交差する思惑
「く、ちっ」
相手の黒き手が脇腹を掠め、零二は舌打ちする。
正直侮っていた。
相手、つまりは藤原慎二、という男を。
一度退けた、という事実に何処か油断、慢心があったのかも知れない。
だが、冷静に考えれば気付いたはずだ。いや、気付いていたが、それを認めたく無かったのかも知れない。
ちりっ、こちらの輝く双拳もまた相手の腕を掠める。藤原慎二の表情が歪むのが見て取れる。
片拳のみの輝く拳と、今用いている双拳の性質の違いは大体は把握出来た。
シャインナックルは破壊力、打撃力に優れている。
一方のシャインダブルは、どうも切れ味に優れているらしい。
例えるならば、シャインナックルがハンマーの様な物であり、
かたやシャインダブルは刀剣の様な物であろうか。
どうしてこういう差異が生じたのかは確信はない。
だが、零二は考えるのをそこで止める事にした。
彼我の差異について今考えても仕方がない。
大事な事は今、この状況をどのように好転させるのか、なのだ。
零二は目前の相手に意識を傾けている。だが、同時に忘れてはいけない。この場にはまだ他に敵がいる事に。
あの不気味な怪物にはそれなりのダメージを与えた自負はあったが、それとて致命打には程遠い。そろそろ回復していてもおかしくはない。
復帰したからと言え、負けるとは思えないが、だからといって二対一に戻れば苦戦は免れない。
だから、目の前の相手を一刻も早く倒さねばならない。
それは零二に無用の焦りを与える可能性のある考えであった。
だがそれでも、彼は気にせざるを得なかった。自分には制限時間があるのだから。
「クウ、ッッ」
腕を抉られる。あの手はまさに小刀。触れれば全て切り裂きかねないと身を持って実感する。
後ろへ間合いを外しつつ、傷口を確認する。
まさに刃物の如き攻撃力だと言える。
(性質は私のこの黒き手同様、か)
だが思いの外、彼は冷静に今の事態の推移を判断していた。
自分と相手の武器を見比べ、事態をどのように好転させるのかのかを考える。
今の状況は良くて五分五分、だが、理解している。
一対一では勝ち目はないのだと。
だからこそ、この状況を狙ったのだ。
憎き小僧が、他の敵と戦っているこのタイミングを。
今、その敵である怪物は動かないが、それでも構いはしない。大事な事は他の敵がすぐそばにいる、という事実だ。
(ふん、要は長引かせれば長引かせる程に、小僧は焦る。消耗させればいいのだ、やり方は何とでもなる――!)
その考えから、藤原慎二は徐々に戦い方を変えていた。
手数を少しずつ減らしていき、攻めから守りを重視し始める。
零二が気付くと感じれば即座に挑発。激昂させ、仕掛けさせる。
とは言っても零二の攻めは熾烈そのもの。
確かに今の拳は一撃必殺とは成り得ない。だが、それでもその白く輝く手は自身の黒き手に匹敵、或いはそれ以上に強力である。
バシ、と交差する都度、ピシ、という軋みが手に走る。
下手な防御をしようものなら、そのまま力づくで押し切られるのは必定だと思える。
(単純な身体能力及びに攻撃力は奴の方が上だ――業腹だがな)
それは屈辱的な結論だった、かつての自身であれば認められない物であった。
だが、かつての”栄光の道”はもう閉ざされたのだ。
今、彼が歩くのは録に整備されぬ寂れた道。先もよく見通せない道だ。
それでもこの道を前に進むのであれば、これまでの価値観を捨てねばならぬ。
零二が一旦後ろへ飛び退く。
だが藤原慎二は追い撃ちをかけない。
それは、彼の全身が悲鳴をあげていたからだ。
腕や、太もも、肩口に腹部、あらゆる箇所が切られたのだ。
