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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 6.5
144/613

我慢と対面

 

 気が付けば零二が武藤の家に来てから、かれこれ三ヶ月が経過した。

 いつしか季節は桜舞う春から、蝉の鳴き声と強い陽射しの差す暑い夏へと変わっていた。

 そんな毎日の中で、

 零二は、毎日同じ事を繰り返しながら、だが、それでも充実した毎日を送っていた。


「いっってえええええええええ」

 いつもの様に庭からは零二の絶叫が轟く。

 数時間後に、文字通り泥々になった零二が家に戻る。

 そして、まずはシャワーを浴びる。風呂にはまた改めて食後に入るから、今は軽く汚れを落とせればいい。

 シャワーの水流の、水の粒が疲れた身体に当たって心地がいい。

「そういや、最近あンま痛くないかな?」

 零二はそんな事を思いながら肩や腰を触れる。

 手合わせの結果は相変わらず散々ではあったが、この所は、怪我をあまりしなくなった様に思う。

(それに、なンだ? 今日はシャワーが温いなぁ)

 大方、お湯の温度調節でも間違えたに違いない、そう思いながら身体に付いた泥を落としていく。

 きゅっ、とシャワーの蛇口を閉めてから、タオルで身体を拭いていく。鏡に写る自分の身体にも変化が起きていた。

 簡単に言うなら、前よりも身体が軽いと思う。

 細身に程よくついた筋肉も、以前より柔軟だと実感する。

 そう言えばあの白い箱庭でも、それなりに鍛えてはいたが、それはあの藤原新敷に無理矢理やらされていた感が常にあった為か、そうしたトレーニングにもどうにも身が入らなかった。

 だが、今は違う。

 これは今、零二自身が望んでいる事だ。

 だからだろうか? こんなにも気分がいいのは。


 窓の外へと視線を向ける。

 鮮やかなオレンジ色の夕陽が見えて、思わず「すげェよな」と呟く。

 そう、外の世界に出てから毎日が色々な発見の連続だった。

 外に出る事もなく、あの閉ざされた世界にいたならば決して見る事もなく、ましてやこうも心が震える事など知る由もなかった事だろう。

 だが同時に思う。

(オレは、こんなにも大きな世界に出る機会を奪っちまったンだな…………皆から、よ)

 どんな理由があっても、決して変わらない事実がある。

 零二は結果的に自分以外の全てを”消した”のだ。それは、数百人もの自分と年端の変わらない皆から、”可能性”を奪った事でもある。

 そう思うと、零二は考えざるを得ない。

 自分だけが、こんなにも恵まれていていいのだろうか、と。

 皆から何もかもを奪った自分がこうして平穏を得ていていいのだろうか、と。


 今夜の夕食は、骨切りしたウツボのたたきに、天ぷらに、それから吸い物。

 どうやら四国は高知に行った家政婦がお土産で持ってきたものらしい。写真で見た事はあったが、こうして目の前の皿に盛り付けられた白身を見ると、言われなければ気付かない。

「ヘェ、美味い。思ってたよりずっと美味いよ」

 素直にそう思った。

 あの獰猛そうな魚は、淡白で前に食べた鰻の様な味わいで、成る程、夏には持ってこいかも知れない。

「それは、良かったです。後程料理した者に伝えておきましょう」

 秀じいも、笑顔を浮かべつつウツボを堪能している。

「でもなンでこンなに美味いのに、知られてないンだよ?」

「それは、このウツボと言う魚は、骨切りしてもなかなかに骨が取り切れず、処置が難しいからです」

「ヘェ、じゃあさ、今日の料理したヤツはすげェンだな」

「いえいえ、其程でも」

「アンタかよ! ま、いいや。アリガトな」

「若からかような言葉を賜るとは、……嬉しいものですな」

「お、オイ。泣くなよ、ったく調子狂うよ……全くさ」

「ですな、若。まだまだウツボはあるのでたんとお食べくだされ」

「ヘェ、いいねェ。で、どのくらいあるワケ?」

 その時零二は知らなかった。家の冷凍庫に大量に入れられたその恐るべき魚の大群に。それからおよそ三日三晩三食全てウツボ祭りと相成る事を、知る由もない。



 ◆◆◆



 その日、零二は何ヵ月か振りに家の敷地から外に出た。

 とは言っても、車に乗っての移動なのだが。

「若、今日は出来うる限り、色々と我慢をしてください」

 秀じいの言葉には、いつもの明朗さはなく、そこからは何かこれから行く先に不安を抱いているであろう事が伺える。

 武藤の家から出発してからどの位の時間が経過した事だろうか?

