待ち人
時刻は現在午後の六時を回った所。
零二の姿は清水寺にあった。
どうせ何処に隠れてもいずれはバレるのだから、と開き直った彼は堂々と寺の正門である朱色の仁王門から入り、三重塔を横目にしながら境内をゆっくりと練り歩く。向かう先は一番有名な本堂である。
「ふーむ、いいねェ。確かにいい場所だよな」
零二はこういう寺社を歩くのが思いの外、楽しいモノである事に少々驚いていた。
何と言えば良いのか、広大な敷地に様々な施設が建ち並ぶ様は何とも壮観で、歴史の息吹きの様な物を感じる。
ふい、足を止める。その脳裏に浮かぶは、武藤の実家にも規模こそ小さいものの、神社があったなぁ、と言う事だ。
何でも、武藤の家がかの地に住み着く前から祀られていた物だと聞いた。
(九頭龍に帰ったら一度見に行って見てもいいかもな)
それに、ここに漂う空気が、昨年訪れたあの藤原創元老人の住まう異界に似ている様な感覚を覚える。
(京都自体が一種の異界、ねェ。確かにそうなのかもな)
どうも、異界ってものの空気が好きらしい。
思わず、くく、と笑いながら境内を歩いていく。
ちなみにだが、
既にいつでも戦えるように場にはフィールドを展開している。
もっとも、ここにも結界、という物は張られているらしく、少し前から人気はほぼ無くなっていたのではあったが。
夏の空はまだ明るく、日の入りまでまだ一時間はあるだろう。
ぎし、ぎし、と軋む足音。
「ふーン、ここが清水の舞台ってヤツか。……確かにいい眺めだよなぁ。それになンだか飛び降りたい気分にもなるよーな……ま、冗談だけどよ」
独り言を呟きながら、しげしげと眼下に広がる景色をしばし堪能する。
「…………」
パッと見ながら心を引かれるその景色に暫し無言となる。
いつもであれば何かしら食べている所ではあったが、そんな事をしたら失礼な気がしたのでさっき近くの観光案内所で買った饅頭は、と言えばまだボディバッグの中に大人しく収納したままだ。
彼がここにいる訳は至極簡単。
ここに来れば情報が入る、と言われたからに他ならない。
零二は、かれこれ幾人もの防人を返り討ちにしたのか、カウントするのも面倒になっていた。
無実の罪で追われている為に本当に本気とは程遠い状態で戦いそのものは正直手抜きであった。
今日だけで十数回以上もの戦闘をこなしてきた訳だが、防人の実力は大体把握出来た。
あくまでも実感ではあるが、WDやWGのエージェントには戦闘という点で少し劣る、という感覚であった。
WDに対しては個々の戦闘力で、WGに対しては団結力で、だ。
とは言っても、彼らの強みは七〇〇人という大人数に他ならない。流石にこの数と相対すれば、WDにしろWGにせよそんじょやそこいらの支部は壊滅の憂き目を見るのはまず間違いない。
その上、退魔師に至っては総数で一〇〇〇人にも及ぶ。
つまりは単純計算で一七〇〇ものマイノリティを相手にせねばならないのだ。この数を打破するのは、零二でも達成困難だと云える。それに当然ながら、彼ら全員が同じレベルであるはずもない。
その中には弱者もいれば、強者もいるのだ。その上で、果たしてこの地をどうこうしようと考える者が一体どれだけいるであろうか。
(確かにこンだけ居やがれば京都にどうこうしようって思うヤツぁいねェだろうよ)
そう思いつつ、一向に好転しない状況に対して、半ば閉口し始めた時の事であった。
ふと、気が付くと零二の足元に一枚の紙切れがひらり、と落ちてきたのだ。
一体何時の間に、周囲に誰かがいたとは思えない。仮に誰かがいたのなら、全く気付けなかったのだ。今頃は倒されていても不思議ではない。
背中にジワリ、と冷や汗が滲み、即座に蒸発した。
今の零二の体温は常人であれば間違いなく致命的な高さである。
余力を温存している為に、まだまだ戦えこそすれど流石に疲れを感じ始めてもいた。
「……ちェ、しゃあねぇな」
