三条
凄まじいまでのオオグチの絶叫が轟き、そうしてその場を覆っていた殺意が途切れるのを両者は感じた。
両者は今、清水寺の境内を離れ、お木々の隙間より攻防を繰り広げていた。木陰から僅かに顔を覗かせ、耳を澄ませる。
相手の攻撃は速くて見えないが、音は生じる。
暫しの間を置いて、ガササ、という草を踏む足音が聞こえる。
更に耳を澄ませ集中する。
しゅば、という音は相手が何かを投げた事で生じた風切り音で相違ないだろう。
顔を樹木の幹へと隠すとカカン、と乾いた音と共に四本の釘が丁度つい今しがたまで顔のあった位置へと突き立っていた。
「ちょこざい」
ちっ、と舌打ちと声が聞こえる。相当苛立っているらしい。
ならば、と木陰から飛び出し、姿を晒け出す。
「舐めるな!」
相手もまた姿を見せる。
察した通りに、やはり相当プライドの高い男らしい。真名は相手に察知されない程度に薄く笑みを浮かべる。
「どうやら向こうの決着が着いた様ですが……どうしますか?」
真名は扇を素早く上へと振るう。優雅なその所作で前方に風が舞い上がり、彼を狙い放たれたであろう釘が狙いを逸れてやがて地面へと落ちる。
「ちっ、」
その釘を投擲した三条左京、もとい藤原左京は舌打ちする。先程より彼は苛立つ一方であった。
投げては風で逸らされる。先程からずっとこの調子であったのだ。
どうにも相性が悪い、そう思わざるを得ない。
この臙脂色のスーツを着た男の異能は”物質超加速 ”
要するに何かしらの物体を超高速で射出する能力。
彼には武器など何処にでも転がっている。まさにあらゆる物を武器へと転じて凶器として活用出来る能力である。
彼は、このマテリアルアクセレィションを活用し、多くの敵を屠って来た。射程距離はおよそ一〇〇メートル。狙撃距離としては短いものの、いらぬ手間や準備も必要としない彼は、どのような場所であっても標的を仕留める事が可能であり、彼がこの京都の裏の
世界にて君臨する拠り所であった。
◆◆◆
元来、三条の姓を継ぐ者はこの京の都の裏社会の顔役となる定めを引き継ぐのだが、代を重ね、時代の変遷と共にそうした決まりは廃れていき、この地に根を張った藤原一族の中から選ばれるのが常となっており、当初左京がこの姓を継ぐ際にも、裏で色々と勘ぐられたとも聞く。
だが、彼がここ数代の継承者と違っていたのは、彼がその役目を受けるに相応しいだけの実力と功績を挙げていた事であろう。
当初こそ疑いの眼差しを向けて来た者達をその後、功績を積む事で黙らせ、そして心服させるのは実に心地の良い物だった。
だが、今の京都は彼にとっては退屈な場所へなりつつあった。
如何に優れた能力を保持し、権力があろうが、あくまで彼はこの地に奉仕するのが定めである。
それに、時代の流れはそれまで少なくとも異形の者との最前線をこの一〇〇〇年以上の歴史を誇る古都から、全国各地へと拡散させていった。
以前であれば要請を受けて、京都から防人なり、退魔師なりの派遣を三条の者が取り仕切っていたのだが、今や全国、否、世界規模の大組織となったWGなる存在が各地に続々と支部を設立。
そういった事態への対処を引き受けるに至り、三条の立場はこれ迄になくあやふやで不安定なモノに陥りつつあった。
(あんなそこいらの木っ端防人や野良の異能者の率いる集団に何が出来るか)
当初こそそう思い、気にもしていなかったが、WGはその後も存在感を増していった。
京都への参入自体は防いではいたものの、日本全体で鑑みても、WG支部のない地域の方が絶対的に少なくなり、事実上この京都だけが孤立しているかの様であった。
かつての様な異能、異形に対する総本山という地位も今や形骸化。崩れ落ちんとしていた。
今や、周辺地域の注目も、京都からここ一〇数年で飛躍的な発展を遂げつつある九頭龍へと向けられている。
三条左京は、九頭龍、もとい福井、越前という地域を以前より忌み嫌っていた。
理由は簡単だ。
あの土地は歴史上、幾度天下を望める恵まれた立地だったにも関わらず、決して歴史の表舞台に立った事がない。
そもそも、あの地は越の国。かつての蝦夷と同様の者達の住まう卑しき蛮族の土地なのだ。
そんな場所が繁栄するなどあってはならない事である。
三条の者にこの地を任す。
そう告げてその当時の藤原の当主は、創元は旅路に着いたそうだ。
その時から、三条こそが、三条の苗字を受け継いだ者こそが京都に於いて、ひいてはこの日ノ本に於ける中枢を統べるという事であった。
当時の先祖はまさに天下の中心に自分がいるのだと感じたに相違ないだろう。
それなのに、だ。
