融合
「おおおおおおおおお――――!!」
仏子津蓼科は自身でもこんな声が出せるとは思えない様な腹の底から沸き上がる様な大音声を出していた。
オオグチに再度自身の肉体を提供した。
これで異界への扉が開くかどうか、そもそも彼は異界への介入の術をこれまで知らなかったのだが……どうやら効を奏したらしい。
ぎちぎち、と虚空に異変が起こる。
ピキピキ、とまるでそこにはガラスでもあったかの如く、亀裂が走っていく。そして…………。
ウネウネとした名状し難い何かが亀裂から、水が染み出す様に出てくる。
それはまるで液体であった。だが紛れもなくソレは生き物であった。何故ならば、
単なる液体であったのであれば、有害か無害かはさておいてもまずは地面へと染み込むはずが、
ソレは明らかに呼び出したであろう仏子津へとそれぞれが蠢き、各々が体内へと入り込まんとしていたのだから。
「ぐ………が、ああああああああああああぐぐぐ………………っっっっっうああ……あああ!!」
その声からは苦悶が滲む。
例えようもない、想像を絶する痛みが蝕んでいく。
ソレはありとあらゆる箇所から入り込んでいく。皮膚から、爪先から、泌尿器から、涙腺から、耳から、鼻から、口から、汗腺から。人体に於けるおよそあらゆる箇所から染み込んで、侵食せんと蠢動せしめる。
ソレは血中を流れ、体内を巡り、臓腑を侵し、細胞を喰らい尽くして入れ替わっていく。
≪ワシに……この身体を寄越せぇぇぇぇ≫
声が聞こえる。ただし、誰かが外からかけた声ではない。この声の出処は自身の体内。
その声はソレが、つまりはあのオオグチ、と呼ばれた群体からの総意。
それはついさっきまで彼の体内にいたあの怪物の群れからの侵食に他ならない。
強烈なまでの”意思”に精神が押し潰されるのが実感出来る。
≪愚かなり、ワシの群れを呼び寄せるとはな。今度は跡形も残さぬ、肉体も精神も残さず喰らい尽くしてやろうぞ≫
仏子津の精神は崩れ落ち、肉体は彼らのモノになるはず、であった。
だが、
「わ、悪い……な、断らせて、もらう」
あろう事か器からは拒絶の言葉が口をついた。
≪ば、馬鹿な。この身は既にワシが造り変えたのだ。たかが下賤で卑小な人間風情が何故、何故抗える?≫
オオグチの言葉からははっきりと器たる者への恐怖が伺える。
それは、紛れもなくこの怪物の本体、群体が自身の生存の危機を感じ取った事からの本心とでも言える言葉であった。
「おまえらの全部を…………よ、寄越せぇぇぇぇ」
仏子津が己が身に、爪を食い込ませる。
ミチミチ、と爪、否、指が皮膚を突き破り、肉へと食い込んでいく。
血が吹き出し、滴り落ちていく。
そうして身を震わせ、立ち尽くしている。
≪ぐ、げがががっがはあああぁぁっ≫
オオグチからの声が小さくなっていく。彼らは理解した。これまで幾人もの人間や動植物を糧にして生き永らえ、進化をしてきた自分達が今度は供物と成り果てたのだと。
滅ぶ、のだと。
「それは違う、ぞ」
仏子津が、ソレに語りかけた。
「お前らは、一つになるんだ。俺とな。俺には達したい願いがある。お前らはこの世界に怒りを抱いている。
その怒りに対する協力はしてやる。だから…………お前らは俺の願いを叶える為に手を貸せ」
その言葉は傍目から見れば単なる独り言であり、妄言ともとれる言葉。
他者がそれを耳にすれば冗談だろ、と笑うか、それが本気だと知ればどうかしてるんじゃないか、と思うに相違ない。
だが、彼らはその妄言に強く興味を惹かれた。
その言葉からオオグチは感じたのは強い強い情念、いや妄執と言っても差し支えのないもの。
彼らは思った、何がこの器でしかない微弱で非力な人間にここまでの執念を与えるのだろうか、と。
オオグチは蠢動を止める。
そして、
≪ワシに何をして欲しいのだ?≫
と、そう尋ねた。
対して、仏子津は答える。
「俺には、何としても逢いたい人がいる」
≪何故そこまで執着出来る?≫
