左京と右京Part1
零二と士華は結局その夜、藤原右京から話を聞く事は無かった。その理由は単純で、寝入った士華を背負った零二もまた彼女を運んだ後、自分に用意された部屋に着くなり倒れ込んでしまい、……その場で寝てしまったから。
ついさっきまで緊張しきっていた為にそこまで意識はしていなかったのだが、零二の肉体は悲鳴をあげていた。連戦に継ぐ連戦にて、体力的にも精神的にも。それが士華の寝顔を見ている内に、緊張の糸が切れたのだ。
朝日が目に入る。
どうやらいつの間にか布団に入っていたらしい。
「う、ううん、…………ダルいな」
とにかく全身が気だるかった。それで自分が想像以上に疲れていたのを今更ながらに実感する。
「結果オーライってヤツかな、コリャ」
もしもあのまま緊張しっぱなしなら、今頃はもっと酷い状態だったに違いない。
「シカに一応感謝しとくか、……後でよ……ふぁぁ」
「――んん、今しなよ」
「ン…………………………え?」
「オッス」
ふぅ、とした息遣いが耳を撫でる。瞬時に全身にゾクリ、とした寒気が走る。
「ブッッッ、はあああああ?」
耳元で囁くその声で、零二は思わず布団から飛び起きる。そうして、ううう、と唸りつつ、その四肢を畳に付けて警戒している様はまるで犬か猫の様である。
士華はそんな不良少年の狼狽えぶりが余程愉快だったらしくケラケラと笑い転げる。
「な、な、なにしてンだよシカッッッッッ」
まさに心の底からの絶叫であった。
彼女がいたのは自分の真横。より具体的には……同じ布団の中であったのだから。
「あはははは、オハヨ」
「オハヨ、じゃねェェェェ! 君はアレですか、淑女としての恥じらいだとか、嗜みだとか知らないのですか? 男女が同じ布団の中に入っちゃいけませンってママから習わなかったのかよ、もう」
「そんなに怒らないでよ、それに武藤零二は紳士だったよ、それに、……」
と、士華は意味ありげに微笑み、零二は思わず気圧される。なにかやったのか、と疑念に駆られる。
「寝てる間は可愛いもんだし。外で拾ってきた猫みたいで♪」
ニカッ、と歯を見せながら笑う士華を前に零二は自分に勝ち目は皆無だと悟った。
やれやれと肩を竦め、ハァ、と盛大な溜め息をつくのみ無かった。
「ハァ、もういいやオレの負けで。ンで、何してるワケ?」
「何って、退屈凌ぎ」
「ザッけンな、退屈凌ぎで男の寝室に入って来んなよ、もう!」
「グフフー、そんなに困っちゃうワケだ。もう、案外草食系だね君はさぁ」
「ば、バッカぁぁ。何言ってンのアナタは」
キー、と喚きながら顔を真っ赤にして怒るその様を、士華は心底楽しいのか満面の笑みで眺めている。
「ともかく、オハヨ」
「は?」
「ほらいいから挨拶挨拶、はい」
「お、おう。オハヨウゴザイマス」
「はい、よく出来ました武藤零二くん」
そう言いながらピンク色の髪をした少女は零二の頭を撫でる。
そんな事をされた事等、勿論人生初体験の不良少年は、何をされたのか分からずにしばしの間硬直。
「………………」
およそ一〇秒後にようやく我に返ると、うがーと言いながら暴れ出す。士華はそれをいなしながらへっへー、と笑う。
「あ、あのー……」
二人を呼びに来た家人の声は本人達には届かない。
まるで友達同士のじゃれ合いの様な光景は、それからしばらくの間続くのであった。
朝食はサンドイッチに野菜スープ、それからフルーツの盛り合わせ。恐らくは零二の事を事前に調べていたのであろう、どう見ても軽く一〇人前位の分量が置かれている。
だがその見積もりも甘かった。
何故ならこの場にはもう一人、健啖家というか大食いの少女がいたのだから。
普通であればそのとてつもない量の食事をたった二人で、とは誰も思わないだろう。
