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襲来

 

「…………」

 零二は目を閉じて黙して待っていた。

 敵の到来を。

 今、彼がいるのは清水寺の境内の一角、地主じしゅ神社。

 縁結びの神様が奉られており、良縁を願う男女がここを訪れる。

 季節さえ合えば有名な地主桜が咲き誇る様を楽しめるのではあるが、今は夏。

 瀬見老女は、間もなく敵が来る、と告げた。

 何でもあの退魔師の元締めは、戦闘向きの異能イレギュラーではないらしい。

 彼女が得手とするは、結界フィールドの強化。つまりはこの清水寺に張られた結界こそ、彼女の異能なのだそう。

 つまりは、空間操作能力エリアコントロールに特化した異能者マイノリティだという事らしい。

(不思議な位に心が落ち着くな)

 正直そう思った。

 人払いが済んで、ここには自分しかいないから、というのではない。こうして目を閉じて、黙していると、様々な音が聴こえる。

 風で揺れる木々、枝はしなりながら、カサカサと控え目な音を立てつつ、葉を散らし、……その葉はサ、ササと宙を華麗に舞いつつ、ひらりと地面に落ちる。

 無論、彼はその様を見てはいない。目を閉じているのだから。

 だが、何となく分かる。微かな音を聞く事で何が起きつつ有るか想像出来るのだ。不思議な位に心が落ち着くのは、あの老女から貰ったお茶の効能だそうだ。

(変わった婆さンだったよなぁ)

 そう、さっきの事を思い出す。つい一〇分程前の事を。


 ◆◆◆


≪さて、これで知ってる事は話したよ。後は、お前さんがどうするかだ。それで、どうするさね?≫


 瀬見老女はその目をギョロ、と零二へ向ける。

 その眼差しを前にすると、零二はまるで心を見透かされた様な気分になる。

 だが、不思議と不快感は感じない。それは多分、僅かな時間とは言え、この老女と時間を持ったからだろう。


「さぁ、ね。オレは自分に降りかかる火の粉を払うだけだよ。

 ここに来たのも、そもそもは九頭龍から追い出されたワケだし。

 ……ンで、余所に来てまで暴れ回るつもりになンかならねェし」

≪かかか、これは驚いたね≫

「おいおい婆さン、ソイツはちょいと失礼ってもンだぜ。

 オレはこう見えても平和主義者なンだからよ」

≪まぁ、よいよい。では、何処で戦うつもりさね?≫

「さぁ、てね。でもま、ここじゃ暴れないから心配はいらねェよ。ま、……どっか適当な場所で戦うさ」

≪うむうむ、ならあそこがいいよ。今から来る相手にもね≫


 ◆◆◆


 そうして零二はこの場所で相手を待つ。

 あの老女から、大まかな事件の推移は聞いている。

 犯人が何をする為に大勢の相手を手にかけたのかも。

 既に戦う心積もりは出来ている。

 相手を屠る覚悟も同様に。

 零二は、秀じいから教えられた様々なルールを叩き込まれた。多くはああしろ、こうしろといった礼儀作法についてであり、辟易したものだが、一つだけ彼の心に深く届いた物があった。


 ”力を持った者には相応の責任が必要なのです”