長い年月の放浪の末に、家を捨てたはずの当主は、あろう事かあの越に棲み着くと、その地にあった異界に引きこもったのだ。
その頃からか些かの異変が起きた。
京都にいた藤原の一族の中から世代を経る毎に越へと流れる者が現れ始めたのだ。とは言え、その流れた者は没落した者達。一族の大勢に所属しない者共であったそうだ。
だがそれでも。それに呼応するかの如く、京都に於ける藤原の力は弱体化を始めた。摂関政治は結果的に藤原一族の力を弱めさせ、その権力の集中を危惧した敵対者は武士を対抗勢力とした。そして武家の時代が訪れ、彼らが政権能力を得るに至る。
ここに来たりて、藤原一族はその方針を変えざるを得なかった。
全国各地へと一族の者を送り込み、土地毎に為政者へと助力。或いは間接的に支配し、権力を得る事で命脈を保つ様になる。
そして三条の当主は、様々な戦や政変による流血から、いよいよ淀み出した京都の裏の世界を差配する立場へ相成る。
これが結果的には功を奏した。
異界へ近付いた事で様々な超常的な事変が起こる様になったこの地に、三条の名に於いて力ある者を召集。
結果、多くの陰陽師や密教僧等を束ねた退魔師、それと野にて育ちし異能者達、つまりは防人と呼ばれし二つの潮流からなる異能の者達を統べる事で三条の当主は、裏の世界にて絶大な権力を得る事に成功したのであった。
そして藤原一族の……否、三条の栄華は続いた。
世間的には武家社会とはなったが、彼らは異界の者と戦う術を知らぬし、持たぬ。妖に抗する術を持たぬ彼らは藤原の、いや三条に頭を垂れて嘆願。数多くの財を納める。それにより、三条の当主は、各地へと退魔師もしくは防人を派遣する。
このような流れによる共存が幾百年と続いた。
戦国乱世の世も、幕府や朝廷そのものは乱れたが、全国に根を張った藤原一族は然程の被害も受けず、そして三条の当主は、各国から抱えている異能者達を守護やらのし上がった戦国大名やらに提供もし、そうして常に裏で暗躍。その流れは江戸の世も同様。
この国は西洋諸国とは違い、魔女狩りと称した異能の力を持った者の迫害も無かった為に、三条、ひいては藤原一族は力を保ち続けた。
潮目が変わったのは、明治維新からだ。
倒幕により、権力の流れはまた変わる。
武家はその存在を失い、同時に公家もまた華族となり、歴史の表舞台へ出ていった。
藤原一族は、この維新前後から越前の地にて居を構えた藤原創元長老が一時的に権力中枢に復帰したらしい。
彼は幕府が負ける、と予想し、それに反発した三条の当主を更迭。反幕府勢力へ助力を決定。そうして激動の維新の流れをも生き抜いた。
そこから、京都での三条の立場が少し変質した。
創元長老の元へ藤原の者とのが多く流れたのだ。
最早、京都は日ノ本の中枢にあらず。国の中枢は江戸、東京になった。政府も宮家も今や東京にいる。
だが一方で京都は、またも起きた動乱による無数の死者の怨讐により、荒れ果て、治安も悪化し、無数の妖や鬼が跋扈。
退魔師や防人はこうした異界との最前線として要衝の地であった事から、一定の力と敬意は保ち続けた。
そうして世界大戦を経て、戦後復興をも渡り抜き、ここに至り、藤原一族はいよいよ莫大な力を持った。
経済という力を背景に、二十一世紀に入ってから政府に働きかけ、多額の金を投じて、そうして”経済特区九頭龍”が誕生。
その整備、成長計画を仕切る事で藤原一族はかつての、平安以来の、それすらも上回ったかも知れぬ力を得たのであった。
そしてそれに呼応したかの様に、世界中にて異能を得る者が続出。世界中にて、事件が頻発。
その結果が、最終的にはWGの誕生及びに、それ以前から存在していた異能の集いであったWDの台頭にも繋がる。
その双方に藤原一族は協力。結果、九頭龍を根拠とした藤原一族はある意味で京都、つまりは三条の家を必要としなくなった。
最早、三条の地位は砂上の楼閣の様なもの。
それを継いだ左京がそれを受け入れられるのは土台無理であった。
◆◆◆
「おのれっっっっ」
三条左京は怒気を露にして、目前の真名を睨み付ける。
自分がこうして動くのは、単なる私欲ではない。
京都の、ひいてはこの地にいる異能者共の為になる事なのに。
「何故貴様は邪魔をするか――!」
「それは巡り合わせの悪さ、ですかねぇ」
「ふざけおって。この木っ端防人崩れめが」
「生憎、私はあくまで協力者。防人でも退魔師でも有りません」
「減らず口を叩きよるわ、もういいここで殺す……ん?」
「何?」
両者の動きが止まる。
異変が起きたのは明白。
だがそれは最早、三条左京の思惑からは外れた事態であった。