家人に連れられ車椅子に乗った藤原右京がダイニングに来た時には全ての皿がすっかり片付いていたのであった。
あれだけ大量にあった皿や食器が片付けられたダイニングにて。
藤原右京が切り出す。
「さて、どこから話したものか」
「まずはアンタとその三条左京ってヤツの関係だな。
大方、家族同士の内輪揉めってトコだろうけどよ」
「はは、言う前に言われましたね。……三条左京は、私の双子の兄。そして彼こそ今回の一件に於ける黒幕。
現在京都で起きている様々な怪異の元凶なのです」
◆◆◆
私は、いや俺はいつからこうなったのだろうか。
気が付いた時には二人だった。
同じ顔をして、同じ様に育てられた。
俺達は常に一緒だった。
朝起きるのも、食事を取るのも、勉学に励むのも、だ。
俺達の育った家は所謂名家というモノであり、その目的は、一重に家名の安泰と一層の繁栄の為。
俺達は常に同じ事をし、同じ物を食い、同じ医者に通い、そして同じ部屋で寝ていた。
だがいつの頃からか、俺達は同じではなくなっていた。
いつも俺よりも弟は優秀な結果を出した。
どんなに努力しても、結果は常に同じ。
そう、弟は右京は本物の天才であった。
一家の長となるのはただ一人のみ。
そう、”三条”を名乗れるのは代々ただ一人のみ。
本来ならば、それは俺じゃなく弟が継ぐべきものであったはずなのに。
いつの頃からか、俺達は同じではなくなった。
何故ならば、俺は藤原左京から三条左京に名を変えたから。
納得出来なかった。
自分よりも優れた者が跡を継ぐべきなのに。
だから、先代に問うた。何故俺を選んだのか、と。
――簡単な事じゃよ。右京は臓腑に重い病を抱えるじゃろう、それも決して治らぬ病じゃ。
三条の名跡を継いだとて数年もせぬ内に死に果てるじゃろう。
儂の言う事は間違いない。必ずや、そうなるであろうぞ。
果たして、その言葉は事実となる。
右京は重い病に臥せる様になり、幾度も幾度も死に瀕した。
俺はあらゆる伝手を用いて弟の病を治癒しようとした。
だが、駄目だった。
どんな名医も、匙を投げた。
誰もがこう言う、これは手の施しようがありません、と。
藁にもすがる一心で、俺は異能者を呼んだ。
彼は所謂祈祷師、という奴で全国で様々な病人を見てきたらしい。正直、期待していなかった。
先代にも言われた。
――そなたは三条を第一とせよ。弟の事はもう諦めるがよい。
だから、これは最後の足掻きであった。
どの位の時間が経過した事だろうか。
小部屋から出てきた彼は、祈祷師はこう言った。
――これは病等では有りません。何者かに強力な【呪詛】をかけられているのです。
信じられない、そう思った。
弟にそんな事をする相手に俺は覚えが無かった。
右京は俺よりもずっと性格も良くて人当たりもいい。
それに、あいつは”一般人”だ。
そう、俺とは違って。
だから、俺が三条の名を継ぐと決まった時も、こう言い聞かせたのだ。
(俺は異能者だ、だから仕方がない。でも弟は違う。あいつには俺が出来なかった生活をして欲しい)
三条の者は裏社会にも繋がらざるを得ない。
そんな世界は異能者である俺が受け持てばいいのだ。
だからこそ、俺はひたすらに頑張った。
先代の言う通りに、全てを取り仕切り、様々な怪異を防人や退魔師、時には俺自身が出張って食い止めもした。
(俺はいくら汚れても構わない。全ては俺一人の責任だ。
だから――――呪詛なら俺にしろ!)
俺はただひたすらにこの京都を守った。
先代も八方手を尽くして呪詛を何とか出来得る人物を探してくれている。
弟だって、毎日生き抜いている。
右京を助ける為なら何だってやってみせる。
俺はそう決意し、……戦い続けていた。
その時まだ俺は気付いていなかった。
三条、という名字の重み、という物を。
それが一体どの程度の重みを持っているか等考え至りもしなかった。