遠
「ぬ、布きれだとぉ………!」
遠の表情が見る間に怒りからであろうか、赤く染まり険しくなっていく。それも無理なからぬ事であるかもしれない。
自分の必殺の針が防がれた、これはまだいい。
問題は、それを為したのがヒラヒラと宙を舞う薄い布であった事だ。その布はどう見ても普通の品物であろう。
そんな物に自慢の針が防がれた、というのは考えるだに屈辱。
どちらかと言えば整った顔立ちであった分、怒気に支配されたその顔は醜悪に歪んでおり、さながら彼の長年の腹の奥底が露呈したかの様にも思えた。
一方の真名は、と言えばあくまでも平然とした面持ち。
彼にとってこの程度の窮地はかつて数多く切り抜けて来た。今更動揺する事もない。
それに、確かに相手が激昂するのも無理もない、とも思えた。
相手からすれば自分の隠し玉を、何てことのない一枚の白い布に遮られたとは思いたくないであろうから。
「言っておきますが遠さん、あなたに勝機は存在しません。ここは大人しく引き下がってはいただけませんか?」
「ふ、何を言い出すかと思えば…………くだらん!! 侮るなよ余所者が」
遠からすれば、真名は単なる余所から来た邪魔者でしかない。
これでも彼は己が出自に誇りを抱いていた。
この京都の裏を統べる旧家に仕える自分の一族に。
それが”草”という仮初めの主従関係であっても彼は誇りを抱いていたし、もしもその気高き血筋を絶つのであればそれは長年仕えて来た己の為すべき必然である、と信じて疑わなかった。
こんな茶番の様な殺戮に乗じて、三条の薄汚れたゴミの様な連中の手にかかる事など許せないし、許されるはずもない。
(そうだ、右京様を旅立たせるのはこの私にしか許されぬ事なのだ)
だからこそ、彼は激昂した。
その両の手に先程よりも長く、太い針を具現化。
僅かに後ろに飛び退くや否やで針を放つ。
対して真名はふわり、とその布を自分の前にて振るうのみ。
だが、途端に針は勢いを削がれ、落ちていく。
「む?」
そこで真名は相手の目論見を理解した。
遠は目前にまで接敵していたのだ。
彼は待っていたのだ、相手の注意が布で一瞬自分から逸れるのを。
(理屈は知らぬが、その布きれに触れねばいいだけであろう)
取り出だすは先程とはまるで別物としか思えぬ極太の針、万年筆程の太さのそれは最早、針と言ってよいのかはばかれる代物である。
虎殺しとも云われる程の針で狙うは相手の頸動脈。
突き刺して後に、引き裂いてやろう。
異能者である以上、それで終わりとはいかないが、回復するにはダメージは深い。傷が塞がる前に各所の急所を刺し貫けばそれで終わりとなろう。
真名もまた、遠の切り札に気付いたらしい。
だが遅い。ここまで踏み込めばこちらの物だ。
「死ねッッッ穢らわしい余所者め」
声も高らかに勝機に満ちた声をあげた。
虎殺しは、真っ直ぐに相手の喉元へ襲いかかろうとする。
遠は、理解していなかった。真名の”起源遣い”という異能の本質について。
真名の能力が単に道具を上手く扱う、云わば道具を強化する類いの能力である、という認識であったのだが、それは大いなる勘違いであった。
曰く、あらゆる道具にはそれが成立した経緯と云うものが必ず存在する。
当初こそ偶然で生まれた道具とて中にはあろうが、それとても世に、様々な人々に存在を知られていくにつれその用途は広まり、そして誰もまだ考えてもおらなかった用い方も生まれていく。
そうして一つの道具に複数の用途が存在していくのだ。
真名のいう起源とはその中でもその道具にいつしか備わった”神秘的”な力を指す。
即ち、扇であれば魔を祓う、という魔除けを風を手繰る事で表現しているのだし、今彼が手にしていた布であればその起源にあるのは扇と同様に魔除けという力が宿っているとされる。
ただし魔除けと一括りにはしてみたものの、その方法には差異が存在する。
布の場合、それは振る事で担い手への災いを祓うというものだ。
それはこの場合であれば、担い手たる真名へ迫る針、という災いから守ったのである。
無論、これもまたイレギュラーによる結果である以上、使えば使うだけ精神的な疲労は蓄積されていく。決して無制限に用いられる能力などではないのだ。
それに、確かに自身へと迫る災いに対して自動的に布が反応するこの起源は便利ではある。
しかしこれは万物に共通する事ではあったが、どんな物であってもいつかは壊れる。それは風を手繰る扇しかり、今、真名を守りし布でも同様だ。
無数の針は、一本一本自体は然程の威力は恐れるに足りない。
あくまでも急所を突く、という一点にのみ特化した攻撃であったからこそ布の防御はここまで保てていたのだ。
今、真名へ迫る虎殺しなる必殺の針は、布の防御を突き破る。
(勝った、肝を冷やしたがこれで終わりだ)
自身の勝利を確信し、口元を歪め――必殺の針を突き刺そうと前に踏み込む。
これで決着、であった。
ドドッ。
「う、ぐが……ッッッッ」
ただし、敗北したのは遠である。
一瞬、何が起きたのかが分からなかった。
まず理解出来たのは虎殺しは相手の、薄っぺらい守りを突破していた事。あとほんの少し、一〇センチもない距離であった事。
確実に仕留めたと、そう思っていたのに。
