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虎徹

 

 そこは多くの声が轟く場所であった。

 そこからは声は様々な感情が伝わってくる。

 景色が見える。どうやらそれは戦場らしい。

 一人の馬に乗った武者が軍配を動かす。

 すると、大勢の甲冑を纏った男達が槍を振るいながら前に前にと進んでいく。

 ――おおおおおお。

 大音声をあげながら数百、いや数千からなる行進は地響きすら起こし、さながら大河の奔流の如き様相を呈している。

 反対側にはそれとは逆に相手の突進を食い止めんと別の男達の集団が身構えている。

 上り坂を越えた先にある陣地の最前線には土を塗り固めた土塁。そして、竹を編んだらしき無数の馬防柵。

 その守りはまるで砦である。


 ――構え。

 侍大将らしき騎馬武者の声が轟くと、前列には弓を構えた雑兵達の姿。彼らは弦を引き絞り、それを解き放つ時を待つ。

 一刻、一刻、と奔流が近付いて来る。

 ドンドン、という太鼓の音が鳴り響き、敵は陣地からはまるで黒い濁流のようにも見える。

 どぉん、一際大きな太鼓の音が轟き、それをきっかけに矢が放たれる。大きく山なりに飛んでいく矢が向かってくる黒き濁流へと降り注がれる。

 黒い奔流からは無数の脱落者が出る。

 矢が突き刺さり、ある者はもがき苦しみ、またある者は絶命している。悲鳴と絶叫が入り交じり、異様な空気が形成されていく。

 だが、それでも戦さは止まらない。

 黒い奔流は矢を射掛けられ、更には火縄銃を撃たれても止まらない。

 そうして両者が交戦を始める。

 足軽は長槍を突き出し、或いは上から振り下ろす。

 騎馬に乗った武士は戦場を槍や太刀を頼みに駆け巡り、指揮を取りつつ奮戦する。

 大勢の血でそこは真っ赤に染まっていき……やがて終わる。


 戦場となった陣地跡には戦さから逃れた近隣住民や野武士が打ち捨てられた骸から鎧を剥ぎ、刀剣を奪い、そして生きていた者を殺していく。名のある武者なら褒賞が出るかも知れないからだ。

