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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 6.5
148/613

理性と本能の境目

 

 もう秋だと言うのに、陽射しは思ったよりもずっと強くて、空を見上げるのが躊躇われる。 

「へっへ、ここまで来たらまぁ、大丈夫だよな?」

 そう言いつつも零二は肩で息をしつつ、道を歩いていた。

 夜中に外に飛び出してかれこれこれもう数時間は経過したはず。

 まず優先すべき事は一刻も早い武藤の家から距離を取る事。

 何せ、あの家には化け物みたいなヤツが二人いるのだから。

 後見人たる秀じいは、とにかくマトモにぶつかって勝てる相手ではない。とにかくあの老人はマトモじゃない、物理的に無理だ。

 次いで、皐月。あのお色気モンスターはとにかくやたらと目先が利く。もしも捕まればお仕置きは免れないだろう。それもキッツいお仕置きが。

 どちらに捕まるのも絶対に嫌だ、そう心から思う。

 だからとにかく逃げるに限る。少しでも距離を取って逃げる。

 そこまで考えるなら、いっそ逃げなければ、なのだが。

 今の零二にとって外の世界は、街は魅力的であった。

 だってあそこは本当に、凄い場所だったから。


 一度だけ、この九頭龍に来てすぐの事だ。

 零二は、秀じいに連れられて九頭龍の中心街に行った事がある。

 どういう用向きだったかは覚えていない。でもそんな事はどうだっていい。そんな事は些末な事だったのだ。

 あれだけの人が、行き来しているのが信じられない。

 歩行者が様々な人が様々な場所に、建物に入って、出ていく。

 建物は無数に建ち並び、まるで木々、いやちょっとした森の様だ。

 武藤の家からの景色とは全然違う。

 良く言えば郊外、悪く言えば田舎にある武藤の家からの景色も悪くはない。夜になれば星がキレイだし、日中だって山に登るのは、結構楽しかったりする。

 だが、それとは違う世界をみてしまったのだ。

 そして、そこに対する興味が日々収まる所か高まってしまう。

 その結果が、今の状態だ。

 つまりは、家出してでも、もう一度見てみたかったのだ。

 あの人の海を見たかったのだから。


「う、ーーーン、コイツぁ」

 キョロキョロと辺りを見回す。

 景色は、代わり映えのしない田んぼや畑。

 いつも見ている景色と、あまり変わらない。

「え、えーと。これは……」

 前に車で来た時は数十分だったのに、徒歩だとこんなに時間がかかるのだと、今さら理解した。

「にしたって……なぁ」

 思わず嘆息する。

 目指す街中がまだ見えない。


 行けども行けども、人気が全くない。

 要するに零二は絶賛迷子中であった。何せ、彼はきちんと外を出歩いた事が無かったのだ。地理が良く分かってないのが災いしていた。

 このままでは埒があかない。そう思ったから、

「仕方ねェか、走ろ――」

 零二は迷う事なく走り出した。時間が惜しかった、とにかく少しでも早く街に行きたい。こんな所を呑気に歩いていては、家からの追手にあっさりと捕まってしまうに違いないから。