 黒塗りのベンツは、どうも九頭龍の郊外へと向かっているらしく、景色は徐々に緑に覆われた物へと変わっていく。


 退屈していた零二を見かねた秀じいが、話を始める。


 向かう先はかつてこの九頭龍が、越前と呼ばれた頃にこの地を治めていた大名である朝倉氏の居城があったとされる一乗谷。

 近年ここは、テレビドラマにも幾度か取り上げられ、同時にこの地での様々な発見が、日本史に新たな事実を浮かばせた事で今やかなりの観光スポットとなっているらしい。


「ヘェ、確かにな」

 その言葉を示す様に零二の視界には多くの車に、観光バスが停車している駐車場、そこから歩いている大勢の観光客の姿が見える。


「これから向かう先はこの地に古来より存在しているある名家の本拠です」

「でもよ、確かここって昔、焼き討ちされたンじゃねェのかよ?」

 零二の読んだ本によると、この地を治めていた朝倉氏は織田信長との戦いに敗れ、その結果として一乗谷は燃え尽きた、とある。

 そもそも、そんな名家があるとして、何故何もその家の事は様々な本を読んでみたが何も記載がないのか?

 そんな零二の問いかけ対して、秀じいは「…………」ただ無言を貫く。どうにも調子が狂うな、と零二は内心で思う。

 この横のシートに腰掛ける後見人にして、執事の老人はその一八〇を越える背丈と、スッとした立ち姿。それでいて目が悪いので杖付いているのだが、正直纏った雰囲気は普通とは到底言い難いモノであり、威圧感を放ったりするのだが、その見た目に反して、実際にはかなり気さくだったりする。

 零二が疑問を抱き、その事を尋ねると、少しの逡巡の後にすらすらと疑問に応えてくれる。

 それが今は無言。明らかに普段とは違うその様子に、これから向かう先が尋常ではないのだと、嫌でも感じざるを得なかった。

「秀二さん、零二さんが身構えちゃっていますよ。後見人なんだから、もっと悠然としていなきゃねぇ♪」

 そんな空気を緩めたのは、運転席にてハンドルを握っている皐月であった。

 そう今、この車内には零二と後見人である加藤秀二、それから運転手として皐月が乗っているのだった。

 こう言っては失礼だとは思ったが、零二の中で皐月が車の運転をしているイメージは全く無かった。

 それに、何というかその運転がどうやら安全運転らしいのも意外であった。

 てっきり、アクセル全開で猛スピードで走りそうに思えるのに。


「あらいやだ、零二さんったら、わたしに見惚れてしまいましたか♪ ですがわたしはお子様には興味ありませんので♪」

「若、この女狐だけは絶対にいけませんぞ」

「オイ待て、勘違いすンなって……」

「……そうですよ秀二さん。零二さんったら、暇さえあればわたしを視姦しているんですのよ♪」

「おお何と! 嘆かわしい。何とはしたない」

「だから待てってのさ、皐月テキトー言うな。それから秀じい、頼むから頭を抱えるなっての!

 お前らちっとはオレのいうコト聞けってのさ!!!」

 思わず大声を張り上げた零二はそこではっ、とした。

 横に腰掛ける後見人も、運転手も、クスクスと笑っているのに。

 ハンドルを握る美女は底意地の悪い笑顔を浮かべる。

「ね、言ったでしょ? 零二さんったら単純だってねぇ♪」

 後見人は後見人で、これまた頭を抱えている。意味合いは違うのだろうが。

「ううむ、これは少々真っ直ぐ過ぎますな。これでは詐欺等のいいカモになってしまいますぞ」

 そう言いつつも、二人共に笑いを押し殺しているのが見え見え。

「お前らなぁ、っざけンな、コラぁ」

 どったんどったん、とベンツ内でジタバタする零二。それは完全に子供が駄々を捏ねている光景だった。

「だがよ、アリガトな。お陰で気が楽になったよ」

 零二とて、二人が気を使ってた事には気付いていた。

 そう、彼は緊張していたのだ。

 何故なら、さっきから感じていたから。

 自分達が向かう先から発せられる異様な圧力を。

 そう、彼はこの後知る事になる。

 この九頭龍に巣食う存在を。


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