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祇園

 

 零二と士華が異界から来訪した大蛇と戦ってた頃、真名は一人である場所を訪れていた。

 そこは京都という場所を象徴しているとも云える場所。

 四条大橋を渡って真っ直ぐに四条通を抜けて行き、八坂神社へと至る途上にあるその界隈。

 日中も、日没後もそこには何処か華やいだ雰囲気が漂う。

 かつて程に賑やかさは無くなったかとも云われても尚、そこにはまだまだ多くの店が軒を連ね、経済がどうこうと世間で云われようが日々、多くの男達が足を運ぶ花街祇園。

 日が高い時間は風情を味わい、日が落ちてからは何処か浮世離れした華やかさを漂わせ、男達を引き寄せる花園と化す。

 京都に有って或る意味で最も身近な”異界”と云っても差し支えない場所。


 四条通、大通り沿いの一軒の店の奥座敷に真名は座っていた。


 目を閉じると、耳に届くのは三味線の音。

 それから庭にある鹿威しのカツーン、という小気味良い音。

 あとは喧騒らしき声が聞こえる位だ。


「あらまぁ、この店で一番の舞妓を前に居眠りするだなんて真名さん位の物ですえ」

 自分へとかけられた知人の呆れた様な声で、彼は我に返る。

「あ、いやぁ。すみません、でもこの店は本当に心地いいんですよね。だからその、ついついと……すみません本当に」

「うふふ、嫌やわぁ。真名さんったら」

「はははは、いやぁ、困った困った」


 真名の前にいるのはこの店、いや、この祇園界隈で一番だとも云われる舞妓、たえ

 その年頃は二〇代の前半だそうだが、彼女の醸す落ち着いた雰囲気は年相応とは思えない程に落ち着いた、実に堂々としたものだ。

 妙との真名の付き合いはかれこれ五年になる。

 それは彼が京都に流れてきてすぐの頃で、まだ彼女も一〇代だったはずだ。

 ちなみにこの店は一見さんお断り、店の軒を跨ぐには常連客のし紹介が必須で、更に値も張る事で有名であり、とてもじゃないが普段の真名の財力では到底来る事は敵わない高嶺の花、のはずの店である。

 ここでは、常に和装の真名も特段周囲から浮く事も少ない。

 ぱっと見だけで言うのなら、何処ぞの若旦那の様に見える事だろう。最も、それにしては恰幅は無いのが問題ではあるが。

 その見た目も手伝い、真名がこの店の軒を跨いでも、殆どの一般人は特に何も思わない事だろう。

 だが勿論、彼は普通の客としてここを訪れた訳ではない。

 彼はここで人を待っていたのだ。


 その人物と言うのが、


「さて、お待たせしはりましたなぁ」


 ぴしゃり、と襖が閉じられる。


 この奥座敷にいるのは真名、そして妙の二人のみ。

 そして、妙はさも当然の様に上座に据えられた座布団に腰を静かに降ろす。その所作一つ一つがたよやかで、そして優雅。

 そう、彼女こそが真名の待っていた相手に他ならない。

 何故ならば…………、


「いつもとは違って、今日は繋ぎも入れずに直に呼び出すなんて一体どういう事でしょうか、……【元締め】」


 彼女こそが、この京都に於ける”防人”およそ七〇〇の総元締めであったのだから。

 この店こそが防人の中枢であり、妙、という芸名も代々の総元締めに付けられる名であるのだ。


「もう、真名さんはいけずやわぁ。でも、だからこそ信用しているのですけどねぇ」

 ケラケラと笑うその笑顔とは違い、目は笑ってはいない。

 ただ真っ直ぐに真名を見据えている。

「私には今、用事があるのです。客人が訪れていますので」

「分かってますよ、武藤零二君といいはりましたよねぇ」

「………!」

「知らないと思っていはりましたか? それは随分と侮られたものですえ」

「……今日の呼び出しの理由は何でしょうか?」

 真名の表情が引き締まる。

 この舞妓であり、総元締めの女性に下手な誤魔化しは一切通じない。彼女の持ち得る異能イレギュラーの正体を知っている彼ではあったが、それが有っても決して敵に回すのは勘弁だった。