持久戦は成功しつつある、そう確信していたが、それでも零二の手数を全て捌くのは困難であった。深傷こそないが、リカバーでせめて傷を防がねばならない。戦いはまだ続くのだから。
「へっ、やるじゃねェかよオッサン」
零二は挑発すべくそう声をかける。
だが、相手は動かない。さっきからずっとこの調子であった。暖簾に腕押し、敵から攻撃を仕掛ける回数が間違いなく減っている。そう確信した。
この状況に、ち、と思わず舌打ちする。
ここまでの攻防で零二は相手の思惑を理解した。持久戦を挑む腹積もりであるのだ、と。
それは冷静になって考えれば極々単純な戦術だ。
何せ、この”熱操作”というイレギュラーは燃費が至極悪いのだから。
加速力に馬力こそあるが、同時に大量のエネルギーを消費するモンスタカーの様な物なのだ。
秀じいにもその点は幾度も幾度も指摘を受けてもいた。
少しでも無駄な消費を抑える為に考えろ、と。それこ耳がタコになるんじゃないかと思う程に口酸っぱく言われたのを思い出す。
正直焦りがない訳ではない。
制限時間は確実に減っているのだから。
だが、焦っても仕方がない。
それに一つだけ良いニュースもあった。
どうやらシャインダブルは、シャインナックルよりも消耗が少ないらしい。本来であれば今頃は燃料切れ寸前のはずだったが、今の零二にはまだ余力がある。
恐らくはシャインナックルの際には、文字通りに右拳に全てを込めているのに対して、シャインダブルの際には左右に均等に意識を傾けているからなのかも知れない。知らず知らずに制御する事で、エネルギーのダダ漏れを防いでいるのかも知れない。
ならば、零二はふと思い至る。これ以上に無駄な消耗を抑制しつつ、決着を付ける術を。そしてそれを実行するのに必要な条件も同時に。
(なら、相手にゃこっちがもうジリ賃だと思わせなきゃな、……)
だからこそ一度間合いを取ったのだ。
これで相手はこっちがそろそろ決めにかからないとマズイのだと思わせる為に。
「かああああああ」
気合いを込めて意識を左右から右拳へと向ける。
瞬時に白き輝きは、右の……拳へと集約される。
実にスムーズだと思えた。あれだけ鍛練中は失敗していたのがまるで嘘の様な感覚にすら思えた。
それは、例えるならば……自転車に乗ろうと試みて幾度も転倒していた子供が、気が付くと何の事もなかったかの様に口笛混じりにすいすいと乗りこなす様な物だろうか。
「いくぜ、これでキメだ」
「ふん、ならばこれで貴様を殺してやろう――」
零二はそう宣言すると飛び出す。
ほんの一瞬の飛び出しに熱を放出。つまり全力を費やす。これで零二がこの攻撃で決着を付けるつもりなのだと思わせる。
じぃ、と相手を見据える。
相手も飛び出す。
これで、状況は揃った。
(後は、ぶっつけ本番だな)
零二は僅かに口元を歪ませた。
目の前の零二が右拳に輝きを集約するのが見えた。
(間違いない、これで仕留めるという事だ)
藤原慎二は密かにほくそ笑む。待っていたのだ。相手が勝負に出る瞬間を。
白いその輝きは、美しいとさえ思える。
だが、あれの凶悪さはよく知っている。
一度はあれで身を焦がされ、死に瀕したのだから。
(だが、大丈夫だ)
藤原慎二もここに至り、自身の勝利を微塵も疑っていなかった。
思惑通りに事は進んでいた。
零二は消耗してきたに違いない。あれだけ熱操作を使い続けているのだ、限界に近付いたに違いない。
あの右拳にさえ意識を集中させれば、勝てる。
そう思っていた。
だからこそ、迎え撃つ様に飛び出せたのだ。
トドメはキッチリと心臓でも貫いてみせん、と思って。
「うらあああああ」「小僧オォォッッッッ」
両者の声が重なり――ぶつかる。
だが、結果は両者共にその思惑を外されるのであった。
何故なら…………。