より煌めき――輝く
猛攻に対し、零二は劣勢に陥り始めていた。
「ち、ぃッッッ」
零二が舌打ちしながら唸りを挙げて迫る巨大な拳を左手刀で受け流す。その通常の数倍もの重みを持った拳は受け流すだけでも零二の筋肉に、骨にと痛みと軋みを与える。
更に残った一方の拳も迫ってくる。狙いは心臓だろうか?
一直線に飛んでくるその一撃を零二は、右肘で狙いを逸らし、身体を捻りつつ躱して流す。傍目からは踊っている様にも思える所作は、かつて秀じいに散々仕込まれた古武術の動きである。
本来であればそのまま反撃に転じる所であったのだが、それは叶わない。
何故ならば――、
「ちぇいいいいい」
背後からもう一人の相手が攻撃を仕掛けて来るからである。
風を切る音が聞こえ、零二は咄嗟に首を傾ける。
するとその頬を黒い手が掠め、抉りながら通過していく。
背後の相手へ裏拳を放つが、藤原慎二とて強敵である。その程度の反撃は容易に躱すと逆に足を払ってくる。
バランスを崩された零二は前に大きく飛び、素早く起き上がると、次なる追撃を躱さんと試みるが、そこに怪物が口を大きく開いての吸引を仕掛ける。
「う、おおおっっ」
零二は踏ん張りを利かせて吸い込まれるのを堪える。
だが、動きを大きく制限され、そこを燻んだスーツの男に攻め立てられる。
上段蹴りこそ肘で受け止めたものの、そこから左でのボディ、そして続いての右ボディのコンビネーションをマトモに喰らい、
「ぐうっっ」と呻き、思わず身体を九の字に折り曲げた。
そこに今度は怪物が拳を振り下ろし――鉄槌を放つ。
軽く零二の顔よりも巨大なその塊は、まさしく槌の様な迫力で獲物を潰さんと唸りをあげる。
「く、アアアアアッっ」 零二は気合いと共に全身から蒸気を噴射。その勢いで自身の身体を後方へと無理矢理吹き飛ばし、辛うじて躱す。
だが、それは強引過ぎて零二自身をも傷付ける。
「う、……ぐっ」
苦痛に零二が顔を歪める。さっきの腹の傷が開いたらしく、どくどくと血が滲み出す。
だが、気を抜く暇はない。二人の敵が左右から迫るのだから。
「へっ、上等だ! 来いよ!!」
気を吐くように叫び、左右の手に意識を集中させていく。
どのみち、熱の壁は少なくとも藤原慎二には通用しない。
反射的な防御とは言ってもイレギュラーである事には変わらず、無駄に消耗するなら、いっその事防御を捨てた方がまだマシ。
(左右の両方に意識を向けろ――!)
目を閉じて、呼吸を整える。
相手の接敵速度からあと、二秒の猶予といった所だろうか。
これを試みるのは、少なくとも実戦では初めてであった。
秀じいとの手合わせでは幾度か試みたが今まで数回しか成功してはいない。正直、上手くいく確率は限りなく0に近いだろう。
だが、躊躇はしない。どのみち、今のままでは力押しで負けるのだ。負けるとは、即ち死。それだけは絶対に駄目だから。
不思議な事に、時間がゆっくりに感じる。
零二には時折、こうした感覚を覚える事があった。
それは走馬灯、というのに近しいのかも知れない。
だが、この瞬間は自分がこれ以上なく集中している時でもある。
だから、大丈夫。そう思った。
「な、っっ」
藤原慎二が目を剥いた。
≪なんだ?≫
それは異界の怪物も同じだったらしい。
両者の目に映ったのは――、
◆◆◆
≪おやおや、まぁ派手に暴れてくれるわな≫
繰り広げられる戦闘を、清水の舞台にいた瀬見老女はからから、と笑いながら観ていた。
その目は、灰色に曇っており、ピクリとも動かない。
彼女は視力をもって観てなどいないのだ。
とうの昔にその目から光は失われている。
彼女の観る、という行為は己が異能に起因する。
彼女の異能とは、”同化、浸透”。具体的には、その場全体を自身の世界、として”認識”する能力だ。
今ならば、この清水寺がその世界となっており、ここで起きる出来事はもれなく全て彼女には、観える、つまりは理解出来るという訳だ。
