでもいい、何もかもどうでもいい)


 心は凍り付き、何もしたくなくなった。

 かくて仏子津の心は死にかけていた。


 そこに”声”が届く。


≪何をしているんだ? まだ願いは叶えられる≫

(何を言っている、もう何もない。失くしたんだ)

≪いや、まだ叶えられる。どうするね? まだ歯向かうつもりならばね≫

(何を言っている、失くしたんだぞ? 彼女のもとを彼女そのものに成り得たモノを)

≪問題ない、何故なら奪った奴ならこの近くにいる?≫


 その声に仏子津は意識を取り戻す。

 死にかけていた意識が声に従いて、見えたのは零二の姿。

 声はなおも囁く。


≪さぁ、憎い相手を殺せ、そして奪われたモノを取り戻せ≫

(取り戻す、取り戻せる――――)


 かくして仏子津は自我を取り戻す。

 いつの間にやら憎悪を零二に抱きつつ蘇る。

 彼は浸透した。

 深く、深く地中に染み込んで、憎き零二かたきに迫るのだった。


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