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マテリアルアクセレィション――その3

 

 唸りをあげながら一気に迫る二本目の杭に対して零二は反応が遅れた。

 それも当然であろう。

 一本目の杭の軌道を見切った上で、回避せしめた。むしろこの一点だけでも評価してもいい位である。

 坂道を登りながら上半身めがけ迫る杭に対して、身を低くして回避。そのまま一気に突破するのは効率的かつ至極当然であろう。

 だからこその二本目である。

 下手投げで低軌道で放った二投目こそが最初から本命であった。

 なまじ身をかがめた事にで視界も悪くなったのも仇となったに違いない。

 さらに付け加えるのならば、一投目は敢えて全速で放たなかったのも効いていた事であろう。

 一投目の後にそれを凌駕する速度で低軌道の二投目。

 これを躱す事はもう不可能。

 まるで吸い寄せられるように杭は零二(えもの)へと向かっていき…………、貫き吹き飛ばした。


()った」


 そう三条左京は確信したのも、無理なからぬ事であっただろう。

 だが、すぐにそれは間違いであったのだと彼は思い知る。

 杭に貫かれ、千切れたかに思えた獲物の姿がぼやけ、かすんでいく。

 そこで左京は気付く、相手の身体から血液が一滴たりとも流れ出でない事に。

 そしてそれが何を差し示すのかをも。


「うっしゃああああああ」


 大音声をあげながら彼は姿を見せる。

 そのおぼろげな偽者を吹き飛ばす勢いで何かが突っ込んで来る。

 まるで弾丸、いや、砲撃かのような圧倒的な勢い、そしてひりつく程の熱気を放っているのは無論、零二であった。

「く、おのれぇぇぇぇぇ」

 杭を撃ち切った事で迎撃への反応が遅れる。

 慌ててコンテナから弾丸として放つべき物質を取り出だそうとする、だがもう遅きに失した。


 あのさっきの幻は陽炎の一種。

 零二自身の熱と蒸気によって生み出された幻影。

 その発生距離は僅かに二メートル程でしかない。

 だがそれで充分であった。

 幻に過ぎない為に攻撃性は皆無であったが、牽制や囮としては申し分ない能力である。

 僅かなその距離でも、ほんのコンマ数秒で今の零二が身を横に逸らすには充分。

 確かに零二は突っ込んでいた。

 一目散に上にいる左京へと向かっていたのだが、この不良少年とて粗暴で単純ではあったが、馬鹿ではない。

 相手のイレギュラーが射撃能力に特化したものである以上、先制攻撃は取れない事は分かっている。

 その上で相手を出し抜き、かつ一撃で決着を付ける。

 その対策が件の陽炎であった。


 超高速での突進により零二の視界は狭まれつつある。

 今、零二の速さは考え得る限りで出し得る最速。

 視界が狭まるのは本来では不利な状況も引き起こす可能性を秘めており、普段であればまず出さない速度である。

 だがそれも今は問題ない。

 今、彼にはあるのは前進のみ。

 そして周囲には他者の介入もなく、不意を突かれた格好となった相手は直線上に立ち尽くしている。

 いや、厳密には動いてはいる。その視線は足元へと向けられており、そこには何やら箱の様な物が伺える。

 腰を落として、手を伸ばそうとしている……らしい。

 というのは今の零二には目の前の光景がまるでコマ送りの如くゆっくりに見えているからだ。

 零二はたまにこうした状態に陥る事があった。

 それは不思議な感覚。

 速く、より速くと意識を集中させてる時に、まれにこういう状態になる事が幾度かあった。

 あの秀じいとの手合わせの中でも幾度か発動した事があり、その内の一度はあの化け物じみた後見人から一本取る事すら出来た位であった。


 だが、この状態に陥るキッカケが未だに零二には掴めない。

 単に速く、速くと思うだけでは駄目なのか?

 それとも窮地に陥る必要があるのか?


 結局、今に至るまで分からない。

 ただ一つ言えるのは、この状態になった自分は普段よりも強い、という事実である。



(な、何だ何なのだこの小僧は?)


 三条左京にはその突進は無謀極まる行為にしか思えなかった。

 確かに少年の速さは驚異的で、脅威的であった。

 幻覚などを扱えるとは思い至りもしなかったのも事実である。

 完全に意表を突かれた格好であるし、後手に回ったのも事実。

 しかしそれでも、この戦いは圧倒的に自身が優位である事を左京は忘れてはいなかった。


 相手が如何に速かろうとも、上を押さえている以上、登ってくるしかない相手よりもそれを迎撃する自分の方が優位。

 確かに向かって来る少年は凄まじく速い。

 このままであればほんの二秒もかからぬ内に間合いまで詰められるに違いない。

 しかしそれがどうしたというのか。

 既に自分の手にはツールボックスから取り出だしたクナイがあるのだ。

 古来より草の者、つまりは忍がその代名詞として用いた武具であり、投擲にも向いた優秀な武器だ。

 これをマテリアルアクセラレィションで放てばそれで終わり。

 この一投で全ては終わる。

 下手投アンダースローげで投げるのにおよそ一秒。そこから超加速さえすればその刃先はあの小僧を瞬時に貫き、殺す。


 しかもおあえつらえ向きにも相手から肉迫して来てくれている。

 何の小細工も用いる事もなく、ただ単に放つだけ。本当に容易い事である。

(私の勝ちは揺るがぬ、終わりだ)



(妙なもンだな)

 自分でも不思議な程に落ち着いている事を自覚していた。

 動けば動く程に自身が不利である事が理解出来る。

 自分から一直線に接近している以上、このままいけば三条左京の攻撃を躱せやしないのは当然の事実である。

 だと言うのに。

 何故、焦らないのだろうか。

 死ぬかも知れないのに、何故こうも心に一切の動揺も走らないのであろうか。

 相手の動作がゆっくりと視える。

 無駄なくするするとした動きで鋭利な刃先を持った武器を握り締めているのが視える。

(ナイフ、いや違うな……)

