表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/613

夢と現実

 

 音が──心に響いた。

 ありきたりな感想だがその歌声を聞いた時、彼にはそうとしか形容出来なかった。

 その歌声を聞いた時、足元がすくみ、手には鳥肌が立つ。全身が泡立つのを実感した。

 彼には、その歌声はこの世のものではないとさえ思えた。


 その日、自分が株主となっているとある芸能プロダクションの新人歌手の公開オーディションがあった。

 その日、彼がそこに足を向けたのはただ何となく、気が向いたからでしかなかった。

 男はかつては自分がいたはずの、その場所を窓の向こうから眺めていた。

 一度は挫折し、立ち去った場所。

 そこに戻ったのは何故だろうか?

 簡単だ、今の彼には昔は持ち得なかった”武器”があるからだ。今の彼は金を持っていた。

 かつての彼は何も持ってはいなかった。金もコネも何よりも運を持っていなかった。

 期待の新進気鋭の俳優として、所属事務所は彼を売り出すはずだった。

 その為に彼は日々、厳しいレッスンに文句も不平も言わずに耐えた。全ては先にある輝ける”未来”の為に。


 だが、叶わなかった。

 その”映画”のオーディションは順調だった。

 一次、二次、三次試験と同じ役を巡っての選考が続く。

 そして最終審査。

 その日はいつも通りに監督に脚本家の二人の他に、それからプロデュサーに原作者の二人が審査員として席についていた。

 最後は映画のクライマックス。

 主人公の青年がヒロインである幼馴染みの少女に告白をするシーンを、先だって決まったヒロイン役の子を相手に演じる、という内容だった。

 彼は出来うる限りの全てをその演技に注ぎ込む。

 一歩、一歩の足運びに、息遣い。相手との関係性が幼馴染みという事もあって、告白までの流れも急展開という感じではなく、あくまでもお互いの距離をゆっくりと越える様に。台詞も、変なごまかしは必要じゃない、お互いの気持ちは分かっているのだから。

 穏やかな海で静かな波の音を砂浜で聞きながら、ごく自然に告白した。全てに細心の注意を払った。最高の演技を出し尽くした手応えもあった。

(あとは、運を天に任せるだけだ)

 そう思い、結果を待った。


 彼は落選した。

 結局、その主人公の青年を演じる事になったのは、彼と同じく無名の若手。確かにヒロイン役の子と距離感は抜群だった。

 だから彼は納得した。

 だが後に知った。そのオーディションは出来レースだった、と。

 最終審査の審査は誰もが彼を推していたのだ。

 しかし、もう一人の若手の親がある大物芸能人だった事から事態は急変。大物芸能人からの恫喝じみたクレームにより、審査結果は改変され、ああいう結果に繋がった。それを事務所の社長から聞かされた。

 これまでの努力が崩れ去った、そう彼は考え、思ってしまった。


(ああ、結局は金とコネと権力の前にゃ努力なんて何の価値もない)


 そこからは典型的な身を崩すパターンだった。

 彼はこれまでの反動とでも言わんばかりに、夜遊びに興じた。

 そうして夜のクラブへと入り浸る様になり、そしてある晩の事。

 彼は逮捕された。

 彼の手にはついさっき購入したばかりの錠剤が握られており、現行犯逮捕。問答無用だった。

 そして彼は事務所からクビにされた。素行不良という理由で。

 そして彼は追われた…………芸能界から。

 そして現在。


 ブース越しに歌うその少女に対して彼が抱いたのは、羨望と嫉妬。憧れと憎悪。

 少女の声は、あまりにも素朴であり……自然だった。

 歌を歌う技術という点ではまだまだだった。訓練を受けた養成所の人間やヴォイストレーニングをしている者の大半は彼女よりも歌唱の技術を持っている事だろう。

 だが────!

 彼女の”歌声それ”は聴衆の心を打った。


 ただありのままで口を開いているだけだと言うのに。紡ぎ出されるその音はまるで一種の”魔法”であり、それは他者がどんなに努力をしようとも到達出来ない”何か”を秘めていた。

(この歌声があれば…………)