 そう、それは己を律する言葉。

 かつて、力を躊躇いなく行使し、結果として多くの命を地獄の業火で燃やし尽くした自分へ突き刺さる言葉の刃。

「…………」

 目を見開いた零二が、無言で己が拳を見詰める。

 既にこの手は血で塗れている。

 外から出てもう二年が経った。

 自分の命を狙って来た刺客は悉く返り討ちにしてきたし、WDの任務で危険な力を持ったマイノリティを倒して来た。

 そう、自分はあれからも大勢の命を奪っている。

 だから――、

 綺麗事をいくら吐こうと、自分が”殺人者ひとごろし”である事実は変えられないし、変えようも無い。

 だが、それでも。

 そう、もうあんな事はあってはならない。

 何の理由もなく無差別に、全てを灼き尽くしたあんな事は、もう決して引き起こしてはいけない。


 瀬見老女からおおよその事を聞き及ぶに至り、既に零二は”覚悟”を決めていた。

 今日、今からここに来るであろう相手をその場で屠るのだ、と。


 そしてその時はもう直ぐに来る、と零二は理解した。

 何故なら、すぐそこに”彼”は来ていたのだから。



 仏子津ぶしづ蓼科たてのりはまるで夢遊病者の様な覚束ない足取りで、ゆらり、と姿を見せた。

 夏だと云うのに纏っている黒いロングコートと、頭をすっぽり隠すようなフードでその表情は窺い知ることが出来ない様と、その装いはまるで死神の様な雰囲気を醸している。

 だが、一つだけハッキリとしている事がある。

 それは、この男は殺人者だという事。

 風に運ばれてくる臭いがその事実を如実に、雄弁に語る。

 いくらあのコートで誤魔化そうとしても無駄だ。

 彼の身体に染みついた血や様々な体液の臭い。

 恐らくは、あのコートの下は返り血に塗れているに違いない。

 そして、それはさぞや無惨な手口だったのだろう、これ程までの死臭を腐臭を二〇メートルは離れた、ここまで撒き散らすのだから。


「アンタ、……仏子津蓼科だな?」

「…………そう、だ」


 その声には凡そ生気らしき物が感じ取れない。

 ボソボソ、と辛うじて聞き取れる程度の声。


「お前、は……武藤零、二だ…………な?」

「ああ、そうだ今日、ここでお前をブッ飛ばす男だ」


 そう言うや否や、零二は相手に仕掛けた。

「かああああああっっっっ」

 気合いを込めた声を張り上げ、全身から熱を、蒸気として発する。ジュワッ、という音と、その熱気は距離があるにも関わらず、空気を伝い、仏子津にまで伝わると、その肌をチリッ、と焦がす。


 今、零二は絶好調であった。

 その理由こそ判然としなかったが、京都に来てから不思議と体調はすこぶる良好だった。

 空気が合う、というべきなのかも知れない。

 熱操作にしてもいつもより好調だ。その全身を巡る血液に、細胞の一つ一つに至るまで隅々にまで熱が巡るのが分かる。

 その動き出しも普段よりも遥かに速い。

 二〇メートルの距離をほんの二歩、その左右の足を踏み込むだけで踏破。仏子津の懐へ飛び込む。

 完全に不意を突けたのか、相手は反応していない。

 その無防備に開いた脇腹へと最低限の腰の捻りから左ボディアッパーを叩き込む。痛烈な一撃は相手の身体を容易に宙に浮かせる。

「ぐ……あっっ」

 手応えは充分、肋骨を砕いた感触を拳で感じた。

「せやッッ」

 裂帛の気合いと掛け声に合わせ、今度は右拳を振り上げる。

 狙いは顎。寸分違わず、強力なアッパーが撃ち抜く。

 がくん、と仏子津の膝が崩れ、態勢が前のめりとなる。そこを零二は見逃さない。腰を落としつつ、くるりと水月蹴り。相手の足を弾き、後ろへと倒す。

 倒れた仏子津の様子は無様といって差し支えない。

 だが、優位に立つ零二に笑顔はない。それどころか、その表情は険しくなっている。

 それは相手に対して、疑問が浮かんだからだ。

 これだけの血の臭いがするというのに。

 何故、こうも脆いのか?

 今の攻防は様子見であったのだが、相手はあまりにも”弱過ぎる”。そう不自然な程に。

 さっきの攻撃に対する身のこなしにしてもそう、まるで戦いの素人としか思えない。

 この程度の相手が数多くの防人や退魔師達を殺せる物なのか?


「く、か……はっ」

 呻きながら、仏子津蓼科は起き上がる。

 その表情は相変わらずフードで隠されており、窺い知るのは出来ない。だが、呼吸に耳を澄ませ、その手足の所作を見れば相手の状態のおおよそは把握出来る。

 こふー、こひゅーという息遣いは如何にも苦しげ。

 手は折れたであろう、肋骨を擦る様に動き、足はガクガクとしている。間違いなく、この男は弱い。

 だと言うのに。

 ゾクリ、とした悪寒を感じた。

「う――っ」

 零二は咄嗟に後ろへと飛び退く。

 それはまるで鋭利なナイフの如き殺意。

「おま、え……殺、してや――る」

 仏子津蓼科は不気味に口元を歪ませるのであった。


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