逃亡者Part2
「さってと、そろそろいいかな?」
零二は周囲の様子を窺う。
暗闇の中で幾度も熱探知眼で周囲を見回す。
今、彼がいたのは逃げてから僅か二〇メートル程しか離れていない倉庫の中。勿論、直接ここに隠れたのではない。
あの穴を穿った際に、彼はすぐに近くのマンホールへと入った。
そして、そこから遠くに逃げるのではなく、すぐ近くのマンホールから外に出る。遠くに逃げるだろうと考えた連中の裏を突く形となり、結果的にそれは図に当たったらしい。
薄暗いを通り越して完全に暗闇の中でも熱探知眼にかかれば特に支障はない。
流石にこの倉庫には熱源らしきモノは何もない。
だが、分厚いカーテンをめくり外の様子を窺うと、そこには未だ幾人かの防人らしき人影があった。
「人数は、ええと……三人かな?」
迂闊に飛び出しでもすれば連中の増援がここに殺到しかねない。
正直遅れを取るとも思えないが、人数で押されると厄介だ。
(それに、なンか食わないと燃料切れになっちまうよ)
腹が減っている今、あまりエネルギーを使いたくはない。
零二の熱操作能力は圧倒的な身体能力を発揮せしめる反面、消耗も著しい。
これ迄の経験から今の状態だと、全力での戦闘持続時間はせいぜい一分程だろうか。
何にせよ、無駄に暴れるのだけは避けねばならなかった。
「ち、いつまでここにいればいいんだよ?」
相棒の口から思わず愚痴が出る。
それもまた無理もない話だ、そうその防人は思った。
彼らは今、動ける者総動員でたった一人の異能者を追跡していたのだから。
何でもその相手にはここ数日で起きた退魔師や身内の殺害の疑いがあるらしい。だから沽券にかけても捕らえねばならないのだそう。元締めからはその相手を捕らえた者にはかなり多額の報奨が出るという言質も取っているらしい。
だからこそ、七〇〇からなる京都の防人の大半が動いている。
たった一人の相手に大袈裟とも云える動きだが、それだけ只者ではないのだ、という事なのだろう。
これだけの人数で追いかけているのだ。捕らえるのも時間の問題に違いはなく、だからこそ他の連中は我先に、と周囲に散ったのだ。だから本来ならここからさっさと離れ、追跡に入りたかった。
だと言うのに。
自分達三人だけがこんな場所に待機なのだそう。
何でも元締め曰く、案外相手は近くに身を潜めているかも知れないからだそう、だ。
「冗談じゃないぞ、何で俺達だけがこんな目に!」
そう思うのも無理からぬ事であろう。
「それにしても、いつまでトイレに行ってるんだよあいつは」
もうこんな場所からさっさと離れたかった。
だが、そうもいかない事情もある。
何故なら今、トイレに行ったままの仲間には一種の追跡能力が有るのだから。
そいつの異能であれば一度目にした相手であれば一日に限って半径一〇〇メートル以内ならば捕捉可能。
これが他の連中にはない三人の強みだった。
追跡能力に長けた防人は他にもいるが、精度であいつには遠く及ばない。
焦れる気持ちを押さえつつ待っているのも、その異能を当てにしての事だ。
「もういい加減にしろよあいつ」
相棒が遂に怒りを露にし始めた。彼は決して悪い男では無いのだが、短気に過ぎる所が問題だ。
「だが、確かに長いな……」
そう思うと相棒を止めるのも憚られ、そのまま行かせてしまう。
「さて、一服でもするか」
手持ち無沙汰となり、話し相手もいなくなったので胸ポケットから煙草を一本取り出すと口に咥える。
「そう言えばライター忘れたンだった」
仕方がない、と嘆息しつつもズボンにマッチ箱が入っていた事を思い出す。
すると、
「ほら、火だぜ」
不意に火が捧げられ、それに口に咥えた煙草を近付けて気付く。
「ああ、さん――ぐあばっ」
言い終わる前だった。彼が誰がその火を付けたのかに思い至った時には肩を掴まれ、鳩尾に膝がめり込んでいた。胃液が逆流する様な感覚と共に意識が遠退いていく。果たして朧気なその視界に収まったのは、自分達が狙っていたあの少年だと気付けただろうか?