 いずれにせよ投擲に適した武器であるのは間違いなく、それが今や間合いギリギリにまで迫っている中でこちらへ向かい下手投げのモーションで投げ放とうとするのが見て取れる。

 狙いを定める必要すらもうないだろう、陽炎をもう一度出しても躱すだけの時間もない。

(それにしてもよぉ、大したもンだぜ)

 コマ送りになっているとは言えども、その無駄という物を感じさせない滑らかな動きはこの相手が外道ではあれど、間違いなくそのイレギュラーを効率的に扱える様にする為、たゆまぬ修練を積んできた事を容易に理解させる。


(オッケーだ、いいぜ。アンタを認める……本気を見せてみろよ。

 オレはその全部をブッ飛ばす)


 そもそもはなから覚悟は定まっていた。

 繰り出すは己の右拳。白く輝きし、自分の最大にして最強の武器である。

 これが通じないのであれば何をしても今、この状況下に於いて相手に勝つのは不可能であろう。

 互いの持てる最強のカードを出しての一発勝負。

 であれば全てを。


(この一投で――)

(この拳で――)


((決めてやる))


 勝負は瞬き程の時間で決した。


 先に出たのはクナイであった。

 後出しながらも、その超加速により先手に転じる攻撃はもう当たるとか外れるとかいう段階をとうに越えている。

 わざわざ零二は向かっているのだ、その死を招く一投へと。

 だが左京は失念していた。

 確かにこの場に於いて、戦闘で優位になるのは自分である理由を。

 それはここが一直線の坂道である事だ。

 それは相手を迎え撃つ際にここなら確実に相手の身体に命中するというアドバンテージを迎撃する側に与える事である。

 しかしそれは逆に言うのならば攻め込む側にも与えるのだ、と。

 零二もまた相手の放つ攻撃が命中する箇所を予測出来る、という事である。


 

「ぐふぉう、ば、ばかな」

「…………」


 白く輝く拳が三条左京の体へと突き刺さっている。

 必殺を期したクナイは零二の右拳の前に瞬時に消え失せた。

 はなから回避するつもりなど皆無で、ただその軌道に合わせて拳を突き出すのみ。

 その熱は瞬時に左京の腹部から前進へと伝播していく。

 激痛よりも、全身が沸騰する事による恐怖を感じる。

 気付けばしゅううう、と全身から湯気が出ている。


「ご、こんなばかな」


 それしか言葉が出てこない。

 負けるはずがない勝負だと理解していた。

 だのに、破れた。

 ずる、という滑った音と共に拳は引き抜かれる。

 と、同時に左京は膝から崩れ落ちた。

 そうして彼が見上げた先にあるのは零二の拳。

 驚く程に拳は白く輝き、……血の一滴すら付着していない。

 それは零二の熱があらゆるモノが付着する前に蒸発させた事を意味し、それが今回は自分の腹部に穿かれた穴であったのだと理解した。


「アンタは強かったぜ、まぁまぁな」


 零二は既に相手に致命傷を与えたのを。手応えとして感じ取っており、その上でもう一度右拳を相手へと向ける。

「…………」

 左京は理解した。

 その行為は問いかけであるのだと。

 ”トドメ”は欲しいのか、という問いかけなのだと。

 そしてその回答は「じ、慈悲など無用だ……」というものであった。


 それならば、と零二は拳を引く。

 自分でも甘いとは思っていたのだ。

 我ながら何故ガラにもない事をしたのか、と思う。

 理由は多分相手が如何に悪党とは言え、少なくとも真っ向勝負をしてきた、という事実に対する礼儀であったのであろう。


「そうかい、ならそのまま消えな」


 そう言うと零二は背を向けて去ろうとした。

 あとは、あのオオグチとかいう怪物の残骸を倒せばいい、そう気を取り直して。

 それでとりあえずはこれ以上何かが起こる事もないだろう、と思いながら。


 だが、零二は気付かなかった。

 これで戦いは終わってはいないのだと。

 今までの戦いの一部始終全てを観ている存在がいたのだ。

 だがそれも無理なからぬ事である。

 何故なら、その人物は貴船神社にはいないのだから。

 そこから離れたとある場所にて、この状況を愉しんでいたのだから。



 場所はとある道路を走る車内。


 カラン、というグラスに入った氷の音。

 その人物は愉悦に満ちた笑みから一変、不快そうにその口角を落とす。


「うん、駄目だね。本当に心底からがっかりだよ、これじゃあ三文芝居以下じゃないか。

 見たかったのはこういう遊びじゃないんだ。もっとドロドロした、人間の業の深さを感じさせる【ショー】を見たいんだ。

 なら仕方がない、少しだけ………、ほんの少しだけ手を貸してあげようか」


 さぁ、とその人物が意識を集中させる。

 すると、その意識は今彼がいる場所から離れた場所へと変わっていく。

 そして見えているその視界も移り変わっていく。

 それは地面であった。地面に沈んだまま、微動だにしない何者かの見ている景色であった。

 普通であれば死んでいたはずの彼は、だが未だ死してはいなかった。

 何故なら、彼は一つであると同時に全部でもあったのだから。

 仮に一つが死しても残りが死した一つを引き継ぎ、残りが死しても一つがそれを全て引き継ぐ。

 それが、それこそがオオグチなる怪物の本質であり、今やそれと同一化した仏子津という男でもあった。


≪さぁ、起きたまえ。まだ君は、君にはやらねばならない事があるのだろう?≫


 戦いはまだ終わってはいなかったのだ。


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