 そう思った彼はやがて堕ちた。

 どす黒い欲望の中にその身を沈めていった。

 自分がかつて憧れ、追い求めてきた何かを得るであろうその少女の背中を押し、聴衆の注目を一心に集めさせ、そして……。

「くはは、もうすぐだ。もうすぐで、君は羽ばたくのだ」

 三枝木裕臣は自身の計画が遂行される事に想いを馳せた。

 彼の視線の先にあるのは、とある画像ファイル。



 ◆◆◆



「精神操作?」

 零二は聞こえてきたその言葉に対し、声をあげる。マスターからの話はこうだった。


 神宮寺巫女という少女の前にその芸能プロダクションから消息を絶った合計六人の男女。彼らに共通する項目が一つある。

 それは彼らがいずれも”歌手志望”だという事だ。

 彼らはいずれも一般のオーディションで事務所に入って歌手としてのレッスンを受けており、そのいずれもが周囲の目にはデビュー間近であったらしい。

 現にその内の半数、つまり三人については既にシングルデビューも決まっていたらしく、レコーディングまで終わっていたそうだ。

 確かに浮かれてしまった、舞い上がってしまった、というのも理由としては考えられるし、有り得る話だ。

 だが、僅かな期間でこう立て続けとなると話は別だろう。

 こんな事件や騒ぎが起きれば、通常であれば何らかの対策を講じるのが普通であろう、少なくとも零二はそう思う。

 だが、このプロダクションは再発防止を掲げる訳でもなければ、何かしらの反省の姿勢を見せるでもない。

 何もアクションらしき動きも見せないまま、こうして六人もの行方不明者と逮捕者を出したのだ。


 ──で、そこの事務所から一人逃げ出した社員がいてな。そいつが【事故死】する直前に知り合いに送った画像データがこれだ。

 零二は、マスターからURLを送られ、そのデータを見てみる。


 それは一見すると何の変哲もない、レコーディング風景に見えた。ブースには六人の中のだれかであろう一人の青年がヘッドフォンを耳に当てて、曲を確認している。すぐ傍には譜面台が置かれ、そこには彼の為に書かれたらしき曲の譜面。余白には彼が思った事や向こうにいる作曲家やプロデューサーに指摘された事などの走り書きがビッシリと書き込まれており、この青年の、レコーディングに懸ける気持ちがヒシヒシと伝わってくる。


 そこからは早送りになってレコーディングが進んでいく。

 そうして、恐らくは録音が終わったのか、スタッフが次々と出ていく姿が映される。

 そうして、一人残されるのは青年一人のみ。

 その表情はさっきまでとは明らかにおかしい。

 全身が細かく震えている。

 まるで、薬物中毒の禁断症状でも出たかの様に小刻みに全身を震わせている。

 決意を秘めていた目は何処へやら、焦点の合わない虚ろな二つの双眸が浮かんでいる。

 口からは涎をだらしなく流し、薄ら笑いを浮かべている。

 落ち着きなく部屋の中を歩き出し、やがて窓に何度も激突し始める。

 ガツン、ガツン、と何度となく全身を窓に打ち付けていく。

 どうやら窓は強化されているらしく、どす黒い血がこびりついていくが、一向に割れもせず、ヒビすら入っていない。

 更に窓に全身を打ち付ける事数度、青年はその場に倒れ込む。

 もう立ち上がる気力すら無くしたらしい。

 だが、今度は床に頭を打ち付け始める。最初は軽く、徐々に大振りに激しく、そして────。

 俯瞰されたカメラは淡々とその光景を流し続ける。やがてぐちゃ、という何かが潰れたような音が聞こえ、青年はピクリとも動かなくなった。

 床一面が真っ赤に染まっていた。

 そこに残されたのは、最早人であった者の抜け殻。

 単なる肉の塊だけ。

 それをカメラ越し別室から確認でもしていたのか、すぐに清掃業者らしき数人の男達が部屋に入る。

 彼らは目の前の死体にも全く動じる事も無く、淡々と死体を袋に詰め、部屋中にこびりついた血の跡を拭き取っていく。

 実に手際のいい動きを見る限り、この業者はこうした”清掃”には馴れているのだろう。

 そして、データの最後にこうメッセージが表示される。

 ”被験者No.6。精神に変調をきたし死亡。実験は失敗”