「知るか、会いたいのに理由があるのか?」
≪くはは、これはしたり。貴様は愚者だな、だがいいだろう。お前のこの器は我らに捧げろ。
それを確約するなら貴様に一時的にでも協力してやらん事もない…………どうだ?≫
その問いかけに対しての愚者たる男の回答は……。
それから数分が経過し、オオグチは仏子津との融合を果たす。
疲労困憊であった事がまるで嘘の様に体力が戻っていく実感がある。
彼には漠然とではあったが目算はあった。
自身の体内にオオグチだったものの断片が残っている、という実感があったからこその試みだったが図に当たった形だ。
自分の中に自分が知らない筈の記憶の断片が残っていたのだ。
遥かな過去、幾つもの歴史上に煌めく王朝、帝国に自分は呼び出された。
呼び出した者も時代も様々だった。 西洋諸国、アフリカ、アラビア、中央アジアにそしてかつての日本、平安の世に南北朝、それから戦国時代に至るまで。
ある時は偉大なる王。ある時は邪悪なる魔術師。またある時は錬金術師。そして、偶然の積み重ねで予期せぬ形での呼び寄せたある学生もいた。
彼らはいずれも良くも悪くも”大望”を抱いており、自分はその為に呼び出された。
なかでも日本には幾度となく呼び寄せられた事もあってか断片も数多く残っており、誠に不思議な感覚だと云えた。
これは当然だが、自分の記憶ではない。
だが、幻覚や夢でもないのは確信出来た。
(これは現実だ、俺のではなく、この怪物のこれまでの記憶の断片、残滓)
思い返さば、自分の精神をも追いやられ、全てを乗っ取られていた時にも、何か観た様な気がする。
それは目の前の景色であったり、様々な経緯で怪物に喰われたモノ達の姿であったり。
そして、同時にここではない何処か。それも明らかに現界とは異なる景色も。
(あれはこの怪物のいた世界だ、間違いない)
その場所は全てが深緑であった。
空も、大地も、海の色までもが。
ぴちゃん、とした感触。ズブズブ、と沈み込んでいく感覚。
ただただ沈んでいく。底の底へ向けて。
息が続かなくなる、という恐怖は不思議と全く感じない。寧ろ、心地よささえ感じる。
ただただ、一面が緑色の液体に満たされた場所であった。
一体、どの位沈んでいったであろうか。
気が付くと底にいた。光さえ差さぬ暗闇の世界。
そう、ここは緑に覆われた世界ではない。
怖くはない、何故ならば。
ここにはミンナがいるのだから。
ウゾウゾ、と蠢くナニカ。分かっている、ミンナと自身は同じ。常に同じ存在。常に繋がっているのだ。
どの位の時間が経過しただろう。初めは心地よいだけだった。
だが、ミンナの中に初めてのナニカが込み上げ始める。
それは今まで知り得なかった、流れの様なモノ。
最初は理解できなかった。
ただ、思った。
≪何で?≫
知らぬうちに見知らぬ場所にいた。
そこで初めて見る誰かに何かをされる。
気が付くと、覆われていた。初めての感覚、何だろうか、消えていく。
それが”火”だと知ったのはまた後の事だった。
気が付くとまた見知らぬ場所だった。
また別の個体らしき誰かが近付いてくる。
そうして今度は………………。
そう、彼らは常に繋がっていたのだ。
互いの記憶を、全てではないにせよ共有しながら生きていたのだ。
だから、彼は思ったのだ。
自分の中にいたオオグチもまたウゾウゾと蠢きつつも、異界と交信しているのではないのか、と。
彼らが幾度も幾度も何者かの都合で呼び出され、どういう目に遭ってきたのかは理解した。
決して、味方ではない。だが、構うものか。
互いに思う所があって、互いを利用するだけだ。
だからこそ、仏子津は。
かくてオオグチと呼ばれたそれは仏子津と融合を果たし得る。
「オオグチ、お前に初めてのご馳走をくれてやるぞ」
そう呟いた男は自身の身体を瞬時に四散させると、染み込んでいく。
そう、彼らは喰らうのだ。
この清水の地、そのものを。