逃亡者Part3
零二が防人の少年から聞き出せた事は、あまり役に立つものではなかった。
曰く、零二が標的と相成ったのはほんの三時間程前だという事。
曰く、零二を生きて捕まえる事が基本、但し抵抗著しければ殺害も止むなし。
曰く、零二を捕らえた者には報奨が用意されている事位だろうか。
「ま、結局オレがここで改めてお尋ね者だってコトがハッキリした位かな」
と半ば自嘲気味に笑う。
何故自分が狙われているのかについては、求めていた様な明確な答えもなく、とにかく第一容疑者で、危険人物だから、だという通達だけだったらしい。
「にしても、おっせェなぁ」
零二は時間をチラチラ見ながら腹を立て始めていた。
何に対してなのかというと、
「あ、すいませんッス。遅くなりました」
そう恐縮するのはさっきの防人の少年だった。
「ったく、おっせェよ、もう!! ――で、首尾は?」
零二の目が見開かれる。
数分後。
「いっやー、やっぱ食べるって大事だ、そうだろ、そう思うだろ粕貝クン?」
零二の機嫌は一気に急上昇、何だかんだで今日は士華と真名の所でバナナを一本口にしただけだったのだ。
「ええまぁ、そうッスね」
あまりのハイテンションっぷりとその凄まじいまでの食欲を前に、防人の少年こと粕貝信一は口をあんぐりと開けたままただ呆然としている。
「えっと、じゃおれはこれで……」
さりげにその場から立ち去ろうとしたものの、「待ちな」と声をかけられ、むんずと肩を掴まれて引き寄せられる。
「な、何でしょうか、……零二先輩」
「うむ、殊勝な言葉遣いよかですタイ♪ ほれ、これでも食え」
と手渡されたのは某コンビニで今大人気のスーパーフランクフルトだ。そのスーパーの文字通りおよそ四〇センチもの長さを誇り、金額も五〇〇円と強気設定。
これを零二は一〇本粕貝少年に買い出しに行かせ、これまでに七本を平らげ、今また両手に二本。そして最後の一本をこうして買い出しに行かせた少年へ渡したのだ。
「え、いいんですか?」「構わねェよ、食いな」
粕貝少年からの問いかけに間髪いれずにそう返すと零二は左右のスーパーフランクフルトをパクパクと交互にかじっていく。
まるで以前テレビの再放送で見た大食い一番を決める特番の様な豪快な食いっぷりに知らず内にプッ、と吹き出す。
正直、ついさっき戦ったばかりとは思えない。
少なくとも、目の前にいる相手にこちらに対する敵意がないのだけは断言出来る。
さっきの買い出しにしても、一見すると単なるパシりに見えるが、金を出したのは零二だった訳だし、おまけに結果的に釣りはいらねェ、と千円手渡された位だ。
(どうにも話と違うよなぁ)
スーパーフランクフルトを食べながら、そう思ってしまう。
相棒に関しては、倉庫に縛り上げこそしたがそれ以上何もするでもない。
彼が、この数日での凶行の犯人とはどうにも結び付かない。
ここに来る道中で聞かされた極悪非道を地で行くような相手だとは到底思えなかった。だからこそ、
「あの、零二先輩。一つ伺いたいんですけど」
尋ねる事にしたのだ。駆け引きとかは苦手だから。
「ン、何?」
「その、……零二先輩は何故犯人扱いされてるんですか?」
「ハッ、ソイツはオレが聞きたいよ。いきなり犯人扱いだもンよ」
「そうッスか。じゃあ、何かしら身に覚えは無いんですか?」
「身に覚えなら…………山程あっから分かンねェかなぁ」
はは、と笑いながら返事を返した零二に、粕貝少年はもう絶句する他ない。そうして零二はひとしきり笑い終えると、
「ま、いいや。細かいコトを考えた所で何も解決なンかしないだろうしな。うン、…………じゃ、もういいぞ」
「え?」
「オレはもう行くから、少し時間を置いたら仲間に連絡なりなンなりすればいいぜ」
「え、いいんですか?」
「だってそうしなきゃ、お前裏切り者扱いされるぜ。そンでもいいのか?」
「それは困りますけど」
「じゃ、きまりだな。それじゃあな」
そう言うと零二は本当にその場を後にする。
なにも警戒する事もなく、敵であるはずの自分にも背中を向けて歩き去る。
「…………はぁ。何だったんだろな、あの人は?」
粕貝少年はすっかり毒気を抜かれた心持であった。
武藤零二という相手は、ガラこそ悪いが、思っていたよりもずっと普通の、意外に面倒見のよいヤンチャな少年だったのだから。
人殺しの外道、という今朝の情報には明らかな悪意が入り雑じっていると思った。
(それは、何の為にだろう?)
