乱入者
「っさああああ」
夜の地主神社に零二の叫び声が響く。
ザ、ザザッ。という地面を引き摺る様な音。
それからダン、という何かを叩き付けた様な轟音と、それに伴うは小さな震動。
≪くがあああっっ≫
と、絶叫しながら襲い来る巨大な口の異形の、その牙を避けつつ仏子津蓼科という相手を狙い、攻撃を加える。
”火葬の第三撃”による奇襲は功を奏したらしく、仏子津蓼科、いやあの怪物からの攻撃及びに威圧感は先程と比すると弱い。
戦いながら零二は、さっきまでの異様なタフネスの原因を推測。
「でやっっ」
前蹴りを繰り出し相手を突き飛ばす。
≪く、ぐ。おのれ小童が≫
「ふう、ン。ヤッパな」
零二は何かしら得心したとばかりにかぶりを振る。
「アンタが何かは知らねェケドさ、……どうもその仏子津蓼科っていうヤツの身体を間借りしてるみてェだな。
そンで、今はオレの攻撃が効いてるってコトは……さっきまで着ていたあのコートが原因だな?」
≪間借りだと? ワシがかような下賤のモノに何故器を借り受けねばならぬのだ?≫
「へェ、するってェと違うンかよ?」
零二の視線は相手に対する侮蔑へと様変わりする。
「ハハ、」と笑う少年に、怪物は、
≪おのれ小童めが、貴様如き、塵芥の愚昧なモノに何が分かると言うのだ?≫
と、吠える様に声を荒げる。
それに対して、
「さぁ、知らねェなぁ。それより答えろよ、あのコートは何だ?」
零二の興味は先程まで纏っていたあのコートへと向けられていた。
≪ふん、あれに興味があるか? あの衣は我が世界に繋がっておるのよ。受けた衝撃をここではなく、我が世界へ流すのだ≫
「ヘェ、つまりはアンタがぼく痛いの嫌だよぉ、ってコトで着ていたってワケだ」
≪何だと? 貴様ぁ≫
零二はあくまで挑発的だった。彼は目の前にいる存在が心底気に食わなかったのだ。だから、この怪物の底を晒してやろうと思っていた。
「オレはてっきり、アンタがそのひょろい兄ちゃんを【騙して】身体を奪ったンだとばかり思ってたンでよ」
≪ワシが貴様ら如きに嘘偽りを言うと思うか? 侮るな人の子!
これでもワシは異界の者よ。長き時を生きて来るワシが、貴様らの如き、短し命の虫けらに何故へつらう必要があろう?
……こやつは自分から進み出たのよ、身体を好きにしても構わない、とな≫
「……ヘェ、そいつぁ興味ある話じゃねェの」
零二は眉尻をピクリ、と上げる。
俄然あの異界の怪物、つまりは妖が何を知っているのかが気になった。
それに、
仏子津蓼科という男が何を考えているかにも興味もある。
つい先刻、瀬見老女から大まかな事の起こりは聞いている。
だが、それはあくまでも第三者からの見方だ。
淡々とした客観的な事実と、当事者からの主観的なそれとはまた別のものだ。結果は同じだとしても、そこへ至る道筋は視点が変われば違うのだから。
≪ククハハ貴様ら、人の子はいつも同じよ。
何時の時代、何時の場所でも常に同じ様に考え、惑い、苦しむ。
実に愚昧な生き物だ。ほれ、此奴もそうよ≫
と、突如、仏子津蓼科の様子に変化があった。
ビクン、と全身を大きく震わせたかと思いきや、そのまままるで痙攣舌かの様に激しく幾度も幾度も全身を脈動させる。
「が、……ぐ、ぐあああうううう」
その様子は先程までとは明らかに違う。
さっきまで彼はその表情一つ変えずに平然としていた。だのに、今、彼は突然その痛みを感じたのかとでも言わんばかりに苦悶する。口からは血みどろの吐瀉物を吐き出す。
全身のあらゆる骨、内蔵損傷の影響で倒れ込み、悶絶し始める。
「ぐう、ぎゃああああああああああ」
断末魔の如き絶叫をあげ、今にも死にそうであった。
≪くく、実にか弱い生き物だ。ワシが五感を奪わねば、すぐにでも死せるだろうな≫
怪物は愉悦混じりの声を挙げる。
口とその周りしかない怪物であったが、顔があったならさぞや愉快に笑っているのであろう。
「てめェ――」
ギリ、と零二は歯軋りする。
妖、という存在が、フリークとは違う存在だとは士華や真名からは聞いていた。彼らの中には異界で生きてきたモノもおり、知性を持っている場合も多いとも聞いた。
だが、と言うべきか。
中には悪しき存在もいる、と聞く。
そう、今目前の相手の様な存在が……まさしくそうだ。