「…………胸糞わりぃな」

 零二は吐き捨てる様にそう呟く。

 自分自身、二年前まで非人道的な実験の被験者だった。

 あの”白い箱庭”でもこうした光景は何度も目にした。

 それは、時に精神操作に失敗した末の最期であったり、もしくは一般人を無理矢理にマイノリティにしようと遺伝子実験を行った末の狂い死にであったりといった末の末路。

 別段、心を痛める訳ではない。何故ならこれまでにもう見飽きてしまったのだから。今更同情しても何かが変わる訳でもない。

 ただ、気持ち悪いだけ。昔の自分が行っていた事を想起させるから。ただそれだけだ。


 ──この映像を受け取った友人とやらももう死んじまった。誰かがポイ捨てしたタバコの火がアパートを全焼させちまってな。

 他の住人は逃げ出したが、そいつだけは【不幸】にも偶然、寝ていたままホトケさんになったそうだ。

 マスターからの声も淡々としている。

 彼もまた、死と隣り合わせの人生を送ってきたのだ。だからこそこうして冷静さを保てるのだろう。

 結局、零二にしろマスターこと新藤明海にしろ、彼らにとって死とは極々身近なものに過ぎないのだ。


 ──他にもデータはあるが、似たようなもんだ。狂い死にするか、もしくは生き残ったとしても回収されてそこで終わり。

 全員が精神に変調をきたしていたから、間違いなく同じ原因だな。

 これが巫女ちゃんにも関係あるかは分からん、だが間違いなくロクな事にはならないだろうな。

「だろな」

 ──何と言っても今日、ライブを行うのにも理由がある、間違いなくな。

「ああ、別に誰が死ンじまっても構いやしねェがよ……」

 気に喰わねェ、と零二は呟く。

「ここはオレの【庭】だ。誰だろうとくっだらねェお遊びはゆるさねェ。ただそンだけさ」

 零二の目には微かに怒りの色が浮かんでいる。

 電話越しのマスターには当然見える事は無いのだが、その口調から察したのか、何も言わずに少し間を空ける。

 数秒後。

 零二は一息つけると話を切り出す。

「で、何処に行けばいい? ……もう分かってンだろ?」

 その問いかけに対して、マスターが告げた。

 藤原慎二の名義で借りられているあるビルの名前と住所を。

「ンじゃさっさと片付けてくるわ」

 零二はそれだけ言うと通話を打ち切り──そして走り出す。



 ◆◆◆



「さぁ歌姫ディーヴァそろそろ準備を……」

 藤原慎二の声が部屋の外からかけられる。

 嫌な声、いや嫌な音だと思った。

 そこからは他者には対する侮蔑しか感じない。

 自分の事を過大に評価しているのが響きから伝わる。

 自分以外の他者を見下し、軽蔑し、自己を保っているのだろう。

(思えばいつからだろ?)

 神宮寺巫女は自分の中で”何か”が大きく変わりつつある事を実感していた。

 最近では”音”を聞くだけで誰が何を考えているのかまでを読み解ける様になっていた。

 音には”個性”がある。

 低音、高音と様々なその音には指紋と同様に”声紋”がある。

 それは人それぞれで如実な違いがあり、お誰一人として同じ声、音の響きというものは存在しない。

 巫女はその音の違いを感じる所から、今ではその音を発している人物が何を思っているのかを感じる音の端々から理解出来る様になっていた。

 だから彼女には、相手が何を思っているのかが理解出来る。

 だからそう。

 彼女が今日、昼過ぎにあの路地裏にいたのも偶然ではない。

 あの直前、彼女が黒服達、いや藤原慎二から逃げていた時に、逃げ込んだ先で、彼女は音を感じた。

 近くに誰がいるのかを。

 そして周囲に怪しげな連中、確かにドロップアウトという人種がいるのを理解した。

 でも同時に”彼”が来るのも感じた。

 それは不思議な音を立てていた。

 感じるのは獰猛な獣の様な息遣い。

 それはまるで都会のど真ん中に一匹だけ野生の獣が解き放たれた様な印象だった。

 堂々と何の迷いも感じさせない一歩一歩の歩み。

 そこから感じるのは強い自我。

 けれど、それはあの藤原慎二の様な感じではない。

 あの神経質そうな白いスーツを纏った男か感じるのは、内向的な感情。恐らくはああした振る舞いは自己を保つ為の”鎧”なのだろう。

 一方でこちらへと向かってくる誰かからは、そういった感情の流れは感じない。彼はあくまで自然。ただ、自分のしたい様にしているだけだと思った。

 そこからは勘でしかなかった。

 何故そう思ったのかなんて分からなかった。

 ただ、彼なら何とかしてくれる、そう思えた。

(でも……ごめん。あたしは皆を見捨てられないよ)

 自分が無事で済むとは思っていない。

 裏路地とは言え、街中で白昼堂々と拳銃を撃つような連中だ。

 自分が逃げれば容赦なく施設の皆を手にかけるだろう。

 そんなのには耐えられなかった。

(簡単だよ、あたし一人でいいんだよ)

 巫女は黙って席を立つ。

 時間はもうすぐ夕方の六時。

 日も落ちてきて、もう夜の帳が世界を包み込もうとしている。

 部屋を出ると藤原慎二はサングラスをカチャリ、といつもの様に位置を整えていた。

「さ、行きますよ」

 そう一瞥すると先導する様に歩き出す。

 巫女も黙って付いていく。その服装は部屋に用意されていたライブ用のパンクファッション。色は黒を基調に所々でピンクの刺繍が入っている。

 足元もシークレットブーツで普段よりも目線が高く感じる。


 ここからエレベーターで地下に行き、そこからベンツでライブ会場の側に止める。時間にすれば精々二分か三分。

 六時半までもう三十分。たったそれだけで彼女はデビューする。夢の第一歩だったのに、それは深い闇の中に踏み込む様だった。

(でも決めた、んだ)

 そう思ってエレベーターへと歩こうとした時だった。


 ガアアアアアアン。

 轟音が彼女の耳に響き渡る。

 ガララン、と甲高い音。それはエレベーターの扉が吹き飛んだ音。彼女の目の前に映ったのは、靴の跡がクッキリとめり込んだ扉と、それを蹴破った少年の姿。

「よ、迎えに来たぜ」

 武藤零二はそう言って獰猛な笑みを浮かべた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