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丑の刻

 

「ふっ、くっっ」

 零二は京都の街を駆ける。

 ビルの屋上を飛び越え、そこから屋根瓦を破砕しつつ着地。そのまま疾駆する。

 祇園での妙との対面の結果、彼女はオオグチなるあの怪物が姿を見せるであろう貴船神社についての情報を彼に提供、協力を約束した。

 とは言うものの、零二は未だにここ数日の防人や退魔師殺害の犯人扱いなのは変わらないらしい。


 ――ええですか、あんさんの疑いを晴らすにはまだ状況が悪いんどす。三条左京にとってあんさんはこの件についての犯人、それがあのお人の描いた絵図なんどす。

 流石に藤原右京はんの殺害まであんさんに擦り付けるにはあんさんが派手に暴れてしまってますから無理があるとてもどす。

 だからウチが出来るんは、あくまでも裏からの支援だけどす。


 防人の、ましてや元締め、という妙の立場からすれば表立って三条と事を構えるのは避けたいらしい。

 考えるに、そもそも今回の件に際して異能探偵たる真名に仕事を依頼したのも、防人と三条の対立を避ける為であったのだろう。

 最悪真名や士華が失敗しても、彼女なら知らぬ存ぜぬを通した事であろう。

(ッたく、油断ならねェ姐さんだな)

 もっとも零二自身、九頭龍ではそういう相手に散々世話になっている身なのだ、ああだこうだと文句を言う気にはならなかった。


「にしても、結構遠いンだな」


 流石に走り疲れて来た。考えてみれば今夜だけでかなりの時間を走っている。日頃から体力面の強化には余念ないとは言えども、流石にこう走り詰めでは流石に消耗していく。

「ンぐ、ンぐ」

 零二の手にあるのはついさっき目についた店で買ったサンドイッチである。行儀が悪い事は自覚していたが、イレギュラーを用いずとも通常時からして常人よりも基礎代謝が高い零二にとって、定期的なエネルギー摂取は必須なのだ。

 あっという間にサンドイッチを平らげた零二は包み紙をポケットに押し込むと、再度その速度を早める。

 零二が目指す貴船神社はその名の通り貴船山にある神社。

 出発地である祇園からはかなりの距離となる。

 日中であったなら電車やバスなら当然もっと楽に到着も可能であったが、妙曰くオオグチ……正確にはそれと結び付いたらしい仏子津が姿を見せるのは丑の刻、より正確には丑三つ時らしい。

