陰と陽
「邪な力ッすか……はぁ」
真名に問われて零二は少し考える。普段ならくっだらねェ、とか言って答えなかったかも知れない。だが、目の前の男からは寿司を奢られたのだ。そんな相手にそういう態度は駄目だ。経緯はともあれ、彼には恩義がある。ならば、そんな相手に対しては誠実に対応すべし。と、そう零二は教えられてきたし、実際その通りだとも思っていた。
だから珍しく考えた。そして、しばしの間を置き。
「聖なる力ってのが、何て言えばいいのか明るさを感じさせる類の事柄だったから、その逆で、夜の暗闇だとか、妬み恨み、あとは停滞とかかな」
そう自信無さげに答えた零二に真名はかぶりを振ると、
「そう、大雑把に言うのであればそういう認識で大丈夫です。
邪なる力とはそういう負の力を指す言葉。陰とも言えます。
そういう力、流れという物は世界にも影響を与えるのです。
即ち、聖なる力、または陽が強ければその地には幸が多くなり、またその逆であるならば……」
「色々と酷いコトになるってワケか」
零二の言葉に真名は頷き、肯定する。
「そして、特定の土地にはそういった陰と陽の力が集まりやすい場所というのが存在するのです。聖地だとか、パワースポット、竜脈だとか色々な言い方をされていますがそれらはそういう力が集まりやすい場所だからこそ信仰や人気の場所となったのです」
「へェ、面白い話だなぁ」
「でしょうかでしょ武藤零二♪ 僕も最初聞いた時はわくわくしたものさ」
士華はテンションが上がったのか、零二の肩をポンポンと叩いている。
真名は彼女へとコホン、と咳払いをして嗜めると話を続ける。
「そして、京都はそういった力を重視して成立した都。
だからこそ、おのずから様々な力が集まるのです」
「あ、でもさ、それなら……東京だとか大阪、名古屋とかも九頭龍もそういう力が集まりやすいってコト?」
「勿論、大なり小なり差異こそありますが、街というのは、特にそういった力が集まりやすいからこそ人が集うのです。
街が大きければ大きい程に多くの人々から僅かながらも発せられる様々な感情が陰と陽のどちらかに影響を与え、それが巡り巡って還元されるのです。
江戸と云われた東京や大阪、名古屋に、博多、えー、……九頭龍は少々事情が違いますがそういった土地が世界に影響を与えるのは、陰と陽の力が強いからとも云えます。
ですが、この京都は別格です。何故か分かりますか?」
「え、と…………わっかンないや」
「はい、真名さん!」
「どうぞ士華さん」
「へっへー、武藤零二が分からないのも当然だよ。ここ京の都にはたくさんの【異界】が存在するからだよ」
「異界、……」
その言葉を受けて零二の脳裏に浮かぶはかつて藤原曹元と見えたあの場所だった。あの老人は、後見人たる秀じいは確か、言っていたはずだ。
「……この世界とは違う【理】で存在する世界」
その言葉を受けて士華と真名は少し驚いた表情を浮かべた。
「成程、武藤君はどうやら異界を知っているのですね」
「ああ、一回だけ行ったコトがあるンでね」
「では分かるはずです。あの世界がどう普通とは違うのかが」
「ああ、オレが行ったトコは時間の流れが違っていたっけ」
「そうです。異界とはそういうこの世界とは平行しつつも、違う理によって動く世界、異なる世界を差します。
そして京都にはそういう異界が数多く存在するのです。
その理由はここが古き都であるから。より具体的に云うならば、歴史を積み重ねた事で様々な場所に力が集まりやすくなったのが最大の原因です」
「歴史を積み重ねたらそうなるのか?」
「いえいえ、単に時を重ねただけでは成り立ちません。京都にはどれだけの神社仏閣があるか分かりますか?」
「いンや、さっぱり」
零二は即答する。何となく幾つかの名前くらいは分かるがどれだけあるか等知る由もない。
「そう、ちょっと数え切れない程の神社仏閣がこの地には存在するのです。
そういった信仰の対象となる場所には、力の流れが集まりやすくなります。
つまり元来、陰と陽の力が集まりやすい土地に更に無数の力の集積地が建立されたのがこの京都という場所の特異性なのです」
へぇ、と言葉を洩らす零二であったが、すぐに疑問を抱く。
「ならさ、神社とお寺が一杯ある場所ってのはみンなそうなのかよ?」
それはある意味で当然の疑問であった。神社や寺に力が集まるのなら、他にもそういう地域は存在する。なのに、何故京都なのか?