「な、何をした…!」
「起源を使っただけです貴方の手にしていたその針の……ね」
虎殺しは突き立ってた………………遠の胸部に。
布の防御を破り、防御の為か遮ろうとしていた真名の手を突き刺した次の瞬間、何故かその針は突然に真名から反転し、勢いよく自身の胸部に突きたったのだ。
正確に心臓を刺し貫いたその一撃は無論、持ち手であった彼の意思ではない。
ごほ、という咳と共に吐血した遠が膝を屈した。
マイノリティである以上、これで死にはしない。
だが、何故こうなったのかが分からなかった。
その疑念を察したのだろうか、真名は説明を始める。
「針の起源には、邪悪や敵を倒す呪力が宿っています。
例えば一寸法師、蛇の婿入り等ではいずれも主人公は針によって強大な相手を斃します。今なら、貴方の針を手にした事で起源を発動させ、返した。……それだけの事です」
「な、んだと」
その説明はこう言っていた、遠の手繰る針の起源を発動させたのだ、と。
この針は自身が具現化させた道具である、……だのに。
それすらもあの風采の上がらない相手にかかればこうなるのだ。
最早、勝機は無い、それを悟った遠は黙して頭を垂れる。
真名は相手から戦意が喪失したのを理解すると、そのまま通り過ぎていく。
「………………」
遠は自身の完全なる敗北を悟った。
決して自分が強者だと自惚れていた訳ではない。
だからこそ、こうして己が優位に立ち回れる狭い場所で仕掛けたのだ。
しかし、それも通じなかった。
これ以上、何をしても通じない。その確信が彼から戦う意思を奪い去ったのだ。
(これで良かったのかも知れない、役目であったとはいえ主殺しという汚名を着ずに済むのだから……)
寧ろ、心の何処かで安堵すら抱いていた。
<ナニヲシテイルノダ?>
不意に奇妙な感覚に囚われた。
それは声ではない、文字の様なモノ。
ガクガク、と身体が幾度も脈動。その様はまるで感電してるかの様である。
やがて、すっくと立ち上がった遠は俯いたまま何事かを呟いている。
「…………殺す……………………ころす……………………コロス」
まるで夢遊病患者の様にふらりと歩き出す先には階段を登りつつあった真名の姿。
「……む?」
真名もまた異様な気配に事態の急変を理解、態勢を整えようとしたがこの事態にはもうそのような時間もない事を認識する。
遠の全身からは無数の針が飛び出していた。
まるで生きた剣山、とでも例えれば良いであろうか。
あれだけの針全てを防ぐのも、ましてや起源を利用するのも不可能である。
遠の顔や手足、全員からは夥しい出血が見て取れる。
(つまりこれは相討ち覚悟、という事ですか?)
真名の起源遣いは、確かに強力な異能ではある。
だが、使いやすい能力かと問われればその答えは否、である。
何分、使用に際して様々な制限がある上に、そもそも道具の起源を発動させるとは、道具そのものの耐久性頼みであり、状態によっては使用出来ない可能性すらある。
そして、何よりも無数の道具を扱う事は出来ないのだ。
あくまでも扱えるのはその都度一つのみであり、目の前の相手の様に無数の針に対しては無力である。
「ぐがかかかかかぁぁぁぁぁあああああああ」
その絶叫にも等しき声からは、正気を感じ取れない。
どう少なく見積もっても能力の暴走、もしくは一気に怪物――この地では鬼と呼ばれる存在と化したか。
まるで刺の様に伸び出でる無数の針はみるみるその長さを伸ばしていき、もう針とは別物……中世の世界の拷問器具の様相を呈していた。
遠であった者の動きは酷く緩慢で、先程までの様な隙の無さはとても感じられない。ただ無造作に目の前にいる真名という獲物を狙い迫るのみ。だが、真名は追い詰められていた。
ここは狭い通路だ。
真名に残された退路は上への階段へ向かうのみであり、すぐ背後にアイアンメイデンのような様相と化した遠が迫る。
あれだけの数の巨大な針に串刺しとなれば、如何にマイノリティとはいっても失血死、それに伴うショック死も充分に考えられる。
ばん、という音と共に真名は外への扉を開き、外へ飛び出す。
遠もまた獲物を追って飛び出す。
その針はいよいよ槍の穂先の様になり、その重量は担い手よりも重くなっているに違いない。
「コロス、…………コロス、コロ」
うわ言の様にそれだけを口にしながら、遠は迫る。
その目に宿るのはただただ目の前の相手に対する妄執のみ。
全身を血で染めながら、ただ歩んでいく。
「どうも、逃げ切れませんね」
今の真名には相手を退ける道具がない。
道具の大半は屋敷で埋もれてしまっている。
絶体絶命と言って過言ではない。
なのに、…………。その表情からは焦りや恐怖は漂って来ない。
寧ろここに至り、何かを確信したかの様な雰囲気すら感じさせる。
何故なら、彼には分かっていたのだ。
自分が誰よりも信用している人物がここに来ると。
「シネッッッッ」
遠がそう言いつつ、その身から突き出した針を突き刺そうと迫った時であった。
それはまさに疾風怒濤の如し。
一直線に相手へと迫る。
カチ、という音は鞘から抜き放つ前のそれ。
「はああああ――!」
「ナニイ!」
遠も気付いたが、既に時遅し。
銀色に輝く一刀が煌めき、相手を斬るのであった 。




