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サイコメトリー

 

「はぁ、はぁ、ぜっっ、ぜぇぇ……」

 男は必死に走った。すぐに息が切れ切れとなり、手を振るのが辛く、足はもうパンパンで上がらない。我ながら情けない位に体力が足りない事を実感する。

 とっくに今日のノルマとして大学のグラウンドを一〇周走り終えた仲間達がこちらに寄ってくるのが見えた。

 日頃からよく仲間からはもっと身体を鍛える様にと、よく言われていたのだが、どうにも気が進まない。

 その結果が、今の体たらくだ。


 傍らにいる仲間は言う。


 ――いくら支援担当でもさ、いざとなったら、お前も戦わないといけないんだぜ。だから最低限の体力位は付けとかないとな。じゃなきゃ動けないし、戦わずに逃げるにしたってそもそも逃げる事も出来ないぞ。


 と。仲間からすれば親切心からの言葉であろう事は容易に理解出来る。自分は、彼らに迷惑をかけている、とも思う。

 だが、どうにも気が進まないのだ。

 何故なら、彼には戦う心積もり、つまりは腹積もりという物に乏しかったのだから。

 防人になったのも単なる偶然の結果だし、その異能にしても見定めた相手の追跡、という実に地味なモノだ。

 彼の役割は遠くから相手を確認。もしも逃亡を試みたらその行き先を追う。ただそれだけの事だ。自分の手を汚した事なんか一度だってないし、これからもそのつもりはない。


 ――でもそうだよ、蓼科。貴方ももう少し強くならなきゃ。

 幾らお友だちが優秀で頼りがいがあっても、いつも守ってくれる訳じゃないんだからね。


 そう彼女も言っていた。

 苦笑いしながらも、慈愛に満ちたその笑顔は本当に眩しかった。

 彼女は本当に綺麗だった。まるで太陽の様な明るさに、それに自分みたいな奴にも優しかった。本当に眩しかった。

 ああ、思い出す。あの頃は毎日が輝いていた、と。

 彼は思う。

 ああ、あの頃に戻りたい。

 本当にあの頃は楽しかった。

 あの頃は本当に何もかも満たされていたのだ、と気付かされたのはずっと後の事であった。



 ◆◆◆



 ある道すがらにて。

「うう、いてて」

 ズキズキと痛む頭を押さえながら彼は走っている。

 粕貝真一、防人の少年は己が如何に未熟なのかをこれ以上なく思い知らされた。

「あー、いやぁ。ゴメンゴメン」

 気楽そうに彼の横を走りながら話しかけるピンク色の髪の少女は、勿論史華である。

 そう、先程の事だ。

 倉庫で変わり果てた姿と化した仲間の骸を目の当たりにした粕貝少年は怒りに身を震わせていた。

 殺した犯人を絶対に許さない。変異し恐らくはそう遠くにはいないであろうその相手をこの手で倒す。

 それは正当な怒りであったが、だが、同時に危険な事でもあった。現に粕貝少年は怒りに身を任せた結果として、イレギュラーが暴走しつつあった。

 そして、彼は気配を探し、見つけた相手が史華と、真名の二人であったのだ。



 結果は、見事なまでの返り討ち。

 史華は得物である刀を抜く事もなく、素手のままで襲いかかって来た粕貝少年の攻撃をいなし、足を払う。

 何手かそうやってやり合った後、「じゃあ、今度は僕の番だね」とピンク色の髪の少女はニカッ、と微笑むと――あっという間に襲いかかって来た相手を制圧せしめるのであった。

 そして今、二人は並走しながら向かっていた。零二が清水寺近辺にいる、という情報を得たからだ。

 粕貝は知る由も無いのだが、史華は得物の刀を持ってはいない。

 街中で日本刀を携えでもすれば、悪目立ちするのは確実だとは言え、その姿は、これから戦うかも知れない、という立場で考えれば本来有り得ない事だ。


「それにしても、ゴメンね。ちょっとばかりやり過ぎたよ、ホント」

 史華は申し訳無さそうに、横にいる少年へ視線を向けてくる。

 その目と目が合い、粕貝少年は思わず目を逸らすと、胸に手を置く。心臓が信じられない程に激しく、バクバクと脈動するのが分かる。

 彼はこれでも中学では硬派を気取り、悪ぶっている。

 いつも女子に、対してもつっけんどんな態度を取ってもいる。

 だが、本当は正直言って女子との接し方が今一つ分からない。

 クラスの女子とどうすれば仲良くなれるかなんてサッパリなのだ。


 だから、こそ。横を走る女子は彼にはまさしく、未知の存在であった。

 ウブな粕貝少年としては、横にいる年上の少女の視線と、声がたまらない。彼は防人である以前に思春期の少年なのだ。

「いや、いいッス。俺が勘違いで襲いかかった訳ですし、それにしても……強いッスね、史華姉さん」

「やだなぁ、姉さんだなんてさぁ」

 史華も史華で、同年代の友達がいない。だからこそ、素直に自分を慕ってくれる粕貝少年を気に入っていた。もっとも、彼女は自分がどれだけ魅力的なのかについて無頓着なのだが。