 自分達が生きる為なら何でもする、それが当たり前の事だった。

 まだ青年であった男はそうした光景を目に焼き付けた。

 だが同時に思った。

 これで戦乱の夜も終わり、泰平の世が来るだろう。

 だから、これはその最後を飾る狂乱の祭りなのだ、と。


 彼は当初は甲冑を作る職人であった。

 生国からは子供の頃の戦乱で逃げ出し、北陸の地で職人をしていた。

 自画自賛ではないが、そこそこに腕も良く客である武士からの覚えも良かった。


 だが同時に限界も悟り始めていた。

 戦乱の世は終わりを告げた。

 となれば、甲冑を着て戦場を駆け巡る事もない。

 そうなれば自分の様な者は生活出来なくなる。

 だから考えた、……どうすれば生活していけるのかを。

 目を付けたのは”刀”であった。

 今や刀は武士の象徴であり、誇り。

 甲冑は纏わずとも、刀は帯びる。

 ならばこれで生きていこう。であるなら、と彼は修業を積む事にした。高名な刀匠に教わり、刀の打ち方を学び……念願の刀鍛冶への第一歩を踏み出した。

 よい刀を打つには良い鉄が必要となる。

 そこで方々に声をかけ、或いは自分でその素材を見聞きした。


 そして彼は見つけた…………それを。

 それは越前の地にて見つけた鉄であった。

 不思議な事に、ずっしりとした見た目とは違い重みを感じない。

 それを彼に教えた地元の者は気味悪がり、何かの祟りではないか、と言って触れる処か近寄りもしない。


 彼はこの時代の人にしては珍しくそうした迷信を信じない類いの人物であった為に、その鉄を貰い受けた。

 そしてその鉄を火にかけ、熱して錬成。

 彼はその鉄に魅入られた。

 他の全てを、寝食さえも忘れて一心不乱にただひたすらに……その鉄を打ち続けた。

 そうして幾日もの日が経ったのだろうか。


 ここに一振りの刀が誕生した。


 江戸の世になり、徳川の世になり数十年もの歳月が経過した。

 もはや武士が甲冑を纏い、戦さに出る事など遠い過去になりつつある時分にあって、その刀は異質であった。

 何故ならその刀は打刀ではなく、……太刀であったから。

 そこにあるのは泰平の世に見合った一種の身分を示す証しではなく、粗野なギラつきを持った凶刃。

 既に刀匠として名を知られ始めていた彼が敢えて時代の潮流に逆行したその刀を作ったのは、例えるならば”声”を聴いたからだ。

 その素材を目の前にした際に彼には浮かんだのだ。

 その鉄がどのような刀になるのかが、そしてその刀が何を為すべきなのかをだ。


 そして時は来た。


 彼の前にある人物が姿を見せた。

 見たこともない不思議な装束を纏いし人物に、彼はその刀を差し出した。

 今なら理解出来る。この世には人智を超越した何かが存在してるのだと。


 そう、全ては決まっていた事であったのだ。


 不思議な事に彼には分かっていた。

 この刀がこれから辿るであろう、道のりが。

 確かに、この時代にそぐわぬ刀だ。

 だがそれはあくまでもこの時代に於いてである事を。


 その刀は何の為に作られ、そして誰が手にするのかさえもが、今の彼には分かっていた。


 だから、その人物にはこれだけを伝えた。


「ソイツの銘は【虎徹】。ソイツを大事に使ってやってくれ」


 そしてその刀には名前が付いた、虎徹と。

 それはその刀に自我が芽生える前の話。


 それはつまりその刀の”記憶”。



 ◆◆◆



「はっっ」

 その瞬間、士華の全身に電流が走ったかのような衝撃が走る。

 ビリリ、としたその刺激は痛みとなって伝わる。

 同時に士華の中で、何かが変わった事が理解出来る。


 どくん、とした心臓の鼓動がやけにゆっくりに感じる。

 自分の身体が宙に舞っているというのに、どうして自分はこうも冷静なのかが分からない。


 慣性の法則により高々と舞い上がった身体は地面へと向かっていく。

(ああ、このまま落ちたら死ぬね……僕)

 こんな状況だというのに、どうしてこんなに冷静なのかが自分自身でも分からない。


 ゆっくりと、だが確実に訪れようとする死の誘惑。

 士華は不思議と自分の身体が動く事に驚く。

 空中で姿勢を整えると着地する。

 ゆるりと、したその着地はまるでいつもの様な身軽さであり、まさしく猫を彷彿とさせる。


「ふしゅううううううう」


 獣の唸り声にも等しい声色と細められた瞳は紅く染まっており、獰猛な猛獣の様な殺気を放つ。

 これまで感じた事のない程に力が充満していた。

 それはまさしく彼女がマイノリティとして目覚めた瞬間であった。



「な、なんだおまえ」


 下田手は潰れて死ぬはずの少女が何故、生きているのかがにわかには理解出来なかった。

 完全に殺したはずであった。その今際の際の絶望に満ちた、苦悶のまま死にゆく様を愉しむはずであったのに。

「なんで生きてるううぅぅぅぅぅぅ」

 自分勝手な怒気をあらわにし、地面を大きく踏み付ける。

 ずうん、という音と共に地面の泥が再度大きく波打ちながら少女へと向かっていく。

 だが、さっきよりも大きな泥の波を前にしてピンク色の髪をした少女は微動だにしない。

「…………」

 ただ黙してその場に立つのみ。

 そして、泥の波がいよいよ獲物を飲み込まんとその口を開いた瞬間――無造作に刀を一振りする。

 すると泥の波はばっさりと切り払われた。

 ばしゃり、と先程までの勢いは一体何処へいったのか、力なく単なる泥として地面へと落ちていく。

「な、何をしたんだよぉぉ」

 下田手の偽りのない本音であった。

 この泥は彼のイレギュラーである”泥人形マッドドール”は、彼の体内から排出された汗などの体液を地面へと染み込ませる事で発動する。

 彼の体液が染み込んだ地面はどんなに乾燥した大地であろうが、あっという間にまるで大雨でも降っていたのではないか、と思わずにはおられない程にほんの数秒で彼の手繰る意思を持った泥へと変質する。

 この最低の少女暴行犯が得意とするのは広範囲での足止め等の主に支援である。

 もっとも今回、彼の出番はほぼ無かった。

 襲撃した同業者達の強さが桁違いであり、逃走を図った者を彼のイレギュラーで絡め取る事態にならなかったのもそうだし、そもそも標的であった住人達が逃げる、という選択肢を選らばなかったから、というのもある。

 そもそも、彼は今回の襲撃先である集落で何を探していたのかすら聞かされていないのだ。


 だが今、彼らが何を守り、同業者が何を探していたのかが分かった。


 さっきまでは単なる心を牽かれる刀、であったはず。

 それが変容していた。


 理由は分からない。

 だが、その刀の刀身が明らかに伸びている、いやまるで別物。

 さっき手にした時は打刀だったはず、それがいつの間にか太刀へと変質していた。

 さっきまでは銀色に輝いており、まるで芸術作品の様に何処か優雅さすら漂わせていた姿は何処へやら、視線の先のその刃からは獰猛で野蛮な荒々しさが漂ってくる。


「く、いいよもう。なら本気で殺してやるよぉぉぉぉ」

 そういい放つと下田手は全身を地面へ沈ませる。

 ズブズブ、とあの重量と巨体があれよあれよと、泥へと溶け込み、一体化する。

≪グチャグチャになっちまいなぁぁぁぁ≫

 苛立ち混じりの大声を張り上げるとそこに姿を見せたのは巨大な泥で出来た人間のようなモノであった。

 文字通りの泥人形は優に二〇メートルを越え、木々をなぎ倒す。

 その一歩、一歩で周囲の泥が波打ち……士華へと襲いかかる。


(不思議だなぁ)