 そもそも既に深夜のなのだ。そんな時間を公共交通手段で移動は出来ないし、人混みに紛れるのも難しい。

 しかし疑問もあった。何故、そんな時間に動く必要があったのかを。そもそも何の為に相手は動いているのか、と零二が尋ねると防人の元締めは答えた。


 ――あの人にも理由があるんどす。正しいとかどうかの基準をかなぐり捨ててでも叶えたい願いが。それは…………、


 そこにあったのは理屈ではない、倫理も関係無い。

 零二にはその気持ちが正直分からなかった。

 それは仏子津と自分との差であろうとも理解はしている。

 だが一方で零二は、自分自身がそういった事情に無頓着だからかも知れないとも思う。

「ふ、ふううう」

 出来うる限り、疲れを残さない速度で走り続ける。

 いつしか見える景色が京都の街並みから山へと移り変わっていく。そして目指す貴船神社を示す看板が見えた。

 腕時計を確認すると時刻は深夜の一時五〇分。

 丑三つ時は深夜の二時。残す所は一〇分。

 流石に深夜の山道ともなると人気は然程ない。

 零二は坂道を駆け抜け、一気に目的地へ。

 何でも貴船神社には退魔師がいるらしく、それもかなりの強さを持った人物らしい。

 ズシン、とした音が聴こえた。

 何かしらの異変を察知した零二が歩みを止める。

「おい、何かあンのか?」

 声をかけたのは、彼の傍らを飛んでいた一匹の蝙蝠である。

 それこそが妙の言う所の協力の一つ。彼女が道に詳しくない零二へと付けた案内役ガイドの”式”である。

 零二の言葉を受けてかは分からないが、その蝙蝠はパタパタ、とその高度を上げると異様な速度で上空へと消えていく。

 その様を夜空を見上げながら零二が呟く。

「ちェ、こっからは一人でいけってコトかよ」


 ◆◆◆


「う、っっ……コイツは」

 貴船神社に辿り着いた瞬間に、零二は理解した。

 確かにここは普通の場所ではない、と。

 境内に踏み込んだ瞬間にぞくりとした寒気が背筋に走った。

 その醸し出す異様な空気に接するとここはまさしく、異界なのだと理解出来た。

 心なしか、空気自体がまとわりつく様な不快さを感じる。

 普通の感覚であれば、ここから逃げ出していたかも知れない。

 だが、零二にはこうした感覚に覚えがある。

 それは九頭龍で、あの藤原曹元なる怪物に出会った際に通ったあの場所、あの奇妙な場所に行った際に感じたのと、ここは似ている。

 つまりはここもあそこと似たような場所なのかも知れない。


 しばらく歩くと、本殿へと通じる参道の階段の左右に配された灯籠の明かりが見えてきた。

 幻想的で美しいとも思えるはずのその光。だがそれも今の零二には何か別の世界への誘いに思える。一度行ったが最後の、異界への片道切符の様に。

 そして参道へ近付くに連れ、ここで何があったのかが明白になっていく。

 地面には無数の穴が穿っていて、おまけに巨大な錫杖らしきものが突き立っている。

 月明かりに照らし出されたそこにあったのは大量の血痕。

 確か、退魔師がここを守護しているとは聞いたが、この様子では生きているとは思えない。

「さて、と…………行くか」

 意を決した零二は石段を登っていく。

 上に行けば行く程に異様な気配は強まっていく。

 間違いなく、オオグチがいるという確信が強まっていく。


 本殿には誰の姿もない。

 だがその奥から、つまりは奥宮から妖気としか思えない何かの気配がハッキリと感じ取れる。

 ここまで来たらもう、相手も気付いているに違いないと判断した零二は足を早める。

 時刻はいよいよ午前二時、丑三つ時であった。


「ぎゅがあああああごうおおおおゆうううう」


 闇夜を切り裂く様な絶叫がその耳朶を打つ。

 それはまるで断末魔の叫びにも似た声であり、事態の急変を知らせるには充分であった。


 嫌が応にも緊張感が高まる。

 零二は周囲に気を配りつつも、奥へとその歩を進めていく。

 空気がまた変わる。

 奥へと歩を進めるその都度に、湿気を帯びた空気はまるで全身に絡み付くような不快なモノに変わっていく。


 そして奥宮へ踏み込むと……そこにいたのは。


 それは一瞬、精巧な彫像にも思えた。

 それは一見するとその場で膠着していたからだ。

「う、ゴゴオオオォ」

 だが間違いなくそれは生きていた。

 地の底から聞こえる様な低い呻き声。

 まるで月でも掴むかの如くに天へと伸ばされた手はふるふると震えている。


「オイオイオイオイ、……ヤバそうだな」

 零二は軽口を叩きながらも、その口調とは裏腹に表情を引き締める。ハッキリと感じ取れるからだ。そこにいるモノの異様な気配に。

「う、オオオオおおおゴゴ……」

 如何にも苦しげな呻き声。しかしその声色とは違い、相手から感じる殺気は増すばかりである。

 それに零二が距離にしてほんの五メートル程にまで近寄ったにもかかわらず、相手はまるで眼中にない、とばかりにその目の焦点は何処か遠くへ向けられている。

「オレなンぞ眼中にないってコトか? ったく、ナメられたもンだぜ」

 そして間合いが三メートルにまで近寄った時だ。

 零二から先に仕掛けた。

「ふっ」声と共にその右拳を白く輝かせると――相手へと接近。

 腰を捻りながら相手の脇腹へと叩き込む。

 それは角度、勢い共に悪くなく寸分の違わず命中した。

 深紅の零という彼の異名を知る者であれば、その攻撃を目の当たりにして、先制攻撃にして致命の一撃にも思えたに違いない。

(なンか……ヤバいぞ)