≪おうおう、かような目で睨むな。ワシとて此奴に死なれては困るのだ。であるから、此奴の五感を奪い、ここまで生かしてもやったのだぞ。
ほれ、何か云わぬか? さぁ≫
怪物の声に反応したのか、仏子津の顔が上がる。
あ、うう、と呻きながらも、手で砂を掴み、起き上がろうと藻掻く。
「あ、はぁ、ああぁぁ……一美。ぜった、いにたすけ――るうううううう。が、あああああっっっっ」
≪はっははははは。どうだ、くだらんだろう? 聞くに耐えぬ。
愚か過ぎて、笑いが止められぬ。
だから【塞いだのだ】、こうして、な≫
ひとしきり嘲笑し終えた時だった。
途端、仏子津の身体が起き上がる。それはまるでバネ仕掛けの玩具の如き不自然な動きであった。
口からは血や涎を垂れ流しながらも、またも平然とした様子に立ち戻る。
そして、今さっきまでの苦悶に満ち満ちていた表情が能面の様な無表情へと様変わりする。
誰の目にも明らかであろう、今、この場にいるのは仏子津蓼科という殻を纏った怪物、そうその上半身に居着く妖の傀儡なのである、と。
「ナルホドな。要するにその宿主の都合なンかお構い無しに無理矢理酷使してたってワケだ。リカバーも使えないンじゃねェな。
使わせない、……使わせたくない理由か何かあるってトコか」
≪言っておくぞ。ワシは貴様にもう興味は無い。確かに餌としては興味もあるが、この器が壊されては元も子もないでな≫
そう言うと、怪物はじり、と後ろに下がるつもりらしい。
「逃げるってワケだ、根性なしだな」
≪ふん、安い挑発だ。ワシがかようなモノに乗るとでも思うておるのか? 残念じゃったな≫
怪物がそう言うと、動き出そうとした時だ。
「では、今その小僧が死ぬ、そうであればこの場に留まる、そう解釈しても構わないか? 異界の者よ」
その声は、神社の奥からであった。
何者かが、姿を見せる。
「誰だアンタ?」
零二がそう何者かへ声をかけた瞬間であった。
その声の主は突進して来る。
コイツは早い、身構えつつ零二は新たな敵であろうその人物に向き直る。
「喰らえ小僧ォォォっッッッ」
その男は殺意に満ちた目をぎらつかせて襲い来る 。
物影から飛び出すその男が殴りかからんとし、零二がその攻撃を受け流す。そしてその勢いを利用するかの様に腕を取ると投げた。
だが、男は倒れない。その身体を飛び込ませながら回転。受け身を取ると膝立ちの姿勢で向き直る。
強い、一瞬の事だったが零二はそう確信した。
「誰だ……アンタ?」
そう乱入者へと問う。
その顔はハッキリとは見えない。ただ、酷く薄汚れた格好の男だとは分かった。だが、何故か見覚えがある、そうも思える。
「く、くはははは。忘れたのか? 私を――!」
その乱入者は再度零二へと襲いかかろうと拳を構える。
すると、その拳が見る見る内に変化する。そう、その腕は黒く変化していく。
「――な、アンタまさか!」
「死ね小僧ッッッッッ」
そう言うや否や、男が黒く変色したその手での手刀を繰り出して来た。
びゅおん、という風切り音。
零二は横へ飛び退く。
バアン、という音と共に零二がいた場所の後方。石垣がびしりと割れ、木が断ち切れるのが分かった。
地面に倒れる木が零二へ向かい倒れ込む。だが届かない。直撃する直前にその木の幹が燃え出す。零二の身を”熱の壁”が守ったのだ。
「っしゃあ」という声をあげ零二が右の掌底で木を弾く。
ずううん、と地面に倒れた木はぱちぱち、と燃えている。
「ふん、この程度ではやはり仕留められぬか」
零二の脳裏に黒く染まった手で戦った男の姿が浮かんだ。そして、目の前にいる男の声には聞き覚えがある、間違いない。
「アンタ、藤原慎二か――?」
零二の目が細められ、険しくなる。
その名は、三ヶ月以上前、九頭龍にて戦った男の物だ。
その男には確かに白く輝く右拳を――”激情の初撃”を、叩き込んだはずであった。
相手の全身を沸騰させ、挙げ句には”残り火”で燃え出すのも目にした。足羽川へ落ちたとは言え、その程度で零二からの焔から逃れ得る事にはならない。だから、死体が浮かばなくても、燃え尽きたと、判断された。そのはずだった。
「くく……ははは、覚えていたか? そうだ、私だよ。
お前のせいで何もかもを失った。だが、こうして機会を得た。
私は幸運だとは思わんか【深紅の零】?」
男は、藤原慎二はそう言うと不気味に笑うのであった。