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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 6.5
153/613

何もない

 

「ふん、ふーん、ふーんふん♪」

 思わず鼻歌が混じっていた。

 蟻のフリークは、今まさしく我が世の春を迎えた心地であった。

 自分が何よりも強いのだと確信し、歓喜にうち震えていた。

 視線の先には今から壊す相手の怯えきった姿。

 ゾクゾクする。

 自分の姿を目の当たりにした奴をこわすのが。

 もう相手は誰でも良かった。

 どうせ、こんな場所、こんな界隈にいるやつらにマトモなやつ等いやしないのだ。

 動けなくなっている獲物を適当に一人、また一人と引き裂いて、潰して、噛み砕く。

 そして、敢えて何匹かは放置しておく。

 あの恐怖に満ちた表情が堪らない。小便をちびって、失神し、痙攣する様を見下ろすのが堪らない。そしてひとしきり壊したらまた戻って来て壊す。そこからさらに数人を残して――その怯える表情を眺めつつ、壊す。一人か二人は残そう、その方が面白そうだ。

「く、はへへへへ」

 笑いが止まらない。この手をちょっと振るうだけ、それだけで簡単に壊せるのだ。まさに蟻を踏み潰すかの様に。

 これ迄ずっと蟻扱いされ、踏み潰されそうな日々だった。

 それが今やどうだ? その蟻に踏み潰される気分は?

 今や……何もかも、壊してやれる、殺してやれる。

「も、もっどぉ、もっどこわしてやる、ころしてころしてやるぅ」

 まともな知性等持たず、只の己の欲求のみに破壊と殺戮を行う、彼は確かにフリークそのものであった。


「待てよ、てめェ」


 背後からかけられたその声にピクリ、とその動きを止める。

 ゆっくりと振り返ると、そこにいたのは零二であった。

 蟻のフリークはぎょろり、とした目を向ける。

 確かに壊したはずだった。なのに立っている。

 殺した、そう思えたからこそほったらかしにしてきたのに。

 まだ、生きている。そう、まだ生きているのだ。


「ぐふえへへっへ」


 蟻の姿をしたフリークは嬉しそうな声を挙げつつ、零二へと向かっていく。その速度は三メートル程もある体躯に似つかわず素早く鋭い。

 彼は興奮していた。

 零二を、目の前の相手がまた壊されに来たのだから。

 今度は腕を落とそう、そう思った彼は凶器たるその腕を振るいつつ、襲いかかった。

 その勢いは圧倒的。間違いなくこれ迄で最高の一撃、まさしく渾身の一撃と言える。零二にこの圧倒的な一撃に対抗し得る術等あり得ない、そう思えた事だろう。そう、さっきまでならば。


 零二はというと、無造作に手を差し出し……掴みかかる。

(ぐふえへへっへ、おまえバカだな)

 そう彼は思ったに違いない。

 だが、


 ジュウウウウウワッッッ。煙、いや、蒸気が挙がった。

 それは蟻のフリークの唾液、いや体液による溶解作用に基づく結果ではない。何故ならば――――

「ぐにゃああああああああ」

 彼が発したのは苦悶に伴う叫び声であったのだから。

 わからない、何があったのかが分からない。

 一体、何が起きたというのだろうか?