「いや、まさしく今日の呼び出しの理由は武藤零二君の件と関係しているのです。

 真名さんも、聞いてはるとは思うのですが、この数日で退魔師が数十人死んだって知っとりますかぇ?」

「ええ、それは当然。死んだのはいずれも名うての者達でしたね」

「そうどす。彼らとは少し面識もあったのですが、そんじょやそこいらの木っ端妖に後れを取る方々とは違います。

 だから、考えられる線は主に二つ。

 一つはいつの間にやら、強大な力を持った大物の妖が京都にいはるのか、もう一つは……」

「……彼らよりも強い異能を持った者に斃されたか、ですか」

 そこで会話は途切れた。妙は真名の言葉を受けて沈黙する。

 そして間が空くのだが、それ自体がさっきの言葉に対する返答とも言える。

 カツーン、という鹿威しの小気味のいい音だけがこの奥座敷に届く。まるで死んだのでは、と思える程の静寂。


 その沈黙を破ったの和装の青年からだった。

「彼をどうしろ、と?」

「今はまだ何も。退魔師あちらさんもまだ、武藤零二君の事は知らはりませんし。今の所は、防人みうちが犯人と違うか、という難癖ですのでね。でも、あまり派手に動くと……疑いを強うしますので、気を付けておくれやす」

 それだけ言うと、もう用件は終わったのだろうか、突如として襖が開かれる。

 そして、総元締めたる女性は静かに座敷を離れる際に、

「ああ、そのお酒はどうぞ頂いてください。ご足労に対するこちらからのささやかなお礼です」

 そう言うと足音を立てずに立ち去った。


「やれやれですね。派手に動くな、とはこれは難儀な話です」

 真名は苦笑するしかない。その脳裏には今頃、派手に暴れているであろう、士華と零二の姿がありありと浮かぶのだから。



 ◆◆◆



「くそ、何だよコイツは――あ、ぎゃああああ」

 夜の闇を切り裂かんばかりの絶叫が響き轟く。

 ばさ、と無造作に倒れたのは防人の男。その表情には恐怖の色がありありと伝わる。

「ひ、ひぃ」

 腰を抜かし、完全に戦意を喪失したもう一人の防人はハッキリと目にした。

 今、仲間を惨殺した何者かの手による凶行を、余す事なく。

 それは彼らにとってはごく簡単な務めのはずであった。

 縄張りに張った結界の乱れを、つまりは異界、妖の気配なり、力の変動を察知し、早急に手を打つだけ。

 稀に妖の姿がその場にあったりもするが、そもそも異界の影響が小さい内に対処しているので、いるとしても力の弱い木っ端妖だ。

 そんな雑魚相手に一般人ならともかく、防人となって数年の自分達が後れを取るはずがない。

 今夜もいつもと同様に、簡単に終わるはずであったのに。

 だがそこにいたのは明らかな異形の怪物。

 突然の事だった。

 その怪物は驚異的な跳躍力で飛びかかって来るや否や――次の瞬間には仲間の身体は引き裂かれていた。

 声すら挙げられない程の時間で彼は死んでいた。

 その表情にはただ困惑だけが浮かんでいて、自分が殺された事にはついぞ気付けなかったのはまだ幸せだったのかも知れない。

 だが、今。

 自分にはそんな最期は有り得ないと悟っていた。

 全身が総毛立つ。

 ふー、ふー、という荒い呼吸。

 その姿はハッキリとは見えない。

 だが、その異様にギラついた二つの双眸に宿った凶悪な光だけはそんな闇の中で煌めいている。

 そして、その異形が動く。

 ドン、という強烈な衝撃を実感。

 気が付くと身体が引き摺られるいるのが分かった時には既に自分があの何者に捕らえられているのだと理解していた。

 異様に煌めく双眸はもう自分を見てはいないらしい。

 ガツン、ガツ、と頭に何かがぶつかった様な鈍痛。地面に埋まった石にでもぶつかったのかも知れない。

 熱を感じる事から、血が流れているらしい。

 風を切る感覚。そして全身に痛烈な痛み。

 無造作にその身体を投げられ、社殿の柱にでもぶつかったのだろうか。

 ずし、ずしん、とした足音が近付いて来る。

 だがもう何も見えない。

 グシャ、グシャリ。

 そして、彼はそれから幾度となく殴打され絶命するのであった。


「まだ、マダダ。足りない、もっといる」


 自分以外に生者のいなくなった空間で、ソレはそう言葉を洩らすと、何処かへと姿を消す。

 かくて今宵も犠牲者は出る事になるのであった。


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