 それが今、士華が思う全てであった。

 何がどうなっているのか、困惑はない。

 断言出来るのは今、自身が手にしている刀がこの状況を引き起こしたのだ、という事実。

 今の自分がついさっきまでの自分とは別の存在モノになっている、という事。

 目の前にはとんでもない巨体のバケモノが迫っている。

 なのに……不思議と恐怖は感じない。

 何故なら今の彼女には確信があるから。

 今の自分ならば、目の前にいる相手に負ける事など有り得ないのだと。

 相手は力任せに真っ正面から襲いかかってくるに過ぎない。

 断言するには情報が不足しているが、相手の能力を鑑みるに本来の力を活かし切れているとは思えない。

 何故、こうも冷静に判断出来うるのかも彼女には分かっている。


「はああっっっ」


 濁流をその刀を持って斬り裂く。

 本来であれば刀で泥を斬り裂くのは一瞬の事だ。

 だが泥はあっという間に勢いを殺され、地面に落ちていく。

 続々と襲いかかる泥をバッサリと斬る彼女のその太刀筋は紛うことなき達人の領域に達している。

 だが、士華はこれまで刀剣術など学んだ事は一度とてない。

 野山を駆け抜ける事は得意でも、武器を、ましてや刀を手にしたのもこれが初めてだ。

 おまけに彼女が手繰るは、打刀ではなく太刀であり、その重量と長い刀身も相まって自在に扱うには技量が必要である。

 だのに彼女はその刀剣を自在に扱う。

 彼女には分かっているからだ、……この刀の扱い方、そして何よりも戦い方が。


 それこそがこの刀、虎徹の尋常ならざる力の一端。

 この刀には”記憶”がある。

 それも数え切れない程のかつての担い手のだ。

 そして、その記憶がまるで自分の知識の様に、ごく自然と身に染みていくのが分かる。

 そうした全てが自分のモノとなるのが実感出来る。

 だからこそ、の冷静さである。

 例えるならば今の彼女は数多くの経験を積んだ歴戦の武士と同じ存在。その経験が彼女にこう伝えている、……恐れるな、と。

 ただ迷わずにこの刀を使え、と。

 だから――――――!


「あ、ああああああああッッッ」


 気合いに満ちた声と共に少女は駆け出す。

 巨大な泥人形と化した下田手は泥の濁流をものともせずに突進してくる少女に心胆を凍えさせる。

 泥と共に倒れた木に、岩をも差し向ける。

 あの刀をへし折る結果になるかも知れない、だが、相手を止めるには仕方がない。そういう判断からの攻撃。

 確かに相手にしているのが、普通の刀であるのであればである。


 その太刀は襲い来るそれらをもまるで意に介さず斬り裂いた。

 下田手はその様子を目にし、いよいよ恐慌を来す。


「ぐ、ぐひひひぃぃぃ」


 追い詰められた巨大な泥人形は向かってくる少女に向け、その巨大な手を伸ばす。

 だが無駄である。

 士華と手にした虎徹にそのような反撃は意味を持たない。

 あっさりと切り払い、その手も瞬時に崩れ落ちる。

「ひいいいいっっ」

 恐怖に押し潰された下田手はその巨体そのものを泥へと戻し、その場から逃げようと試みる。

 皮肉なのはその行為が結果として膨大な量の泥の濁流となり、降り注ぐ事によりこの戦いに於いて最大の攻撃へ転じた事であろう。

「は、ああああああ――!!!」

 されど少女は止まらない。彼女と虎徹は退くことなく前進する。

 あっという間に泥の中へと消え失せたかに見えるあの巨漢の、その存在を察知。

 迷わずにその箇所へと刀を突き立てる。


≪あ、ぐえ?? …………うえ、ぎゃアアアア嗚呼ああ吁唖々≫


 大音声をあげながら、下田手仕付は己に突き立つそれを目にした。そして理解した、この刀が持つ力を――。

 同時に彼の存在はこの世から無くなっていく、泥に塗れたその身体の、奥底にある自我を壊されていく。

 彼が最期に感じるのはただただ恐怖であった。


 どぱあああああ、まるで噴水、否、雨粒の様に降り注ぐ泥の粒。

「…………」

 もはや単なる泥でしかないそれを士華は無言で受ける。

「僕、勝ったんだね……コテツ」

 それだけ声に出すと、士華は太刀から打刀へと戻りしその刀を鞘に納めると、その場で倒れ伏す。

 意識が途切れた少女の手にあったその刀は、ずず、と動くとゾブリ、とその身体へと入り込んでいく。

 そして、この後真名によりその身を保護される。


 こうして彼女はマイノリティとなり、その刀を受け継ぐ。

 だがそれは、この刀に秘められし因襲をも引き継いだ瞬間でもあった。



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