その疑問に答えたのは、真名ではなく、意外にも士華であった。
「そうだね。確かに他にも信仰の対象となる場所が集まっている地域ってのはよそにもあるよ。そういう場所はやっぱりそれなりに力の流れがあるから異界にも近かったりするよ。
でもさ、それでも京都は別格なんだ。
ここにはそういった信仰の歴史がある。それに長らく刻まれた様々な思念も。陰と陽という言い方をするなら、一〇〇〇年を越える歴史の中で数え切れない程の人の【血や想い】をこの地は啜ってきたんだ。だからさ、ここはもう異界に近い、というよりは既に【異界】そのものとも言ってもいい都なのさ」
その士華の口調は、さっきまでの快活さが嘘の様に、淡々とした、もしくは何処か冷ややかな響きが含まれていた様に零二には思えた。
「ですのでそれがこの地に防人や、退魔師が大勢いる事にも繋がるのです。例えば防人なら京都だけ優に七〇〇人いますし、陰陽師等の祓い人については一〇〇〇人を越えているのです。WDやWGといった組織がこの地にはあまり浸透しないのは、既に多くの異能に精通した人が集っているからです。彼らの支部よりもずっと大勢の人間がここには集っていて、古来より活動しているからなのです」
「へェ、京都ってのは随分と変わったトコなンだなぁ」
「そうよ、ここは最高に変わった場所で、最悪で、楽しい所なのさ武藤零二♪」
◆◆◆
京の夜は異界である。
様々な悲喜こもごもの思念が混じり合い、それらが無数にある神社仏閣に集い、凝縮され、具現化される。
そして、そういった力が一定以上に強まった時、異界がそこに力を及ぼす。
「ぐぎゃああああああああ」
雄叫びを挙げるのは巨大な鳥の怪物。その大きさは二〇メートルはあるだろうか。
華麗に空を舞いながらその眼下の街へと滑空しようと試みる。
彼は自身が何故、ここにいるのかを知りたかった。
何故、空を飛んでいるのか、何故、周囲を飛んでいるのは自身と比較してああも小さなモノばかりなのか、知らない事が多過ぎた。
だからこそ、彼はここから出ていきたかった。
この先に何があるのかを目にしたかった。
匂いが漂う。それも無数に。そう、これは”餌”の肉の匂いだ。
元いた場所とは違えど餌があるのなら問題ない。
早くここから飛び出して、思う存分に喰らってやろう。
彼はそう心に決めて、自身をこの場に留め置く”壁”を破壊せんとその突進をかけていく。
そんな怪鳥の姿を、
「オイオイ……何さアレ?」
零二が呆れた面持ちで見上げている。
そんな零二の様子をニヤニヤと満足気に笑いながら士華が言う。
「はい、あれが妖。異界の生き物であったり、または陰と陽の力のバランスが崩れる事で生まれる存在だよ」
「フリークじゃねェのかよ、アレ?」
「似ている様に見えるけど違うよ。それって、異能の力や自身の欲望に溺れたモノでしょ? そういうのは京都じゃこう言うんだよ、【鬼】ってさ」
「へェ、そういうモノかぁ」
「そう、そういうモノだよ武藤零二」
「……………………」
そこで奇妙な間が空く。
「そンで、オレにどうしろと?」
「そんなの決まってるじゃないか。君がアイツをやっつけるんだよ、じゃあー行ってこい!! 大丈夫、死んだら骨は拾っておくからさ」
士華はそう言うと零二を結界の中に押し出して、敷地内へ入れる。ここはある大庭園。その半径はおよそ一キロにも達する。
「おい、ちょっ――――あ!」
零二は気付く。あの怪鳥が完全に自分の存在に気付いた、と。
空中で滞空しつつ、相手が眼下の相手を見据える。
その目に映るは、待ち望んでいた餌の姿。それも活きのいい極上の餌だ。
バサバサ、と辺りを伺う様に眺め、……そしてその妖は一気に急降下してくる。
「じゃ、頑張れ少年♪」
「オイ、っざけンなって。……ちェ、しっかたねェ。来いよ鳥のバケモノさンよぉ」
零二は襲いかかっている怪鳥を睨むと、己の体内の熱を解放するのであった。