街の外へ
「う、ううう」
呻きながらようやく零二は目を覚ます。
時間は午前九時。
今日は、零二が九条の命令で九頭龍から京都へと向かう日だ。
「あれから三日か……」
零二がWD支部で九条から指示されてからこの三日、殆どを寝て過ごした。
出来るだけリカバーを使わずに、自然治癒で、との指示からだ。
それで零二はこの三日を武藤の家で過ごす事になったのだが。
ああ、と呻きながら身体を起こす。
すっかり身体が、筋肉が、骨が軋みをあげている。
零二はそれも無理もねェ、と苦笑する。
こう見えても零二はこれ迄に何かしらの鍛練を怠った日は一日とてなかったのだから。
多少の怪我をしようが関係ない。
怪我をしようが、それなりに無理のかからない範囲でするだけだ、と思っていたし、その様に後見人たる加藤秀二にも教えられていたからだ。
◆◆◆
この三日は、本当に何もしてこなかったからだろうか、この違和感は。
そもそも、ここに連れて来られたのだって不本意だ。
ボロボロの状態でWD支部から戻ろうとした零二は待ち構えていた武藤の家の者にアッサリと捕獲され、車に乗せられた。
逃げ出そうにも……、車には秀じいと、皐月の二人が乗っていて万事休す。
そのまま武藤の家へと強制連行と相成る。
ベッドに寝かし付けられると、秀じいは開口一番。
「若、ご無事でなにより――」
と涙ながらに嗚咽。
出鼻を挫かれ、反発するのも悪いなぁ、と思ったのが運の尽き。
あっという間に服をお色気モンスターこと皐月にひん剥かれ、パジャマに着替えされられ。おまけに手厚い”治療”まで堪能させられた。
最近になって理解したのだが、皐月の治療は、電気ショックによるものらしい。電気的な刺激により神経や血管、そういった身体の循環や代謝を促進。それによって治癒力を高めているらしい。
もっとも、いちいち手で触れられるのでむず痒いのと、耳元で「どうですか、気持ちいいですかぁ♪」と囁くのがスッゴク困るし、オマケに一瞬死ぬほど痛いのだが。
それでも隙を突いてトンズラしようと思っていたのだが、敵もさるもの。そこに更なる追っ手を差し向けてきた。
どっすん、
その爆撃は唐突だった。
「ちょっと、レイジ。何勝手に死にかけてんだよバカ!」
「ぐっはああああ」
気が緩み寝入っていた零二は、不意の衝撃を前に九の字になる。肺から息が抜け、むせかえった。
その日の夜になって、寝室に襲撃をかけてきたのは神宮寺巫女。
話を聞くとどうも、マスターから零二が大怪我をして、実家に運ばれた、と聞いてここまで来たらしい。
しかも、だ。
巫女をここまで連れて来たのは秀じいだった。
マスターと武藤の家は顔見知りで、巫女は一度武藤の家に連れていった事がある訳だから顔見知りで。
つまりは、零二に逃げ場は皆無だと言う事がここで明るみになったという事で、もう考えるのを止める事にした。
「何だよ、いいじゃないかよ」
巫女が不満たらたらに頬を膨らませる。
「よっくねェェェェェッッッッ」
零二は全力で、今持てる全ての力を込めて叫ぶ。
何を揉めているのかと言うと、巫女が零二の部屋に泊まる、と言い出したからだ。
「だ、大体だな。お前、分かってンのかよ? オレは、オトコだぞ、お前はオンナだぞ!」
「そんなの分かってるに決まってんじゃないか!」
「いいや、ぜンっぜン分かってないね。前にも言っただろ?
オトコはオオカミなンだってさ、いいか? オトコとオンナが一緒の部屋で寝るっていうのはさぁ………う、何?」
零二は口ごもる、何を言わせるンだよ、と心から突っ込みをいれてやりたい。割と本気で思う。
一方で巫女はと言うと、そんな零二をじとり、と睨んでいる。
そんな強烈な視線を前に、何故か後退りしたい気持ちになる零二は何とかしてこの状況を打破する事に思考を集中、……結果、何も思い付かず「オレのバカ」と自己嫌悪に陥る。
ばあん、とそこで部屋のドアが開け広げられ、そこに姿を見せたのは秀じいだった。
「ああ、秀じい――!」
この時程、零二はこの後見人の存在を頼もしいと思った事がかつてあったろうか。そう、この厳格な執事であれば、――今、零二が置かれている窮地を見逃す筈もない。ここに救いの主が来たれり、と心から天におりますカミサマに感謝感謝、な気持ちが溢れ出でた。
その表情に浮かぶはまさに憤怒。これなら、これなら勝てる。そう確信した時だ。彼は口火を切る。
「若、――――これは一体どういう騒ぎでしょうかな?」
「良い所に来たぞ秀じい、オレの……」
「……何というはしたない真似を為さるのですかッッッッ」
「…………へ、オレ?」
秀じいの怒りの矛先は何故か零二へと向けられていた。
わなわな、とその拳は震えており、今にもシバかれそうな剣呑な雰囲気を醸し出す。
コツ、コツ、といつもよりも杖の音も心無しか大きい。
「あ、あの。秀二さン? 何か誤解がある様だねェ…………」
そう言いつつ、零二は横目で巫女を見る。
その目はこう告げている。”お願いタスケテ”と。