そのまま崩れ落ちた相手を零二はひょい、と担ぐと歩き出す。
「あの野郎、逃げやがったのかよ……」
そのあとすぐにもう一人の防人の少年が戻って来る。
彼がトイレだと言っていた自分達の組の三人目、つまりは探知能力を持った仲間を探しに行った結果は、無駄足であった。
いるはずの場所に彼の姿はなく、連絡を取ろうにも繋がらない。
もっとも、この辺りは無数の結界が発動している現状ではそれも無理なき事なのかも知れないのだが。
(こっちは学校サボってまでやってるんだぞ。何も成果なしじゃかこつかないっての)
そう思うと苦虫を噛み潰した様な表情になる。
何でもいいから暴れたい気分だった。
今が夜で、縄張りにいたのならまず間違いなくどんな小物でもいいから妖にこの不満をぶちまけてやるのに。
「ったく、割に合わないよなぁ?」
彼はここで待っている相棒にそう声をかけた。
彼もまた口にこそ出さないが、不満は感じているに違いない。
「…………」
だが、相棒からの返事は返っては来ない。
待たせ過ぎたか、と思い「悪かったよ」と言いつつ、壁に寄り掛かる彼に歩み寄る。
「お、おい――」
そして気付く。相棒がピクリともしない事に。思わず駆け寄りその様子を確認。呼気はあるから生きてはいる。どうやら気を失っただけらしい……。ではいったい何が――答えは一つだ。
「よお、……」
肩を叩かれたその瞬間に動く。その肉体を瞬時に変異させる。
零二もその反応に思わず「おわっ」と声をあげる。
侮った訳ではなかったが、ここは相手の予想以上の反応をこそ誉めるべきだろう。
力任せに身体を投げられるも、壁に着地し、そのまま降り立つ。
不意打ちで無力化するつもりであったが、どうやら戦闘になるらしい。相手はどうやら肉体操作能力だったらしい。見た目こそ人間ではあったが、その肉体ははち切れんばかりに膨張し、まさに筋肉の塊。
「まぁいいや、来なよマッチョマン」
とは言え、零二に焦る様子は皆無。勿論、油断禁物ではあったが、大体の力量は予測が付いている。これも後見人たる加藤秀二の鍛練の副産物だろう。無数の手合わせでの経験から相手の力量が分かるのだ。その経験が言っている、負ける相手じゃない、と。
だからこそ、不敵な態度は崩さず、手招きする。
「フッザケルナ!!」
筋肉の塊と化した相手が突進して来る。見た目とは違い、動きは機敏そのもの。勢いのままで肩を突き出し、ブチかますつもりなのだろう。
確かに喰らえばかなりのダメージは免れない。
そう、喰らえばだが。
「ふうっっ」
息を吐き出すと同時に零二もまた相手に突っ込む。
その熱を発散し、蒸気を吹き出しつつ加速。
たった七、八メートルでのぶつかり合いは、零二に軍配が上がる。「あぐあ」と呻きながら地面に倒れたのは防人の少年。
何が起きたかと言うと、要は相撲の立ち合いの様なモノだろう。力士よろしく突進する巨漢に対し零二は直前になって相手の肩に両の手を置くと馬乗りの様に跳躍。飛び上がりつつ、相手の身体を押し出す。その一手を何とか踏ん張って耐えたまでは良かったが、零二は背後から膝裏に腕刀――つまりはラリアットを叩き込み、倒したのであった。
すかさず倒した相手の背中に腰を落とすとそのまま右腕を取り、固めると一気に捻り――ボキン、という音と共にへし折った。
「ぐがああああ」
苦痛に悶える防人の少年には構わず零二は続いて左腕を固め、問いかけた。
「なぁ、アンタに尋ねたいコトがあるンだけど?」
「ヒィッ」
防人の少年は思わず悲鳴に似た声をあげてしまう。零二のその声色からは一切の躊躇も感じ取れなかったからだ。
従わなければ左腕も躊躇う事なくへし折られる、そう確信した。
この時、実は彼にはまだ勝機があった。
何故なら零二は熱操作を最低限に使用していたのだから。彼が関節技に訴えたのも、エネルギー消費を抑える為であったのだから。
防人の少年にはまだ余力があった。だが、相手の迫力を前に心が折れてしまった。
「な、何でも聞けよ。分かる事なら答えるから」
そんな事情とは露知らず、彼は答える。
「よし、いいぜ」
その返事を受け、零二は微かに笑みを浮かべるのであった。