隠し通路
士華が、三条の手の者との戦いに身を投じたのと時を同じくして――真名もまた動いていた。
彼が目指すはこの屋敷の主がいるはずの場所。
耳を澄まさずとも聴こえてくるは悲鳴に絶叫。
多くの家人達が命を失おうとしている。
だが真名は彼らを無視して進む。
一般的な倫理観で鑑みれば彼の行動は非人道的に映るであろう。
確かに自分でも非情だとは真名も思う。
しかしそれはあくまでも一般的な解釈、表側に属する者の正しい物の見方でしかない。
ここにいるのは、京都の裏側に属した者のみ。
それは例え、彼ら異能者であろうが一般人であろうが関係無い。
ここにいる、それだけで裏側にいる事を理解出来ない者はそもそもこの屋敷にはいないのだから。
藤原に、或いは三条に仕えるとは則ちそういう事を理解するという事であり、その原則に従えない者はここには入れないのだから。
だから、というのではないが真名が今、優先すべきは屋敷の主人である藤原右京の身の安全であった。
今、彼が斃れればそれは京都に於ける防人、退魔師、そして三条家こと藤原という三竦みの状態に亀裂が走る、という事に他ならない。
そうなれば事態の悪化が、もうどうしようもないレベルに至る可能性がある。
それだけは避けねばならない、その一心で真名は走っていた。
「く、ここまで来ていましたか」
思わず唇を噛む真名の目の前には三条の手の者達がいた。
流石に屋敷内で弩は扱いづらいのだろうか、彼らはいずれもコンバットナイフを片手に主を守ろうとしている藤原の家人達と戦っている。
(それにしても……)
あれだけ痛烈な先制打を受けてもなお、僅かとはいえ屋敷の主人である藤原右京を守らんと抵抗しているのは流石、というべきだろうか。
そう言えばどうやらこの辺りはあの爆発の被害が比較的小さかったらしく、建家の他の箇所に比して倒壊や火災の影響があまり無さそうだった。
何にせよ、今の状況下で真名に選択肢は少ないのは事実だ。
手にした扇をばさりと広げるや否やで、ぶわり、と大きく仰いで風を巻き起こす。
三条の者達も突如発生した突風には抗えない。
不意を突けた事も手伝って、各々が大きく前に吹き飛ぶ。
そこを藤原の家人達がすかさず襲いかかり、続々と倒していく。
真名が彼らに駆け寄る。彼らも客人であり、恩人でもある真名には敵意を向けない。頭を下げ感謝の気持ちを示す。
「助かりました」
「右京氏は無事ですか?」
「主でしたら書斎の隠し通路から外に出る途中のはずです。ご案内しますのでどうぞ」
一人の家人が案内役を買って出たので了承する。
真名は、外の大まかな状況をかいつまんで説明すると、右京の追跡に入る事にした。
案内役の家人は遠という名らしい。
藤原の家には彼の祖父から数えて三代に渡って仕えているらしく、代々当主の護衛を承ってきたそうだ。
「この屋敷には当主とその直属の警護の者しか知らされない隠し通路があるのです。
火急の場合に当主が身の安全を図る為に作られたものだそうなのですが、まさか使う事になろうとは……」
真名が書斎に入ると、爆発の影響がまるで感じられない事に気付く。あれだけの衝撃があったにも関わらず本棚の書籍は整然と並んだままであり、ここの壁が並の強度ではない事を如実に示している。
「ここです」
そう言うと遠は書斎の奥――藤原右京がいた机を肩で押し出す。
体重をかけ、ずずず、と机を動かす。一見何もない床であるがそこに敷かれたカーペットを捲ると、鍵穴がついている。
そこに首にかけた鍵をはめ込むと、かちりとした音。
ギギギ、金属の歯車が動く様な音が響いて、突如部屋の本棚が動き出す。
まるでパズルゲームの様に無数の本棚が動いていき……やがて動きを止める。
(そう言えばここの本棚は買い足したと言っていましたが……とんだ食わせ者ですね、かの御仁は)
そう思い苦笑いする真名に遠が声をかける。
「こちらです、さぁ」
本棚があった場所の床、そこに扉がついており、それが開かれる。そこには下へ降りる為の階段があり、微かな灯りが灯っていた。遠は迷わずにその階段を降りていく。
はぁ、とため息を一つ付くと真名もその後に続くのであった。
階段は思いの他、下へ深く続いており、徐々に上の光が見えなくなっていく。
そして真名は壁に手を触れて、ここの異質さに気付く。
「それにしても……深いですね。それに、掘っている時期にかなりの差が伺えます」
そう、彼には”起源遣い”である彼には万物の起源が分かる。その手で壁に触れ、一瞬浮かぶのはかつてこの階段を掘っていた何者かの姿である。
「よく分かりましたね。ええ、確かにここは平安の世に当時の当主が密かに掘らせたのが始まりだそうで、それから代々の当主が少しずつ掘削していき、当初は単なる地下の避難部屋だったのを敷地から外へ出る隠し通路へと変えていったのです。
右京様が先日ようやく完成させたもので、この事を知るのは当主と我ら数人、あとはお抱えの職人のみです」
遠の案内で通路を進む真名。か細い灯りがぽつんぽつんと灯されただけの薄暗い通路は土の匂いが充満していて、時折羽虫が見える位で他に生き物がいるような気配は感じ取れない。