そう思いつつも、粕貝少年はその足で相棒たる青年が置かれた場所へと向かうのであった。
◆◆◆
ズキズキ、とした痛みを腹部に感じる。
「う、ああ……」
彼が気が付くと真っ暗闇の最中であった。
かぶりを幾度となく振りつつ、何が起きたのかを思い出そうと試みる。
そしてやがて何が起きたのかを思い出す。
(そうだ、おれは武藤零二に不意打ちで……)
そして今、自分が置かれた状況にも気付く。
「ち、遅れを取ったって事かよ、みっともない。だけどな」
目を閉じて、呼吸を整える。
すうううう、と息を吐き出し、吸い込む。
すると、その呼吸に呼応するかの様に、周囲の空気がピシピシ、と音を立て始める。
夏の、倉庫の中が冷気で満たされていき、彼の手足を縛っていた縄もまた同様にピキピキ、と凍りついていく。
「せーのっっ」
後は簡単であった。
凍った手首の縄を壁に幾度も叩き付け、パキンという音と共に外す。同様に足首の縄についても地面に繰返し叩き付けて、ようやくの彼の事で拘束から脱するのであった。
「はあ、楽になった」
ほっ、とした安堵の気持ちからなのか、彼はへたへたと力なくへたりこむ。
改めて回りを落ち着いて見回せば、スマホに財布などが置いてある事に気付く。
駆け寄って財布を手にする。中身を確認して、再度ホッ、と安堵する。
「はぁ、盗られはしなかったか」
どういう事かはイマイチ理解出来なかったものの、ここに自分を押し込んだのは十中八九あの武藤零二で間違いは無いだろう。
スマホにも特に何かしら弄られた形跡も見受けられない。
「まぁ、何にせよ無事で良かったと喜ぶべき事だろうな」
首を傾げながらも、そう結論付けたその時。
ざっ、ざっ。
足音が聞こえる。
誰かがこちらへと歩いてくるのが分かった。
「ヤバイ」
武藤零二が来たのかも知れない、そう思い、咄嗟に物陰へと身を隠し、様子を窺う。
(さっきは不意を突かれはしたが、今度はそうは行かない。こっちから仕掛けてやる。来やがれ)
そう思い、こおおおお、と静かに呼吸に意識を集中させる。
彼の異能は”氷結”つまりは自然操作能力の一種で、氷雪系の能力である。
意識を集中させる事で周囲を凍てつかせる事が可能である。
その中でも彼が得手とするのが”氷結の吐息”である。射程こそ一〇メートル程ではあったが、その威力には自信があった。
武藤零二であろう、相手が立ち止まる。
自分が見当たらない事に驚いたのか、しきりに周囲を見回し、そして背中を向ける。
(今だ喰らえ――――!!)
そこで飛び出すと、氷結の吐息を相手へと浴びせかけようとして、思い留まる。何故なら、そこにいたのは――
「何だよもう、危うくお前を氷漬けにする所だったぞ……」
仲間が来た事に再度ホッとしたのか、大きなため息をつく。
夏だと言うのに白の厚手のコートに身を包んでいる相手を彼は知っていたのだから。
「粕貝を知らないか?」
「…………いや」
「あの武藤零二って奴は絶対おれらで倒そうぜ」
「…………そうだな」
仲間は相変わらず心ここにあらず、といった感じである。
ここの所、ずっとこの調子だ。もっとも元々、無口な奴ではあったのだが。
「とりあえず粕貝の奴が無事かどうか知っておきたい。【調べてくれよ】」
自分がこうして無事だったのだ。なら、あの小生意気な後輩も無事の可能性は充分有り得る。
目の前にいる相手はそもそも一度見た相手を探知出来るのだ。
こういう場合は頼りになる。
「…………それはムリだ」
「何? 何でだ? 仏子津」
彼が相手へと疑問を抱き、問いかけたその時であった。
ドッ。
感じたのは何かが身体に当たった様な感覚。
そして次いで、身体から何かが抜け落ちる。そう熱い何かが流れ落ちていく、……腹部から。
「え、?」
ごほ、と口から血を吐き出し、呆然と己が腹部へ視線を向ける。
手が腹を突き通していた。
「………お前の血を貰う」
仏子津がそう耳元で囁く。
ぐりゅう、とその手が臓腑を掻き込む様に動く。
「あ、……ああああああぁぁぁ」
それが彼の最期の言葉となる。腹部から、口から再度大量の出血をし、絶命に至る。
手を引き抜くと、どざっ、と音を立てて骸は倒れ込み、その場には血溜まりが出来る。
「…………まだだ、全然足りない」
そう呟きながら、仏子津はヨロヨロと歩き出す。
その目には正気の色など宿っていない。
それは粕貝少年がこの場に来る、二分程前の事であった。