その紙切れを手に取ると書かれている内容に目を通す。
その文章は、筆で書いたものらしく。黒く太い文字が勢いよくダイナミックに踊っていた。
『拝啓 武藤零二殿
ようこそ京都へ。
貴君の窮地を知り、手を差し出そうと思いましてこの筆を取っています。
本日夜の六時半に清水の舞台にてお目にかかりましょう。
そこで、貴君の問題解決に有益な情報提供を提供しましょう。
では、その時を楽しみにしております』
という内容であった。
正直、疑わしい事この上ない内容だった。
「ま、普通に考えりゃ十中八九ワナだよなぁ、これ」
そう言いながらその紙切れをヒラヒラさせる。
(だとしても、だ。他にヒントはないワケだし、……行くっきゃねェわな)
仮に罠だとしても、これ迄散々返り討ちにあった以上、今度の相手はかなり腕も立つに違いない、ひょっとしたら防人の幹部連中が相手かも知れない。もしそうならば、今度こそ何らかの情報を得る機会になるだろう。
と、零二は頭の中でそう算段を立てていた。
清水の舞台にて相手を待つこと数分。
ピピピ、とスマホのアラームが鳴り響く。
時間が来たらしい。
目を閉じて、仮眠を取っていた零二は目を見開く。
周囲に人の気配はない。
だが、誰かがいる。それは確信出来た。
何故なら、見えなくとも視線を感じるからだ。
「誰かは知らねェけどさ、覗き見なンて随分といい趣味してるじゃねぇかよ。話があるなら姿を見せな。
じゃなきゃここからもうオレは帰るぞ」
そう言いながら立ち上がるとその場から去ろうと背中を向ける。
すると、
≪あー、悪い悪い 。そうだよね、呼び出したのは此方だ。
どうもすまないね、武藤零二君≫
声が何処からともなく聞こえる。
零二は思わず周囲を見回すものの、やはり誰の姿も見受けられない。
「なら、」そう言いつつ、熱探知眼で再度周囲を確認。
考えられるのは、一種の光学迷彩。
だが、それでも熱探知ならばその姿をを見極める事は可能。
現にこれ迄も幾度となくこうした相手とも対峙してきた。
だが、
「何も視えないだと――――」
初めての事であった。相手を関知出来ない。
にも関わらず、
≪おや、少し驚かれたのかね?≫
聞こえてくる相手の声に苛立ちを隠せない。
間違いなく相手は近くにいる。だがその姿が一向に掴めない。
「くそ、来いよ、かかって来い!!」
≪此方にはそのような腹積もりは無いよ、では姿を見せるさね≫
そう言うと、突如周囲の背景がグニャリ、と歪む。
そしてその何も無いはずの空から、手が伸び、そして足が出てくる。時間にして数秒。そこには一人の老女の姿。
深い皺が年輪の様に刻まれた僧衣を纏ったその老女。
一見すると簡単に倒せそうに思える相手ではあったが、零二は無言で身構えている。
「アンタなにもンだ?」
見た目の弱々しさとは別の、得体の知れない何か異質なモノを零二は敏感に感じ取っていたのだ。
≪ははは。どうやら君は噂よりは随分と慎重な人物の様だ。
普通であれば、私の姿を見た者の大半は姿が老女と言うだけで侮るものなのだがね≫
「へっ、生憎だったな。……九頭龍でもっと得体の知れない妖怪木乃伊ジジイと対面した事があるもンでね」
≪ふーむ、九頭龍で妖怪、…………ああ創元老人だね。
確かにかの御仁と比すれば私などはまだほんの小娘だろうさ≫
老女は一人得心して幾度もかぶりをふる。
何とも掴み所のない、その相手に零二はすっかり毒気を抜かれる。ハァ、とため息をつき、その構えを解く。
≪む、聡明だわね。そうさ、私に戦う意思は無いのだからそれが正解だよ≫
「色々聞きたいコトがあるけど。ま、いいや。まずは問うとするよ。…………アンタ何者だい婆さん?」
≪む、そうだわね。名前をまだ名乗っておらなんだね。
私は【瀬見】。この京都の所謂退魔師達の顔役だよ。
さぁ、話をしようかね。藤原の若人≫
そう言うと、瀬見と名乗った老女はそのしわくちゃの顔で笑いかけるのであった。