「く、ひぎゃああああああ」

 思わず地面に転げ、そのまま身悶えする。

 特段何かをした訳ではない。

 零二がした事は、――向かって来たその腕を掴んだだけだ。

 本来であれば、掴まれた所でそのまま力押しでぶった斬る事も可能だったはず、なのに。

 掴んだその手からは強烈な、蒸せ返る様な熱を感じた。たったそれだけの事で、今の状況に陥っていたのだ。


「悪ぃな、もう効かねぇよ。アンタの攻撃はよ」


 少年は地面に転がるフリークを見下ろす。

 その表情にはもう、何の感情も浮かんではいない。

 その目も同様だ、一切の怯えも、恐怖も灯してはいない。


「ぐききぃぃぃぃ」


 蟻のフリークが無事な左腕を振るう。

 もはや、自身の身が傷付いても構わない。この年下の少年を殺せさえすればそれで一向に構わない。

 狙うはその首。勢い余って右腕をも切断しかねないがお構い無し。死神が振るう鎌の様な死を招くその一撃で決着は着くはずだ。

 人間の速度を凌駕した一手は確実に獲物を弑するはず。


 だと言うのに。


「ぎにゃあ」

 ミシ、と言う音。

 そして、…………強烈な衝撃が腹部に響いた。

「ば、かな」

 自分の最速の攻撃よりも速い、一撃だった。速く、そして重い。

 その腹部へと届く拳から生じるのは”熱”。

 まるで、そう、まるで熱の塊がそこにはあるかの様だ。


「もう、終わりだぜ」


 零二は呟く。彼は確信していた。

 今の自分が目の前の相手には負けない、と。

 過信や慢心からではない、厳然たる事実として。



 ◆◆◆



 零二は知る由ないが、彼が目覚めたのは、ほんの一分前。

 まるで零二の叫びに、激情に応じたかの様に、全身が熱く感じた。真夏の陽射しだとか、焚き火に当たる様な熱さではない。

 まさしく自身の身を焦がす様な――圧倒的な熱量が体内から溢れ出す。

「う、……あああアアアアアアアア」

 抑え切れないナニかが体内、血となって駆け巡り、それがさらに指、目、口、耳、心臓、肺、あらゆる臓腑をも灼熱に包み込んでいく。

「はァ、はァ、ハアアアアアアッッッッ…………!!」

 猛烈な、いや、絶大なナニカが細胞一つ一つに至るまでを、覆っていき、喰らい尽くす。

 この感覚には覚えがある、そう……何だろうか?

 そこで、意識が途切れ――――。


「はっっ……」


 正気に戻った時には、自分に起きた変化を、察知した。

 自分の体内が熱い。まるで、燻った火の様に。こんなのは初めてだった。

 そして、不意に気付く。さっきまでの全身の痛みが、綺麗サッパリ消えている事に。

 手で触れてみれば傷口が完全に塞がっている。あれだけの重傷だったのに、だ。

 リカバー、いや、そんなモノではない。

(オレの、この【熱さ】が原因なのか?)


 物思いに耽りそうなその思考を遮断したのは、少し離れた場所からの絶叫。

「ち、うっかりしてたぜ、あの蟻ヤローをブッ倒さなきゃな」

 そうして彼は走った。声の方へ。身体は不思議と以前よりも軽く感じた。


「ち、ひでェな。……くそ」

 思わず目を背けたくなった。

 彼は目にしたのは、惨状と言う他有り得ない光景だ。

 通りに倒れる十数人の一般人はその悉くが、惨殺されている。

 首を千切られ、頭部が頸部へとめり込み、両断され、あの唾液を喰らったらしく、骨になっていた。

 ついさっき死んだばかりの彼らの姿を零二は目にした。

 ズキリ、とした痛みを覚える。同時に何かが込み上げる。全身が熱く感じる。

「そっか、これが秀じいが言ってたコトか」

 後見人が幾度も幾度も言った言葉を思い出す。

 力ある者には責任が生じる、そう何度も言われた。

 だから、決してその持った力は弱い者に使ってはならぬ、その力はもっと大事な物を守り、手に入れる時にこそ使え。

 それはこういう意味であったのだ、と理解した。

 だから少年は真っ直ぐに見た。この場で死した全ての人を。もう何も出来る事はない。だが、それでも彼らの姿を目に焼き付ける。

 自分の非力さが、何を招くのかを理解する為に。

 自分が正義だとか何とかと言うつもり等ない。

 自分とて、これ迄多くの命を奪い灼き尽くしたのだから。

 だからこれは、戒めだ。

 自分は決してもう怪物にはなってはいけないのだ、と確認する為の。自分の中に確実に存在しているであろう、ソイツに対する零二からの宣戦布告であった。

 そして……何故か、ソイツが笑った様に思った。

 それはほんの僅かな時間であった。だが、充分だった。


 零二は肌で感じていた。

 あの殺戮者となった怪物がどっちにいるのかを。その殺意から明敏に。

 ふぅ、と息を吐く。そして、その頬をぱちん、と両の掌で叩く。


「オレが今やるコトなンて決まってるよな」


 そう一人呟くと、顔を上げる。

 その目に宿ったのは覚悟であった。



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