 なので、粕貝真一という二つ年下の少年が何故顔を赤らめているかもよく分かっていない。

(でも、武藤零二は本当に生意気で弟みたいで可愛かったなぁ)

 彼女にとっては、零二の境遇がどう難しいか等はどうでもいい些事だった。今、彼女が零二を追い掛けるのだって、別段、零二が無実だとかそういう話だからではない。

 彼女にとって、たったの三日。それだけの付き合いしかないあの生意気盛りの少年が、弟みたいで、気に入っていたから。これが今、彼女が動く最大の理由に他ならない。

 それは、論理等すっ飛ばした、自身の感情に従う行動。凡そ理性とはかけ離れた本能。

 だが、それで充分であった。

 史華にとって大事な事は、今、自分がどうしたいのか? なのだから。


(待ってなよ、武藤零二。……僕からそう簡単に逃げたりなんか出来ないんだからね。見つけたら、首根っこをとっ捕まえてやるんだから。それで、もっと遊ぶんだ)


 史華はニコリ、と笑みを浮かべる。

 無邪気ささえ感じさせるその笑顔を目の当たりにした粕貝少年は、彼女の思いなど露知らず……またドギマギするのであった。



 ◆◆◆



 同時刻、惨劇の後の倉庫にて。

「さて、と……お仕事しますかねぇ」

 真名は一人、薄暗い倉庫にいた。つい先程まで閉じられていた倉庫を開けると、まず襲いかかったのはむせ返るほどの凄まじい血と死臭。つい数十分程前の事らしいのに夏の暑さと湿度により、死した肉体は早くも臭いを放っていた。

 足元の草履がピチャ、ピチャ、とした赤い池を踏み越えていく。


 普通の人間であれば、即座に吐き気を催すに違うないその最悪な惨劇の現場で、真名は顔色一つ変えずに平然とした面持ちで手にしたライターで、周囲を見回す。

 真名にとってこの惨状もまた、かつて自身が散々通って来た光景と変わらない。そう、違いがあるなら、その光景に際しての立場であろうか。観測者だったか、もしくは実行者であったか。

 そう、彼もまた、かつて裏側の世界で手を汚して来た者の一人であった。

 眉一つ変えずに淡々としたその様子は、異様とも言える。

 彼は哀れな骸に一度だけ手を合わせる。

 だが、それだけだ。それ以上でもそれ以外でもない。

 彼はしきりに周囲を見回す。何かを探しているらしく、幾度も幾度もライターのか細い灯りを頼りに足元を、向こうを照らす。

 そうして捜索する事、どの位の時間が経過しただろうか。

 やがて真名はある物を見つける。

 それは一本の小さなナイフ。普通の物とは異なり、その刀身はセラミックで出来ている。殺傷性よりも携帯性を重視しているらしい。そのナイフを真名は拾い上げると、物言わぬ骸となった青年の腰近辺を重点的に調べる。するとベルトの腰に小さな鞘を見つける。それは、セラミックナイフが丁度収まる物であり、彼が持ち主である事の何よりの証左と言える。


「さて、では、調べましょうか……」


 すう、と一度深呼吸を入れる。

 そして目を閉じて、その意識を手に持つ一本の小さなナイフへと集中させる。

 すー、すーー、と呼吸を整え、目を閉じ、静かにしている様は寝ている様にも窺える。

 だが、それは、違う。

 一〇数秒経過した時に、真名は突然目を見開く。

「これは…………マズイですね」

 真名には視える。ある光景が。

 それは、ナイフの持ち主であった青年の最期に目にした光景。

 死に瀕した彼がその最期に目に焼き付けた光景。

 そう、真名には視える。彼には物に宿った記憶の残滓を読み取る事が出来るのだ。無秩序に並び替えられた無数の場面が再生される。

 その無惨な最期が幾度も繰り返される。犯人の手が腹部を刺し貫く様が。ゆっくりと力無く倒れ伏す光景が。

 普通の人間なら耐えられないはずだ。まるで今、自分が殺されているかの様にすら思えるだろうから。

 今、真名が行っているのは調査であり、同時に臨死体験。

 マトモな精神ならば、とっくに正気を失ってもおかしくない。

 だが、逃げない。真名はそんな残酷極まる光景にすら眉一つ動かさないし、動揺もしない。

 彼はただひたすらに調べる。この犯人の手口を、その顔を少しでも解決に役立つ情報を得んが為。

 やがて、バラバラだった場面は繋がっていき、そして全てを理解する。


「――いけない」

 叫ぶと同時に真名は動いた。さっきまでのようなだらけた雰囲気とはうって変わって。そう、彼には分かったのだ。仏子津蓼科という男が危険である、と。


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