彼女が退魔師の長として君臨出来るのは戦闘能力を買われた、というのではない。
寧ろ、その点で彼女よりも上位になる者は大勢いる事だろう。
彼女が長となれたのは、その異能を用いる事で、戦闘進行を優位に出来るからである。
例えば今ならば、清水寺自体に張られた結界を強化したりも彼女には出来る。
結界の強化は、そのまま異界力を減退させる。つまり、妖の力自体を落とす事にも繋がるし、万が一結界を壊そうと試みてもそれは極めて困難でもある。
今、彼女がその気であるならば、少なくとも異界の怪物の力を削ぐのは容易である。
だが、彼女はそれはしない。
何故なら、それが頼みであったから。
彼女は知人に頼まれていた。
加藤秀二、彼が”疾風迅雷”という異名を轟かせていた頃に、一時的ではあったが、退魔師に協力してくれた時期があった。
そしてある強大な力を持った”鬼”を退治するのに尽力してもらったのだ。
その際に約束したのだ。
いつか、もし困った事があったのならば、手を貸そう、と。
そして先日、その約束を果たして欲しい、と彼は手紙で依頼をしてきたのだ。
手紙には、近々京都に来るある少年、つまりは零二をそれとなく、見守って欲しいと綴られていた。
世俗の事には関わらなくなって久しかったこの老女も、誰かも知れない少年の面倒を見るのは流石に困った事になる。更に付け加えるならば、退魔師の長たる彼女が直に動くと色々と問題が生じてしまう。そこで彼女の打った手が真名と士華の二人に彼の面倒を見て貰う、という物であった。
真名は以前、秀じいに面倒を見てもらった事があったし、彼は名目上は防人に協力していたが、実際には異能絡みの問題であれば、防人だろうが、退魔師だろうが関係なくその解決に依頼を受ける立場であったので、いざとなっても余計な波風は最低限で済ませる事も可能であったのだから。
すると、どうだろうか。
零二が来るのに前後して無数の犠牲者が京都中で出始めた。
そして何処からともなく噂された、犯人は武藤零二、という凶悪な異能者なのだと。
更に、彼が九頭龍から京都に来たのも、零二が危険過ぎて追放されたという話も同時に流布しており、退魔師も防人も、その見知らぬ少年を疑う事もなく犯人扱いしようとする風潮が起きて、少なくとも防人側では既に彼を捕らえようと強行手段に訴えている。
退魔師側は、瀬見老女がそれとなく手を回す事でまだ抑えてはいる。だが、それもいつまで抑えきれるかは曖昧である。
そう苦心していた時に、彼女に接触してきたある人物から、この事件の大まかな概要を聞かされ、そして今に至る。
≪やれやれ、困ったものだね。あの坊やは嫌いじゃないけどねぇ≫
それは彼女の、本心からの言葉であった。
ほんの少しの時間の付き合いであったものの、彼女はあの生意気盛りの少年をいたく気に入っていた。
歯に衣着せぬその物言いに、態度のデカさを。
≪手助けしないつもりだったけど……ん? おやまぁ、大丈夫そうだねぇ≫
彼女は態度を改める。
観たからだ、零二がこの窮地を逃れる可能性を。
◆◆◆
「こおおおおおおお」
零二は意識を集中し、それを編み出す。
彼は今、白く輝いている。
普段よりも目映いのには理由がある。
右拳とそして、もう一方の拳も――負けじと輝く。
左右の拳が夜の闇を切り裂くかの様に目映く煌めいていた。
「き、貴様……何だそれは?」
藤原慎二は硬直している。
≪な、何をしている……奴を殺さぬか!≫
怪物は、共闘していたはずの男が突如その動きを止めた事に思わず問い質す。
だが、かくいう彼自身もまたその動きを止めていた。
二人共に、標的の両の手の目映い輝きに目を奪われ、そして恐れを抱いていた。
「行くぜェッッッッ」
目を見開いた零二は、そう叫ぶと二人の敵へと向かっていくのであった。