真名は壁に手を添わせつつ、案内人の後をついていく。
怪談で出てきても全くおかしくない程の多くの人の記憶の残滓が彼には観えた。
過去にここの工事に関わった者はその秘密を生涯に渡って秘する事を誓わされるらしい。
職人達の行く末は様々だったらしく、口の堅い者もいればその逆の者もいた。
権力者のそれも秘密となると、その情報を欲する者は出す金に糸目は付けないものであろう。
それを憂慮した代々の当主はそうした情報の流出を防ぐ為に口実を設けて、その可能性を持つ職人や護衛を密かに謀殺せしめた。
そうした云わば一種の人柱となった者達の怨嗟の念がこの通路には満ちている様に真名には思えた。
「さ、ここから上に上がります」
遠の案内で上を見上げる真名は、ふと足を止めた。
「遠さん、そろそろいいのではありませんか?」
話を切り出したのは真名からであった。
「何を……言っているのですか?」
その唐突な客人の問いかけに遠は困惑の表情を浮かべる。
だが、客人たる真名の表情は真剣そのもの。サングラス越しからでも強い意思を込めた視線が向けられているのを感じた遠は、しばしの沈黙の後――、
「ふう、鋭いお人ですね。…………いつからですか?」
と逆に問いかける。
そこにあったのはついぞ先程までの主人に忠実な護衛のそれではなく、明らかな悪意に満ちていた。
真名は実感した。目の前の相手は強い、と。ひしひしと肌に感じていた。
「この隠し通路に入ってからですかね、どうにも妙な感覚をずっと覚えまして……そう、何者かの主に対する害意をね」
「成程、確かオリジンでしたか。あなたの持つ異能がそこまでの物であ可能性を失念しておりましたね」
「知っているのですか? 私の異能を」
「無論ですとも、藤原に近付く者はどのように確かな素性であろうとも徹底的に調べるのが決まりですので…………!」
やにわに遠がその手を振りかぶる。
しゅしゅん、とした何かが飛んでくる微かな音が耳に届き、真名は咄嗟に横へ飛ぶ。
ガカン、とした音が真名の背後から聴こえる。
「せやっっ」
遠が飛び蹴りを放つ。素早く鋭い蹴りは真っ直ぐに真名の胸部を狙っている。
だが和装の青年もそれには対応する。
身体を捻りながら受け流し、逆に鋭い突きを相手へと放つ。
真名の無手の反撃に遠は意表を突かれたのか、その突きは直撃。思わずたたらを踏む。
真名はここで一気に勝負を付けんと扇を開こうとした。
バサッ。
だがその目論みは切り裂かれた扇を前に頓挫する。
つつ、と頬を血が滴る。
「成程……針ですか」
「ああそうだ。些末な異能だろ? こんなに小さな針を具現化させるだけなのだからな。
だが、そんな事は大した問題ではない。人を殺めるのに際して、大袈裟な武器等要らぬのだ。ほんの小さな針であっても、たかが人を殺すには充分なのだからな」
遠がそう自慢気に話しつつ、その両の手に幾本もの針をちらつかせる。
この決して広くもなければ、高さもない通路では躱すのは困難を極める。おまけに扇はたった今、射抜かれたので風を起こせない。
相手もそれが理解出来ているに違いなく、ジリジリと間合いを詰めてくる。
小さな針だった、なれども急所に命中すれば話は別。命を奪う事も可能である。
横目で先程の針がどうなったかを確認してみる。小さいながら幾つもの穴が壁に穿かれていた。土を塗り固めた壁でこれならば人体に命中すればどうなるかは想像に難くない。
「どうやら自分の死を悟ったらしいですね。そうですとも、大人しくしていただけるならば痛みなく死なせましょう」
「それはどうもです。ですが、……最後に一つだけ宜しいでしょうか?」
「…………いいでしょう何をお聞きになりたいのです?」
「遠さんはいつから寝返っていたのですか? ……三条左京氏に」
「そのような事を気になさるとは、いいでしょう。
そもそも、祖父の代より我等一族にはある【特命】があったのですよ。もしも三条家と敵対するような状況に陥ったのならば、迷わず三条家に付け、とね。何の事はない、つまりは祖父は三条の送り込んだ【草】だったのです。
いつか、かような事態になった時には三条に付くのが役目。
全ては最初から定められた必然です」
「右京氏に何か怨みはないのですか?」
「いいえ全く。いい主人でしたよ、惜しむらくは彼が三条の当主になれなかった……ただそれだけの事です。
さぁ、そろそろいいでしょう? お別れですよ」
遠はその両の手から無数の針を覗かせる。そして、それを一斉に放った。無数の針は真っ直ぐに真名へと殺到。寸分の違いも無く射殺すはずであった。
だが、
「な、にぃ!!」
遠はその目を大きく見開く。
真名へと襲来せんとした針が一本残らず地面に落ちたのだ。
そう、まるで何かに……見えない壁にでも阻まれたかの様に。
驚きを隠せない遠に――珍しく不敵な笑みを浮かべながら真名が言う。
「【起源遣い】の名を侮られては困ります」
そして彼が見せたのは、一枚の白い布であった。