 だが零二は気付く。手応えがおかしい事に。

 そして仏子津の目がギョロリと零二へと向けられるに及び、躊躇する事なく即座に後ろへと飛び退かんとする。

 すると今零二の頭があった場所を何かが遮断。大きく空を切る。

「っと、……二人か?」

 態勢を整えた零二が素早く状況を確認すると、そこにいたのは今しがた襲いかかった何者かの姿。

 誰かは分からないが、その目からは生気らしき物は感じ取れない。

 まるで死人、いやそこにいる仏子津と同様で彫像の様だった。

 一方の仏子津は目だけをぎょろ、と動かすのみで何かしてくる様子は窺えない。

「グガカッッ」

 何者かが零二へと襲いかかる。素早く零二との間合いを詰めると鋭い手刀を繰り出して来る。その手先はまるで刃物の様に変形しており、これが相手のイレギュラーらしかった。

「おっと、はえェな――けどよ!」

 零二はそれをすんでの所で躱しつつ右の裏拳を顔面へと叩き込む。そしてそのままその場でしゃがみ込み、足を払って倒す。

「悪いケドよ、アンタの手刀よりもずっと早くてえげつない攻撃見てるンだよな」

 確かにかなりの瞬発力ではあった。なれども零二はその速度にしろ技の切れにしろ以前対峙した”鉞”に比すればずっと劣る。

 とは言っても今の反撃で倒せるとも思わない。

 そもそも零二は京都に来るに際して上司である九条羽鳥とも、武藤の家の執事兼お目付け役であり後見人たる秀じいとも約束をしていた。

 それは相手が明らかな殺意を持っている場合を除き、殺生を避ける、というモノ。

 九頭龍にいる時とは違い、今の零二はあくまでもこの京都では客人である。自分を狙う刺客であるならともかく、操られているだけかも知れない相手を蒸発させると後々厄介な事になる可能性があるのだから。

 ゆらり、とした緩慢な動作で相手は起き上がる。

 相変わらずまるで生気は感じ取れない。

 そして己の敵へと刃物のような手刀を次々に繰り出す。

 とは言え、既にその攻撃を見切った零二にその攻撃は通じない。

 逆に反撃の膝を交差しながら鳩尾へと叩き込む。

 痛烈な一撃を前に相手は崩れ落ちる、……はずであった。

 だが、

 相手の動きは鈍らない。

 構わずに手刀を振るい続ける。

「ち、――ならこれだ」

 今度は相手の手刀を自分の手刀で弾き、そのまま腕を滑らせ喉元に一撃。さらに相手の残った腕を掴むと、一気に捻りあげてへし折る。バキョ、という骨の折れる音が痛々しさを表す。

 最後に膝を踏みつけ、腕力で引き倒した。

 零二はイレギュラーを使わずに相手を制した。これも秀じいの”教育”の賜物である。

 流石にその道の達人とまでは達しないが、それでもなまじっかな格闘家顔負けの技の切れ味である。

「ン、……マジかよ?」

 零二も流石に目を剥く。

 あれだけ攻撃されたはずにも関わらず、相手は何事もなかったかの様に起き上がったのだ。

 ゆらり、のらりとした動作は膝を損傷した証左である。

 だが、痛みを感じないとでも云うべきだろうか。

 折れた手をぶらつかせながら向かって来る様はマイノリティだとしても異常である。

「う、ガゴウウウッ」

 呻きながら、折れた手をぶらつかせ、膝をがくりとさせながら向かって来る様は異様。思わず意識はその姿に向けられる。

 と、その背後から。

「――なっっ」

 別の相手が零二へと向かって来た。

 キラリ、と光が見えたか否かで零二へと飛んでくる。

 上半身を後ろへ倒して転がる事で回避。ドン、と音を立てて側にあった木に突き立ったのは刃物のように研ぎ澄まされた氷柱つらら

「おい、アンタは……?」

 零二は驚く。そこにいたのは……。

 それは、零二が先日に倒した防人の一人で、あの粕貝信一少年と共に自身を追いかけていたあの青年であったから。

 だが、それは有り得ないはずである事を零二は知らない。

 何故なら、彼はもうこの世にはいないとは知らないからだ。

 仲間であった仏子津、もといオオグチに喰らわれて死んだはずだとは露程も知らない。

 時は丑三つ時。

 古来より死後の世界とされる常世へ繋がる時間にして、もっとも呪術に適しているとされる時刻であった。


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