流石に状況を察したのか、巫女も助け船を出す。
「え、と執事さん。これは、その……」
「……いいえ、神宮寺様は何も悪くはございませぬ。
若、良いですか。確かに神宮寺様は美しき女性で御座います」
「え、ええ、有難う」
「あ、あのーー、ちょっとーー」
「ですが、今は若い。あまりにも若い。そもそも若とて齢一六です。かつての世であれば既に元服をし、正室とて娶られた事で御座いましょうや。ですがしかし――!!」
「あ、のー。ちょっとーー」
最早完全に一人の世界へと突入した後見人は零二の言葉等聞いていない。
「あーあ、零二さん。やっちまったねぇ♪」
「あ、皐月……かっ、バカッ、もう」
呆れた顔で事態を眺めているのはとても直視出来ない様なネグリジェ姿の皐月だ。
その凶悪なまでの肢体を前に零二は思わず目を背け、巫女は自分と見比べて唖然としている。
一方のお色気モンスターはと言うと、そんな二人の中高生の反応を嬉しそうに見比べて満足したのか、うんうん、としきりに頷いている。
「どういう経緯かは知らないけど、ああなったら秀二さんは止まりゃしないよ。……はい、ご愁傷さま♪」
「お前な、楽しそうに言うなよ……」
「だって他人事だしぃ、巫女さんだっけ? 私の部屋に来なさい。色々教えてあげるわよ♪」
「え、ええ」
「うーん、良い子ね。だったら今夜は少しオトナなお話でも……」
「……教えンなよ、そンなの!!」
「じ、じゃあレイジ」
「え、ちょ、待って。巫女さん、オレを独りにするなって」
「若――!!」
「は、はいッッッッ」
「今日という今日は若にキッチリ教えて差し上げましょう。
武藤の家の当主たるものの、務めを……」
零二には、執事の目にはこれまた凶悪な光が宿っている、……様に思えた。
かくて、零二はこの夜数時間説教と相成った。
そして、巫女はこの日を境に以前よりも何だか自制心を乱す様な言動を仕掛けてくるのだが、それはまた後日の事。少なくともこの日から二日、彼女の夜の襲撃は皆無となった。
◆◆◆
「さってと、もういいか」
ジイイイ、
零二はゆっくりとボディバッグのファスナーを閉める。
そして、お気に入りのメーカー物のスニーカーを履くと紐を慣れた手付きで結んでいく。
白いロゴ入りのシャツに、緑のカーゴパンツ。勿論、左膝は捲っている。別に戦う予定は全く無いのだが、もう癖になっていて、捲っていないとどうにも落ち着かないのだ。
その時だ、
スマホが振動し、手に取る。
メールが一件届いていた。チェックすると、
『あんたバカだから旅先で騙されるなよ。
あと、怪我とかするな。あー、あんたがいないから面倒が減る。
楽でいいわ。じゃあ、な』
という内容。相棒たる桜音次歌音からだった。
思わず苦笑した。本当にアイツらしいな、と思えたからだ。
「じゃ行くか」
最後に鏡を確認し、身だしなみをチェックすると、零二は部屋を後にした。
「にしてもさ、大袈裟だっての」
零二は何だか気恥ずかしかった。それも無理はない、今、彼は駅の前にいるのだが、見送りと称して秀じいと、皐月を始めとした武藤の家の家人の半数がこの場にいたのだ。
ちなみに巫女は学校へ送られた。ここに来たがったのだが、今日は平日であるし、学生の本分は勉強だと秀じいに言われた為だ。
「いいですか若、向こうに着いたら知人が迎えに行きますのでそれまでは大人しくしていてくだされ」
「わーったって。まるでオレ年中問題ばっか起こしてるみてェだよな」
「いや、実際そうでしょ零二さん」
「うっせ皐月、じゃ、行くわ」
そう言いながら駅に入ろうとした時だ。
「おう零二、ちょっと待て」
野太い声が聞こえて振り向くと、そこには日頃世話になっている強面の大男の姿。
「マスター、なンだよ。アンタまで見送りかよ、もう」
「お前さんが旅に出るって聞いてな、これ持ってけ」
そう言うと小さな包みを手渡す。ほんのりと良い匂いが鼻孔を刺激する。
「お前さんの好きなカツサンドだ、腹へったら食え」
「へっ、サンキュな」
零二は照れ隠しに、鼻を指先でなぞるとクルリと反転。駅へと入ってく。そのまま何歩かを歩き、ふと立ち止まると、
「じゃあ、行って来るよ」
そう言って、走り出す。
「行ったか、あのボウズ。良いのか? 京都だなんてよ」
進藤は横にいた後見人に問いかける。彼は今回の件である疑問があったのだ。
彼が知る限りで、零二が向かう先である京都は特殊な事情を持った土地であったから。
「あそこは、確かに盲点かも知れないが、安全とも言えないぜ」
「構わぬよ、どのみち若は今よりも強くなる必要がある。それにもっと色々と見識を広げるのも大事な事だ。
それよりも、今夜はそちらの店に伺わせてもらうよ。
今夜は色々と話をしたいでな」
「は、いいよ。積もる話ってのが一杯あるからな」
「うむ、楽しみだ。ではまた後程に」
こうして零二は九頭龍から京都へと向かう事になった。
彼は知らなかった。京都が如何に複雑な場所であるのかを。
そして、それを知る事になるのであった。その身を持って。