「うおおおおおおおお」

 のどかな田んぼ道に、少年の叫び声が轟き、響く。

 驚いた鳥が田んぼから一斉に飛び出していく。

「おんやまぁ、どうしたんだい?」

 稲刈りをしていた農家のお爺さんが、突然のその無数の鳥の羽ばたきに呑気な声を挙げる。

 だが、彼は全速力で駆け抜けていく零二の姿には気付かない。

 ただ、いつもよりもけたたましい鳥の羽ばたきや鳴き声に驚くだけだった。

 ただ、気のせいだろうか? 誰かの声が聞こえた様な気がしたのは。



「ハァ、ハァ……ああ、もうダメだ。げんっ、かいだぁ」

 どの位走った事やら、汗だくになった零二は日陰に避難。その場でズルズルと座り込む。

 とにかく走った、走って走って走りまくった。

 手足を振り、息を切らして走った訳だが…………。

 その甲斐はあったらしい。

 零二のいる場所は間違いなく九頭龍の中心街であった。

 今、彼がいるのはコンビニのゴミ箱の近く。

 車線を挟んだ向こう側には九頭龍裁判所が見える。

 独特の煉瓦造り、いやタイル張りらしき黄土色の建物には見覚えがあったから間違いない。

「ハァ、とりあえず着いたかぁ」

 その途端、グウウウウウウウ、という音が腹部から盛大に鳴り響く。安心したせいだろうか。

 ふと、コンビニの時計を見ると、針は午前九時半を指している。

「そういや、昨日の夜からなンも食ってねェよ。そりゃハラだって減るよなぁ」

 はは、と苦笑しつつご飯を食べなきゃ、と思ったその時。

 彼は気付いた、重大な事実に。

「――金がねェ」

 そう、髪を逆立てた少年は、現在無一文であったのだ。

 一般常識に欠ける零二に、後見人である秀じいが教えた数々の一般常識の中でこれだけは守れ、と口を酸っぱくして言われたのを思い出す。


「良いですか、決して無一文で出歩く様な愚は犯してはなりませぬぞ。あなた様は仮にも武藤の家の当主なのですからして、間違っても無銭飲食等もっての他ですぞ」


 そう、間違っても盗人にはなるな、とそう、言われていたのだ。

 零二からすれば、何かを得たいなら持っているヤツから奪えばいい。それがそれまでの常識であったのだから。


「若、これだけは守るのです。武藤の家に生まれた以上は、裏社会に関わらずを得ません。それが弱肉強食の世界に生きる者の業なのですから。

 ですが、……だからこそ守らねばならぬ事もあるのですぞ。

 強き力を持った者は、誰よりも誇り高く有らねばならぬ。

 それこそが若が背負うべき唯一の【掟】です」


 そう言われ、知らず知らずの内にいつしか……それを規範にしていた。

 以前なら迷わずにコンビニへと押し入っていた事だろう。

 欲しいモノはこの手で手にいれればいいのだから、とそう思っていたし、確信もしていたのだから。

 なのに、今はどうだ?

 イレギュラーが使えなくとも素の力で簡単に手に入れる事が出来るのに、それをしなかった。

 これは弱くなったと言えるのか?

 答えは否、だ。


 今なら分かる。

 かつての自分は弱かった。

 弱かったから、だからこそ、イレギュラーを暴走させ、その挙げ句全てを灼き尽くした。

 あんなのは強さではない、逆だ。

 ただ、怖くて怖くて何もかもが嫌になったから、ただそれだけ。


「別にカッコつけるワケじゃねェよ、ただ、強いヤツが弱っちいヤツをブッ飛ばすのってすげェカッコわりぃだけだよ、うン」


 気が付くとそんな独り言を口にしながら、コンビニを立ち去るのだった。

 グウウウウウウウ、ともう一度腹の虫が派手に鳴り響いた。



 ◆◆◆



 青年は歩いていた。

 特に目的もなく、ただ歩いていた。

 着ていたシャツは鮮血で染まり、赤黒くなっている。

 鼻に付くのはツン、とした鉄臭い酸化した血の香り。

 何といういい香りだろうか。

 彼は今、高揚感にみちている。

 自分が強くなった実感に充実した気持ちだった。

 すれ違う人は特に不審がる様子もないのは、青年が堂々と街中を歩いているからだろうか。

 或いは何かおかしいと思っても、ペンキでも被ったのに違いないとでも思っているのかも知れない。

 だが、そんな事はどうだっていい。

 だって、今の自分は強いのだから。そう誰よりも強いのだから。

「お、おで強い。ぜんぶぜんぶころせるし、こわせる」

 まだ手に残るあの感触。

 ぜんぶぜんぶブチブチと潰した手の感触。

 もっと、もっといっぱいにしたい。

 だから彼は歩いていた。

 一人か二人なんかじゃ収まらない、もっと、とにかくもっとたくさん殺せる場所に。

 既に知性も理性も喪失しつつある中で、彼は本能的に向かっていた。九頭龍でももっとも治安の良くない地域へと。

 繁華街の、裏路地へと。

 そう、そこは、そここそは彼が幾度となく酷い目に合わされた場所に他ならない。

「で、ではははは、みんなころす、みんなこわすぅぅぅ」

 最早、彼は恐れない。抱くのはただ暴走した本能の発露だけだった。


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