怪物に成り果てたモノ
「じゃ、世話になりました」
「おう、もう来るなよ腹ペコボウズ」
「うっさいよ、オッサン」
「口の減らねぇボウズだな、ったく。じゃあな」
「おうさ、じゃあな」
そんな会話を交わして零二は強面の大男の店から出た。
カラカラン、という鈴の音が心地いい、と思える。
(いいヤツだったなぁ、悪人ヅラだけどよ。笑い方がぎこちないしさ)
考えると不思議と笑顔が浮かぶ。
何にせよ、感謝していた。見ず知らずの自分みたいなガキを助けてくれたのだ。
(今度はキチンとお礼しなくちゃな)
そう思いつつ、通りを見回す。
何処をどう歩いたのだろうか、…………道順がサッパリ分からない。端的に言えば完全に迷子だ。
さっきの公園のベンチからフラフラと歩いてここまで何分かかったのかも分からない。
はて、と思いながら改めて周囲を見回し……諦めた。
このままウロウロしていても埒があかない。
それに、だ。
さっきあの店で時間を見たのだが午後二時だ。
流石にそろそろ帰り道を考えないといけない。
では、どうするのがいいか?
そう思いつつ、通りの真ん中で考え込んでいると、彼に話しかける者が現れる。
丁度いい、そう思い零二は嬉々としてその相手に向かい合うと話しかけるのであった。
◆◆◆
青年にとってこの界隈は嫌な記憶しか無い場所であった。
先程から朧気になってはいたが、例えばこの裏通りの路地裏では幾度も幾度も周囲を囲まれて恐喝された。
殴られ、蹴られ、蔑まれ、そしてこう云われたものだ。
――お前は蟻なんだよ、俺らに踏み潰されたくなかったら、いいから金を持ってこい、わかったな!!!
だが青年は彼らの要求には従わなかった。
彼は、自分の家に迷惑をかけたくなかったから。
決して裕福とはいえない生活を、彼は分かっていたから。
だから決して応じなかった。
どんなに暴力を振られようとも、唾を吐きかけられようとも。決してそこだけは屈しなかった。
彼らも世間に露見するのを恐れた結果ではあったが、金の無心はいつしかしなくなった。
その代わりに、簡単な事に熱中した。
つまりは、青年への暴行だ。
彼らは事ある事に青年を呼びつける。
そして暴力を振るうのだ、自分達はコイツよりも強いのだ、と思う。ただそれだけの為に。
だが今、彼らはもう何も出来ない。
だって、だって。
彼らは既にもうこの世の住人ではなくなったのだから。
そこのゴミ箱に突っ込んだ男は喉笛を切り裂いてやった。
以前、お前の声は気持ち悪いとか言いつつ、首に手をかけ、絞め上げる。意識が途切れそうだったが堪えた。
幾度も幾度も首を絞められ、ギリギリの所を耐える。
その様をソイツは笑いながら見下ろしていた。
それが今はどうだ?
血を撒き散らし、喚き散らしてくたばった。いい気味だ。
壁にもたれ掛かる男は、頭を砕いてやった。
自分の事をエリートだの、何だのと偉そうにしていたのを覚えてる。だから、お前みたいなアホは自分に足蹴にされて当然だとも言った。他のやつらに殴られ、蹴られ、倒れ伏す自分を踏みつけながら見下ろしていたのを覚えている。
だからその優秀な頭を砕いてやった。優秀だとか言ってた脳ミソが今じゃ壁の染みだ。
ざまーみろ、と思う。
他のやつらは見た事もなかったけど、どうせこいつらもカスに違いない。だから一人、一人…………いや一匹一匹殺してやる。
弱い、本当に弱いやつらだ。こんなにも弱っちいやつらに踏みつけられていただなんて馬鹿馬鹿しい。
そして今。
この場にはもう誰もいない。
誰もかもが死んだ。
これで、終わりだ。だと言うのに。
何でこんなにもまだ渇えているのだろうか?
なぜもっと、もっと壊したいのだろうか?
自分が自分からかけ離れていくのが分かる。
だけど、もう別にどうだっていい。
「だって、おで、つよいんだから。何をしたっていいんだ」
そう、誰よりも強いんだから何をしたっていいんだ。
だったら、もっともっと壊そう、殺そう。
適当に歩いて、目に付いた奴をとりあえず壊そう。逃げるヤツを殺そう。辺り一面を真っ赤に彩って、腑をぶちまけて、そうしてそれを眺めてやろう。
そう思いながら路地裏から離れようと思った時だ。
誰かがいた。
目付きの悪い、如何にもクズみたいなヤツ。
ああ、殺してやる。壊してやる。
◆◆◆
零二が、その異常に気付いたのは偶然か、それとも必然だったのか?
あの強面の大男の店を出てから零二はとりあえず周辺を見て回る事にした。何の気なしに狭い路地に入り、如何にも雰囲気の悪い奴らが巣食っていそうな小さく、暗い通りを歩き、そうして気付いたのだ。そう、何かおかしい事に。
そこで声をかけられたので嬉々として振り返ると、通行料を出せだの何だのと声をかけられたので、とりあえず拳を見舞った。
ぞろぞろと何人かが姿を見せて襲いかかって来たのでその場でのしてやった。
手加減はしたので酷い怪我をした奴もいない。
一人を起こして尋ねてみる。
この先には何があるのか? 、と。
そして答えはこういうものだった。
――あそこは行かない方がいい。あそこはここらでも一番タチが悪いヤツらが集う場所だから。
だから、そこに向かう事にした。その何かがおかしい、そう思えるのはまさしくそこから感じるのだから。
今、自分が向かっている先からは、何か狂った様な感覚を覚える。これは、そう、…………何かが壊れた、壊した。
それは、つい数ヵ月前まで自分がそれを行った後に感じたあの思い出すのも嫌になるあの感覚だ。
その歩みは自然と早くなる。
何かが告げている、今すぐに逃げろ、と。
だが従わない。
何かが告げている、死んでしまうぞ、と。
だが無視する。
(だってよ、ここで逃げちまったらダメな気がするンだよ)
そして、零二が目にしたのは…………殺戮、いや惨劇の現場。
一体どれだけそこで死んだのかも良く分からない。
そしてそこに一人佇む男の姿。
真っ赤なペンキでもぶちまけたみたいに身体を染め抜いた姿。
一目で分かった。コイツが人ではないと。
コイツは怪物なのだと。
不意に双方の視線が交錯する。
互いに互いにを見て思ったのは同じ事だった。
ああ、コイツは敵だ、と。
ここで斃す相手なのだ、と。